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立正安国④

2021年10月15日 | 妙法

〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 立正安国④2021年10月15日

  • 明るく、楽しく歓喜の行進!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。「立正安国」の第4回は、小説『人間革命』『新・人間革命』から、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について学びます。

画・内田健一郎
画・内田健一郎
【不可能を可能にする】 強盛な祈りで妙法の力を引き出す

 〈1956年(昭和31年)1月、山本伸一は大阪へ。関西本部での地区部長会に臨んだ伸一は、関西に模範となる組織を築き上げるとともに、7月に予定されている大阪地方区の参議院議員選挙の勝利を強く訴える。しかし、現状の厳しさに大阪の同志たちは、勝利は実現不可能だとの思いを抱く〉
 
 この瞬間に、伸一の熾烈な戦いが開始されたのである。
 
 「誰人も、これでは全く勝利は不可能と思うでしょう。今、皆さんもそう考えておられる。
 
 しかし、私どもは、立派な御本尊を頂いている。世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを可能にする力が、御本尊にはあるんです。
 
 ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
 
 日蓮大聖人様は、このことを、ちゃんと御書にお認めになっている。
 
 『呵責謗法滅罪抄』の末尾に、次のような御文があります。
 
 『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132ページ)
 
 これは、佐渡においでになった大聖人様から、四条金吾に宛てられた御手紙の一節であります。
 
 当時、鎌倉で弾圧に遭っていた弟子たちの身の上を思い、佐渡流罪のさなか、“諸天善神たちよ。なんとしてもわが弟子たちを守れ!”と、遠く御祈念なさっている、深い偉大な慈悲の御心がうかがえます。
 
 ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちを、どうしようにも守ることはできない。とても不可能なことです。
 
 しかし、大聖人様の御祈念は“しっぽりと濡れた木をこすってでも、なお火を出させてみせる。また、カラカラに乾いている砂漠のような大地から、水をほとばしり出させてみせる。このように私は、強盛に祈っているのだ”と、お認めになっている。
 
 御本尊に対する祈りというものは、一大事の時には、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。
 
 今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。
 
 これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。大聖人の正統派の弟子として戦う以上、まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません」
 
 (『人間革命』第10巻「一念」の章、42~44ページ)

【活動推進の源泉】 御書講義通して地涌の使命を自覚

 〈1956年(昭和31年)、関西の広布の波は、日を追うごとに大きく広がっていった。その原動力は、山本伸一の御書講義をはじめ、彼の師子奮迅の闘争であった〉
 
 山本伸一は、一切の活動の推進にあたって、どこまでも御書を根本としていた。その御書を基軸とした指導の脈動は、心ある会員に、教学の重要さを気づかせていった。“すべては、御書にある”という自覚ほど、教学への求道心を奮い起こさせるものはない。
 
 このころの伸一の大阪訪問は、まだ土曜、日曜を主としていたが、彼は、朝の八時というと、決まって関西本部三階仏間の御本尊の前に端座し、勤行を始めた。(中略)
 
 厳然とした勤行が終わると、伸一の御書講義に移る。彼の講義は、講義のための講義ではなかった。
 
 不可能を可能にするという大願を秘めた彼は、その朝、その朝、その原動力ともいうべき、時々刻々の焦点を、御書を通して明確にしたのである。
 
 不可能と誰しも考える厚い壁は、信心の利剣で、こつこつと崩すよりほかにはない。伸一の口を通した朝の御書の一節一節は、全く鮮烈な意味を帯びて、彼らが、今、何をなすべきかを教えていた。
 
 伸一の一念は、朝ごとに具体性をもって発露しつつあった。関西の活動の源泉は、まことに、この「朝の御書講義」に集約されていたといってよい。
 
 ここから各組織の最先端へと散った、すべての幹部は、その日のうちに、朝、会得した御書を根本とする適切な指導を、そのまま全会員の胸へ、次から次へと語りかけていった。
 
 組織の鼓動は脈打ちながら、まず、会員の胸につかえている不可能の壁の一角一角を、崩していったといってよい。山本伸一の胸ひとつに秘めた強烈な一念は、ようやく日ごとに脈動しつつ、重い巨大な歯車を、彼を軸として回転させ始めたのである。
 
 伸一は、ここ二カ月余りの徹底的な個人指導で、信心のいかなるものかという「信」を自覚させた。そして、座談会活動によって、弘教の「行」の歓喜を沸き立たせていった。それに加えて、「朝の御書講義」で、実践の指針のすべてが、御書に歴然と込められていることを示し、「学」の重要さと、活動理念の崇高さを教えた。
 
 地涌の菩薩の使命に燃えた「信」「行」「学」の実践ほど、無敵のものはない。智勇兼備の戦力は、このようにして、人知れず刻々と育まれていったのである。
 
 (『人間革命』第10巻「脈動」の章、150~152ページ)

第22回本部幹部会・第3回関西青年部総会で池田先生は、「大阪の戦い」に触れ、後継の弟子に「諸君は、戦い抜くべきである! 生き抜くべきである! 永遠不滅の歴史をつづるべきである!」と指導。さらに学会歌の指揮を執り、同志を鼓舞した(1998年5月、関西戸田記念講堂で)
第22回本部幹部会・第3回関西青年部総会で池田先生は、「大阪の戦い」に触れ、後継の弟子に「諸君は、戦い抜くべきである! 生き抜くべきである! 永遠不滅の歴史をつづるべきである!」と指導。さらに学会歌の指揮を執り、同志を鼓舞した(1998年5月、関西戸田記念講堂で)
【勝利の道を開く要件】 師の心をわが心として弟子が敢闘

 〈1956年(昭和31年)、山本伸一の誠実と確信の対話によって、関西の同志は、一人、また一人と立ち上がっていった〉
 
 勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
 
 “これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!”
 
 山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの“山本伸一”をつくり出していったのである。
 
 共感することによって、行動するのが人間である。ゆえに、リーダーが臆し、ずる賢くなって、率先して行動せずに、皆を動かそうとしても、動いてくれるわけがない。
 
 すると、リーダーは焦りを感じて、その言動は、ともすれば、威圧的、命令的になっていく。そして、組織は、重く、暗くなり、人心は、ますます離れてしまうことになる。
 
 それに対して、率先垂範のリーダーは、自らの行動を通して人に触発を与え、人びとの“やる気”を引き出し、皆の自主性、自発性を呼び覚ましていく。
 
 ゆえに、その組織は、明るく、歓喜にあふれ、上昇気流に乗るように、勝利への流れがつくられていくのだ。
 
 また、伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。
 
 そして、こう訴えたのである。
 
 「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか! そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。
 
 先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、“先生は、じっと見ていてくださる”“先生なら、どうされるか”と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
 
 広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
 
 自転車も、車軸にスポークがしっかりと繫がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
 
 伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。(中略)
 
 戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
 
 「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
 
 (『新・人間革命』第23巻「勇気」の章、242~245ページ)

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