市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎市若草通り 観光案内

2009-04-20 | 都市論
しぇ・こぱん(お好み焼き;シャンソンの流れる)の店主、シェフの青木さんが若草通りの店があちこちと閉店していると教えてくれた。え、そんなと、おどろいた。ほとんど週末には中心市街地でコーヒーを楽しんでいたのに、なぜ気づかなかったのだろうか。一つは中心市街地そのものだったからだ。イオンが出来て5年経過したが、この橘通り3丁目という一角だけはシャッターを下ろす店はほとんどなかった。とくにここのデパート山形屋が、2年前の秋に新装開店してからは、周辺の横町のにぎわいを取り戻していた。賑わいは音であり匂いで、いつも漂っていたのだ。

 その中心市街地で、土曜日午後の時間を過ごすのはデパートカリーノの1階を占める書店「つたや」と、隣接した「タリーズコーヒー」であった。ときどき、山形屋の地下で食材を買ったりする。去年の夏までは、その裏通りに在ったお茶だけの喫茶店「イーチャフェ」(くろき製茶橘店2階)でもじどおりお茶を飲むということだった。思えば、そこで本を読み、書店で本を探すことがメインであった。この習慣で、つい、若草通りという200メートルの横町に入らなかったのだ。街に出て行くといっても、書斎の場を代えただけであったのだ。おそるべき習慣性である。

 さっそく行ってみたが、店があちこちシャッターを下ろしていた。通りは大通りに橘通から東へつまり宮崎駅方へ200メートル弱つづき、3本の横町通りで3区画ができている。その区画を一番奥からチェックしていった。まず一番奥は右9店のうち2店、左8店のうち4店、ついで二番目は右8店で1店、左5店のうち3店である。3番目、つまり大通り直接つながっている通り、右8店のうち6点、左12店のうち4店となっている。おどろいたのは、この大通りに面した区画が、ほとんど全滅していることだ。典型的なシャッターどおりが出現していた。2番目の区画といえど、3店舗くらいの大きな店だった靴店がクロースしたためここもがらんとしてとおりになっていた。

 これはごく最近のことのようである。すくなくとも今年になってだろう。そのことを思いだそうとするがなかなかもう記憶にない。ただ、ふと思いだしたのは、ここ数年、さかんにマンションが中心市街地に建てられていたことだ。そのマンションは昔は買いたい魅力もあったが、なんかこのごろ、ここに買うべき理由もないなあと思っていたのだ。ここに住んでもまわりの街路をみるたびに行くところもないと思うとかえっていらいらさせられるものと思っていた。つまり意識は、本能的に街の崩壊を感じてはいたのだ。しかし、これほどになりつつあるとは。

 いったい街の公園化計画委員という100人は、こんな町の崩壊をどうかんじているのだろうか。いや、彼らはこの崩壊をしっているのだろうか。はなはだうたがわしい。
コメント (2)
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