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未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年

2020年07月05日 | 妙法

未来に輝く知性の宝冠――池田先生の名誉学術称号45周年 2020年7月5日

  • 韓国 済州大学
  • 友誼よ無窮に咲き薫れ
韓国・済州大学から池田先生に対する、外国人初の「名誉文学博士号」の授与式。席上、民族衣装に身を包んだ少年少女からの祝福の花束に、先生ご夫妻が心からの感謝を(1999年5月、同大学で)
韓国・済州大学から池田先生に対する、外国人初の「名誉文学博士号」の授与式。席上、民族衣装に身を包んだ少年少女からの祝福の花束に、先生ご夫妻が心からの感謝を(1999年5月、同大学で)
 

 韓国・国立済州大学の趙文富総長(当時)が創価大学を訪れたのは、1998年の春3月だった。池田先生に対する、同大学への招請状を手に携えていた。
 
 「新世紀の『平和の島』を目指す済州島に、また、わが大学に、ぜひ、お越しください」
 
 初めて出会ったその日から、先生への深い信頼と友情が表れていた。
 
 総長の故郷である済州島は、自然・果実・人の心の「三麗」が輝く景勝の地。“東洋のハワイ”ともうたわれる。
 
 20世紀前半、日本の帝国主義は同島にも及んだ。
 戦後の48年には、祖国の南北分断に抗議した島民が武力鎮圧され、数万人が犠牲になった「四・三事件」が勃発。50年には韓国動乱(朝鮮戦争)が起こった。
 
 相次ぐ戦乱の渦中、“教育で郷土を発展させたい”との島民の熱意が結晶し、52年に誕生した学びやが、済州大学の前身である。
 趙総長の要請に応え、先生が同大学を訪問したのは99年5月17日。先生への、「名誉文学博士号」の授与式が行われた。
 
 同大学の名誉博士号が外国人に贈られたことは、過去にはない。ましてやその第1号が日本人に授与されるのは、同国の対日感情を知る者からすれば「想像もできないこと」だった。
 式辞に立った総長の、厳とした声が響いた。
 
 済州島民は、誰よりも世界との共存を目指し、平和を愛する人々です。名誉博士の学位は、池田先生のような「人類文化の発展のため献身された方」に、最高の栄誉を贈るための大学の制度なのです――。

 

1998年3月に初めて会って以来、韓国と日本で語らいを重ねてきた済州大学の趙元総長と池田先生。2005年4月には創価大学で再会を喜び合った
1998年3月に初めて会って以来、韓国と日本で語らいを重ねてきた済州大学の趙元総長と池田先生。2005年4月には創価大学で再会を喜び合った
 

 日蓮大聖人が「百済国より始めて仏法渡る」(御書1392ページ)等と仰せのように、インドで誕生した釈尊の仏教は、中国を経て、韓・朝鮮半島から日本に伝わった。
 
 仏教のほかにも、漢字、紙、墨、稲作・灌漑技術、鉄器・青銅器など、さまざまな文化が半島から日本に伝わった。室町時代に始まった「朝鮮通信使」との交流は、数百年間続いた。
 さらに13世紀には、済州島で蒙古襲来に対する義勇軍の決死の闘争があり、そのため蒙古の日本到着が遅れたという歴史もある。
 
 こうした史実を踏まえて池田先生は、韓国を「文化大恩の国」と呼び、「師匠の国」「兄の国」と、深い感謝を寄せてきた。
 
 20世紀前半、日本は韓国を併合した。済州島では、島民を強制的に労働に駆り立て、美しい自然の地を要塞化した。
 
 日本にも韓国にも、それぞれの近代史観がある。その上で先生は、仏法者として、日韓数千年の交流という大局的歴史観に立って、軍国主義の日本が韓・朝鮮半島の人々に為した非道を率直にわび、「大恩」に報い、日韓の新しい友情の道を開くために行動してきた。柳寛順、安昌浩ら韓国の先人を通して、青年たちを励ましたことも多い。
 
 韓国へ、せめてものご恩返しを――先生の思いが結実したのが、1990年9月に実現した、東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」のソウル展だった。先生自身も韓国を初訪問し、開幕式に出席した。
 
 同展は連日、長蛇の列ができる盛況だった。何より、韓国を「恩人」と語る先生の真情が、メディアを通じて大きく報じられたことは、日本人への見方が変わる、一つの契機ともなった。
 
 92年には“答礼展”として、韓国・湖巌美術館所蔵「高麗 朝鮮陶磁名品展」が、東京富士美術館で開かれた。国外初公開の国宝や重要文化財、韓国で未公開の作品なども出展され、先生への深い信義が表れていた。

 

1990年9月の韓国初訪問の折、池田先生は、ソウル特別市で行われた東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」の開幕式に出席し、来賓らと作品を鑑賞した
1990年9月の韓国初訪問の折、池田先生は、ソウル特別市で行われた東京富士美術館所蔵「西洋絵画名品展」の開幕式に出席し、来賓らと作品を鑑賞した
 

 文化とは“人間が人間らしく生きるための、なくてはならない魂”であると、先生は述べている。
 
 人倫にもとる戦争とは対極にある、生命賛歌の魂の共鳴――それが、文化交流にほかならない。
 
 90年、92年の展示会をきっかけとして、東京富士美術館や民主音楽協会(民音)を舞台に、日韓両国の友好の道が開けていく。文化によって耕された大地に、人華の花園が広がっていったのである。
 
 韓国SGIの友が、「国土大清掃運動」をはじめとする社会貢献活動を本格的に展開していったのも、この頃。はじめは根強かった“日本の宗教”という誤解や偏見も、粘り強い活動の中で徐々に雪解けしていった。師弟の絆こそ、同志の原動力であった。
 
 3度訪れた韓国で、また日本で、先生は同国のメンバーに「良き市民たれ」と指針を示した。ある時は「最も苦労した人こそ、最も幸福に」と慈愛の励ましを送った。
 
 言葉だけではない、信念を形にするこうした行動の積み重ねによって、韓国社会の中に、創価の哲学に対する信頼が深まっていったのである。
 
 未来志向の歴史観。
 平和と文化の促進。
 人間教育への尽力。
 
 済州大学からの名誉文学博士号は、同大学が掲げる理念を、先生が体現してきたことへの称賛にほかならない。

 

「文化大恩の国」に学ぶ それが平和と繁栄の道
 

 謝辞の中で先生は述べている。「日本は、貴国と友情を結び、貴国を尊敬し、貴国の心に学んでいくならば、平和と繁栄の方向へ進んでいくことは明白であります」と。
 
 これは、牧口常三郎先生と戸田城聖先生から受け継いだ信念でもあった。
 先生は続けた。
 
 「私たちも、一歩も引かずに、『人間主義の哲学』と『生命尊厳の価値観』を、青年の魂に育んでいかねばならない」「両国の若き世代に、揺るぎない理解と信頼の道を開きゆくために、誠実な往来を真剣に積み重ねていく決意であります」
 
 2冊の対談集を編んだ趙総長との友情をはじめ、李寿成元首相ら各界のリーダー、識者との語らい。
 
 民音、東京富士美術館を通じた活発な文化交流。
 
 そして、済州大学をはじめ韓国の14大学と学術交流を結ぶ、創価大学の人間教育――。
 
 その一つ一つが、謝辞で示した決意のままに貫かれた、先生の真心であった。
 
 2002年には済州島に「済州韓日友好研修センター」が開設。日韓の「友好の碑」が立つ九州・福岡研修道場と共に、両国の青年たちが集い、友好を誓い合う場となっている。
 
 趙元総長は語った。
 
 「私は済州島に生まれて、身に余るほど幸せです。そして私の人生は、池田先生のような偉大な方に出会えて、本当に幸せです」
 
 韓国の国花は無窮花。朝に花を咲かせ、夕方には萎むが、日々新たなつぼみをつけ、次々と開花する。
 
 両国の友誼よ、無窮に咲き薫れ――それが先生と済州大学を結ぶ心である。
 
 


 

趙文富総長の声

 池田先生は、済州島の過去と現在と未来をつなぎ、未来を壮大に展望してくださいました。
 
 「太平洋の水」が過去から現在、そして未来へと絶え間なく流れるように、済州島の素晴らしい「山の緑」が過去も現在も、また未来も青々と茂っていくように、池田先生は、済州島の過去と未来をつなぎ、人類の進むべき未来を提示してくださったのです。
 
 私どもは、普段から池田先生を尊敬申し上げ、素晴らしい志を学ばなければならないと思ってきました。(中略)
 
 我々は、済州島だけでは決して発展することはできません。
 
 韓半島は、日本とともに、中国とともに発展するのです。西洋との関係も重要視していかなければいけません。そのような現代世界にあって、池田先生は「架け橋」の役割をしてくださると信じております。私は、わが大学の若い教授が、その橋を渡って世界に貢献しゆくことを思い描いています。
 
 タゴールは謳いました。「アジアの黄金時代に、韓国は灯火の担い手の一つであった。今、灯火は再び点火されるのを待っている。全アジアを照らすために」
 
 東洋の明るい光が輝いた時に、まさしくこの世の中も明るくなる、と。
 
 このような例をまさしく池田先生が実践しておられると思います。(名誉文学博士号授与への答礼宴<1999年5月18日>から)
 
 

 
 
 

「三麗の島」に立つ国立大学 国際交流で世界市民を育成
 
豊かな自然に囲まれた済州大学のキャンパス
豊かな自然に囲まれた済州大学のキャンパス
豊かな自然に囲まれた済州大学のキャンパス

 「三麗」が輝く済州島に立つ国立大学。1952年に創立された済州初級大学を前身とし、82年に総合大学に発展した。国際自由都市を目指す、済州特別自治道の中心地にキャンパスがある。
 
 教育学部や看護学部、芸術デザイン学部など、15学部88学科や大学院に約1万6000人が在籍。世界44カ国・地域の316の大学、研究機関と学術交流協定を結び、多彩なプログラムを推進。時代の挑戦に応戦する世界市民を育成している。
 
 創価大学とは1998年に学術交流協定を締結。以来、毎年のように交換留学生が両大学を往来している。

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