先日近所で食料品の買い物が終わって、すでに私は両手に荷物を提げていたのでレジに並ぶ家内より先に外に出ました。掲示板に「Tango Lesson」と見慣れないビラが貼ってあるのを何気なく見ていたんだと思います。そこへ会計を済ませた家内が出てきて、
「タンゴ?踊りたいの?」
「んなわけないでしょ」
「ご亭主今必要なのは、タンゴはタンゴでも英単語でしょ。TOEICでも取れば」
とのこと。ちょっと通じれば良いというわけじゃないんですね。
座布団三枚!

画像はシカゴのマッキンリー・ミッチェル1978年のアルバムです。
録音は当時勢いのあったMalaco Studioで、特徴あるソリッドな音に乗せて、こういう人には珍しく殆んど自作の曲をとても丁寧に聴かせます。
二十歳くらいから歌っている「The town I live in」の再録や耳に残る「The end of the rainbow」など、B級扱いされるには忍びない良さがあって愛しい一枚です。
○○さんはシカゴで普段はクリーニング屋さんやっていると、先日波平君が教えてくれましたが、マッキンリー・ミッチェルは何の仕事をやっていたのか。
2005年に英国SHOUT Recordsから、'62~'64年のOne-derful Records時代の24曲がCD化されています。
それによると、1986年51歳の若さで心不全により亡くなっていました。故郷ミシシッピ州ジャクソンに葬られているそうです。
「タンゴ?踊りたいの?」
「んなわけないでしょ」
「ご亭主今必要なのは、タンゴはタンゴでも英単語でしょ。TOEICでも取れば」
とのこと。ちょっと通じれば良いというわけじゃないんですね。
座布団三枚!

画像はシカゴのマッキンリー・ミッチェル1978年のアルバムです。
録音は当時勢いのあったMalaco Studioで、特徴あるソリッドな音に乗せて、こういう人には珍しく殆んど自作の曲をとても丁寧に聴かせます。
二十歳くらいから歌っている「The town I live in」の再録や耳に残る「The end of the rainbow」など、B級扱いされるには忍びない良さがあって愛しい一枚です。
○○さんはシカゴで普段はクリーニング屋さんやっていると、先日波平君が教えてくれましたが、マッキンリー・ミッチェルは何の仕事をやっていたのか。
2005年に英国SHOUT Recordsから、'62~'64年のOne-derful Records時代の24曲がCD化されています。
それによると、1986年51歳の若さで心不全により亡くなっていました。故郷ミシシッピ州ジャクソンに葬られているそうです。
