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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

教員を納得させるレポートを書いてほしい

2006-01-20 06:05:17 | 大学
跡見女子大学ではどの科目もまだ秋学期の授業が継続しているが、玉川大学では一足先に「アートマネジメントⅡ」の授業が終了し、17日の最終授業のときにレポートを提出してもらった。

この科目は、3年生以上しか履修できない科目で、昨年も今年も履修者が少ない(今年は聴講者1名を含めて14名)。その分、教員としては授業はやりやすいわけで、教える側としては、なかなかよい感触だったし、レポートも全員が無事提出した。

レポートの課題は、「興行を成功に導く方法について、本講義で学んだことを整理し、自分なりの考察を加えた独自の理論として提示しなさい。さらに、興行が成功した場合でも依然として残るアートマネジメントの課題について、あなたの考えを(短く)述べなさい」というもの。(これは昨年と同じ。字数は、1600~2400字)

いま採点を終えたところだが、やや残念なことに、かなり多くの学生のレポートには、そこに書いてある内容について、それが正しい記述であるのかどうか、採点者である私に判断できないものが多く含まれている。

「多分、学生の言っていることは正しいのだろう」、と私が思うような(常識的にそのように推測してよいだろうと思われる)事柄であっても、「何故、そのことが正しいと言えるのか」が明示的に(根拠を示して)レポートの中に記述してなければ、そのレポートは評価することが出来ない。
つまり、レポートには、「自分にとって正しい(と思われる)内容」を書くのではなく、「読み手にその内容(事実や意見)が正しいことを納得してもらえることがら」を書かなければならない。
(教員が講義で述べたことについては、教員は当然すでに「納得している」わけだから、それについてはレポートの中で根拠をいちいち示さなくてもよいこともありうるが、それでも、一般的に広く了解されている事柄以外については、根拠をひとつづつていねいに示すべきである。)
特に、個別具体的な「事実」(例:ある特定の公演が大当たりしたかどうか、など)については、どこにその根拠があるのかを示してもらわなければ(例えば、新聞報道等によってそのことを示す)、採点者はその記述の当否を判断できない(したがって、その分だけマイナス評価になる)。

このことに学生全員が気がついてくれると、採点する側としても嬉しいのだけれど。

今回、レポートの課題を説明するにあたって、このブログのことも紹介しておいたので、執筆にあたって以下のような記述を参照してもらえばよかったのに、と思う。

→ (参考)不出来なレポートは何故不出来なのか (2005/08/04)

→ (参考)「そうではない可能性」への想像力 (2005/07/21)

さて、採点結果を見ると、男子学生の成績があまりよくない。
これは昨年も同じだった。少数でも高得点の男子がいればよいのだが、何故か例外がいない。

これだと何だか私が意図的に女子学生だけをえこひいきしているように思われないかと気になって(笑)、男子学生のレポートを再度見直してみたが結果は同じ。

男子学生も、彼らなりに真面目に取り組んでいるように思うのだが、レポートを読んだかぎりでは、どうも「読み手を納得させる」ことに対する「ていねいさ」(論理的なていねいさ、という意味)についての意識が不足しているのではないだろうか。






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日本文学の革命 (関場)
2006-01-20 06:42:55
「日本文学の革命」という文学運動をやっている関場というものです こんにちは

(「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください)





「日本文学の革命」も一種の「興行」かも知れませんね(笑)



ただ金儲けでやっているものではなく、日本文学を復興することが目的でやっているものですが



「日本文学の革命」

興行的に見て成功すると思いますか?

僕は成功できると思ってますよ



「日本文学の革命」は日本文学を復活させるために行っているものです

どうか応援お願いします
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