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市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

チケットを売る

2009-09-08 | Weblog
 こんな高い料金では売るのは難しいです。そりゃ、いいものかもしれないが、
ここじゃ、だれも知ってないし、とてもこんな値段じゃねえ、売れまんせんよ
とアドバイズを受けることが多い。有名ならば、一万円でもあっというまに売り切れになる。国際音楽祭の故アイザックスターンの出演料は5000万円だといわれた。なぜならかれは巨匠であったからである。芸術の値段というのは、高いのか安いのかは、常識では測れないのだ。無名であれが、2500円でも高すぎるのである。

 委員会で、その意見が出ると、たいがいシーンとしてしまう。われわれはなにか
おおきなまちがいをしようとしているのではないかと、不安にもなってくる。ではどこまで安くすればいいのかというと、じつはこれもわからない。まあ、1000円か
500円くらいなら、見ても損じゃないということになるのだろうか。

 ぼくが、これまでやってきたほとんごの自主公演、「黒テント」「テント劇団どくんご」¥「ベリーダンス」「暗黒舞踏」「ダンスカンパニー」「クラシックコンサート」などなど、今思えば、コストがとりもどせるぎりぎりの価格設定であったが、これでも
高すぎると言われ、なかには値段を下げたものもあった。しかし、今はそういうことはしない。

 自主公演というのは、安ければ売れるというものではないのが、わかってきたからである。それになによりも、自分が惚れている上演を、安く売って観客を集めようという気になれないからである。高く売ろうとは思わないが、一枚のチケットには自分の価値観がこめられている、それを安売りは出来ないという思いを、だんだん知るようになってきた。

 だから、一枚のチケットを買ってもらえたとき、そのとき、そこにはその人とぼくには、信頼関係が生まれたと思うのだ。義理や同情で買ってもらえる場合もあるが、今は経験によって、義理や同情が生じる関係は避けられるようになった。ぼくは遠慮なくぼくの価値観を売りつける。それを買ってもらえたときのよろこびは、
じつに大きい。 そこにはすこし悪魔的快感さへあるのである。さらにその人が上演に感動やよろこびやを得られたときから、ぼくらは信頼関係の絆でむすばれることになる。

 それと、ぼくにとって自主上演をプロデュースすることは、作品批評を書くこと
評論活動とまったくおなじことである。無名のものに光を当てること、世にしられていないからこそ、そこには、むしろこれから価値が高まる期待や希望がある。つまり株式でいえば、これから上昇する株である。有名で上がりきって、これから下がるだけの優良株など、ほとんど批評意欲などはそそられないのである。

 
 チケットを売るとは、冒険であり、リスクであり、利益も不利益もすべて引き受ける自己完結の行為であり、それゆえに誰にもしばられぬ、喜びでもあるわけだ。


 


 
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美々津町で大道芸人の祭り

2009-07-29 | Weblog


 

日曜から雨の雨は止んだが、今朝は異常に蒸し暑い
 
 昨日日曜日に予定通り、山崎さんと、昨日日曜日は美々津の大道芸祭に行った。
 
 雨天の悪条件があったが、人々は楽しげに集っていて、その親しみやすさ、暮らしの実感があり、いい祭りとなっていた。しかし、見せるという点では、雨に襲われて、じゅうぶんに成功するにはいたってなかった。また経済効果についてはどうであったろうか、しかし、これは未来の問題、あるいは別問題かもしれない。

 美々津の温故知新の街路は、10年前とくらべるとほとんど改装がいきわたったのに、驚いた。しかし、改装がかえって、人工化されすぎた感じがしないでもない。


 こんな街筋での大道芸は、背景として、なにをしなくても十分なものではなかったと思う。大道芸が生きるには、街中の暮らしというリアルな生活実感が必要なのだ。大道芸がかって生きた昔の暮らしは、もはや失われているのだ。もっとも、古いノスタルジーの生活の実感を満たす町が宮崎県にあるとは思えない。このような条件のなかでは、よく実現できた大道芸の祭とりの設定ではあった。なんといっても雨、これがたたってしまった。通りを歩いてのちんどんは、雨のために、観客は、雨に足元をとられて集中できなかったし、口上を聞く余裕もなかった。
 
 ぼくらは、ちんどんについて、通りから港の広場まで歩いていった。雨は止まず紙芝居の会場は、建物の1階駐車場に変更されていた。まだ開始まで半時間ほどあった。若菜さんは、そのつなぎとして、一座のちんどんを演じつづけた。こんどはテントの下で、かれらを十分にみられた。とくにぼくは、英心さんのトランペットに魅了された。それはまさに音楽表現であった。チンドンはこの芸術性と商業性とのミックスである。だから暮らしに頭を垂れる行為でもある。雨の中でけんめいに演じられるちんどんは、自己主張という芸術性よりも、まずは、観客に奉仕する行為だと再認識させられるのだった。テントに雨もしみ、かれらの哀切も染みた。だからこころうつのであった。
 

紙芝居は、2階屋の一階駐車場で実演された。紙芝居はやっぱり舞台の箱を積んだ自転車のまわりを囲み、おいしそうな水あめ、金や太鼓、紙の動きまで身体で感じられる位置でこそ、伝わるものだと思えた。ステージのように観客席が設けられると、どうも迫力がない。なによりも絵が見えない。だが、それにしてもこどもたちの反応は素晴らしかった。大道芸の力であろう。

 残念ながら、会場に終日居れず、昼過ぎには帰らざるを得なかった。とくに大神楽という伝統芸は、見るのを強くすすめられていたのだが、観れなかった。中途半端なぼくの参加の半日であったが、それでも行政主導の宮崎市の祭り「えれこっちゃ・みやざき」よりも疲れなかった。あのえれこっちゃの徒労感はなく、ひとびともほどよい群衆をなして町並みをも楽しめた。町並みは、それなりに生きていた。街は、よきノスタルジーを感じさせることに大道芸によって成功していた。

 企画した若菜さん、ご苦労様でした。今後は、見せるという演出をどうするかが、課題でありましょう。大道芸の芸術性はかならず民衆の暮らしと分離できない。大道芸はノスタルジーでなく、あたらしい暮らしの提言としてどういう可能性を発揮できるのか、興味ある課題に満ちていると思います。若菜さんあなたたちのこんごの活動を期待しています。それに来年はもっとラッキーな祭りになりますように。


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ベクトル再考

2008-07-18 | Weblog
 昨日の投稿「教職ベクトル」のベクトルがわかりにくいという指摘があったので
説明をしたい。この概念は、今年の4月にこの市街・野「ベクトルの方向 2008-04-18 22:45:08 」で、以下のように述べた。

  力の向かう方向と、その量を示す矢印、それはベクトルと習ったことを思い出していただきたい。・・・ 方向は360°に向いているのだが、実生活では、矢印は一方方向しかない。正規社員になりたいというベクトルだけあり、正規社員になりたくないとうベクトルは無視される。

 ・・宮崎市には校長会館、教頭会館というのがある。・・・・教頭にも、ましてや校長になるなど、「とんでもない」とうベクトルは無いと信じられている。
 
 この逆方向のベクトルは、確実にあるのだ。ただ希少で目に付かないだけだーー

 
 あれから3ヶ月後、大分県教育委員会、ぼくには、蛙の棲む池の比ゆでしか考えようが無い魅力のない機構なのだが、その池の中で、校長、参議、課長、審議官などと、うごめいていた蛙たち。権力を求めて、顫動し、ナキワメく。いや、蛙に申し訳ない、蛙の美しさなどなにもないのだ。テレビに放映されるあの悪相、品格もなく、知性もなく、感性もない、いやしい顔、顔、顔の行列だ。顔をみたとたんに、逃げ出したくならなかったのだろうか。そんな連中が、顔をつきあわせ、毎日、犯罪的仕事を友情と勘違いしてやりつづけるとは、こんなベクトルが、現実に存在していたのだ。
 
 これと逆方向のベクトルを自分に課して、そのためのエネルギーを自分に集中していく、そして、人生の何十年の蓄積を想像すべきであろう。

 後期高齢期は想像以上に早く、自分の人生に到来する。死神も戸口に迎えにやってくる。そのとき、権力、地位、金を死神に差し出して泣き喚いてもね、駄目だ。

 西洋の諺で、人は生まれてくるとき、周りはみんな笑って祝福し、自分は泣きながらこの人生に生まれる。そして死ぬときに、周りからはみんな泣いて惜しまれ、自分は笑って死にたい、そんな人生が最高というのだそうな。

 死ぬとき、みんなが、笑い、本人だけが、泣きながら死ぬのではたまらない。これは死でなく、地獄への誕生ではないか。

 ベクトルの方向は、それぞれ考えに考えて、後期高齢期に焦点をあわせなければならないと思う。つまり人間の価値とはなにかを思考続ける他にベクトルは存在しえないのではなかろうか、とさへ思えるほど重要な命題であろう。





  
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鹿児島市小旅行

2008-06-02 | Weblog
 ガソリンが高騰しても、乗るのを控えれば対応できると、考えるわけだが、そんなわけにもいかないのを実感して、鹿児島市から夕べ午後10時に帰り着いた。12時間のツアーだった。ガソリンを満タンすると、159円でも6215円かかった。今朝は175円に高騰してきたと報じられていた。
 
 昨日は、鹿児島新港の水族館を見て、そのまま海岸沿いに、与次郎浜、鴨池、谷山と走りショッピングモールやアウトレット、郊外型店舗の集積を見て回るつもりだった。しかし、あまりにビルが集積されて、なにがなんやらわからぬ街にいっぺんしてしまって、もうどこにどんな店舗があるのかわからなくなっていた。ホテル
マンション、会社ビルが混在し、それが、団地ともなり、大型郊外型店舗の集合ともなり、ホテルと住宅マンションと会社ビルと、公共施設、官庁ビルもが、似たような外観で入り乱れている。

 そして、どの建物も巨大であり、巨大にしてかつ外観は誇大妄想的に飾りたてられて、看板的であり、それゆえに単調、均質である。それぞれは、さまざまの用途のビル群で、その集合であるから、多様ではあるが、多様性は感じられず、胸をおしつぶされるような圧迫感と、目標が探せないストレスがあり、樹木すらない無機性の広大な街区が騒音につつまれていた。

 この広大な街区では、自動車なしには用が足せない。歩いてなど、目的地にはたどり着けない。自転車も走ってない。自動車依存するしかない街である。今朝ガソリン代が175円になり、かなりの人が自動車に乗るのを控えだしたという。やがて、
控えるというような生易しいことでなく、今のように乗れなくなる日も、近く、くるのではないか。
 
 そのとき、この街区はどうなるのだろう。いや、その日までにここらはどうなっていくのだろうか。

 そこで、この街が生きていくために、次にどうなるのか、想像してみよう。

 それは共通のコミューン型乗り物を使うのが、必然化してくるのではないだろうか。もしそうなれば、これはきわめて、良い文化になると思う。

 そのとき、この無機質なビル群が、生まれ変わっていく契機も生じるであろうと思う。これは社会を革新するのではないかと、意外と明るい未来を思うのでる。ここには、エネルギーがある。エネルギーは保存されるからだ。街の本質があるからである。
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他者として浮き

2008-05-21 | Weblog
 二日目の夜は、ジャンベがたたかれ、ギターやドラムが耳をつんざき、地を這うようなアボリジニの管楽器が吹かれる。「せいごう」君のマイクの擬音が、即席のバンドをリードしていった。音楽は、絵画にくらべて、すぐに空間を支配できるのにおどろかされる。

 会場はパーティ場になったのだ。僕から見ると、すべてが、自分の息子、娘の年頃の集団である。十数年ぶりにあったバー「さりげな」のサトル、アパレルの店をやっていた柳田君、美容室のパソコンを緑のペンキで塗りこんだ美容師の森山君、「さるまま創刊号」に「カラオケボックス」という秀逸なエッセイを書いた日高ミツコさん、みんな今は何をしている、思いはそのことに飛んだ。それぞれが、自分なりの生き方を、タフに生きている。自分に固執する純粋さが心地よかったのだ。

 しかし、ぼくは、かれらの理解者ではない。そんなことが出来るわけがない。音楽やマンガ、ゲーム、携帯、メールは、かれらにとってどんな感性や知性を育てた
のだろうと思うだけで、かれらとぼくの間には、埋められぬクレバスがある。

 ぼくがのべる批評も、かれらにとって理解不可能な言辞でしかないのかもしれない。では、なんで彼らに接していて楽しいのだろうか。簡単に言えば、彼らのアートも行動も、ものの言い方も、ぼくの考え方に役に立つからである。さらに、それは面白いからである。ピカソは黒人を理解したとは思えないが、黒人芸術を創作に利用できた。ま、こんなことか。たとえは、ちょっと、おおげさだけど。

 そういう自分であるけれど、会場は、なんとなく仲間同志というパーティ気分の音楽が盛り上がってくるにしたがって、またふたたび、まてまておれは、完全にべつなんだ、こんな会場にいるのは、間違いじゃないかと再び思えだしたのだ。まさにここで他者として浮き出してきた。どうすりゃいいんだよーと不安を感じだしたのである。 
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労働基準監督署

2008-05-15 | Weblog
 小林多喜二の「蟹工船」が、ブームになっているという。フリーターや派遣社員の現状と重なるとうのだ。ついでに徳永 直の「太陽のない街」(昭和4年刊)なども読んだらどうだろうか。

7年ほど前、初版の復刻版が箱入りで、ブックオフの100円コーナーにあった。あのころからは予想もできないプロレタリア文学の復興か。いや、ぼくはこのプロレタリア文学などという分類がいやなのだ。そんなものじゃなくて、すぐれた大衆小説であると思う。
国家、資本家の弾圧のもとで、印刷工場3000人の工員ストを、組織、実行し、そして弾圧、壊滅に至る、スリルとヒロイズムに満ちたハリウッド製作映画のような展開が楽しめる。それでまずはいいじゃないか、こんな力あふれた愉快な純文学は、日本には少なかった。芸術性が高く評価されてきた私小説とか、ぼくにとっては、うっとうしいのだ、ほとんどが。それに比べれば、この社会性はどうだというようなことを感じるのだが、さて、今日の話はそれではなくて、宮崎労働基準監督署のことだ。

 以前、このブログで、近所のコンビニのサービス残業とくらべて、友人の勤める労働基準監督署の勤務などは極楽だ、と皮肉ったことがあった。その友人に、先月駅前でこえをかけられて、ひさしぶりに歓談できた。彼女は20年まえとかわらぬ上背のある姿態に今も力をかんじさせる聡明な女性である。あのとき、すぐ彼女はそんな事実があるなら、監督署に連絡をと、メールをよこした。それが効果あるのと、返事もしなかったが、いっぽう、よけいなことを書くんじゃなかったと悔恨もしていたのだ。

 ところが、数週間前だったか、「クローズアップ現代」で、宮崎労働基準監督署が、本県の一工場における課長たちのサービス残業を摘発、改善に成功した事例が報告されていた。これはうれしかった。ブログ以前にすでに、こういう活動を地味にやっていたという事実を知りえて、うれしかったのだ。あのメールは本当だったのである。

 彼女の夫君は、ここに勤務している。これはすぐにブログで報告しなければと、思っていたのだが、機会を逸していた。蟹工船ブームの記事を今朝の毎日で読んで、報告の機会をえた。ついでに、彼女にあんた、ポールスミスを知っているかと訊いてみた。イギリスのデザイナーと、彼女は熟知していた。あいかわらず思考はやわらかい、20年ほどまえは、職場が終ると、ぼくの引き受けた黒テントの芝居公演の実行委員、事務一切をやってくれていた。それ以来の友人である。今は投書も多く、いろいろ仕事が多忙きわまりなくて息もつけないのよと、笑っていた。 




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快楽について

2008-05-13 | Weblog
 サルママ展の説明に、神谷君は宮日やUMKの記者や担当者に説明に回ったとブログで読んだ。ひさしぶりに飲まずに、こんなにしゃべったのは初めてと、内面の高揚を感じて、こっちも気が高ぶる思いだ。
 
 そうだなあ、人間の快楽とはなんだろう。この内面の高ぶり、それによるエネルギーが、細胞にふつふつと感じられるとか、そんな場合もそうだ。しかし、それだけでなく、僕はここ何年も思ってきたのだが、体のどこにも痛みがないなら、それだけで、快楽であると思えるようになってきている。それさへあれば、日常はすでに快楽である。つまり体が思う瞬間、思いどおりに動くということは快楽であると、思えるようになったのだ。

 そういう意味で、このまえものべたように金を使ってまで楽しみを追い求める必要を感じないのだ。今、この瞬間、このパソコンの前にいて、キーとたたいているときが快楽であり、やがて、寝て朝目覚めて、性懲りもなく、体がうごきだすのを感じるとき、これは快楽だ。つまり、今日、日常が痛みなく、不自由なくすごせるということ自体で快楽なのである。

 どうして、このようなことを、快楽と思えるようになったか。断っておくが、僕は無神論である。宗教など信じていない。ただ、かなり近い将来、日本はダメになるということを信じている。そのために、今のような社会保障どころか、インフレがすすみ何十パーセントと物価が高騰し、この貧困をどこにぶっつけていいかわからぬほど、われわれの生活は厳しくなるとほぼまちがいなさそうだと、しんじているわけだ。べつにそれを心配しているわけではない。それはそれでいい。

 だったら、それに対してはまず自分が自衛し、サバイバルできる能力を身に着けておくべきであろう。そのために、月に5日、できれば10日は、この消費生活、電力、石油でのエネルギー消費生活を止めて生活する事をやってきた。電気とガソリンによる生活利便性の拒否だ。つまり日常生活では基本的に自動車にのらない。クーラーも暖房も使わない。食事を楽しまない。栄養補給として捕らえる。金で楽しみを買わない、まあそんな一連の月に5ないし10日の生活。そしてあまった金はすべて保険と投資にまわす。そんなことである。

 そうなると、肉体で日常を無事におくれることがなんという快楽であることか。テロもなく、戦争もなく、飢饉のないこの国で、無事に生きていけることのなんと快楽であることか。犬や猫のライフスタイルを実践する。こんな備えが必要だと、信じている。国が破滅しても、人は残る。そう思うのだけど。
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サバイバル

2008-05-12 | Weblog
 昨日話したサルママ展は、場所は若草通りを終わった十字路を右へ曲がった店、ポール・スミスというジーンズの店、その地下室である。昨日、数人の顔見知りに渡しながら、ポールスミスというと、みんな知っていた。知らぬは、ぼくばかりであった。やっとその店を探し出して前に立つと、ああ、この店だったのかと思うのだった。ジーンズやT-シャツの店なのか、宮崎市ではおしゃれすぎるくらいおしゃれで、ちょっとぼくには入りつらかったのだ。少し階段を上がった位置にあり、足の短い僕らの世代には、入っても着用できる衣服はない気がして。

 サルママ展は、5月17日(土)18日(日)無料,日曜は夜は、パーティ。
 
 この地下室が借りられるいきさつが素晴らしい。興味がある人は、ブログ「完全宮崎主義Mの日記」の2008.03.13 Thursdayauthor : kanmiya
「サルママ アート&ミュージック展」のブログを覗いてほしい。

 今日は朝から曇りで、おまけに冷たい風が吹きまくっていた。そこで草刈機で西側通路50メートルの腰まで伸びた雑草を刈っていた。昼過ぎに小鉄をあやしに「しぇ・こぱん」の青木さん夫妻と百花ちゃん(小一)が来た。それまでげんなりしたように寝てい小鉄は飛び起きて、ゲージを飛び越えんばかりに歓迎する。すぐに百花ちゃんやママに抱かれて、その様子はまるで、人間の幼児の感じである。

 二人はすぐに散歩につれだして、ぼくは青木さんと「さるまま」について話をしていった。かれは編集メンバーの両親などを知っていて、息子と親の行き違いの話などが面白かった。やがて20分ほどして二人は帰ってきて、「子鉄」が紙を拾ってたべたのです、やっと半分だけは、口からうばいとったんだけどというのだ。とろうとして噛みつかれなかったね、というと、噛まれてというのだ。やっぱり、子鉄は豹変したわけだ。そんなときは、このプラスティック容器で、頭をこづくと、いまではこづく真似をしただけでも、ちじみあがりますよと、容器をかざすと、たちまち床に這うのだった。その姿がこっけいでおもしろいので、みんなで笑えるのだった。

 そのわけは、かんたんであった。僕は最初、この容器でたたいても痛くないということで、脅しに使ったのだったが、後で自分の頭を軽くたたいてみると、まるで
かなづちでたたかれたような衝撃を感じたのだ。ほらどうですと、3人の頭にあててみると、ほんとにと、びっくりした。それをしらずにぱんぱんぱんとやったもんだから、小鉄は飛び上がったわけである。そして、今はこれをかざすだけて、ひぇーっとばかりうづくまるのであった。

 ほんとにかわいそうなことをしたと、思う。しかし、あのやろうもこのやろうも
こんな目にあわせたいやつがいっぱい、人間にはいるのに、それが出来ないのが、残念である。どいつも、こいつも、がーんといきたい、がーんとね。そう思う。
コメント (3)
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人生横丁・路地裏

2008-05-11 | Weblog
 ぼくの思いつきのちょっとレトロ風なタイトルで、気になるが、今週の土・日に宮崎市の中心市街で、神谷君のアート・ライブ展が開催される。神谷君、よくやった、資金もなく、実行委員会もなく、たった一人で、場所を探しだし、協力者を集め、当初のゴールデンウィークの開催から一週間遅れで、実現の運びに漕ぎ付けようとしている。おめでとう。これいいのだ。後はどうでもいい、気にするな、たぶんわかる年寄りやメディアは皆無だよ。「サルママ」アート・ライブ展」だからね。

 「サルママ」は、神谷君らが1995年から1998年にだしたタウン・ミニコミ誌だ。これは、それまでになかった、ほぼ完璧なサブカルチャーであった。この詳細については、これから、当ブログで展開していくので、今は、それだけで読者諸氏はそのイメージをサブカルチャーとして想像してほしい。

 そのミニコミ誌が匂いたてたのは、猥雑、混沌、エロ・グロ、ナンセンス、不良性、いわゆるごみのような日常生活から排除されるものを、いっぱい盛り込んだ、
顔をそむかせる激しい若者の自己表現の塊であった。それでいて、冷静な批評精神
それでいてある美しさ、また都市のなつかしさをもたたえたものだった。だから、それを人生の横丁、路地とたとえてみたのだ。

 では表通りとはなんなのだ。それは国際音楽祭であり、フラワーショーであり、
宮崎総踊りであり、ほかほか弁当のような過不足なくパックされた巡回美術展など
である。ここに若者たちは飢えを覚えているのだ。それらは、若者の精神の谷間にははいりこんでこない。いや、ぼくら一部の年寄りたち、おおくの30台の独身女性たちにも。日光の大通りに文化はある、しかし、文化とは人間の生き様そのものであり、生態的な様相をいろこくとどめていなければ、ならない。つまり、いわゆる良識・風俗の反対の隅のほうにもあるのだ。

 そういうサブカルチャーは大都市では、生息していけるが、宮崎市ではほとんど不可能に近い。駄菓子屋にこともたちが群がってくるのは、ほとんだだれもしらないだろうし、みたこともないだろう。そんなことの大事さを、われわれはもういちど再発見する必要がある。「サルママ」展は、ぼくにとっては、こういう動きとして意味があるのだ。その成否は、どうでもいい。やるということ、金もなく、組織もなく、街の片隅で、生息の息吹をあげる、あげたことだけで目的は達成したと、ぼくはエールを献じよう。

 そのポスターは、ブログ「完全宮崎主義Mの日記」にあるので、このキーワードで検索すればおめにかかれよう。では、好きな人は参加されたら面白いでしょう。
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生活の単純化

2008-05-08 | Weblog
 生活を可能なかぎり単純化すること、冠婚葬祭、病気見舞いいっさいお断り、同窓会、イベント、お祭りいっさい参加せずなどなどを念願としているが、その決算はいかなるものになるのだろうか、だろうかでなくて、やらねばと思う。

 休日があけると、きゅうに忙しくなった。仕事でなくて、遊びであるけど、ここにも人との関係があるのだ。そうだ、単純化は人を避けることがベストである。勿論孤立ではない。空気が読めないからではない。そうそう、ぼくに新しく世話し始めた子犬「子鉄」が出現した。シーズの雑種であるが、おそろしく人なっこい。それでまわりに人が数人もくると、懸命にそれぞれに奉仕を均等にやるのだ、均等に抱かれる。近所で出会った里帰りの夫婦より、気配りがあるのだ。犬のほうが人間より気配りがあるのだ。そう、犬に負けない気配りを抱きながら孤立していきたいのである。

 一人でいると、単純に気持ちがいいからである。エネルギーの効率化ができる。それにしても今更ながら思いだしたが、宮崎市のコミュニティ税、醵金500円である。コミュニティ、なにを偉そうに笑止千万な、あんなことをかんがえだすやつの頭の構造はどうなっているのだろうか。犬の頭以下ではないのだろうか。現代という状況がまったくわかってないのである。

 今年の第一四半期も終わった。犬に負けない生活の単純化を図らねばと思う。
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ゴールデンウィークが終了

2008-05-06 | Weblog
 今朝、もう習慣でしかないまま。毎日新聞を朝食をしながら、開いてみると、いきなり社会面の右上4分の1をしめた「もう払えない」のおお見出しが、目に飛び込んだ。71歳の人の事情であった。本人は聴覚障害で、肉声での会話は困難だという。長男は知的障害者者で施設暮らし、次男は重症心身障害者で施設に入所中、91歳の母親は、有料老人ホーム暮らし、奥さん66歳と二人で新聞を配って、年金を合わせて生活しているが、ぎりぎりの生活でこれ以上の医療は払えないため、高齢者医療の加入拒否をしたという内容であった。

 なにが、ゴールデンウィークだよ!休みどころの人生も無い人々もいるのだと、想像もできなくなっていた、脳の埃まみれの状態にぞーっとするのだった。3日には、お好み焼きの店「しぇ・こぱん」で、ゆったりした気分でランチを食べながら、これから街をほっつき歩くと、話をしていると、うらやましいなーと奥さんが言うので、お世辞でしょうと受け流していた。何もうらやましがられることをしないのが、ぼくの誇りでもあると勘違いしていたのだ。思えば夫妻にも休みはないのであった。

 4日は、綾までサイクリングしながら、かんがえてみた。旅行とは、相対的なものであると、つまり北海道ツアーも、ドイツローマン街道ツアーに比べると、小さなツアーであろうし、しかし、北九州温泉めぐりと比べると、大きな北海道ツアーである。霧島温泉日帰りとくらべると、北九州温泉めぐりは豪華である。しかし綾サイクリングからみるとき霧島温泉日帰りは、贅沢である。午後にイオンモールで
遊ぼうかとくらべると、綾サイクリングは、はるかにどこかに旅したほどに空間は
ひろがる。つまり自転車も旅足りうるのである。

 というわけで、サイクリングというのも、くせになるのだ。その日は、コースをそらしたので、初めて見るような光景を楽しめた。生垣の200メートルもつづく通り、その角の西洋館の前の花畑で作業する初老の夫婦、まさに西洋の風景だ。いったいどこなのか、すぐ右は小松川沿いなのだ。ややあると、ここが小松台団地の東北涯に沿った縁だとわかった。予期せずに出会える風景の変化は、息もつかぜず面白い。

 そして思うのだ。新聞で報告された富山市の新聞配達店勤務の中崎宗夫(71)さんには、どんなにしてもぼくがやったほどの行動も暇も見つけ出せないだろうと思うと、胸が痛む。しかし、この程度の行動と自由が保障されるのが、国家というものではないのだろうかと。サイクリングを楽しむのも、このままでは恥ずかしい。
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0円ハウスの空間

2008-05-05 | Weblog
 ホームレスの建てた住居、0円ハウスと、駄菓子屋さんが似ているというと、駄菓子屋さんに失礼という気もするが、その空間の雰囲気というか、人間くささ、秘密基地的な親密感が似ているのだ。坂口恭平の本には、詳細な平面図や、立体図が
建築家の記述で再現されていた。その図面を見るのも楽しい。
 
 ひさしぶりに駄菓子屋を訪ねた。もう宮崎市で残存しているのは、ここくらいだとおもう。小戸小学校の校庭南側の道路沿いにある。なんとか文房具店と消えかかった看板のある平屋である。おばあちゃんと呼ぶには、わかわかしい上品な美人の
おばあちゃんは、健在であった。もう80歳になりましたよと、いわれても老いたという感じはしないのだ。

 昼ちょっと前だったが、一坪くらいの店先には、つぎからつぎへ小学生から中学生までが10円、20円のお菓子やカード、だいがいがくじつぎなので、そのあたりくじの引き換えと、めまぐるしく忙しい。それが、30分経っても、かわらず、やがて一時間になってもつづき、終わりそうも無い。ぼくもおばあちゃんと話がしたかったが、そのあきがみつからないのだ。その一瞬のすきをついて、おばあちゃんは、外の自動販売機から缶コーヒーを買ってきて、ぼくの手に渡して、こんな風なんですよと笑うのだった。

 今では小戸小学校や西中の生徒ばかりでなく、大淀や波島あたりからも、こどもたちがうわさを聞いて、やってくるようになったというのである。さもありなんだろう。小学校や銭湯の近くにあった駄菓子屋さんは、ことごとく姿を消したのだ。

 広さ一坪の店には、100種くらいのお菓子や飲み物、なかにはするめの足、小さなラーメン、ジュースなどもある。くじがついているのがほとんどなので、交換や
ごまかしの防止などで、その商品の配置も工夫がされ、ほとんどが、動かずに手にとれ、監視されコントロールされているようだ。それにちょっとおしゃべりもできる一メートルほどの木製のベンチもある。この空間は、きわめて合理的である。

 だが、この密集空間は、ひどくこどもたちを魅惑するようである。するめの足
2本頂戴といって、それをおいしそうにしゃぶりながら、他の物色する女の子、一個20円のラーメンにお湯をそそいてもらったりする男の子がいる。家庭で、するめの足や、湯のみ茶碗いっぱいくらいのラーメンをたべるのだろうか。まさに駄菓子屋の空間が、その満足感をあたえているわけだ。

 どんなこどもも、きれいな財布や、小型のバッグからお金を出し入れしていて、裸銭をポケットからだすような子どもはいなかった。小遣いも十分だし、消費生活にもなれているようだ。そんなこどもの消費を満足させているのが駄菓子屋の空間であり、その空間も0円ハウスにどこか類似しているのである。

 消費とはなんなのだろうか。思いはさらに走っていく。

 写真はクリックしてください。
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仕事やめようぜ!

2008-05-03 | Weblog
 先日、仕事を止めるために、今の収入の半分で生活するという案を話してみた。年収200万円以下は下流社会の住民と三浦展は定義するが、その半分ならどうなるのかということだ。ぼくの案は、金額とは関係なく、たとえ10万円なら5万円、5万円なら2万5千円にするということである。
 
 そんなばかなことができるかと、笑われるのが落ちだというかもしれない。ただ、笑うまえに頭をひねってほしい。10万円で生活している人は想像できる。では2万5千円で生活している人は想像できないであろう。この半減の提案は、あくまで
2万5千円であろうと、なかろうと、今の収入で生活しているものを対象としているわけである。

 こんなとき、この仮定を裏付ける本に、じつは出会えたのだ。
  
  『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(大和書房) 坂口恭平著
 
 隅田川岸辺に青いビニールシートのハウスに暮らす鈴木さんの0円で住居を建て0円で生活する生き方のドキュメントである。なんだホームレスの話かと、そっぽむくやつは、常識という沼に落ち込んだ自分をまず嘲るべきであろう。ここにある物語は、日本人ばなれしたその合理性、日常のすみずみ、ハウスの一品に至るまで、合理的に整えられ配置された合理性、それはまさにドイツ人の家事を連想させる。
60歳をまじかにひかえた鈴木さんは、ガールフレンド同棲し、かつ彼女とかんぺきな家事、仕事を分担して生活を楽しんでいる。

 アルミ缶を拾った収入にしているわけだが、拾いまわるのでなく、純粋な正直さ、知的な魅力ある話し振りや行動力で、テルや会社の当事者とうまく契約して、朝と夜2時間ほどの労働で、現金収入5万円余を得られるようにしている。これをすべて自炊の食材に投じている。そうなると、多忙なサラリーマン家庭より、栄養たっぷりの美味しい食事が可能となる。時間はたっぷりあるし。まわりの仲間とのふれあいも過不足なしで日日も楽しい。

 著者の坂口恭平は早稲田の建築を卒業した建築家なのだが、もともと0円でたつホームレスの家「0円ハウス」に住居の新しい概念をかんがえてきている青年であるわけで、鈴木さんの生き方は、さらにライフスタイルを再考させる契機になった。

 生きるとは、つきつめればこういうことではないのだろうか。意にそわぬ仕事で組織畜、社畜となって自己崩壊するまえに、人間とはなにか、なんのために生まれたのかを考えれば、生活費を半減して、仕事をやめようぜ!ということは,本気で
たった今から取り組まねばならぬ課題であろうとおもう。
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格闘競技、熱エネルギーの第一法則

2008-05-01 | Weblog
 拳の打撃、蹴りの衝撃力は、試合中に三分の一ほどに弱まっていた。その消えた
エネルギーにどこに行ったのか、なんに変わったのか。これらを足すと熱エネルギーの第一法則で、始めのエネルギーと同じになる。

 パンチもキックもサンドバッグでなく、攻撃する相手は機敏に動き、当てさせない。相手からもパンチ、キックが瞬時に飛んでくる。それを避けねばならない。攻撃はこの複雑な条件の絡み合いのなかで、やらねばならない。こぶしや足だけに集中できない。体は防御に、相手の動きを読む動きに、しかも一瞬に、一回切りのパンチとキックをくりださねばならない。この複雑な動きの中でエネルギーは分散され、弱まっていく。まさに試合中の攻撃は、さまざまの意思の総合的な結果である。ぶら下がって静止しているサンドバッグを打撃するような単純ではなかった。

 意思が分散すると、それほど力は弱まるのかと驚きだった。あれなら、ひょっとしたら、ぼくでも打撃に耐えられるかもしれないと思えた。人間の意志の集中力がいかにすごいものであるかを、目の当たりにしたのであった。

 ではなにが競技で勝つ条件になるのだろうか。この複雑な攻撃条件のなかで、確実な打撃は、体が覚えこんだ正確な動き、リズミカルなステップ、体の回転、腕や足の合理的な運動、そんなテクニックの基本が一瞬にできるという攻撃力であろうか。それは、衝撃力やスピードだけでなく、基本通りの体の動きであろう。
 
 さらに理論的にいえば、打つよりも打たれないことのほうが、試合に勝つ条件は有利である。一発もうたれないなら、悪くて引き分け、一発でも当たれば勝つということになる。

 ボクシングというのは、なんと理論的ではないか。ところで、この格闘技は
もちろんボクシングではなく、打ち合いよりもレスリングのように押さえこむのが
試合中のほとんどであった。ただ、ぼくにとっては、打ち合うところにだけ、興味を引かれたのであった。

 世界チャンピオンの出るボクシングの試合を、なんとしてでも観たくなった。そこには、もっとも理論的な動きが感じられるのではないか。そして、人の集中力とはなんであるのかを、教えられるかもしれないと思う。今、ぼくに不足しているのは、この集中力そのものだからである。



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総合格闘技

2008-04-30 | Weblog
 この日曜日に、ぼくは総合格闘技の競技会を市の体育館に見に行った。4月から宮崎市のロッキージムでコーチをしている知人の紹介で、ここをときどき見学におとずれるようになって、にわかに興味がわいてきたからであった。

 サンドバッグをたたく、蹴るのキックボクシングの練習をみて、その威力にぶったまげていた。あんなパンチやけりをくらったら、骨も折れ、からだも2,3メートルはぶっとばされるとしか思えなかった。スピード、打撃力は、じかに見ると、人間業とはおもえぬほどだ。試合では、おたがい、この攻撃にどう対処していくのだろうかと、ここがどうしても見たくなったのであった。
 
 そこで、でかけてみた。宮崎市にこれほどのジム、塾、道場、会などと名乗る練習場が開かれているとは知りもしなかった。会場には筋骨隆々の選手たちが、すでに試合のまえの練習をしていた。どす、どす、バシッと、バシッとの打撃や蹴りが
構えられたグローブに叩き込まれていた。

 一般客は、ほとんどいずに関係者ばかりにおもえ、ぼくなんかがここにおっていいのかと不安であったが、どうしてもじかに見たくて、リング(四角いマット)の
縁に座ると、とたんにどっと、まわりの人もよってきて、ホット安心した。

 こうして試合が、まさに目の前ではじまったわけである。

 やっぱり現実は想像とは違っていた。これは、見てみないととてもわからぬことであったが、練習と試合は別の世界であると分かった。この違いがじつにおもしろかった。簡単に言えば、サンドバックをたたく打撃力、キック力の衝撃は消えてしまうのであった。この消えるということが、またおどろきであった。なぜだ。これが現実と想像の違いと、ありありとわかりそれが凄く興味をひくのであった。
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