市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

自転車ぶらぶら散歩 ヒムカ・チリ 2 グローバリゼーション

2009-04-30 | 自転車
 天皇誕生日の日、ぼくは豚インフルエンザのニュースで思い立って,ふたたびヒムカ・チリに自転車で向かっていった。晴天、気温20度くらい、申し分のない気温ではあるが、向かい風が一寸きつい。山崎街道をイオンの前でわき道にそれ、3間道路の旧道を走る。ここはもう家屋が立ち並び、風が避けられるからであった。行く先は、5年以上も前、廃墟に化し、藪と草に覆われ、さび付いた鎖でゲートが閉じられて立ち入り禁止とあった養鶏場跡であった。ただ、道路はもういっぺんしていてもはや養鶏場を探し出すことはできなかった。とうとうあきらめてひたすら北へむかって走る。

 やがて前後左右がひろびろとなり、東にホテル45が積み木のように見える辺りまでくると、ビニールハウスが、工場のように並んでいる畑地に入り込んできた。舗装道路にそって100メートルほどの長さのビニールハウスがならび、道路とハウスの中でただ一人だけ、作業着の女性が、掃除をしているのが遠くに見えた。ここだけみると、まるで沖電気か富士通の工場をみるかのようであった。なにをしているのですかと、訪ねると、去年の秋に植えたキュウリがもう終るの、植え替えの準備ということであった。道路を挟んで向かいのビニールハウス棟はマンゴーだとおしえてもらえた。

 この道路は300メートルほどで低い土手とT字に交差して左右は砂地の一メートルほどの小道と変わっていた。その砂地から振り返ると、遠くにハウス棟が水平に並んできらきらと光っている。そこまでは、何町歩という広い煙草の栽培地だった。マンゴーも煙草も数年まえまではここらにはなかった。今まさに工場化され、ひょっとしたら一個20万円もする日向太陽マンゴーが収穫可能になるかもしれないと思うと、手作り野菜がどうとか、自然や大地の恵みとか、そんなセンチンタルなことを言っている場合かというようなグローバリゼーション化のなかの農業の迫力を感じざるを得なった。

 14,5年前まだ宮崎市近郊ではマンゴーがあまりみられなかったころ、西都市に近い那珂で、マンゴーのハウス栽培に取り組んでいた人をたずねたことがあった。コンピュータ制御のマイクロスプリンクラーで施肥をし、温度センサーで自動開閉する一棟1000万円余の50メートルほどの長さのハウス3棟で、この人は自動車工場を畳んで、この土地でマンゴーを製産しだしていた。あとでマンゴーシャーベットをご馳走になり、その美味におどろいた。しかし、どうなるやらというだけで未来の豊穣など、想像もできなかったことを思いだした。まさにその時代が来たのであるのか、この辺りまでマンゴーハウスが進出してきていたとはと、あらためて驚いたのであった。

























コメント
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