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逆境を勝ち越えた英雄たち】第22回 ガリレオ・ガリレイ

2022年08月11日 | 妙法

ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第22回 ガリレオ・ガリレイ2022年8月11日

1994年5月25日、池田大作先生ご夫妻は、平和旅の合間を縫ってガリレオの故郷にある「ピサの斜塔」へ。ガリレオが、それまでの固定観念を覆し、重い物も軽い物も同じ速度で落ちる「落体の法則」を証明したとされる歴史的な塔は、世界遺産にも登録されている
1994年5月25日、池田大作先生ご夫妻は、平和旅の合間を縫ってガリレオの故郷にある「ピサの斜塔」へ。ガリレオが、それまでの固定観念を覆し、重い物も軽い物も同じ速度で落ちる「落体の法則」を証明したとされる歴史的な塔は、世界遺産にも登録されている
〈ガリレオ・ガリレイ〉
ただ座って考えていても進歩はない。
他人の報告を信じるだけではなく
自分の眼で確かめることが大事だ。

 夏の楽しみの一つといえば、天体観測だろう。暑い一日を終えた後、夜風に吹かれながら星空を見上げると、心も果てしなく広がっていく。

 あす12日は満月。さらに、天候が良ければ、翌13日にかけて「ペルセウス座流星群」が見られるかもしれない。

 その天体観測を、はるか400年以上も前に望遠鏡を使って始めた人物がいる。「近代科学の父」と仰がれる、イタリアのガリレオ・ガリレイである。

 「ただすわって考えているだけでは、科学の進歩はありえない」「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」――彼が残した言葉は、その人生が行動と探究に貫かれていたことを物語っている。

「近代科学の父」ガリレオ・ガリレイ(1564―1642年)©UniversalImagesGroup/Getty Images
「近代科学の父」ガリレオ・ガリレイ(1564―1642年)©UniversalImagesGroup/Getty Images

 ガリレオは1564年、同国北部のピサに生まれる。父の方針で幼い頃から家庭教師に教育を受けた。経済的事情により修道院学校に通った時期もあったが、多彩な才能を磨き、17歳でピサ大学に入学。そこで宮廷数学者リッチの講義に魅了され、数学の道を志すようになる。

 後に大学は中退するものの、働きながら研究を継続。その成果が認められ、25歳でピサ大学の数学教授に就任した。

 ガリレオは講義の傍ら、自らの研究を進め、物体の運動と落下に関する本を執筆する。その際、「ピサの斜塔」で行ったとされる実験で、重い鉄球と軽い鉄球が同時に落ちることを確かめ、落下の速さは重さと無関係であるとの結論を示す。

 当時のヨーロッパの科学は、2000年前から続く古代ギリシャの思想に支配されていた。しかし彼は、論理の応用だけで結論を導き出すという常識にとらわれず、実験と検証を重ねることで真実に迫り、近代科学の扉を開いていったのである。

〈ガリレオ・ガリレイ〉
これから発見できることはまだ山ほどある。
新しい世代の人間にも
やることはいくらでも出てくる。

 1604年、夜空に突如、超新星が現れ、科学の世界に衝撃が走った。「宇宙は安定した不変のものである」との学説が揺らぐことになったからだ。

 この5年後、望遠鏡がオランダで発明されたことを聞いたガリレオは、その構造の説明をもとに自ら製作に着手。やがて約30倍の高倍率へと改良し、天体観測を開始する。

 そして、月の表面のクレーターをはじめ、木星の衛星や金星の満ち欠けなどを発見。それまで定説とされていた、太陽や星が地球の周りを回る「天動説」は誤りであり、太陽の周りを地球が回る「地動説」が正しいことを確信したのである。

1610年にガリレオが発見した木星の四つの衛星。「ガリレオ衛星」とも呼ばれる©Space Frontiers/Hulton Archive/Getty Images
1610年にガリレオが発見した木星の四つの衛星。「ガリレオ衛星」とも呼ばれる©Space Frontiers/Hulton Archive/Getty Images

 ガリレオの偉業は多くの大衆から支持されたが、先駆者の宿命ともいうべき迫害の嵐が彼を襲う。嫉妬に狂った人々が、地動説は聖書の教えに反するという言いがかりをつけ、ガリレオを異端審問所に告発。地動説を捨てるよう命じられたのだ。

 だがその2年後、空に三つの彗星が現れ、再び天動説と地動説を巡る論争が巻き起こる。彼は言論の力で地動説を証明することを決意。「われわれはもはや、暗黒も、真っ向から吹つけてくる嵐をも、恐れる必要はありません」――大病を抱えながら、約6年かけて大著『天文対話』を書き上げたのである。

 発刊後、ガリレオは宗教裁判にかけられる。判決は終身刑。翌年には彼を支え続けてきた最愛の娘が病で急死してしまう。

 相次ぐ苦難は彼を絶望の闇に突き落とした。しかし、失意の底にいながらもガリレオは絶対にくじけなかった。その原動力となったのは、真実への飽くなき探究心であり、不正への激しい憤怒であった。

 「もう沢山のことが発見されたが、これから発見できることはまだ山ほどある。だから新しい世代の人間にもやることはいくらでも出てくる」「無知とは、もろもろの悪意、嫉妬、瞋恚の母であり、他のすべての悪の中で、最も卑劣で醜い罪悪である」

 厳しい監視にも耐え、ガリレオは命が燃え尽きるまで真理を追い求めた。亡くなったのは42年1月、77歳の時。遺骸は礼拝堂から離れた場所に葬られる。

 ガリレオには愛弟子のヴィヴィアーニがいた。死後も続く冷遇に怒った弟子は、師匠の伝記を刊行し、全集を編さん。礼拝堂への改葬と記念碑の設置を願い、生涯を閉じた。

 この弟子の悲願が成就したのは、約30年後のことである。

 今年はガリレオの没後380年の節目に当たる。

〈ガリレオを語る池田先生〉
歴史上、偉大な人物はみな、
勇気をもって行動している。
何があってもくじけずに、
努力を続けた人が最後に勝つ。
「挑戦の人」「信念の人」たれ!
1994年5月29日、イタリア広布33周年を祝賀する芸術フェスティバルに出席した池田先生が、出演者の“未来っ子”を激励。この日、先生は集った友に“誰よりも幸福になってほしい”との真情を語った(イタリア文化会館で)
1994年5月29日、イタリア広布33周年を祝賀する芸術フェスティバルに出席した池田先生が、出演者の“未来っ子”を激励。この日、先生は集った友に“誰よりも幸福になってほしい”との真情を語った(イタリア文化会館で)

 1994年5月、イタリアを訪問した池田先生は「ピサの斜塔」へ。見学するのは81年5月、同志と共に訪れて以来、2度目であった。

 この2年前の92年、当時のローマ教皇がガリレオの裁判は誤りであったことを認め、謝罪を表明。先生は8階建て、高さ約55メートルの斜塔を見つめつつ、逝去から350年後の名誉回復という勝利劇に思いをはせた。

 さらに、ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年に当たる2009年。国連等が「世界天文年」と定めたこの年、先生は折あるごとに、次代を担う未来部の友へガリレオの人生を通してエールを送っている。

 「彼はつねに実験を重んじる『行動の人』でした。何度失敗しても、ねばり強くチャレンジし続ける『挑戦の人』でした。そして、どこまでも真実を叫び抜く『信念の人』だったのです。歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動しています。何があってもくじけずに、努力を続けた人が、最後は必ず勝利するのです」(「小学生文化新聞」<当時>09年1月号の新春メッセージ)

ガリレオも学んだ世界最古の歴史と伝統を誇るイタリアのボローニャ大学。池田先生は94年6月1日、同大学大講堂で記念講演を行った
ガリレオも学んだ世界最古の歴史と伝統を誇るイタリアのボローニャ大学。池田先生は94年6月1日、同大学大講堂で記念講演を行った

 「良き弟子を持ったゆえに、ガリレオは幸福でした。勝利しました。私も、永遠の師匠である戸田先生、牧口先生を、全世界に宣揚し抜いてきました。そして私には、未来部がいます。絶対に信頼できる君たちがいます。(中略)

 どんなに迫害されようとも、広宣流布という、この世で最も尊い『正義』の旗は、必ずや後継の君たちが受け継いでくれる。そして、未来永遠に師弟勝利の歴史を打ち立ててくれる。だから、私は幸せであります」(同年5月5日「創価学会後継者の日」記念の未来部総会へのメッセージ)

 さあ、心を宇宙大に広げ、努力と挑戦の日々を! 創価の夏は後継の友と共に成長する躍進の夏である。

【引用・参考】ガリレオ・ガリレイ著『星界の報告』伊藤和行訳(講談社学術文庫)、同著『天文対話』青木靖三訳(岩波文庫)、ベルトルト・ブレヒト著『ガリレイの生涯』岩淵達治訳(同)、豊田利幸編『世界の名著21』(中央公論社)、田中一郎著『ガリレオ裁判』(岩波新書)、W・シーア、M・アルティガス著『ローマのガリレオ』浜林正夫・柴田知薫子訳(大月書店)ほか
【引用・参考】ガリレオ・ガリレイ著『星界の報告』伊藤和行訳(講談社学術文庫)、同著『天文対話』青木靖三訳(岩波文庫)、ベルトルト・ブレヒト著『ガリレイの生涯』岩淵達治訳(同)、豊田利幸編『世界の名著21』(中央公論社)、田中一郎著『ガリレオ裁判』(岩波新書)、W・シーア、M・アルティガス著『ローマのガリレオ』浜林正夫・柴田知薫子訳(大月書店)ほか

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随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 未来のため 平和のために

2022年08月04日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 未来のため 平和のために2022年8月4日

美しいピンクの大輪の間から、新たな蓮華のつぼみが凜然(りんぜん)と。その姿は未来部の友のよう。若き生命は、大いなる夢と可能性を具えて、開花の瞬間を待つ(池田先生撮影。7月、都内で)
美しいピンクの大輪の間から、新たな蓮華のつぼみが凜然(りんぜん)と。その姿は未来部の友のよう。若き生命は、大いなる夢と可能性を具えて、開花の瞬間を待つ(池田先生撮影。7月、都内で)
「正義の走者」の大星雲ここにあり

 「人類の平和を守るフォートレス(要塞)」たる、わが創価大学の講堂には、フランスの大文豪ビクトル・ユゴーが書物を携えて闊歩する像が立つ。 
 台座には――
 「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」との、名作『レ・ミゼラブル』の深遠な一節が刻まれている。
 今、この天空の壮大なる広がりを、より遠く、より明晰に観測しているのが、米航空宇宙局(NASA)のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡である。
 史上最大の宇宙望遠鏡から届いた天座の画像は、
 ――生まれたばかりの星々が大きく明るく成長しゆく大星雲、
 ――百三十五億年前とも推定される太古の銀河等、目を瞠るばかりである。
 願わくは、加速する天文学の進展とともに、我ら地球民族の心も、さらに大きく賢く広げて、かけがえのない「いのちの星」を守り、平和に栄えさせていきたいものである。
 そのために、内なる宇宙というべき人間自身の生命の内奥を解明しゆく仏法の英知が、いやまして求められるのではないだろうか。

子どもの真の名
“行動するペンの闘士”ビクトル・ユゴーの像(東京・八王子市の創価大学)
“行動するペンの闘士”ビクトル・ユゴーの像(東京・八王子市の創価大学)

 ユゴーは、子どもたちの心の世界にこそ、大いなる希望を見出していた。
 「子どもの本当の名前は何か」と、彼は問いかける。
 答えは「未来」である。
 「子どもの心に、種を蒔こう」。そして「正義」と「歓喜」を贈り、「子ども」を育てながら、「未来」を育てよう、と呼びかけたのである。
 恩師・戸田城聖先生のもとで、このユゴーの作品を学んだ折、先生は語られた。
 「子どもは未来の宝だ。未来からの使者だと思って大事にしなさい」
 わが未来部の「躍進月間」である夏を迎えるたび、この恩師の慈愛の声が蘇る。宝の中の宝である未来部の心に、勇気の種を蒔く夏だ。希望の未来を育む夏だ。
 「E―1グランプリ」「E―1フェスティバル」をはじめ、少年少女部は「きぼう作文コンクール」「少年少女希望絵画展」、中・高等部の友は「読書感想文コンクール」などへの挑戦を通し、大切な飛躍の節を刻んでいる。
 列島各地で行われている「創価ファミリー大会」は、励ましの善縁をどれほど地域に社会に広げているか。
 日蓮大聖人は、「よ(善)き人にむつ(睦)ぶもの(者)、なにとなけれども心もふ(振)るま(舞)いも言もなお(直)しくなるなり」(新2041・全1591)と仰せである。
 あらためて未来部担当者の皆様方に、心から感謝申し上げたい。また、教育本部等の方々のサポートも、有り難い限りである。

強く善く賢く!
ユゴー文学記念館で、文豪に思いを馳せる(1991年6月、フランス・ビエーブル市で)
ユゴー文学記念館で、文豪に思いを馳せる(1991年6月、フランス・ビエーブル市で)

 この八月、創価大学を舞台に、後継の「正義の走者」である中等部の研修会(四日、一都三県)、高等部の研修会(六日、全国中継)が行われる。
 “創価教育の父”牧口常三郎先生の喜びも、いかばかりか。
 思えば、あの太平洋戦争が始まった時、私は十三歳。終戦時は十七歳であった。まさに今の中学・高校生の世代に当たる。
 今、未来部の君たちが、コロナ禍をはじめ激動の時代にあって、生命尊厳の仏法を持ち、「勉学第一」「友情第一」で負けじ魂の青春を送っている。共に励まし合って成長しゆく同志である。これほど嬉しく、頼もしいことはない。
 アメリカの名門ハーバード大学で、私は大乗仏教、なかんずく日蓮仏法が必ずや二十一世紀文明に貢献し得ることを講演した。(一九九三年九月、二度目の講演)
 その時に提起した判断の基準が、宗教をもつことが人間を「強くするのか弱くするのか」「善くするのか悪くするのか」「賢くするのか愚かにするのか」という、三点である。
 創価の未来部は、若くして妙法を信仰することで、まぎれもなく「より強く」「より善く」「より賢く」なる生命の軌道を上昇していることを誇りとしていただきたいのだ。

人格を尊重して

 日蓮仏法は、万人に「尊極の仏の生命」を見出す。人種も民族も国籍も、また性別も職業も立場も、そして年齢も全く関係ない。
 大聖人は、子どもを授かった門下の夫妻に「現世には跡をつ(継)ぐべき孝子なり、後生にはまた導かれて仏にな(成)らせ給うべし」(新1631・全1123)と祝福されている。
 子どもを一人の最極なる生命の当体として、尊敬し、尊重し、信頼することは、仏法者の当然の振る舞いと言ってよい。
 法華経に登場する、八歳の竜女が、自らの即身成仏の姿を通して、「万人成仏」に疑いを抱いていた大人たちに「妙法への信」を奮い起こさせていく場面も、「子どもの尊厳性」を伝えるメッセージであろう。
 子どもの人権というテーマについては、元国連事務次長のチョウドリ博士と語り合ったことも懐かしい。国連で一九八九年に採択された「子どもの権利条約」の推進に、大きな役割を果たされた方である。
 博士は、二つのポイントに光を当てられていた。
 一つは、「子どもには権利があり、その権利を大人社会は認める必要がある」という基本理念だ。
 二つには、大人の行いが、現在あるいは将来に子どもたちに影響を及ぼす場合、子どもに意見を聴くべきである――という点である。
 子どもを一個の人格として敬愛し、相手の発達段階に合わせて伸びやかに意見を引き出しながら、その思いを受け止め、理解し、できる限り反映しようと努めることとも言えようか。
 まさしく「対話」である。
 家庭で、また地域で、子どもたちとこうした「語らい」を重ねることそれ自体が、互いの「対話力」を育み、望ましい人間関係をつくる力を伸ばしていく。ひいてはそれが、平和な地域・社会の建設にもつながっていくことを確信したい。
 「もし私たちが、本当に世界の平和を実現したいのなら、そして戦争をなくす戦いを進めたいのなら、それは子どもたちから始めなければならない」と、若き生命の可能性を信じ抜いたマハトマ・ガンジーは断言した。

若き宝の生命を育み 無限の希望を!
明日の世界は、なんと多彩であることか! 米ハーバード大学で最初の講演を行った翌日、訪れたボストン会館で未来の宝たちと記念のカメラに(1991年9月)
明日の世界は、なんと多彩であることか! 米ハーバード大学で最初の講演を行った翌日、訪れたボストン会館で未来の宝たちと記念のカメラに(1991年9月)

 法華経の宝塔品では、十方分身の諸仏が、釈尊と多宝如来のもとへ集まってくる。それは何故か。
 開目抄では、「法華経を弘めて未来の一切の仏子にあた(与)えん」がためであると、明かされている(新120・全236)。
 その熱情は、大きな苦しみに遭っているわが子を何としても救いたい、と願う父母よりもさらに強盛であると、大聖人は仰せだ。
 焦点は「未来」である。「未来」を担い立つ子どもたち、青年たちのために、深き慈愛をもって道を創りゆく、創価家族の献身こそ、「仏の御心」を体現した姿にほかならない。
 創価学会は、人を励まし、人を育てゆく究極の人間教育の大地である。
 人を育てることは難事中の難事だからこそ、その功徳もまた計り知れない。
 報恩抄は「花は根にかえ(帰)り、真味は土にとど(留)まる」(新262・全329)と結ばれている。
 広布後継の人材の花を咲かせるため、子どもたちの心の大地に「励ましの水」を絶え間なく注ぎ、「太陽のごとき祈り」を重ね続ける友の生命と一家眷属には、大いなる「幸福の花」「福徳の実り」が限りなくもたらされるに違いない。

困難をも使命と

 恩師は厳然と語られた。
 「百年後、二百年後のために、今、戦うのだ。二百年先には、創価の道の正しさを歴史が証明する。後世の人類が必ず証明するよ」
 七十五年前(一九四七年)の八月、十九歳の私が初めて戸田先生と出会った折に問うた「正しい人生」の答えも、師と共に歩み、生き抜く中で、そして後継の友を慈しみ、育みゆく中で、強く深く会得できた。
 そして今、私と同じ心で、従藍而青の若人を守り育ててくださる不二の同志が、日本中、世界中にいる。
 現在の未来部員は、学会創立百周年の二〇三〇年、そして二十二世紀から遥かその先へと、世界広布の万代の流れを決定づける「令法久住」の正義の走者だ。
 「艱難に勝る教育なし」
 今の若き世代に立ちはだかる困難の大きさは、即、「平和と人道の世紀」を開く使命の大きさでもあろう。
 だからこそ共々に、久遠元初の大生命力を満々と滾らせ、末法万年尽未来際へ――地涌の大星雲から創価の人材星を、歓喜踊躍して、いよいよ明るく賑やかに輝かせようではないか!
(随時、掲載いたします)

 〈引用文献〉ユゴーは『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳(岩波書店)、また「追放」神津道一訳『ユーゴー全集9』(同全集刊行会)参照。ガンジーは『マハトマ・ガンジー全集48』(英文)。 

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