市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

一瞬のバンコク ビルとの共棲

2007-11-08 | Weblog
 そう、ビルの前の歩道を車窓越しに覗いてみたときだ、ビルの前の都会的な専門店街が軒をつらねているとばかり思っていた目に飛び込んだのは、都市の廃墟だった。ビルの前に何十年も経ったような低層のビルが連なっていた。1階は穴倉のようで、上は木製の窓がよろい戸を閉めている。その低い軒先にトタン葺きの臨時の店があり、また、木造トタン葺きの掘っ立ての住居がビルの切れ目の歩道にいきなり現れる。そして、そこは路地が奥に何百メートルと入り込み、人々が往来している。

 驚くべきことに、歩道には、露天がえんえんと連なっているのだ。それは小さなリヤカーであったり、机ひとつだったり、支柱とテーブル、椅子を並べた店風だったりして、どれひとつとして同じものはなく個性的である。そして、わが国では絶対購入不可能な、椅子、テーブル、棚
家具、調度品など、つまりそれは日本では産廃処理場でしか入手できないようなものである。それは、こうしてならべられると存在感がある。

 高層ビルは銀行だったり、ホテルだったり、企業向けの貸しビルであり、歩道に面して広い占有の広場を持っている。その広場の角や門脇、
歩道との境界には、露天の店があり、そのビルを前に門前市のように賑わっている。来客は、露天と並んであるビルの階段やテラスをラウンジとして談笑をしている。

 廃墟と見えたものは、たんに外観であり、それらは、活気にあふれていた。現代ビルと都市の廃墟が、共存している。そういう共存をなんら苦としてない、都市の管理のあり方が驚異である。なぜ、そんなことが許されるのか、自転車の駐輪監視員を20年ちかく配置して、歩道から一台の自転車さへも放逐することに成功した宮崎市の都市行政とは、まさに天と地のちがいである。

 ここでは、ビルとの共棲によって、市街がエネルギーを生み出しているのであった。ここで、ビルはなんら他を支配できるものではなかったのである。行政もまたそのように感じられた。
コメント (1)
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