夕べ、宮崎県立芸術劇場(メディキット県民文化センター)でラウルスコンサートに行った。その夜もまた、これまでの数回のコンサートで感じたような、淋しさ、悲哀感を感じることが出来た。演奏を楽しむよりも、この感情につつまれる夜のひとときを楽しんでいたのではないかと、終わってみれば思うのである。悲哀のクラシックコンサートを、今年も心に残してしまった。
今から述べることは、その悲哀の正体についてである。出演者は14名(女性12名男性2)の内、9名(女性8名男性1名)が宮崎学園短期大学(前 宮崎女子短期大学)の非常勤講師である。ピアノの片野郁子さん1名だけが同短期大の準教授である。この出演者の顔ぶれからみても、ラウルスコンサートは、宮崎学園短期大学の音楽教育を世に問うコンサートではないかと解釈してもおかしくないであろう。だが、しかし、その夜のコンサートがなにを目的にしているのか、プログラムを読んでもわからなかった。そんな共通の目的など必要ない、それぞれの演奏家の演奏の場として聴衆をまえにステージに立つというのであったのか。それならプログラムのどこかで、略歴だけでなく、その思いを記してみてもいいのではないかと思われたのである。ぼくの知人の外山由紀子は、例年になく熱心に聴きに来てほしいと言われたが、それは観客数を増やすためだけではなかったようだ。ということは、自分の演奏を聴いてほしいということではあろう。ステージの彼女の演奏はひさしぶりに迫力があった。
多分、他の出演者も学校行事としては意識には上らなかったであろうと思う。だとしたらこれだけの講師陣をそろえてのコンサートとは、なんなのだろうかということである。それと、この講師陣の略歴を読んで、これほどの研鑽を積みながら、宮崎市では短大の講師しか仕事の場所がないのかという文化の悲哀である。この思いが冷たく会場を流れていると感じないではいられなかった。
聴衆の一人として、この冷ややかさのために、シーンとして彼女たちの演奏を眺めているしかないのだ。拍手をしたくても、拍手のスタートが切れない、それが場違いになるような気がするのであった。盛り上がってる場合かという冷ややかさが、漂う。演奏家自身も授業時間なのかと思えるような演奏で、型を敗れない。しかも生徒でない聴衆になにかを訴える目標も意識も感じられなかった。形式があり、形式で終わるステージがすすんでいく。どうしてこういうコンサートにしゅつえんしなければならないのか、それがまたぼくを包み込むのだった。
この夜だけは、彼女らに非常勤講師の自我が開放される一夜であるのだろうか。もっと宮崎市では、彼女らの才能を生かし、生活を保障できる制度があってもいいのではないかと、ぼくは、そのことを思い続けていたのだ。たぶんこうすれば可能ではないのかとか・・。また同じく、このような状況でも、一人一人の演奏家は、今後も演奏家としてありつづける意思をステージから感じ取れるのでもあった。こうして、メディキットセンターの快適な椅子の背に体をあづけながら、環境と演奏家の葛藤から生まれるであろう未来図とかを描いて、コンサートを楽しめるのでもあった。
彼女たち、アーティストというジャガイモであろう。そのジャガイモをたぎらせてうまいボルシチューを料理できる台所も料理人もいない宮崎市の荒野が楽しいのだ。かくして悲哀感そのものは、文化格差だけがある宮崎市の荒野をどう進むのかの楽しさに向き合う楽しさにに変わっていく、そんな夢想の一夜でもあったのである。ここの可能性を感じ取らねばともおもうのであった。ではどうすべきなのかと。
今から述べることは、その悲哀の正体についてである。出演者は14名(女性12名男性2)の内、9名(女性8名男性1名)が宮崎学園短期大学(前 宮崎女子短期大学)の非常勤講師である。ピアノの片野郁子さん1名だけが同短期大の準教授である。この出演者の顔ぶれからみても、ラウルスコンサートは、宮崎学園短期大学の音楽教育を世に問うコンサートではないかと解釈してもおかしくないであろう。だが、しかし、その夜のコンサートがなにを目的にしているのか、プログラムを読んでもわからなかった。そんな共通の目的など必要ない、それぞれの演奏家の演奏の場として聴衆をまえにステージに立つというのであったのか。それならプログラムのどこかで、略歴だけでなく、その思いを記してみてもいいのではないかと思われたのである。ぼくの知人の外山由紀子は、例年になく熱心に聴きに来てほしいと言われたが、それは観客数を増やすためだけではなかったようだ。ということは、自分の演奏を聴いてほしいということではあろう。ステージの彼女の演奏はひさしぶりに迫力があった。
多分、他の出演者も学校行事としては意識には上らなかったであろうと思う。だとしたらこれだけの講師陣をそろえてのコンサートとは、なんなのだろうかということである。それと、この講師陣の略歴を読んで、これほどの研鑽を積みながら、宮崎市では短大の講師しか仕事の場所がないのかという文化の悲哀である。この思いが冷たく会場を流れていると感じないではいられなかった。
聴衆の一人として、この冷ややかさのために、シーンとして彼女たちの演奏を眺めているしかないのだ。拍手をしたくても、拍手のスタートが切れない、それが場違いになるような気がするのであった。盛り上がってる場合かという冷ややかさが、漂う。演奏家自身も授業時間なのかと思えるような演奏で、型を敗れない。しかも生徒でない聴衆になにかを訴える目標も意識も感じられなかった。形式があり、形式で終わるステージがすすんでいく。どうしてこういうコンサートにしゅつえんしなければならないのか、それがまたぼくを包み込むのだった。
この夜だけは、彼女らに非常勤講師の自我が開放される一夜であるのだろうか。もっと宮崎市では、彼女らの才能を生かし、生活を保障できる制度があってもいいのではないかと、ぼくは、そのことを思い続けていたのだ。たぶんこうすれば可能ではないのかとか・・。また同じく、このような状況でも、一人一人の演奏家は、今後も演奏家としてありつづける意思をステージから感じ取れるのでもあった。こうして、メディキットセンターの快適な椅子の背に体をあづけながら、環境と演奏家の葛藤から生まれるであろう未来図とかを描いて、コンサートを楽しめるのでもあった。
彼女たち、アーティストというジャガイモであろう。そのジャガイモをたぎらせてうまいボルシチューを料理できる台所も料理人もいない宮崎市の荒野が楽しいのだ。かくして悲哀感そのものは、文化格差だけがある宮崎市の荒野をどう進むのかの楽しさに向き合う楽しさにに変わっていく、そんな夢想の一夜でもあったのである。ここの可能性を感じ取らねばともおもうのであった。ではどうすべきなのかと。