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対談集「21世紀への選択」

2021年10月18日 | 妙法

人間主義の哲学の視座〉第12回 対談集「21世紀への選択」に学ぶ㊦2021年10月18日

  • テーマ:安心と安全

 池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。「安心と安全」をテーマに掲げ、前回に引き続き、マジッド・テヘラニアン博士との対談集『21世紀への選択』をひもとく(㊤は9月6日付に掲載)。
  
  

平和への信念を同じくして、友情を深め合ってきた池田先生とテヘラニアン博士。2007年12月、博士は先生へのロシア芸術アカデミー名誉会員証授与式に出席。「今日の世界は、池田大作博士のような先見性を持つ世界市民を渇望しています」とたたえた(東京牧口記念会館で)
平和への信念を同じくして、友情を深め合ってきた池田先生とテヘラニアン博士。2007年12月、博士は先生へのロシア芸術アカデミー名誉会員証授与式に出席。「今日の世界は、池田大作博士のような先見性を持つ世界市民を渇望しています」とたたえた(東京牧口記念会館で)
【池田先生】
互いに「対話」に徹してこそ
異文明の接触は創造的方向へ
    
【テヘラニアン博士】
平和を目指す私たちの挑戦は
一人一人の人間革命が基軸に
    
崩壊か突破か

 「私たちは歴史の転換点を迎えている」――グテーレス国連事務総長は、先月10日に発表した報告書「私たちの共通の課題」で、そう述べた。
  
 創設75周年を迎えた昨年、国連では、全世界の150万人に対して、未来の優先課題や行動のアイデアに関する調査を実施。同報告書は、この調査結果やその後に行われた協議の内容を踏まえ、国連としてのビジョンを打ち出したものである。
  
 事務総長は、気候変動や新型コロナ感染症といった共通の課題を前に、人類は「ブレークダウン(崩壊)かブレークスルー(突破)か」といった緊急の選択を迫られているとし、そうした選択をする同様の機会は「二度と訪れない」。つまり、手遅れになる前に行動を加速すべき時は「今」であることを訴えている。
  
  

想像力の所産

 危機を前に、崩壊ではなく突破するための方途としてグテーレス事務総長が強調したのは、グローバルな連帯、多国間の協力の必要性であった。
  
 もとより、連帯と協力は、人々の安心と安全を実現する上で最重要の課題の一つである。社会を分断し、混乱へと陥れようとする力が働く危機の時代にあっては、それらの価値をいやまして高めていく挑戦が不可欠だ。
  
 池田先生とテヘラニアン博士との対談が行われた1990年代、宗教や民族の対立に端を発する紛争が、世界各地で発生していた。「文明の衝突」は、国際社会の論壇の主たるテーマとなった。
  
 ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン博士は、衝突が不可避であるかどうか以前に、文明という側面で人間を「一面だけから見」「ひと括りにする」こと自体が、政情不安をあおると指摘した(東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社)。この視点は、先生と博士の対談にも通底している。
  
 先生は、紛争などの背景にある複雑な要因を「文明の衝突」という図式だけで捉えると、“文明が異なるのだから、対立は不可避である”といった見方が定着し、ゆえに、対立の真の原因が見失われてしまうと指摘する。
  
 博士は賛同しつつ、ではなぜ、「文明の衝突」というテーゼが世界中の注目を集めたのかを語る。
  
 ――国民の団結を強めるために外敵を必要とした国々は、目に見える外敵がいない場合、新たに敵を想定しようとする。「文明の衝突」は、排他的な立場をとる人々にとって、都合のよい理論となった、と。
  
 文明とは、分析上のカテゴリーとしての有用性を超えた、多様な人間が織りなす生き方や価値観の表現である――これが両者に共通する捉え方だった。
  
  
 テヘラニアン 文化と文明はすべて、有限、はかなさといった人間の普遍的状況に順応しながら、その状況を変革し乗り越えようとする人間のイマジネーション(想像力)の所産であると、私は思うのです。
  
 池田 限りある自己を乗り越えていく想像力、またその所産としての変革のダイナミズムにこそ文化や文明の生命があるという見解に、私も全面的に賛成です。
  
 テヘラニアン それぞれの文化、それぞれの文明が、それ独自の生態的、歴史的状況のなかで「生の神秘」に向きあっているのです。
 だからこそ、それぞれの違いは人間の天分の多様な表れとして尊重され、讃美されるべきです。
 ◇ 
 文明間の出合いには、破壊的な関係だけでなく創造的な関係もありえます。おそらく、その両方と言ってもよいでしょう。
  
 池田 異文明の接触によってもたらされるエネルギーを、真に創造的な方向へと生かせるかどうかはひとえに双方の努力、まさに「対話」にかかっている、と私は思うのです。
  

対談集『21世紀への選択』は、現在11言語に翻訳されている
対談集『21世紀への選択』は、現在11言語に翻訳されている
賢者の論

 異なる文化や背景の人同士が、語り合い、学び合う中で、互いの世界観は大きく広がる。先生と博士の交流自体、そうした「文明間の対話」にほかならなかった。
  
 先生は、文明間の対話を想起させる歴史的な事例として、仏教の古典である「ミリンダ王の問い」を紹介。力による「王者の論」ではなく、対話による「賢者の論」が重んじられた話を通して語る。
  
 「『賢者の論』という象徴的な言葉に、時代を超えた普遍的な対話の要件、つまり、理性的で実りある対話を成立させる基本が示されていると思います。それはまた、平等で自由な対話を根本としてきた、釈尊以来の仏教者の姿勢でもありました」
  
 さらに先生は、そうした「賢者の論」の精神と共に、互いの差異を乗り越える普遍性へのまなざしが、実りある対話には欠かせないと強調。国や民族の多様性の奥に輝く「人間性」という普遍の光を、人類の心に灯し、その輝きを高め合うことが、民族や文化・伝統といった多様性を真に生かす道であると訴える。
  
  
 テヘラニアン 科学技術の大進歩は私たちの社会に絶え間ない変化をもたらしましたが、その一方で限りない欲望が人々の心を支配しているのです。
 ◇ 
 そうしたなかで、人生の意味を探求する世界中の思慮深い人々は、自分たちのかぎられた文化の地平の彼方をのぞみ見て、他の文化や文明のなかに現在の難局を打破する答えを求めています。(中略)世界のどこを訪れても、排他的な民族主義、自民族中心主義、「文化の自己讃美主義」を超えることのできる普遍性が希求されているのを、つくづく実感するのです。
  
 池田 私も1994年に行ったモスクワ大学での講演(「人間――大いなるコスモス」)で大要、次のように論じました。(中略)「普遍性」とは、人間と自然と宇宙が共存し、小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)が一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚であり、そうしたみずみずしい「普遍性」を生命に充溢させていくならば、たとえ属する集団が異なったとしても、対話も相互理解もつねに可能である――と、訴えたのです。
  
  
 また先生は同講演を踏まえつつ、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』をひもときながら、「内発性」こそが、人格的な価値の枢軸をなし、対話の要件ともいうべき謙虚さ、寛容さを生み出してきた母胎であったと述べた。そして、この内発性をおろそかにしたがゆえに、“宗教のため”に人間が傷つけ合うといった転倒が繰り返されてきたと指摘している。
  
  
 池田 “宗教のため”ではない、いっさいの根本は“人間のため”という一点にある――私たちSGIがめざす「人間革命」運動は、こうした歴史の転倒を正し、ともに光り輝く地球文明を創出するための方途として、一人一人の人間生命の次元からの変革を第一義として掲げているのです。
  
 テヘラニアン “宇宙船地球号”を文明間の平和、友好、超越をめざす私たちの共同の旅の乗り物と見なす「地球文明」は、(池田SGI)会長が主張されるように、まさに一人一人の「人間革命」を基軸として創造されなくてはならないのです。
  
  

【編集後記】対談集の終章では、書名に冠された「選択」の意味について語り合われる。選択とは「どちらかといえばA、どちらかといえばB」というような消極的なものではなく、「未来を敢然と開く人間の意志の力を示した言葉」(池田先生)であり、「人間が未来に対してなしうる大いなる挑戦の異名」(テヘラニアン博士)なのだ、と。社会の挑戦課題が複雑に山積する「歴史の転換点」にあって、最善の選択を共に求めゆく「対話」の重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない。その対話の実践の中に、「安心と安全」の未来はある。
  
  
  
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