市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

なぜ辞任せず・させず?!

2007-02-09 | Weblog
 柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言をなせ「ごめんなさい」だけで辞任せず、させられずで、終わるのか。

  自民党 柳澤 伯夫(ヤナギサワ ハクオ)衆議院議員は、じつは女性蔑視で「生む機械」とは使ってない、人口問題を分かり易く説明するための比喩だという。健全な社会が保持できるための機能としての女性の能力を述べたわけだ。若者の結婚と子作り2名以上の「健全な思想」も機能の正常ぶりを述べたという。

 したがって、彼の思いの底にあるものは、個人に思いを馳せるのでなく、社会に、日本国といってもいいが、そこに思いを馳せる思想、つまり「滅私奉公」の思想ではないか。

 戦時中のこの標語でいやなら、柳澤さんの思想は、人間を「社会的昆虫」とみなす、人間機能論であろう。いや、それへの願望といえる。

 社会性昆虫とも言うが、ミツバチ、アリの社会構成能力である。一匹の女王蜂と100匹のオス蜂と、無数の働き蜂で構成されるコロニー、ハチの巣の六角構造は、ダーウィンをして「労働面から見ても、使用するロウの経済性という点から見ても絶対的に完全なもの」と言わしめた美しい巣を生み出した。そうした、健全で乱れず、美しい社会への実現への思いのまえには、女性差別とか軽視とかいう世論など無意味でしかないと思うのではないか。この乱れた日本を改革する健全思想の前に。個人よりも公のために機能をささげ尽くす自己犠牲の崇高さへの確信で。
 
 またこれこそ、安部総理の「美しい日本」の本質をなすものではないのだろうか。

 人間はなによりも「個」である、その基本的人権は憲法で保障されている。そのことを否定している発言の重大さに思いを深めるべきではないのだろうか。

▲ミツバチ


▲アリ

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