市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

バンコク 屋台+タクシドライバー

2007-11-20 | Weblog
  ニューヨークのタクシードライバーは移民がほとんどであるという。朝日新聞はその現況を特集していた。ただ一人ニューヨーク出身の白人の女性ドライバーがいて、彼女はもともと広告社のコピーライターだったが、倒産で、かねがね興味をもっていたタクシー運転手の仕事についた。
 
 運転手ならだれでもなれるし、仕事は運転席で自分一人の自由な世界だと、まんざらでもないと言う。しかし、健康保険もない、社会保険もない、豊かなアメリカでこの労働環境は「発展途上国並」であると嘆くのだ。

 こう聞くと宮崎市民のほとんどは、なるほどと納得するはずである。この認識が諸悪の根源である。豊かさとは何か。貧しさとは何か。ものが豊富なことが、豊かさで、ものの不足が貧しさで、貧しさは労働環境を最悪にするという盲信だ。バンコクで見た屋台、市場、ビルの空き地の露天、公園のテント市場、そして街路で人々は生業をやっている、それは楽しげであった。バンコク暮らしの杉岡広子さんは、ここでは風呂敷一枚でだれでも商売できるといったが、納得だ。

 宮崎市では一人では商売できない。パートタイマーか、派遣労働者、そして
そうなればほぼ全生涯をフリターと生きるしかなくなる。問題はその労働環境である。その特徴は、企業の収益を上げるためにタイムカード、監視システム、巧妙なサービス残業のからくり、つまり管理体制のなかで、自由意志はよほどの根性と工夫がなければ崩壊させられるという労働環境である。もちろん、米国はもっと完璧な管理体制が文明化されている。同国の負け犬と労働環境をレポートしたかずかずのレポートのひとつでも読むと、空恐ろしくなる。

 真の「貧困」は、豊かな国ほど実現している。実現とは、豊かになろうとどうしようと、その貧しさからは解放されないとうことを意味するのだ。

 貧乏人も金持ちも、ジャンクフードを食べ、テレビ付けとなり、明日はなく、
より豊かさをもとめて南京ねずみのように無期限のこま回しをつづけねばならないからである。宮崎市民もその方向に向かうことを現況は示している。
コメント
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