8月30日 晴れたり曇ったり・・・
マレーシアのキナバル山で開催されるスカイランナー選手権第8戦(2006年最終戦)の第20回キナバル山クライマソンに昨年に引き続きエントリーしていることを報告したい。たぶん今年のエントリーのについてをブログに書くのは、これが初めてだと思う。富士登山競争後のころ、大会の申し込みは1ヶ月前に決めていて、費用の何割かは既に入金済だった。参加については、家内をはじめ家族みんなの了解というか(一人で海外旅行に行くというわがままへの承諾というか納得)ももらっての参加なのだ。
このブログに「今年もキナバルクライマソンに行くぞ!」と書こうという気になったのは、ただ・・・なんとなく。現在は強い動機や気概があってのものでない。これからの気持ちの高ぶりと練習メニューなどは、これからのブログに多く記録として記していきたい。今年の夏は富士登山競争と、その後の富士山クロスカントリーも不甲斐ない成績だった。全く8月は大会や日々のマラソンへの情熱が薄れかけてきたのは事実。少し涼しくなって、この1週間は真面目にボチボチと夜中に走り始めた。去年は本当にキナバルを走るという熱に魘されて、完走を熱く熱く夢見て、がむしゃらに頑張って走ったことを、この夜中に走っているとふっとした一瞬に思い出す。何か秋の匂いみたいなものを感じて、「ああ懐かしい」って思うような瞬間とよく似ている。何かの匂いがあのときの記憶の断片をふっと頭の中を掠めたりするのだ。そうすると、不思議なことに「頑張らなくちゃ!」っていう懐かしい思いがこみ上げてくる。これからはこの気持ちを大切にして、大会までのあと1ヶ月間の練習を大切にしていきたいと思う。
実は今日会社のKさんがガンで亡くなってしまった。山が大好きで、会社の山歩きの同好会「山の会」を長い間一人で切り盛りして頑張ってきた方だ。私は山は「走る」ほうで歩く方々とは接点は無い。だけどこのKさんからは、数年前に親切に富士山登頂の方法や、今やホームグラウンドとして走り回っている沼津アルプスでも最初の最初はKさんから丁寧なルートマップやコメントを戴いて赴くようになったのだった。人はその早い遅いの違いはあるけどいつかは死ぬ。絶対に死ぬ。これは誰も避けては通れない摂理だ。一昨年前に飯島夏樹が死んで、彼の死に方が壮絶でもあったので、なんてガンという病気はむごいものかと思った。今回はKさん。飯島夏樹の処女作『天国で君に逢えたら』に「・・・悲しみはいつか喜びにかわります・・・。」という言葉がある。家族に対しての思いと祈りをこめた、深い深い意味がある言葉だ。今夜はこの言葉の意味をもう一度思い返して、昨年感じた”あのときの熱い熱い夜中のジョグ”をしてみようと思う。 (合掌)