先週の日曜に、本を交換しようよというおもしろそうな企画で、友人を誘って主催者のkさんの家へ向かった。平和台内科医院前から綾町へ向かう道路を500メートルほど進んで、台地へと右に入る。下北方町という一帯である。この一点に会場だ。
なんとそこは迷路であった。先日ぐうぜん迷い込んだ村角のくねくねと曲がる網状の迷路に驚いたが、ここはそれをはるかに凌ぐのだ。曲がるばかりでなく、幅も自動者が一台やっとというのが、絡み合っている。それも上ったり下ったり、亭々とした大樹がつづき、池の低地があり、崖がありだ、樹木で覆われ、50メートル先はみえない。どこを走っているのか見当のつけようがないのだ。「江戸時代だ」ここはと、友人は叫ぶが、神代かもとおうじたくなるほどであった。
会場は、帝釈寺の近くらしいと思うというと、友人は、そこにはなんどか行ったことがある、あれは名刹だと言う。なんといっても禅寺で、なかなかの風格ありでと、注釈をしてくれた。
本院の前に蓮の池があり、堂々たる寺院だとうのだが、さがせども、見つけ出せない。走る道路にそって、まもなく谷!があり、なんとその向かいに建っている。そこへ至る道路を探し出してやっと、たどり着けたのであった。しかし、すでに蓮池はほどんど白っぽい粘土様の土で埋められ、本堂はコンクリート造に変わってしまっていた。ここで、彼女に電話して、家を聞くと迎えに来てもらえることになってほっとした。
近くの農家風の屋敷の道路近くの平屋の家屋が、会場であった。入ると6畳の和室と隣あった4.5の板の間に、本の入った紙袋が何十と置かれ、壁際の本棚や畳や床にも本が累々の連なっていた。ここもまたまわりの迷路模様であった。午後2時前、われわれ二人が最初だったという。彼女にお茶を淹れてもらい、それを啜りながら初対面の挨拶をかわすと、ご主人は、ぼくをよく知っていると言うことで、ならぼくも会えばわかりますねえと、緊張もゆるんできだした。主人は月末で出勤だった。
聞くとほとんどの本が彼女のもので、ここから選んでもらってもかまわないということだった。このうねうねとした本の山脈は、文学くさくなく、教養くさくなくサブカルチャー系で、これがよかった。本の山となると、すぐ市の広報のように平板で一元的価値観で固められがち、社会教育風、公民館図書室などがそうだ。かってみたので、最悪の蔵書構成だったのが、あのシーガイアの国際会議場にあった図書室のものだった。古典文学などの全集ばっかりで、その空っぽの体裁だけの教養主義は、シーガイアが破産するまで内容が変わらなかった。こんなことを思い出したが、これとはんたいである。この無造作に詰まれた本の集積はには、趣味の個人らしさがあり、それが、くつろげた。
そのうち電話がかかりだして、そのたびに彼女は、のんびりした口調で応対しては、迎えにでていくのだった。押井守の映画を分析した章のある詳細に映画技法を集めた本とバスターキートンという名のスリラー漫画をえらぶと、これは、ちょっと・・と悩むので、いやいいですというと、いやいいでしょというので、結局断った。ふとみると、14,5年前のブルータスが紙袋にあったので、これを4冊交換にもらった。まだ手触りの編集で、紙も安っぽく、写真もレトロな感じであった。
こんな交換であるのかと、あとで理解できた。つまり珍しい本の交換になっているのだ。ぼくらのあとにつぎつぎとくる若い男女、かれらはぼくの子供よりもまだ年下であるが、その本への感覚はやはり違うのだと感じられた。これがおもしろかったのである。それと、kさん。彼女の文章は、すみずみまで神経がいきとどきいかにも几帳面、知的に鍛えられた感じであるが、本人は、なんとなくアバウトで、のんびりとしていて、焦らずのたたずまいで、古びた居間に調和していた。
本の交換会という、どちらかというと日常そものの催しが、この迷路の一点、座敷と板の間、そして反教養と、ずれていたのがいい。単調な日常をずらしてみると、別の次元が広がる思いがした。kさんの今後のご健闘を応援したい。
なんとそこは迷路であった。先日ぐうぜん迷い込んだ村角のくねくねと曲がる網状の迷路に驚いたが、ここはそれをはるかに凌ぐのだ。曲がるばかりでなく、幅も自動者が一台やっとというのが、絡み合っている。それも上ったり下ったり、亭々とした大樹がつづき、池の低地があり、崖がありだ、樹木で覆われ、50メートル先はみえない。どこを走っているのか見当のつけようがないのだ。「江戸時代だ」ここはと、友人は叫ぶが、神代かもとおうじたくなるほどであった。
会場は、帝釈寺の近くらしいと思うというと、友人は、そこにはなんどか行ったことがある、あれは名刹だと言う。なんといっても禅寺で、なかなかの風格ありでと、注釈をしてくれた。
本院の前に蓮の池があり、堂々たる寺院だとうのだが、さがせども、見つけ出せない。走る道路にそって、まもなく谷!があり、なんとその向かいに建っている。そこへ至る道路を探し出してやっと、たどり着けたのであった。しかし、すでに蓮池はほどんど白っぽい粘土様の土で埋められ、本堂はコンクリート造に変わってしまっていた。ここで、彼女に電話して、家を聞くと迎えに来てもらえることになってほっとした。
近くの農家風の屋敷の道路近くの平屋の家屋が、会場であった。入ると6畳の和室と隣あった4.5の板の間に、本の入った紙袋が何十と置かれ、壁際の本棚や畳や床にも本が累々の連なっていた。ここもまたまわりの迷路模様であった。午後2時前、われわれ二人が最初だったという。彼女にお茶を淹れてもらい、それを啜りながら初対面の挨拶をかわすと、ご主人は、ぼくをよく知っていると言うことで、ならぼくも会えばわかりますねえと、緊張もゆるんできだした。主人は月末で出勤だった。
聞くとほとんどの本が彼女のもので、ここから選んでもらってもかまわないということだった。このうねうねとした本の山脈は、文学くさくなく、教養くさくなくサブカルチャー系で、これがよかった。本の山となると、すぐ市の広報のように平板で一元的価値観で固められがち、社会教育風、公民館図書室などがそうだ。かってみたので、最悪の蔵書構成だったのが、あのシーガイアの国際会議場にあった図書室のものだった。古典文学などの全集ばっかりで、その空っぽの体裁だけの教養主義は、シーガイアが破産するまで内容が変わらなかった。こんなことを思い出したが、これとはんたいである。この無造作に詰まれた本の集積はには、趣味の個人らしさがあり、それが、くつろげた。
そのうち電話がかかりだして、そのたびに彼女は、のんびりした口調で応対しては、迎えにでていくのだった。押井守の映画を分析した章のある詳細に映画技法を集めた本とバスターキートンという名のスリラー漫画をえらぶと、これは、ちょっと・・と悩むので、いやいいですというと、いやいいでしょというので、結局断った。ふとみると、14,5年前のブルータスが紙袋にあったので、これを4冊交換にもらった。まだ手触りの編集で、紙も安っぽく、写真もレトロな感じであった。
こんな交換であるのかと、あとで理解できた。つまり珍しい本の交換になっているのだ。ぼくらのあとにつぎつぎとくる若い男女、かれらはぼくの子供よりもまだ年下であるが、その本への感覚はやはり違うのだと感じられた。これがおもしろかったのである。それと、kさん。彼女の文章は、すみずみまで神経がいきとどきいかにも几帳面、知的に鍛えられた感じであるが、本人は、なんとなくアバウトで、のんびりとしていて、焦らずのたたずまいで、古びた居間に調和していた。
本の交換会という、どちらかというと日常そものの催しが、この迷路の一点、座敷と板の間、そして反教養と、ずれていたのがいい。単調な日常をずらしてみると、別の次元が広がる思いがした。kさんの今後のご健闘を応援したい。