希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 私の最高峰へ2022年6月14日
- 祈って、祈って、祈り抜くのだ!
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は人生の最高峰へ挑む友に贈った、励ましの言葉を紹介します。
戦いは、執念深く攻めぬいたほうが勝つ。これが鉄則である。最後の最後まで、攻めて攻めて攻めぬく。これが本当の指揮である。中途半端はいけない。執念深く! 戦いは、勝つか、負けるかしかない。祈って、祈って、祈りぬくのだ。戦って、戦って、戦いぬくのだ。勝利の結果を見届けるまで!
(『池田大作全集』第99巻、30ページ)
勇気こそ万事の決定打である。あきらめや弱気を打ち破るのも勇気だ。限界に挑むのも勇気である。
御書には、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(全1190・新1620)と仰せである。「師子王の心」が学会魂である。
その勇気は「取り出す」ものだ。勇気のない人はいない。出していないだけなのである。
(『池田大作全集』第134巻、341ページ)
仏法は「現当二世」と説く。つねに、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。この一点を忘れてはならない。
御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(全1190・新1620)と仰せのとおりである。
「もう、これくらいでいいだろう」という「たゆむ心」「弱い心」では、魔に負けてしまう。人生の最後のその日まで、断じて一歩も退いてはならない。
(『池田大作全集』第94巻、231ページ)
「『塵も積もれば山となる』という言葉はあるが、実際には塵が積もって山となったことはない」とは、牧口先生の教えである。
激しい地殻変動が山をつくるように、熾烈な大闘争が偉大なる歴史をつくる。
大悪と戦ってこそ、大善の境涯はつくられ、大難を越えてこそ、偉大なる人格はできる。
(『池田大作全集』第129巻、348ページ)
人生は、断じて退いてはならない。負けてはならない。「負けない」ことが「勝利」である。
最後まで「負けない」人は勝ったのである。
学会の前進も、どんな障魔にも退かなかった。前へ前へと進んだ。だから勝ってきた。
“何があろうと、一歩も退かない”――これが学会精神である。その人こそが、無限の勝利を得ることができる。
(『池田大作全集』第88巻、455ページ)
たとえ、一進一退の膠着状態に見えるところでも、絶壁に食らいついて、必死に戦っている友がいる。それを、目立つところだけ見て、健気な同志の陰の奮闘を見なければ、あまりにも傲慢な幹部だ。
いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋を切ることができる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ。
(『随筆 希望の大道』、241ページ)
限界を突破できるか、否か。それは、自身の一念で決まる。執念で決まる。
大聖人は、虎に母を殺された将軍が仇討ちのために放った矢は、石をも貫いたという中国の故事を引かれ、「強盛の信心」の真髄の力を教えておられる。
あの「大阪の戦い」の折、私はこの御書を拝し、関西の同志に語った。
「弓を満月の如く、キリキリと引き絞って、まさに全魂を込めて的を射んとする一念が大事なのだ。ここぞという時は、この姿勢を絶対に忘れてはならぬ」
戦いを決するのは、生命の奥底から発する勢いだ。
(『随筆 我らの勝利の大道』、220ページ)
外からの刺激を求めていくことだ。また、心のアンテナを磨いて、いろいろなところから学んでいくことだ。
現状に安住したり、妥協して、守りに入ってはならない。それは滅びの前兆である。
妙法とは、無限の希望の大法である。限りない前進の原動力である。ゆえに私たちは、満々たる生命力で、勇敢に打って出てまいりたい。そこから、必ず、新しい勝利の突破口が開かれる。
(『池田大作全集』第97巻、57ページ)
一九五八年(昭和三十三年)の年頭、戸田先生は、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)との一節を拝して訴えられた。
「きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」
さあ、共に出発だ。燦然たる「勝利」の最高峰へ、共々に登るのだ。
(『池田大作全集』第139巻、255ページ)
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