小説「新・人間革命」に学ぶ 第27巻 基礎資料編2021年3月3日
- 連載〈世界広布の大道〉
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第27巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。
1978年(昭和53年)4月9日、東京創価小学校が誕生し、第1回入学式が晴れやかに行われた。
創立者の山本伸一は、入学式終了後、児童たちと記念撮影、記念植樹をする。彼は前日にも小学校を訪れ、校内を視察。教員や児童らと懇談する。
伸一の創価小学校に対する期待は大きく、前年には建設現場に足を運んだ。9日の記念植樹の後、伸一は児童たちと昼食を共にし、未来に伸びゆく「若芽」たちに祝福を送る。
その後も、伸一は折あるごとに小学校を訪問し、母子家庭や経済的に大変な家庭の児童、障がいのある児童らと会い、抱きかかえるように激励する。
10月には運動会に出席し、全員が立派な社会のリーダーに育っていくよう全力を尽くすと語る。また79年(同54年)3月には、児童祭にも出席。黄金の思い出を刻んでいく。
82年3月、第1回卒業式で「『平和』の二字だけは生涯忘れてはならない」と訴える。翌月には、大阪府枚方市に関西創価小学校も開校する。創価一貫教育は21世紀に向かって、大きく翼を広げた。
1978年(昭和53年)、宗門の若手僧らの学会攻撃は激しさを増していた。学会は、72年(同47年)に「広布第2章」の船出をする。山本伸一は、本格的な世界広宣流布の流れをつくろうと、日蓮仏法の本義に立ち返った教学の深化を図り、万人の平等を説く仏法の法理を、広く社会に展開してきた。宗門僧は、それを謗法と断じて学会を迫害。伸一は「正義」を貫くとともに、仏子を守るために、宗門の法主・日達とも対話し、事態の収束に努めてきた。
78年4月15日、埼玉文化合唱祭に出席した伸一は、信仰によって躍動する生命で奏でる音楽や歌声は、万人の心を結ぶ“文化の懸け橋”となり、仏法を世界に開く推進力となると訴える。また20日、静岡の伊東平和会館の開館記念勤行会では、迫害は、広宣流布をしてきた証明であると指導する。
さらに23日、伸一は三重研修道場での三重文化合唱祭に出席。24日には、地元の婦人部本部長宅を訪れ、草創の功労者らと語り合うなどして、三重文化会館へ。25日は関西に移り、30日には「’78千葉文化祭」を観賞。各地で入魂の励ましに徹した。
5月3日、会長就任18周年を祝賀する記念勤行会が全国各地で開催された。山本伸一は、創価大学での功労の同志への表彰式典で、「生涯、信行学の実践を」と訴える。5日、伸一は音楽隊の全国総会に臨む。終了後、テレビ局や新聞各社の記者と懇談し、青年の育成について語る。
9日、伸一は東京・練馬文化会館の開館記念勤行会へ。草創の同志を励ました後、勤行会では「信心強盛な人こそ、最も“富める人”」と指導する。
14日から、鹿児島県の九州研修道場で開催された春季研修会へ。鹿児島会館や会員宅も訪問し、創価大学出身の青年部員らとも語らいのひとときをもつ。17日には福岡へ飛び、九州最高会議で個人指導の基本姿勢を確認。続いて福岡圏・別府支部の体験談大会であいさつする。
18日、山口市内の支部座談会では、座談会の在り方に触れ、功徳の体験を語り、信心の確信に満ちた集いにと望む。20日には平和原点の地・広島で初の開催となった本部幹部会に。21日には岡山県女子部の合唱祭へ。伸一は広宣流布の道を開くため、間断なき「激闘」を続ける。
5月27日、山本伸一は、東北平和会館(後の青葉平和会館)で東北婦人部長・書記長らを激励。その後、東北6県の代表との懇談会に臨み、翌日は、宮城県幹部会に出席する。夜、伊達政宗の騎馬像が立つ、青葉城址を散策。24年前、戸田城聖と共に訪れた折、師が語った「学会は、人材をもって城となす」との言葉を思い、誓いを新たにする。
29日、福島県に移った伸一は、本部長ら代表幹部との懇親会に。翌30日、郡山会館を訪れ、前年に亡くなった会館管理者の追善法要を行い、夫人を励ます。6月8日、伸一は北海道へ。11日には、厚田の戸田記念墓地公園での第6回北海道青年部総会で、30年先を目指し、広布の誓願に生き抜いてほしいと指導する。
13日には釧路へ飛び、さらに別海の北海道研修道場を初訪問する。滞在中、役員の青年への激励をはじめ、標津町へも足を運ぶ。15日、釧路圏と道東圏の支部長・婦人部長らによる北海道幹部会へ出席。16日、上春別で雑貨店とドライブインを営む壮年と77歳の求道心旺盛な母親をたたえ、句を贈る。この北海道指導で、延べ2万人を超える同志を励ます。
「若芽」の章には、1978年(昭和53年)に開校した東京創価小学校の軌跡が描かれる。82年(同57年)には関西創価小学校が開校した。池田先生は同章の結びに、創価の学舎に集った未来の鳳雛たちへの万感の思いを記している。「私は嬉しい。君たちがいるから。私は楽しい。君たちがいるから。私は幸せである。君たちがいるから」(104ページ)
1978年(昭和53年)、学会は“合唱祭”に力を注ぐ。「信仰によって、人生の使命を知った喜びと生命の躍動を、友の幸せのために生きる誇りと歓喜を、歌声をもって表現し、希望の春風を、地域に、社会に送ろうとしたのである」(107ページ)。山本伸一は、各地の“合唱祭”を通じ激励を重ねていった。
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