興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

小さなふたつのブーケ

2024-09-09 | 戯言(たわごと、ざれごと)

ご注意: 自殺をテーマに扱ったエントリーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日の日曜日は、横浜で出張カウンセリングの仕事があったので、一か月振りに、横浜に行った。

 最初のセッションは9時半だったが、横浜駅に着いた時、それまで一時間以上余裕があったので、ずっと気になっていた横浜駅西口のNEWoMan前の広場に向かった。

 そこで、8月31日の夕方に、千葉県の女子高校生が飛び降り自殺をし、下を歩いていた32歳の会社員の女性が巻き込まれ、ふたりとも亡くなってしまった、という痛ましいニュース記事を一週間前に読んでから、そのことがずっと頭から離れなかったのだ。

 具体的な場所までは知らなかったけれど、広場に行くとすぐに、たくさんの花束やペットボトルの飲み物のお供え物が置いてある一角が視界に入ってきた。

 自分はなんだか胸が締め付けられる気持ちでそこに行き、手を合わせていたら、涙が溢れてきて止まらなくなりそうになり、何とかこらえて、とりあえずその場をあとにした。

 何かお供え物を、せめてお花でも、と思ったけれど、早朝の横浜駅近辺は、どの花屋もお店も閉まっていたので、仕事が終わったらまた戻ってくることにした。

 セッションは7件フルに入っていて、今回も、一つひとつのセッションが充実したものだった。

 すべてのセッションが終わった後、いつもは心地よい疲れで満ち足りた気持ちになるのだけれど、今回は気が重かった。

 

 

 いつものことだけれど、日曜日の夕方の横浜駅周辺は、とても活気があり、人々でごった返していた。

 昔から、横浜駅を歩いている時、視界に入ってくるいろいろな人たちを見るのが好きだ。ここには老若男女、本当に様々な人たちがいて、いろいろな表情の、いろいろな出立ちの人たちがいて、そこには自分の知らない本当に数えきれないほどの生活と人生があるのだと感じる。とにかく自分は人間が好きで、人々の人生やその人間の営みに、強い興味を持っている。

 でもその時自分の頭の中にあったのは、会ったこともないふたりの女性のことだった。

 お供え物は何にしようか、ふたりは一体どんなものが好きだったのだろう。飲み物はもう本当にたくさん置いてあったし、ぬいぐるみは濡れてしまってはかわいそうだ、お菓子は虫が湧いてしまうかもしれない、烏など来るかもしれない、化粧品などは違うと思う、なんだろう、やはり花がいい、と、一件目の花屋に行ったけれど、ピンとくるものがなかったので、何も買わずに、その花屋をあとにした。本当は大きな花束にしたかったけれど、いつか片付ける人が大変だとも思い、小さなブーケがいいなと思って、2件目の花屋に行ったら、イメージしていた小さな花束がたくさんあって、安心した。

 そこでまた、ふたりのことを考えた。

 その女子高校生と、32歳の女性は、一体どんな人たちだったのだろう。当たり前だけれど、分かるはずもない。それでも考えた。ふたりはどんなものが好きだったのだろう。好みもまた違うかもしれない。全然分からなかったので、時間を掛けて、2つの異なった種類のブーケを選んでレジに持って行った。店員さんに、「ご自宅用ですか?」と聞かれ、はっとして、一瞬迷ってから、「あ、ギフト用でお願いします」と伝えた。

 店員さんからそのふたつの小さなブーケを受け取ると、軽いはずのその小さなブーケたちがとても重く感じて少し驚いた。何とも言えない複雑な気持ちで、その重いブーケを持って、今朝行った広場に向かった。

 朝はひと気の少なかった、広場までのその通路は、ものすごい数の人々でごった返していた。

 一週間前の土曜日も、きっとこんな感じだったのだろう。

 自分のしていることはどうしようもない自己満足であることは重々分かっていたけれど、それでも、とにかくふたりのためにどうしても何かをしたかったのだ。

 

 広場に着いた。

 他にもだれか手を合わせている人がいるかなと思ったら、その周りだけ、心持ちがらんとしていて、手を合わせている人はいなかった。

 ずらっと並べられたペットボトルとたくさんの花束を目の前にすると、そこはなんだか横浜駅の雑踏とは切り離された異空間のようで、少し空気が薄く感じた。背筋がぞっとして、うまく言葉にできない寒気を感じたけれど、ふたりの死に向き合わなければと思ったら、そうした感覚は消えていった。

 びっしり並んだお供え物たちのなかに、ちょうどよいスポットを見つけて、持っていた2つのブーケをそっと置いた。すると、自分が置いたブーケのちょうど隣に他の誰かが置いたブーケが、自分が持ってきたブーケのひとつと同じものであることに気づいた。会ったことのないその誰かも、きっと自分と似たような気持ちだったのかもしれないと思い、なんだか少しだけ嬉しかった。

 目を閉じて、手を合わせて、ひたすら祈った。ふたりが、痛みや苦しみのない、楽しい世界で、ずっとずっと幸せに暮らせますように、残されたご家族やお友達が、どうにか守られますように、どうにか少しでも癒しがありますように。

 再び涙が込み上げてきたけれど、そこには本当にたくさんの人がいたので、再び涙をこらえて、ゆっくりとその場をあとにした。

 少し離れたところでなんとなく立ち止まって、高くそびえたつピカピカのNEWoManをしばらく見上げて、深いため息をついて、再び歩き始めた。

 

 高校3年生の、ちょうど2学期が始まるタイミングで、こんな賑やかで楽しい繁華街で、彼女は一体どんな気持ちだったのだろう。これだけたくさんの人が歩いていたら、誰かを巻き込むことになってもおかしくないのに、きっとそんなことも考えられないほどに思い詰めていたのだろう。分からないけど、計画的にそこから飛び降りたんじゃないだろうと思った。ちょうど、電車に飛び込む多くの人たちのように。

 それから、巻き込まれてしまった32歳の女性。正直、彼女が一番気の毒だと思う。その女性は、会社員で、お友達3人と一緒に歩いていたという。32歳と言えば、自分がアメリカで博士号を修得した頃だ。きっと、まだまだ本当にたくさんやりたいことがあったはずだ。日本人女性の徒歩の平均速度は秒速1.3メートルだという。ほんの1、2秒違っていたら、などとどうしても考えてしまい、また、もし自分の身内にそんなことが起きたらと考えてしまい、どうにも胸が苦しくなり、何とも言えない気持ちになった。一緒に歩いていたご友人やご家族の気持ちは想像もできない。考えただけで発狂しそうになる。

 

 こうした悲劇をひとつでもなくしていく事が自分の仕事だけれど、このように出会う事ができない誰かのために自分には何ができるだろうと答えの出ない問いについて考えながら、混沌とした日曜日の夕暮れの横浜駅を歩き続けた。