市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

人の運命

2011-02-12 | 日常
  今朝(平成23年2月12日土曜)は、びゅうびゅう、がたがたと西からの風が、この市街はすれの野を吹き抜けている。もし新燃岳爆発噴火が起きれば火山灰がふりしきるであろう。しかし、西のほうからは、ビルほどの大きさの羊雲がいくつも目に見えるほどの速さて近づいてくる。

 昨日は、風も無い暖かいおだやかい建国記念日の休日であった。思いついて小林市のどこかの温泉に妻といくことにした。インターネットで探すと「美人湯」というのが見つかって、そのネーミングに打たれて、問い合わせると、営業しているという、お待ちしてマースという弾んだような受付の女性の言葉を受けて家をでたわけであった。ちょうど12時まえであった。後で知ったのだが、11時36分8日ぶりで爆発的噴火があり、噴煙は2500メートルに達したということであった。しかし、車からは、何にも感じられなかった。12時ごろには野尻町を過ぎて、すぐに霧島連山が一望できる高台をはしっていて、新燃岳をみるのだが、重い曇り空におおわれていて今日も静かだと思いつつ温泉に到着したわけであった。

 丘の上にあり、道路沿いの高台にあり、駐車場は桜がうえられていた。穏やかな春の陽が映えるようであった。たしかに灰の降った跡はあったが、たぶんわずかであったようだ。のような無駄の無いつくりであった。どこも塵ひとつないほど清潔であった。木造建築であったがじとじとした感じはしなかった。建てて2年ということで、それでこれほど綺麗なのは、日頃あまり客がおしよせないからであろう。入ってすぐにレストランがあり、そこに座った。

 牛丼とミニうどんのセットで500円とうのを頼んだが、牛どんというと、ます肉は美味くないのだが、この肉は家内がスーパーで和牛だとかいって買ってくくる肉よりもはるかに上等肉であった。玉ねぎの飴のようにこってりとして、じつに美味かった。

 露天風呂は、ぼくともう1人だけの独占であった。広さは25メートルプールくらいの庭の真ん中の池と、ジャグジーのついた横になれる浴槽と二つあり、どちらも長湯のできるぬるめの温度であった。もはやさんさんと陽が降りかかるようになり、横になって目を閉じると、この温泉は、ここ数年で
Aクラスの快適な温泉だとおもうのであった。

 静かであった。竹の塀がめぐらしてあるので、霧島山系の西端の韓国だけは見えるが、高千穂峰やその隣の新燃岳はみえない。塀の切れ目ガから遠望すると、そこはまだ雲の覆われていた。距離としては10キロ内外が、後で地図で確認すると美人湯から噴火をしている火口までは、凡そ8キロである。

 ここからは噴火の災禍はなんにも感じられなかった。あちらでは、明日への希望さへぶちくだかれるほどの火山灰による生活環境の破壊、なによりも農作物の被害、ひとびとを労苦を強いられている。川上にあるために、この丘は災いを逃れられていた。2時25分、宮崎市へ向かって国道を走る。転校はますますおだやかになり、温泉上がりの身体はぼかぼかとしており、休日を満喫しつつ帰宅した。そして、居間ですぐに新燃岳の爆発的噴火のニュースと映像を見たわけだ。

 なんか悪いことしたような気持ちをぬぐい切れない。

 ただ、宮崎県がどこもかしこも地獄になっているわけでない。これも現実ではある。神はお気軽に地獄と極楽を隣合せて、人の運命を弄ぶのであろうか。どっちに転んでも愉悦を失わないようにするしか、人として生きる方法はないのかもしれない。「

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