市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎謎所ヘンリー岬灯台

2005-01-07 | Weblog
宮崎市が、ソープランド街に建てた「ヘンリー岬灯台」の実物4分の1の模型は、その灯台のあるバージニアシティと宮崎市の友情のシンボルだというのである。バージニアシティが知ったら、怒るんじゃないか。他方、こちらにとっては、この場所になぜ神経を逆なでする異物を立てるのかと腹が立つ。ここは50年もつづいていた露天市場だった。そこに、これほど無意味な、歴史も風土も無視したモノを出現させるという街づくりは、常識ではかんがえられない神経だと思うね。

戦前から昭和40年ごろまで、ここらは宮崎市で一番の盛り場だった。前回のべた「カフェー処女林」というのは、バージニア、バージンから連想したわけではない。ここらには、活動写真館「大成座」から左右にキューピット、ライオン、ミカドと店を連ねていた。処女林は大成座の前のカソリック教会「ドンボスコ教会」の隣に堂々と店を張っていた。当時のカフェがどういうものだったか、知るわけではないが、処女林とうそぶき、カソリック教会の隣で処女林をかかげた、そのふてぶてしさ、そのギャグが強烈だったわけだ。

活動写真館にカフェにドンボスコ教会の三位一体にさらに食料品、酒屋、ビリヤード、製ぱんの店、小戸神社、上行寺、川島眼科、日州新聞、銭湯・鉄湯とごちゃごちゃとつめこまれていた。色気から食い気、宗教から現代文化まで、一応人生を生きるに間に合うものが凝集していた。それぞれが、異質(異物ではない)でありながら補いあっていた。ここで暮らしていても十分日用の不便はなかったばかりか、わくわくして面白かった。こんな組み合わせは、都市計画などでは絶対に実現しないだろう。街に都市計画がやられると、調和、調和と唱えながら、クリーンとなり、森閑となって人も歩かなくなる。

都市計画を考えるやつは、どっかがおかしい、何かが狂っている。その謎をまた今夜も思う。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮崎市謎所案内・ソープラン... | トップ | ヘンリー岬灯台おわり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事