今日2013年11月20日水曜日は、正午に近づくにしたがって、冷たさが増してきた。ダウンを着てくるべきだった。さて日曜日の夜,KITEN広場のテント周りには、のぼりや、ランタン、看板がテント劇場を取り囲んで光を発していた。風も無かった。なんとか40人は来てほしいと、暮れていくテントの前で不安を感じていた。開場時間の午後5時半、辺りが薄暗くなってきたら、来場者が闇から現れだしてきた。ぼくの予約者5人もも約束どおり到着した。チケットを渡し、チケットナンバーを記帳し、つり銭を探して、ひさしぶりとの挨拶を交わしたりしていると、かなりの来場者がテントの入り口に群がっているのに気づかされた。その後、ぞくぞくと来場者があって、見る間にテントの座席階段は、一番下の座席前の床にビールケースの臨時座席を設けるほどになってきた。テント天井に手がとどく最上段の階段座席まで、観客で埋まってしまったのである。予想もしなかった、おどろくべき現象、「満席」が実現したのである。実行委員A、B、Dの女性トリオはいつ準備したのか、金髪のコスチューム姿となって、「せんぐまき」をはじめだした。せんぐまきとは宮崎方言で、餅まきだが、ここでは駄菓子を客席に向かってまきはじめたほど、活気でテントはつつまれだしたのである。都城や鹿児島市の実行委員会メンバーや宮崎市の関係者、これらを含めて100名近くの観客で開場は埋まった。チケット販売枚数は80枚であった。切望した希望の倍となった。まさに喜ばしいどん底から歓声への倍返し?である。
新聞、テレビ、タウン誌にも広報を依頼する暇もなかったのに、この来場者はどこで動機づけられたのだろうか。ぼくら4人だけで、広報をしまくったわけでもなかった。ということは、実行委員会の売り券活動を超えた、観客動員の要因が働いたことになる。さらに驚いたのは、およそ半数3分の2位は、新参の客であったことだ。この客層は、公演情報を、行きつけのバーやカフェ、ライブハウス、イベント会場(これは雑貨店からお寺、アートセンター、お好み焼き、託児所など)でのグループが、ゆるくつながって情報を共有できた要因が働いた結果だと、思われる。上演後のテント内のどくんご、観客、実行委員会の懇親会で、確認できたのであった。このネットワークの出現は、ここ数年、新たな実行委員を募りながら、新メンバーを得られなかった現実を、別の形で実行委員会ができたようなものである。テント演劇公演は新たな関心を集める可能性が大きく出てきたようである。さらに上演は、かれら初めての経験として、好評だった。
来年もこのKITEN広場での公演は、可能となってきた。この趨勢を持続し、さらに発展させるには、なにが必要なのか・・。
なんといってもまず再認識すべきなのは、テント劇団どくんごは、絶滅寸前の動物種であるということだ。この動物を生存させる環境の変化がある。環境に加えて、この動物を絶滅に追い込む人間がわれわれである。絶滅は、それゆえに、動物にも問題があるので、これはかなり大きい。環境に適応できないということだ。つぎに動物を絶滅に追い込む環境にまったく無関心、鈍感である人間に原因がある。したがって、絶滅を免れ生存を可能にするには、動物側・テント劇団どくんごと人間・われわれ側に環境適応への変革が迫られているということになる。では具体的にどうすればいいのかと、問われるのだが、これがわかれば世話はない。具体的な方策、手立ては、これから、日々、どくんごが探っていくべきだ。そしてわれわれは、かれらを守る、公演が持続可能にし、演劇をわれわれもつくりあげるという方向をとる。これだけである。
そこで言いたいのは「テント演劇」は、反主流であること、快楽提供について反資本主義的であることだ。それゆえに時代の画一化、均質化の壁に罅(ひび割れ)を穿つ機能をもてるということだ。思えば、本年度テレビドラマの最優秀賞をNHKは「あまちゃん」とした。この半年に及んだ連続ドラマの二人の女優が、ヒロインと母親が本年の最優秀の女優だとした。ドラマは、だんだん内容を変更しだして、しまいに、東北大震災復興の物語と化していった。ついには、被災者の一部に視聴してもらい、このドラマは、果たしてかれらの意にそうのかどうかの、その反応を、ドキュメント報道するまでになった。製作者、出演者は、被災者へ最大の気遣いに気を取られだし、ドラマの登場人物でなく、出演者自身が震災復興にどれほど貢献していかねばならぬかの漂白の芝居になっていった。NHKは、無意識に被災者を検閲官にする無礼と、ドラマを国策映画にする暴挙を犯してしまったのだ。いやせざるをえなかったのか。画一化、均質化は、人間の思考と行動を、このように腐食させていく事例である。テント劇は、この人間喪失に抵抗できる可能性をもっている。
なんといっても、テントの内部はだれにも気兼ねのいらない祝祭空間である。その観客は、見せてもらえるから、見る、という位置まで高くなっている。芸術劇場との違いは、観客のポジションである。見せていただくではないのだ。このことは、演劇という祝祭に、あるいは盆踊りに自分も参加して踊りまくっていくということになる。、一夜のテント劇で、僕らが、このお祭りをすることとなる。昼間のぼくらは、まずここで反転して、さらに内容において反転する。画一化・均質化の壁に罅を穿つことになる。かくして祝祭の内容は自ずと決まってくる。新たなる日常の発見なのだ。その夜は、自分が、ロイドメガネを外して、悪魔の世界・社会を見るわくわく感、、高揚感である。今思い出すなら1995年、同じこの場所、宮崎駅正面の改装工事場に紛れて工事現場のようにテントを設立、「トカワピー・クエンダ・ワピー」の公演だ。どこから来てどこへ行くというスワヒリ語と聞いたが、このタイトル自体に意気込みが感じられた。この混迷の世界であくまで自分の信じる道を行くという意思のメッセージがあったことをだ。1998年は、「ノン・ノット・ポケット・ゴー・ゴー」であった。ポケットはここでは、幽霊船のことだ。この船に貴族は将軍や金持ちなどが乗り込んで、おごそかにディナーを毎晩行う。かれらは、死ねない呪いを背負って、永遠に船から降りられない。この痛烈なギャグに爆笑を誘われた。2009年からの毎年の全国順延が可能となり「ただちに犬」シリーズがあり、そのシーンで、オリンピックでの金メタリスト、キム・ヨナを「国民のキム・ヨナ」とたたえた韓国を逆手にとって、国民のラーメン、国民のサラリーマン、国民の遠足、国民の電車などなどと国民という言葉ですべてをからめとる滑稽さとナンセンスをみせてくれたシーンがあったのを、思い出せる。このようにテント劇は、画一・均質の透明な膜を破る、あるいは気づかせる
棘が、罅を拡大させていく。そのギャグ、皮肉、喚起、哄笑が、一秒の緩みもなく最終の幕で流れつづける。それはベートーベンの第9番合唱に、一秒間の隙間もないのと同じことなのである。これほどに完璧な、客観的な表現に至らねばならない。素人が歌う三つの金の合格者でも、圧倒的な歌い手がいるのを忘れてはならない。このことが、演劇の誕生であり、これが、環境に適応するということである。いや、そうならねばならないと今こそ思う。他方、テント劇団どくんごは、この表現を生む土台に他に勝る
実力があることだ。演劇のすべてが、生まれてくるのは、かれらの教条的運動でもなければ、屁理屈でも、社会理論でもない。それは、彼ら自身のテント生活から、樹液か脂(やに)のように流れ出してきたものなのだ。だから、観客に直裁に響いてくる。かれらの反主流、反資本主義の行き方が、たえず流しだす汗でもある。この汗の尽きることはない。尽きるときは、かれらが絶滅したときだ。ぼくはそのように、これからの劇団どくんごのあり方を思うのである。幸あれかれら、われわれにである。
新聞、テレビ、タウン誌にも広報を依頼する暇もなかったのに、この来場者はどこで動機づけられたのだろうか。ぼくら4人だけで、広報をしまくったわけでもなかった。ということは、実行委員会の売り券活動を超えた、観客動員の要因が働いたことになる。さらに驚いたのは、およそ半数3分の2位は、新参の客であったことだ。この客層は、公演情報を、行きつけのバーやカフェ、ライブハウス、イベント会場(これは雑貨店からお寺、アートセンター、お好み焼き、託児所など)でのグループが、ゆるくつながって情報を共有できた要因が働いた結果だと、思われる。上演後のテント内のどくんご、観客、実行委員会の懇親会で、確認できたのであった。このネットワークの出現は、ここ数年、新たな実行委員を募りながら、新メンバーを得られなかった現実を、別の形で実行委員会ができたようなものである。テント演劇公演は新たな関心を集める可能性が大きく出てきたようである。さらに上演は、かれら初めての経験として、好評だった。
来年もこのKITEN広場での公演は、可能となってきた。この趨勢を持続し、さらに発展させるには、なにが必要なのか・・。
なんといってもまず再認識すべきなのは、テント劇団どくんごは、絶滅寸前の動物種であるということだ。この動物を生存させる環境の変化がある。環境に加えて、この動物を絶滅に追い込む人間がわれわれである。絶滅は、それゆえに、動物にも問題があるので、これはかなり大きい。環境に適応できないということだ。つぎに動物を絶滅に追い込む環境にまったく無関心、鈍感である人間に原因がある。したがって、絶滅を免れ生存を可能にするには、動物側・テント劇団どくんごと人間・われわれ側に環境適応への変革が迫られているということになる。では具体的にどうすればいいのかと、問われるのだが、これがわかれば世話はない。具体的な方策、手立ては、これから、日々、どくんごが探っていくべきだ。そしてわれわれは、かれらを守る、公演が持続可能にし、演劇をわれわれもつくりあげるという方向をとる。これだけである。
そこで言いたいのは「テント演劇」は、反主流であること、快楽提供について反資本主義的であることだ。それゆえに時代の画一化、均質化の壁に罅(ひび割れ)を穿つ機能をもてるということだ。思えば、本年度テレビドラマの最優秀賞をNHKは「あまちゃん」とした。この半年に及んだ連続ドラマの二人の女優が、ヒロインと母親が本年の最優秀の女優だとした。ドラマは、だんだん内容を変更しだして、しまいに、東北大震災復興の物語と化していった。ついには、被災者の一部に視聴してもらい、このドラマは、果たしてかれらの意にそうのかどうかの、その反応を、ドキュメント報道するまでになった。製作者、出演者は、被災者へ最大の気遣いに気を取られだし、ドラマの登場人物でなく、出演者自身が震災復興にどれほど貢献していかねばならぬかの漂白の芝居になっていった。NHKは、無意識に被災者を検閲官にする無礼と、ドラマを国策映画にする暴挙を犯してしまったのだ。いやせざるをえなかったのか。画一化、均質化は、人間の思考と行動を、このように腐食させていく事例である。テント劇は、この人間喪失に抵抗できる可能性をもっている。
なんといっても、テントの内部はだれにも気兼ねのいらない祝祭空間である。その観客は、見せてもらえるから、見る、という位置まで高くなっている。芸術劇場との違いは、観客のポジションである。見せていただくではないのだ。このことは、演劇という祝祭に、あるいは盆踊りに自分も参加して踊りまくっていくということになる。、一夜のテント劇で、僕らが、このお祭りをすることとなる。昼間のぼくらは、まずここで反転して、さらに内容において反転する。画一化・均質化の壁に罅を穿つことになる。かくして祝祭の内容は自ずと決まってくる。新たなる日常の発見なのだ。その夜は、自分が、ロイドメガネを外して、悪魔の世界・社会を見るわくわく感、、高揚感である。今思い出すなら1995年、同じこの場所、宮崎駅正面の改装工事場に紛れて工事現場のようにテントを設立、「トカワピー・クエンダ・ワピー」の公演だ。どこから来てどこへ行くというスワヒリ語と聞いたが、このタイトル自体に意気込みが感じられた。この混迷の世界であくまで自分の信じる道を行くという意思のメッセージがあったことをだ。1998年は、「ノン・ノット・ポケット・ゴー・ゴー」であった。ポケットはここでは、幽霊船のことだ。この船に貴族は将軍や金持ちなどが乗り込んで、おごそかにディナーを毎晩行う。かれらは、死ねない呪いを背負って、永遠に船から降りられない。この痛烈なギャグに爆笑を誘われた。2009年からの毎年の全国順延が可能となり「ただちに犬」シリーズがあり、そのシーンで、オリンピックでの金メタリスト、キム・ヨナを「国民のキム・ヨナ」とたたえた韓国を逆手にとって、国民のラーメン、国民のサラリーマン、国民の遠足、国民の電車などなどと国民という言葉ですべてをからめとる滑稽さとナンセンスをみせてくれたシーンがあったのを、思い出せる。このようにテント劇は、画一・均質の透明な膜を破る、あるいは気づかせる
棘が、罅を拡大させていく。そのギャグ、皮肉、喚起、哄笑が、一秒の緩みもなく最終の幕で流れつづける。それはベートーベンの第9番合唱に、一秒間の隙間もないのと同じことなのである。これほどに完璧な、客観的な表現に至らねばならない。素人が歌う三つの金の合格者でも、圧倒的な歌い手がいるのを忘れてはならない。このことが、演劇の誕生であり、これが、環境に適応するということである。いや、そうならねばならないと今こそ思う。他方、テント劇団どくんごは、この表現を生む土台に他に勝る
実力があることだ。演劇のすべてが、生まれてくるのは、かれらの教条的運動でもなければ、屁理屈でも、社会理論でもない。それは、彼ら自身のテント生活から、樹液か脂(やに)のように流れ出してきたものなのだ。だから、観客に直裁に響いてくる。かれらの反主流、反資本主義の行き方が、たえず流しだす汗でもある。この汗の尽きることはない。尽きるときは、かれらが絶滅したときだ。ぼくはそのように、これからの劇団どくんごのあり方を思うのである。幸あれかれら、われわれにである。
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