【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第6回 シモン・ボリバル2021年4月11日

たじろがず、信念をもって戦うのだ。
人間がなしうる最も素晴らしいことは
人に光を与える仕事である。
ある人いわく。「彼は人種を解放し、大陸を目覚めさせ、諸国民の自覚を促した」と。
またいわく。「彼は太陽のように氷を解かし、万物を豊かにし、光を与え焦がす力を持つ」と。
「彼」の名はシモン・ボリバル。「人間がなしうる最も素晴らしいことは人に光を与える仕事である」――この確信のままに、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、エクアドル、ボリビアを独立へと導いた「南米の解放者」の一人である。
日本ではなじみが薄いが、ラテンアメリカでボリバルの存在を知らない人は、ほとんどいない。その功績を顕彰して建てられた像は、南米各国の至る所で見ることができる。
「たじろぐことは、敗北すること」「信念をもって戦い抜く民衆は、最後に必ず勝つ」
彼が残した言葉は、今に通じる人生哲学として、不朽の輝きを放ち続ける。

ボリバルは1783年7月、スペインの植民地支配下にあったベネズエラのカラカスで生まれた。幼少期に相次ぎ両親を亡くすが、少年時代に出会った一人の教師から大きな啓発を受ける。同国が生んだ大教育者のシモン・ロドリゲスである。
師のもとで心身を鍛錬した彼は、自らの見聞を広げるため、海を渡りスペインへ(99年)。叔父の友人で、カラカス出身のヘロニモ・デ・ウスタリス侯爵宅にある膨大な書物を読みあさり、あらゆる知識を習得した。侯爵は、イスパノアメリカ(=アメリカ大陸のスペイン語圏諸国)がいずれ植民地支配から離脱する日が訪れるとの信念を語るなど、ボリバルの精神形成に影響を及ぼしたといわれる。
さらにこの時期、ボリバルは現地で出会った女性と結婚。だが幸せな日々は長く続かず、祖国に戻って数カ月後、妻は黄熱病で帰らぬ人になってしまう。
後にボリバルは述べている。
「もし妻を失っていなかったなら、私の人生は別のものになっていただろう。将軍ボリバルにも、解放者にもなっていなかっただろう」
逆境が人を鍛える。試練が魂を強くする。悲嘆に暮れる中、彼は再び欧州へ向かった。それは「南米解放」へと立ち上がる誓願の旅路となった。
指導者は他人の意見に耳を傾けよ。
栄光とは命令することではなく、
偉大な善徳を実践することである。
1804年、マドリードに到着したボリバルは、妻の家族に遺品を届けた後、師と仰ぐロドリゲスとパリで再会する。
ロドリゲスは、ベネズエラの独立計画に関与した疑いによって逮捕・投獄され、釈放後に祖国から亡命していた。
再び巡り合った師弟は、イタリアへの旅に出る。それはボリバルにとって、新たな知識を身に付ける喜びの日々となった。
翌年、ローマを訪れた時のこと。「永遠の都」を望む「モンテ・サクロの丘」に立ち、ロドリゲスはボリバルに言った。
「イスパノアメリカを解放するときが到来した。君はそれをしなければならない」
「大切なことは、行動を起こすことである」
弟子は答えた。
「祖国のために、私は誓います。スペインの権力によって私たちがつながれている鎖を断つまで、私の腕に休息を、私の心に安らぎを与えないことを」

やがて帰国したボリバルは、若き指導者の一人として決然と行動を開始する。祖国の独立と共和国の樹立に向け、人種、年齢、性別などの違いを問わず、幅広い人材を糾合。集会で独立を促す演説を行い、ベネズエラの人々に「団結」を訴えた。
だが解放への道は決して平坦ではなかった。1812年、独立戦争が始まり、共和国の司令官に就いたボリバルだったが、仲間に裏切られ、亡命を余儀なくされる。
その後も幾度となく試練に襲われた。それでも彼は不屈の闘争を貫き、最初の戦いから12年後、ついに南米5カ国に自由をもたらしたのである。
ボリバルには「一人立つ勇気」があり「一人を大切にする心」があった。それこそが「自由と栄光の達成」という目標を成し遂げる力となったに違いない。
彼は述べている。
「強さのない所に徳はなく、勇気のない所に栄光はない」
「栄光とは命令することではなく、偉大な善徳を実践することである」
「私が毎日他人の意見を聞きながら、苛立つことがないのは、指導者たる者はいかに厳しい真実であっても、他人の意見に耳を傾けるべきだからであり、意見を聞いた後は、誤りを生み出す欠点を正すためにそこから学ばねばならない」
独立戦争の終結から6年後、ボリバルは47歳という若さで、激動の生涯を終えた。“ラテンアメリカよ、永遠なれ!”――この理想は、後世にまで大きな影響を与えている。

「勇気は不幸に終止符を打つ」
大切なのは「勇気」である。
“あと一歩”“もう一歩”と
自身の限界を乗り越えて
進むところに勝利の道は開ける。
池田先生は青春時代からボリバルを尊敬し、彼が解放した国々と深い友好を結んできた。
ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ボリビアからは国家勲章が叙勲されるなど、ボリバルの精神と共鳴する平和建設への貢献に、惜しみない称賛が寄せられている。
1993年2月には、コロンビア政府の招へいで同国を初訪問。相次ぐテロ事件により、国内に非常事態宣言が出されていたが、危険を顧みることなく信義を貫いた。
滞在中、先生は首都ボゴタにある「シモン・ボリバルの家」へ。庭に面した壁には、亡くなる1週間前に彼が残した遺言がとどめられていた。
「私の最後の願いは祖国の幸福にある」と。
出迎えたディアナ・トーレス館長に、先生は述べている。
「(47歳で亡くなったボリバルは)短い一生と言えるかもしれません。しかし、人間は、『どれだけ生きたか』以上に『どれだけの仕事を残したか』が大事です。私の恩師も、決して長い人生とはいえませんでした(58歳で逝去)。しかし永遠の業績を残しました」
また、ボリバルについて、これまで何度も紹介してきたことに言及し、「彼の『哲学』には永遠性があります。今なお、すべての指導者にとって価値があります」とも語っている。
その後も先生は、ボリバルの生涯や言葉を通して、世界の友に指針を贈り続けてきた。
「ボリバルは訴えた。
『勇気によって、不幸に終止符を打つことができる』(中略)
大切なのは『勇気』である。“あと一歩”“もう一歩”と自身の限界を乗り越えて進むところに勝利の道は開ける」(2003年10月10日、各部代表協議会でのスピーチ)
「『私は困難を恐れなかった。それは、大いなる事業への情熱に燃えていたからだ』
『団結しよう、されば我らは無敵となる』
深き信念と情熱が、歴史を切り開く。大事業を成し遂げる力となる。そして大切なのは『団結』である。心を合わせることだ。我らは、永遠に『異体同心の団結』で勝利したい」(06年3月21日、春季彼岸勤行法要でのスピーチ)
限界を突破する勇気を!
心を一つにする団結を!
ここに広布の方程式があることを忘れまい。
――南米の独立を実現する直前、人生最大の窮地に立たされたボリバルは、ただ一言、こう叫び、同志を鼓舞したという。
「勝利するのだ!」
【引用・参考】ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著『シモン・ボリーバル』水野一監訳、上智大学イベロアメリカ研究所訳(春秋社)、神代修著『シモン・ボリーバル』(行路社)ほか
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