市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

ヘンリー岬灯台おわり

2005-01-09 | Weblog
 銭湯も映画館も、ドンボスコ教会もカフェ処女林も、露天市場もすべて消滅し、「バージニアシティ広 場」になった辺りは、昔の盛り場の賑わいなく、人気はない。真新しいカラー舗装だけが広がっている。ここから表どおりに通じる「大成銀天街」という50メートルほどのアーケード街もシャッターを下ろし、有料駐車場にほとんどが変わった。アーケードの天井も破れて、鉄の檻のようになっている。廃墟寸前の通りを表の橘通りに抜けると、ここも無人だ。宮崎市は、中心市街地を活性化するために100名の提案委員を委嘱した。100名もあれば、なにか有効な提案がえられると思ったのだろうか。

 0をいくら足しても0、マイナスでも混じっていれば逆効果である。頭で考えて中心市街地が、活性化するならばこんな楽な手段はない。ほんとに中心市街地を活性化させようと思うなら、そこで生活していくしかないんではないのか。商売をやって生き延びればその店のぶんだけ活性化したことになる。それが1であり、それを足していくしかないはずだ。それ以外は頭で提案しても無駄だ。

 大成銀天街のあるメインストリート橘通一丁目は、活性化の手段として、歩道自転車駐輪禁止を平成3年に実現した。それからは、駐輪自転車指導員が橘通りの両サイドを何組もたえず移動して監視、指導をてやっていた。定年退職者のようなお年寄りが市にやとわれ一人一人がなぜか熱意をもってあたってきた。それから10年、監視員は今ではめったに目につかなくなった。制度がなくなったわけではない。監視員が見えなくなったのだ。なぜなら、自転車がないんだから。どうじに来街者もなくなった。あの喫茶店、あの雑貨店、あのサンドイッチ店、あの小ギャラリー、小間物、金物、土産店などなどが消滅した。そしてまた100人の提案委員が活性化を提案するという。提案はいいから自分で、この一丁目で、店を開いてみたらどうですかといいたい。

 おそらくここで店を開く提案者は一人もいないだろう。ヘンリー岬灯台は、今この歩道砂漠のなかの道しるべとして立っている。いや、光の灯らぬ灯台は、消滅した盛り場、上野町の記念碑に似ている。つまり、この灯台もなんの役にもたたない灯台なのだ。どんな由来があるのかしらないが、こんな場所に模型を建てられたバージニアシティのヘンリー岬灯台は、とんでもない見当違いの役割をこれから何年も担うことだろう。同情を禁じえない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮崎謎所ヘンリー岬灯台 | トップ | 最強の成人式  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事