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山口開拓指導

2021年10月19日 | 妙法

第10回「山口開拓指導〈下〉」 私はどこまでも歩き続ける2021年10月19日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月19日から】
信心による人間革命だけは、生涯必要。
これ、絶対に、根本なり。
1983年4月、山口広布開拓27周年を記念する県総会で、池田先生が贈った「広布源流」の書。脇書には「山口の友に贈る也」と
1983年4月、山口広布開拓27周年を記念する県総会で、池田先生が贈った「広布源流」の書。脇書には「山口の友に贈る也」と
“まだできる”と前へ

 池田大作先生が陣頭指揮を執り、山口の会員世帯を約10倍に拡大した「山口開拓指導」。先生は最前線に飛び込み、動きに動いた。
 ある拠点を訪れた時のこと。そこには、メンバーのグループ分けの張り紙があった。イロハに区分されたグループが、「イ隊」「ロ隊」「ハ隊」と記されていた。
 先生は、ユーモアを交えて語った。「こんな名前では戦う元気が出ないじゃないか。“イ隊”では“痛い”じゃないか」
 会場には同志の笑顔が咲き、雰囲気がパッと明るくなった。先生は、拡大の上げ潮の時だからこそ、皆が窮屈にならないよう、リーダーとして気を配ったのである。
 山口への派遣メンバーや地元の同志が、喜々として対話に励む中で、拡大の勢いはみるみる加速していった。しかし、対話が進めば進むほど、無理解や批判の壁にぶつかった。
 防府市と岩国市を中心に対話を広げた、派遣メンバーの女性。話を快く聞いてくれる人は少なく、対話は実らなかった。降り出した雨に濡れながら、悔し涙をこらえた。
 そんな時、先生の「四条金吾殿御返事」の講義を受けた。渾身の講義に、彼女は、これまでの苦闘の意味を深くかみ締めた。そして弾むような気持ちで決意を記した。
 「苦難を乗り切ったとき、その難が大きければ大きいほど喜びは大きい。苦難から逃げるのではなく、信心で難を乗り越えるのだ」
 彼女は同志と共に、元気に拠点を飛び出した。そして、その直後に知り合った一家をはじめ、縁する友に次々と対話を実らせた。
 “もう無理だ”と退くのか。“まだできる”と前へ進むのか。拡大のカギは挑み続ける心にこそある。先生は、「御書」と「激励」を通し、一人一人の心に“挑戦の火”をともしていった。
 430世帯だった山口の会員世帯は、1956年(昭和31年)の開拓指導を通じ、12月末には、3214世帯へと大きく飛躍。
 57年(同32年)1月21日、先生は3度目の山口入りを果たす。滞在期間は、わずか5日間である。
 「一月二十一日、山口県東端の岩国市にやってきて、二十二日、徳山、二十三日、防府、二十四日、宇部、二十五日、下関と、瀬戸内を西へと移動しながら、総仕上げの指導をして、組織をつくっていった」

開拓指導の意義
一、全国に拡大が波及
一、師の構想実現へうねり
一、中国広布の基盤構築
山口広布開拓20周年を祝う記念勤行会で、ピアノを演奏する池田先生(1977年5月21日、徳山文化会館〈当時〉で)
山口広布開拓20周年を祝う記念勤行会で、ピアノを演奏する池田先生(1977年5月21日、徳山文化会館〈当時〉で)
山口開拓指導の際、御書講義などが行われた宇部市の松屋旅館。池田先生は、1956年10月、11月、57年1月と、友の激励のために同旅館を訪れている
山口開拓指導の際、御書講義などが行われた宇部市の松屋旅館。池田先生は、1956年10月、11月、57年1月と、友の激励のために同旅館を訪れている
フル回転の激闘

 池田先生は、会合での指導や一対一の激励とともに、わずかな時間を見つけては、励ましのはがきをつづっていった。列車で移動する際も、同志のために時間を割いた。
 1957年(昭和32年)1月24日、先生は宿舎を出る直前まで個人指導を行い、列車に乗った。山陽本線から宇部線に乗り換えるために降りた小郡駅(当時)では、駆け付けた同志に心からの励ましを送った。
 同日、宇部に移動した先生は、宇部市での開拓指導を締めくくる会合に参加。その前後も、拠点で渾身の激励を続けている。
 滞在中、先生は食事の時間も惜しんだ。ある時、ご飯にお茶をかけ、サラサラッとかき込む姿を同志が見て、先生の健康を案じた。
 すると先生は笑顔で言った。「悪いと分かっていても、次にやらなきゃいけないことがあって、急いでしまうんだね」
 同志は、広布の“戦”に挑む中心者の覚悟の一念を、先生の姿を通して深く心に刻んだ。先生のフル回転の激闘は、最前線の友を鼓舞した。
 先生は仏道修行における信念について、「動き続けていくのが仏道修行なのだ」「ともかく私は歩き続ける。どこまでも歩き続ける」と述べている。
 戸田先生の真の弟子として、池田先生は一切の責任を担い、山口広布の土台を築いていった。だが、人知れない苦悩もあった。
 3度目の山口入りの前月、先生は最愛の父親を亡くした。その時の思いを、日記にこう記している。
 「私の生涯に、忘れ得ぬ日となる」「旧き、実直な父。封建的な、誠実な、スケール大なる父」「(戸田)先生より、種々の御配慮を戴く。感謝」(『若き日の日記』、1956年12月10日)
 「此の永劫の離別の苦しみ。この絶対の解決こそ、仏法以外になき事を、唯々念う」(同、同年12月11日)
 また、多くの派遣メンバーと同様、先生も経済的に厳しい状況にあった。
 「体も疲れきっていた。経済的工面もたいへんだった。わが家の売れるものはすべて売って、交通費や滞在費等をやりくりした。ただ、私は戸田先生の山口に対する深き思いを、何としても実現したかった」
 どんな苦悩があろうとも、池田先生は師匠への誓いを抱き締め、友のために走り抜いた。その先生のもとで、同志の“心の結合”が生まれていった。
 小説『新・人間革命』には、開拓指導の勝利の要諦がつづられている。
 「戸田城聖と(山本)伸一の師弟の魂の結合、さらに、伸一を中心とした同志の結合――それが、あの山口開拓指導の大勝利を打ち立てたのだ」
 1月25日、開拓指導の掉尾を飾る「各支部合同総会」が下関で開催された。圧倒的な拡大と人材輩出で、歓喜が弾ける総会となった。一人一人の師弟直結の実践によって、山口は見違えるような組織へと生まれ変わったのである。

【「若き日の日記」1956年(昭和31年)12月6日から】
先生、折伏の師ならば、
われも折伏の弟子である。
1994年11月26日、池田先生は、山口文化会館で開催された第5回中国大勝利総会に出席。開拓指導の実践を振り返りながら、「かつて山口は明治の革命の源流であった。今度は壮大なる平和への『世界革命』の原動力となっていただきたい。そして盤石なる『中国の時代』を、ともどもに、つくりゆきたい」と呼び掛けた
1994年11月26日、池田先生は、山口文化会館で開催された第5回中国大勝利総会に出席。開拓指導の実践を振り返りながら、「かつて山口は明治の革命の源流であった。今度は壮大なる平和への『世界革命』の原動力となっていただきたい。そして盤石なる『中国の時代』を、ともどもに、つくりゆきたい」と呼び掛けた
「全責任を取ります」

 3度目の山口入りの前後で、池田先生は二つの地を初めて訪れている。
 一つが北海道の夕張。1957年(同32年)1月13日、池田先生は文京支部長代理として、夕張地区の友を激励するため、北へ向かった。
 この日の地区総決起大会で、班の増設が発表された。
 55年(同30年)11月に結成された夕張地区は、由仁、栗山、岩見沢、美唄、奈井江、滝川、赤平、芦別など、破竹の勢いで広がっていく。毎月、折伏の成果は支部のトップクラス。地区は当初、9班だったが、この日、45班まで増えた。
 夕張に3日間滞在した先生は、同志に力強く訴えた。「逆境すら追い風にしていく生命力で師子王のごとく前進していきましょう!」
もう一つの地が広島だった。26日の開拓指導の帰途、先生は広島を初めて訪れ、岡山支部の広島地区総決起大会で“難にひるまぬ信心”“清らかな信心”“一生涯、不退の信心”との確たる指針を示した。
 広島初訪問の2日後、先生は日記にこう書きとどめている。
 「宿命打開と、広布の布石に、全力傾注の闘争せり。その実証、いつの日に出づるや」(同、57年1月28日)
 山口開拓指導には、北海道から九州まで、全国各地から有志が参加し、その多くが先生の励ましに触れ、結果を出し、地元に戻った。山口の各市、夕張、広島――入魂の激励行によって、恩師・戸田先生の生涯の願業である75万世帯達成の実現へ、拡大のうねりが起こった。
 山口滞在の最終日、池田先生は派遣メンバーに語り残している。
 「この1年間が大切です。しっかり頑張りなさい。75万をやり遂げるのです。私が全責任を取ります」
 師匠の構想実現へ、先生は全てを懸ける覚悟であった。
 池田先生は、恩師・戸田先生と“山口で指導・折伏の旋風を”と交わした約束を果たした。開拓指導は、中国方面に揺るぎない広布の基盤を構築した。
 先生は後年、地殻変動が山をつくるように、広布の大闘争が偉大なる歴史をつくり、渾身の山口開拓指導によって“大中国の陣列”が築かれたことを述べている。そして、こう強調した。
 「あとは、その上に、自身の最高峰の戦いをもって、新しき『常勝』の歴史を開拓することだ!」

錦川に架かる5連の名橋「錦帯橋」を池田先生が撮影(1984年10月24日、山口・岩国市で)
錦川に架かる5連の名橋「錦帯橋」を池田先生が撮影(1984年10月24日、山口・岩国市で)
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