今年の連休は、北朝鮮が韓国に特殊攻撃をしかけ、数分間で、韓国を火の海にすると北朝鮮国営テレビで対外に流しつつけるという、まるでマンガの戦争を地で行くような宣言があった後でスタートする。ゴールデン・ウィークの直前となったが、週末は終末にならずに済むかのようにテレビは、この状況も、あっというまに、過去のシーンとなっている。脅しというか狂気というか、あまりにもばかばかして、ほっとけばいいはずなのに。これで、北朝鮮国家のストレスが発散していけば、それはそれで結構な話ではないかと思う。
そこで、ハリウッド映画;ダイハードの連想に入るのだが、この娯楽作品は火の海連想があり、いかに死をくぐりぬけて、命を永らえるかという大逃走劇のスリルが売りになっている。つまり die hard (なかなか死なない)である。ここで、ぼくの主張する連想とは、「ダイハード」を「大ハード」にすることなのである。つまり、Big Hardwearとすることである。この場合のハードは、ソフト・ハードにおけるハードである。つまり、大ハード、それはそれは入れ物だけ立派で中身は空っぽという意味連想である。巨大な各地の公共文化施設、博物館、美術館、図書館などの建物に入った瞬間に「大ハード!」連想を持つ。あるいは内心の驚き、嘆声を、ダイハードと叫ぶことにしようということである。世界の中心で、愛でなくダイ・ハードを叫ぼうという運動である。大ハードとは、まさにこれらの施設を認識できる一つの視点、要約にすることができるのだ。
たとえば一例を挙げれば先月、ぼくは宮崎市西都市の日向古代史博物館に入ったのだが、その施設のダイハードぶりに、ここもまたそうであったかとのダイ・ハード感を深めたのであった。今も印象に残っているのは、宝石を埋め込んだような階段がある。土足で昇降するだけの階段をこれほど磨き上げるダイ・ハード情熱に感動すら覚えたのであった。展示室は地下室であったが、展示物の土器が分類されて、ケースが並んでいるが、その何十というケースの前にそれぞれパソコンがうやうやしく備えられコンピュータ操作を要請されていた。そんな暇は無かったが、それなしには、展示物の内容は分らないようであった。縄文土器がどこから出土して、年代は西暦何年なのか、その場所は、どんな集落があったのか、なにを食っていたのか、何人いたのか、そんなことは、さっぱりわからなかった。あるとすれば、背後に絵画による古代人の生活が、まるでエジプトを扱うSF映画のように何十メートルと描かれ、誇張に満ちた文学的な説明が、抽象的な形容詞まみれで書かれ、まさにへぼ詩人が自己顕示そのままのゲイ術を吐き散らしたようなダイ・ハードが、レアル縄文土器をおおいつくしているのであった。
もちろん、これは西都市の博物館ばかりでなく、ダイ・ハードは、鹿児島にも熊本にも福岡にも累々として誇らしげに、文化の大誇示として廻りを睥睨しているのであった。それらが、どうあろうと、ぼくの生活に関係はなかったのだが、ただ一つの物悲しさは、かってみた、ささやかな、それだけに親身になって地方の文化遺物が見られたのが、何の装置か分らぬガラスケースに収められ、点滅する光や、移動する背景のなかで萎縮され、風化されてしまったりするおおくの展示例に遭遇することであった。これらが誇示してやまないのは、レアル展示物でなくて、ダイ・ハードがすべてであるという幻想である。
思えば、われわれ日本人は、入れ物が立派であれば中味も立派であるという肯定感から、そう簡単に逃れられない。田舎であれば田舎であるほど、文化というレアルをダイ・ハードで多い尽くして入れ替えてしまいたがる。そう、それは戦艦大和を作った心魂の伝統であろう。戦艦大和があり、世界最大口径の艦砲をもつ大和はそれが中味であったのだ。あの戦艦に代わる、潜水艦、航空機は、「小さなもの」は、内容としてイメージできなかったのだ。内容、すなわち戦闘能力というソフトでなく戦艦大和というダイ・ハードで世界は完結し、米国の航空機と潜水艦によって沈没された。その歴史的伝統観念は、われわれのなかに、生きている。それこそハリウッド映画ダイ・ハードそのままである。現実は、いきられなかったが。ここからダイ・ハードという容器否定にいたる認識方を身につけることはなかなか難しい。頭で理解できても行動は別になる。政治、経済、集団社会の一切の日本的社会状況がからみついてくるからだ。
しかし、せめて連休中、小旅行で訪れたさまざまの公共施設で、ダイ・ハード連想を認識脳にしてみたい。日本人の大部分にダイ・ハード観念がいきわたっていくことが差し当たり可能性に繋がるかもしれないと思う。
そこで、ハリウッド映画;ダイハードの連想に入るのだが、この娯楽作品は火の海連想があり、いかに死をくぐりぬけて、命を永らえるかという大逃走劇のスリルが売りになっている。つまり die hard (なかなか死なない)である。ここで、ぼくの主張する連想とは、「ダイハード」を「大ハード」にすることなのである。つまり、Big Hardwearとすることである。この場合のハードは、ソフト・ハードにおけるハードである。つまり、大ハード、それはそれは入れ物だけ立派で中身は空っぽという意味連想である。巨大な各地の公共文化施設、博物館、美術館、図書館などの建物に入った瞬間に「大ハード!」連想を持つ。あるいは内心の驚き、嘆声を、ダイハードと叫ぶことにしようということである。世界の中心で、愛でなくダイ・ハードを叫ぼうという運動である。大ハードとは、まさにこれらの施設を認識できる一つの視点、要約にすることができるのだ。
たとえば一例を挙げれば先月、ぼくは宮崎市西都市の日向古代史博物館に入ったのだが、その施設のダイハードぶりに、ここもまたそうであったかとのダイ・ハード感を深めたのであった。今も印象に残っているのは、宝石を埋め込んだような階段がある。土足で昇降するだけの階段をこれほど磨き上げるダイ・ハード情熱に感動すら覚えたのであった。展示室は地下室であったが、展示物の土器が分類されて、ケースが並んでいるが、その何十というケースの前にそれぞれパソコンがうやうやしく備えられコンピュータ操作を要請されていた。そんな暇は無かったが、それなしには、展示物の内容は分らないようであった。縄文土器がどこから出土して、年代は西暦何年なのか、その場所は、どんな集落があったのか、なにを食っていたのか、何人いたのか、そんなことは、さっぱりわからなかった。あるとすれば、背後に絵画による古代人の生活が、まるでエジプトを扱うSF映画のように何十メートルと描かれ、誇張に満ちた文学的な説明が、抽象的な形容詞まみれで書かれ、まさにへぼ詩人が自己顕示そのままのゲイ術を吐き散らしたようなダイ・ハードが、レアル縄文土器をおおいつくしているのであった。
もちろん、これは西都市の博物館ばかりでなく、ダイ・ハードは、鹿児島にも熊本にも福岡にも累々として誇らしげに、文化の大誇示として廻りを睥睨しているのであった。それらが、どうあろうと、ぼくの生活に関係はなかったのだが、ただ一つの物悲しさは、かってみた、ささやかな、それだけに親身になって地方の文化遺物が見られたのが、何の装置か分らぬガラスケースに収められ、点滅する光や、移動する背景のなかで萎縮され、風化されてしまったりするおおくの展示例に遭遇することであった。これらが誇示してやまないのは、レアル展示物でなくて、ダイ・ハードがすべてであるという幻想である。
思えば、われわれ日本人は、入れ物が立派であれば中味も立派であるという肯定感から、そう簡単に逃れられない。田舎であれば田舎であるほど、文化というレアルをダイ・ハードで多い尽くして入れ替えてしまいたがる。そう、それは戦艦大和を作った心魂の伝統であろう。戦艦大和があり、世界最大口径の艦砲をもつ大和はそれが中味であったのだ。あの戦艦に代わる、潜水艦、航空機は、「小さなもの」は、内容としてイメージできなかったのだ。内容、すなわち戦闘能力というソフトでなく戦艦大和というダイ・ハードで世界は完結し、米国の航空機と潜水艦によって沈没された。その歴史的伝統観念は、われわれのなかに、生きている。それこそハリウッド映画ダイ・ハードそのままである。現実は、いきられなかったが。ここからダイ・ハードという容器否定にいたる認識方を身につけることはなかなか難しい。頭で理解できても行動は別になる。政治、経済、集団社会の一切の日本的社会状況がからみついてくるからだ。
しかし、せめて連休中、小旅行で訪れたさまざまの公共施設で、ダイ・ハード連想を認識脳にしてみたい。日本人の大部分にダイ・ハード観念がいきわたっていくことが差し当たり可能性に繋がるかもしれないと思う。