くるたのしき・・・スカイランナーへの道<復活!>

走ることは「苦しいけど、かくも楽しいこと」つまりは『くるたのしいこと・・・』と、高山を走るスカイランナーを目指した手記。

マスターズ陸上競技大会 inエコパ

2010-10-30 00:07:19 | 陸上競技

10月 3日 上々の天気に超回復!

マスターズ陸上競技選手権大会がエコパスタジアムで開幕した!

前日には三島陸上JC祝勝会を盛大に開催し、レース前には絶対に飲んではならないビールを、グビグビと格好だけは遠慮しつつも、実はしこたま飲んでしまっていた。朝起きて、体調が優れず(車で行かずに)JRで行こうか?!と真剣に悩んだほどのBadなコンディションだった。

2010_096 マスターズ陸上競技選手権は、選手の記録なりをHPなどで見るとき「マスターズ・まあ大したことないか?!」という身勝手な判断をしてしまう。参加する私がちょっとはそう思うのだから、結果だけ、数字だけを見るとき、陸上関係者などはまあ安易に軽いもの、レベルの低いものと一部の方は蔑んで勝手に納得さえする。だけど、このマスターズ陸上ってのは、高校生で真剣に記録を狙って陸上競技をするハイレベルの子供達以上に、ましてやちゃらんぽらんに部活動で陸上をやってる中学生などから比べると、なんど真剣に一途に陸上競技に取り組んでいくかということを見るにつけ、実に感動するし、真摯な態度になる。

2010_108 何年か前のこの競技。静岡の93歳のおじいさんが、私の目の前で三段跳びで世界記録更新!・・・しかし、追風2.1mの判定で参考記録。その直後、地団駄を踏んで悔しがり、うっすら目に涙の93歳のおじいさんを見ると、競技とは別のジンと心に感動を覚える瞬間がこのマスターズにはある。93歳の来年、94歳が、・・・あと何度挑戦できるか?を冷静に思えば、泣きたくなる気持ちはよくわかる!

そんな誇り高き「マスターズ陸上」に自己管理不足の姿勢で臨んでしまった今日の自分を恥じる。

アップをしても調子が上がらず、今日の体調不良の理由が理由だけに、いつものHさんが陸上クリニックをしていた輪にもに入れず、暫し汗だけは流した。

2010_100 2010_130 今日最大の感動の目玉は、なんと95歳の静岡のおばあさんが、かっこよくピンクのウエアを着て、60m走、100m走、200m走を完走したこと。なんてったって95歳のおばあさんが、ターサーのシューズを履き、100mのスタートラインに立ち、エコパの第2レーンを走っている。決して歩いていないで、本当に走っている姿に驚き感動した。圧巻は午後遅くの200m走にまで出場して完璧に走り、日本記録を作り出したこと。

2010_116 こんな方を見ると、記録とか順位とか、どうでもいいほどに今の陸上競技の価値観と思い入れ、陸上競技愛を超越して凌駕してしまっている。今日本一速い男が凄いのか?!オリンピックに出たことが凄いのか・・・、でもやっぱり、今を(95歳になっても)競技に参加して走れる!っていうことのほうが凄い!と思ってしまう。

多分今日の95歳のおばあさんにして思えば、前の晩にビールを飲もうが、練習不足で競技に甘っちょろく参加しようが、そんなちっぽけなことはどうでもいい事に投影されるのだと思う。大事なのは大会には参加して、いつまでも末永く、真面目に、ひたむきに、真剣に「走る」このができるということが一番大切なことなのだと思う。

今日の私は400m走にかけていた。一緒に走った三重県の選手が、なんと50秒22の日本記録更新!そんな方と一緒の組で走れたことに感動と感謝。

マスターズ競技に参加すると、純粋に陸上競技に燃える方に出会う。そんなとき、「私だって!」と改めて強く思い、来年こそは!と熱く激しく決心する強い気持をもてる。いつまでも青春、いつまでもアスリートの方々に、一緒に走って恥じない取り組み方を真剣に考えた一日となった。結果は、来年問えばいいだろう!


ラッキー!今年「も」東京マラソン・・・当選です!

2010-10-29 00:58:38 | マラソン

10月12日  深夜のメールにて・・・

期待はしていなかった。でもちょっとだけ、気になってはいた。もう2回走っていて2勝2敗の成績で、次はもう無いだろう・・・と思っていた。でもでも、(何度も落選してしまっている方々には心から申し訳ないと思いつつ)今年も東京マラソンに当選しました。

私は年間1回か2回しかフルマラソンを走らない。練習時間をなかなか取れないことと、短距離走や山岳マラソンとフルマラソンは使う筋肉が相容れないものがあって、体の(筋肉の)調整に折り合いがつかないことがその理由。

だけど苦しくもがき、頑張っている行為が好き。頑張って走り終えると身体の芯から一切合切を搾り出してしまったような、幾分捨て鉢ぎみな爽快感が大好きで、年に1度は走っている。

その年1回の貴重な機会が来年も東京マラソン。ほんとに落ちてしまった方、まだ走ったことのない方には全く申し訳ない気持で一杯。

早速今日から、ガンガンと走り始めた。12~15km/日程度が日課の距離で、今はなんとか走り続けている。目標があるって楽しいものだ!


「最後」の陸上競技の大会!・・・感謝、感謝でありがとう!!

2010-10-29 00:27:41 | 陸上競技

10月17日 曇り・・・風も気持ちよく文句のつけようがない最高の天気だった!

2010_198 第39回静岡県小学生陸上競技選手権大会が草薙陸上競技場で行われた。長女が陸上を始めてから三島陸上JCの(なんちゃって)コーチとなり、なんと・・・多分今年で12年目?となる。 この県選手権はいく度かの感動と涙の数々を重ねてきた大会。今年は次女が最終学年・勝負の6年生となり、子供と関わる小学生陸上競技大会の最後となる。勝っても負けても、小学生最後の大会。全くもって、親としては感無量。まあまあ・・・なんとここまで無事に成長してくれたものだと感心する。

天気は上々だった。風は時折吹くが、ナローで穏やかなイイ感じの風。今日参加する(6年生の)子供の保護者達は、今日の天気にホッとしているに違いない。いつも草薙の大会は憎らしいほどに向かい風の強風が常。最後の大会ぐらい追風で気持ちよく走らせてあげたいと思うのは親心・・・。

今日はなんでも「最後」というフレーズで考える。今のリレーメンバーで走るのは今日で最後。実のところ6年生女子は4名しかいないので、ケガ人や病人が発生したら、チームは即棄権。・・・そんな綱渡りの状況を4人がお互いに励ましあって今まで走ってきた。彼女らは大舞台の大会では1度も棄権や補欠起用などしないで、4年生から3年間、しっかりとバトンを繋いできた。結果や記録は期待されつつも、なかなか芽の出なかったデコボコチームだけど、その分は親として、長い間ハラハラドキドキと、大いに楽しませてもらったと思う。

2010_190 2010_191 2010_192 2010_194 さてさて、大会は相変わらず予選のタイムにビビリ、決勝進出のアナウンスに感動に(ウルウルの)涙。満を持して決勝を走れば、「何かやってくれるか?!」の私の期待を他所に、冷静に全く順当な走りと順位で、危なげなくバトンを繋ぎゴールしたのだった。

今日何よりも嬉しかったのは、彼女たち自身がレースを楽しめたことだろう。予選を勝ち抜き、決勝で勝負の走りをする。人に自慢できるようなタイムじゃないし、細かな失敗もあったかもしれないが、でも彼女達なりに全力を尽くしたし、その手応えみたいなものは、大会が終った後の集合写真での集まりやバスの中の騒ぎぶりに見てとれた。私はリレーのときはいつも(ゴール付近のスタンドじゃなく)、第2か第3コーナーに張り付いて、子供達に声を掛ける。だけど今日の最後のレースだけはゴール前で応援しようと決めていた。コーチとしてやるだけのことはやったし、その手ごたえもある。その余韻をまとって、最後のレースは絶対ゴール付近で見守ることに決めていた。リレー競技は実力(走力)に技術と経験が組み合わさって、これが大きくモノをいう。レースの経験から学んでいくことがリレー競技の喜びであったり面白みだと思っている。小学生の彼女達には、もはややること全て与えて教えてきた!・・・そう割り切って私の中では「今日の最終レースは楽しもう」と決めていた。当然彼女達にも同じように『今日の主役』としてしっかりレースを楽しんでもらいたい!と願い、ウォーミングアップもしてきた。そんなささやかな私の思いに、見事に応えてくれる走りを見て・・・、嬉しくなった。(多くのスポーツに言えることでもあると思うが)あえて陸上競技の「楽しさ」の実感を、少なくともその一端を、彼女達はこのレースとそこまでの過程の中に見出すことが出来たと思う。今日のレースのクオリティーは、成績や記録・結果の順位といった固定的な観念ででなく、今日の「最後の」決勝レースという行為そのものの中に流動的に、能動的に内包されているのだと彼女達の走りの中に確信できた。そんなささやかな感動の境地にたどり着くことが出来たという意味でも、親として嬉しくて、楽しかった。

2010_197 多くの大人は、スポーツってものは「趣味や娯楽・楽しみ」という観念で括られる程度と、(日々の仕事などとは別物として)捉えられるようだ。・・・スポーツは、(大人の)日々の仕事の切った張ったの修羅場とは別の、甘っちょろいものだと、人生経験豊富な大人は、実に高いところから見下ろして、大した意味を持たない、はかなく無益なもの、時には酷く効率の悪いものとしてプアに映るようだ。スポーツは仕事じゃないので、それはそれで仕方のないものじゃないか?!とも考える。そしてそんな無益なものに夢中になってる大人(コーチ)は、実に間抜けな人種、蔑みに値する輩に思えるような方も世の中にはいるようだ。

しかし、だけど子供達の陸上競技はそんな大人が思う程度の趣味や楽しみを超越して、少なくとも三島陸上JCの子供達はそんな次元を凌駕している。彼らの努力が、例えそれが実際に(能力が不足して)、底に小さな穴の開いた古鍋に水を注いでいるむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実は残る。そして彼(彼女達)の心の中には「やり続けた」という自信と誇りは確りとした核として残る。効率が悪かろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところほんとに大事なものは、ほとんどの場合、目に見えない心に中に刻まれたコアな何かなのだ。人生の中で、そうそう何度も感じ取ることの出来ない(やり遂げたという)達成感の境地は子供達のこれからの人生の中の大きく揺るぎない自信となると信じてる。人生の中で、本当に価値のあるものは往々にして、実に効率の悪い営為を通してしか獲得できないものだということが分かってもらえるのだと思う。

12年間強・・・、今(なんちゃって)コーチとして思うのは、三島陸上JCを通過する多くの子供達は、まあなんと人生の成功者として必要な奥儀を小学生にして身に着けるものだ・・・と感心し、彼らが成長を重ねることが、真に励みになるのだと感謝する。実のところ彼らの頑張りと、効率の悪い営為のサイクルに負けない挑戦が、私の気持を強くしてくれること・・・・。こんなことを思える今日のこの大会・・・、やっぱり楽しかった。

子供の成長を喜び、実感し、感動できた大会に(ちょっとだけコーチという立場で)子供達を目の当たりに出来たことに感謝。12年間の集大成というには大げさなのか、ちっぽけなのか、まあどうでもいいほどに日常的で明るく楽しい大会に・・・感謝です。


ブログ・・・再開しました!

2010-10-16 00:11:31 | うんちく・小ネタ

ブログを再開します・・・。10月15日

先日久しぶりに海に行くと、・・・「山から落っこちて、ブログが書けなくなった・・・のか?気の毒だ!」なんて心配された。また先日マスターズ陸上競技大会に参加すれば、Aさんは・・・「仕事の転勤で、遠い外国の偏狭の地で・・・、今は単身赴任で頑張ってる!・・・のか。大変ですね!!」とかと声を掛けられ、・・・富士登山競走からブログが更新されていないけど・・・と、多くの方から大変心配して頂けることを知った。ブログを更新しないことでこれほど多くの方に心配される身は、なんだかありがたくもあり、まあ私という個人を受け入れてもらえているのだなアと安心する。

ブログ中断は、実は身に起こった些細な(小学生陸上での)トラブルが原因。ブログを書く方の悩みの幾つかは、誹謗や中傷に絶えず曝されて、これを気にしつつ書き綴ることだろう。私のブログも1日平均100名ほどがサイトに訪問してもらう。コメントも承認形式ながら日に数件の投稿もあったりする。そんな中で、実は気の弱い私は、陸上関係で色々な係わり合いの中で、相当の精神的な攻撃を受けてしまったことが真の中断理由。一生懸命にボランティアで行う活動に、まあ人は(個人を全く表に出さず)一方的に理不尽な方法で攻撃をするものだ。私の心の中では文句を言った方を未だに許そうという気もないし、そもそも関わりあうことにもゴメン被りたいと切に思う。・・・のだけれど、・・・今は狭い人間関係の中では致し方ないと割りきる心の整理が少しだけついた。

(読まれている方には何のことだか分からず)・・・つまらない正論を勝手に言っているようで大変心苦しいのだけど、本当のところ・・・世の中はいろんな人がいてこの世の中が成り立っている。他人の人には他人の価値観があり、それに沿った生き方がある。私の中にも私なりの価値感があり、それに沿って生きている。人それぞれ、価値観の相違はあるが、この価値観の相違は時として細かなすれ違いを生み出し、幾つかのすれ違いの組み合わせが大きな誤解へと発展していく。・・・結果、いわれの無い非難を受けたりもする。当たり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事でないし、私の場合、本当に深く心が傷ついた。これは実に辛い体験だった。

今回の辛さや傷は、大人にとって、(またブログ人にとっては)、今のコーチという立場にとっては、・・・まあある程度必要なことだと時間を少しづつかけて、まるで耐え難いリハビリに耐えるときのように、無理にでも認識するよにして頑張ってみた。耐え難いほどのリハビリは、2ヵ月半という『時間』という妙薬が改善への手助けになった。私の書くブログは、私という個人が他人とは違った価値観と様相を見て取り、他人とは違うことを感じ、他人とは違う言葉を選んで記していく。このときに受ける心の生傷は、私の自立性がこのブログの開かれた世界に向かって支払わなくてはならないささやかな代価なのかもしれないと少しずつささやかに前向きに思えるようになった。多分これは少しも避けては通れない道筋なのだと今は考えるようにもなった。

私の価値観に従って、個人的には真っ向から一緒懸命取り組む小学生陸上競技団体のボランティア活動の中で、(影で)誹謗中傷に曝された今回の生傷は、私の心の中での弧絶感となって芯を持った肉腫のように硬くなり、これが時として、試薬ビンから零れたモル濃度が高い強酸が実験台を腐食する時のように、知らす知らずに心を蝕み溶かしていくことにあるとき気がついた。私の子供達への接し方はもっと天真爛漫であったはず・・・とか、練習中モチベーションを高めるためのU井さん流のメンタルタフネスで前向きな声かけが出来ていない自分に気がついたりもした。子供達に掛ける声にも時に棘があって、(まるで別人の誰かのようで)ハッとしたこともしばしばあった。これではいけないのだ。私の求める理想の指導図とは乖離してししまっていた・・・。

こんな状況から決別して、また以前のように純粋にマラソンやトレイルランニングやレースや、駅伝や、陸上競技の指導、仲間達とのJogなどでの係わり合いの中で自分を高める努力をして、自分にちょっとだけ妥協しないガマン強い気持を育み育てることを真に目指そうと思う。私の性格が誰かに好かれるとは決して考えていない。一生懸命に子供に声をかけた練習風景に感心してくれた人は(多分ほんの少しの実利的な利益を得たときの保護者の一瞬が)いるかもしれない。でもやっぱり好かれることは稀だ。人は利己主義だしそんなものだと改めて思い巡らし、その中でなんとか立ち振る舞っていくことに、今一度挑戦していこうとおもう。

(いつ書こうか、いつ始めようか?!と思い巡らしていたけど)今週1週間、頑張って通勤ランを続けて心を浄化してみて、今日は新たな思いでこの「ブログ再開」を記してみた。ささやかで心の広い読者だけ、優しい心で、たとえば産婦人科の病院廊下やデパートの通路で生まれたての赤ん坊を見かけたときの心穏やかな慈悲深い心で、なんとかブログを受け入れてもらえたら幸いです。