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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

松涛美術館と東京都庭園美術館をハシゴ

2017年01月29日 21時43分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
    

 午後から渋谷区立松涛美術館で「セラミックス・ジャパン-陶磁器でたどる日本のモダン」と、東京都庭園美術館で「並河靖之 七宝」のふたつの展示を見てきた。
 ともに2枚ずつ招待券を貰ったので、ありがたく訪れた。招待券でなくとも松涛美術館は60歳以上は半額の250円(渋谷区民は200円)、東京都庭園美術館も35歳以上はやはり半額で550円ということであるので、招待券持参はちょっと申し訳ないような気もしないではない。
 ともにヨーロッパでジャポニスムとしてもてはやされた明治期の日本の輸出品である。ジャポニスムが1980年代以降廃れ始めた中で、アール・ヌーボーとの関係なども含めてどのように次の展開をしようとしたか、ということも併せて理解できるような展示となっていた。
 松涛美術館の「セラミックス・ジャパン」は本日までだが、庭園美術館の「並河靖之 七宝」は4月9日まで。私はとても良かったと感じた。
 松涛美術館は2度目、庭園美術館は初めて中に入ったように思う。となりの迎賓館は外から何回か見たことはある。一度は中に入って見学したいと考えている。
 ともに図録は遠慮したが、庭園美術館ではポストカードを幾枚か購入した。
 いづれも具体的な感想は明日以降にアップ予定。

A5のコピー紙

2017年01月29日 14時14分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 メールやウェブページなど私用でプリンターを使う場合はいつもA4で打ち出している。最近できるだけリュックを軽くしたいし、紙代もかさむし、プリンターのインク代もかさむ。思い切ってA4を標準にするのではなく、半分のA5として見ることにした。
 試しに幾枚か印刷してみたが、とりたてて字が小さく不便ということもない。私用では当面問題はない。小さくて困りそうなときはA4に設定を変え、トレイを外して用紙を入れ直さなくてはいけないという煩わしさはあるが、慣れれば問題はなさそうな気がする。
 早速家電量販店でA5のコピー用紙を購入しようとしたら、値段がとても高いことに気が付いた。A4で500枚が400円台である。ところがA5となると770円。たぶんあまり需要がないので、カットする手間がかかるのであろう。
 やむなく自分の家でA4をカッターで切ってみた。結構難しい。半分に折って折り目をつけてもわずか0.2ミリずれても合わせると0.4ミリのずれになる。ピタッ同じ大きさになることはない。それでもとりあえずA5を300枚ほど作った。この労力は馬鹿にならない。悩みどころである。

 さて本日は招待券を貰った松濤美術館と東京都庭園美術館へ。共に2枚ずつある。本日はあまり歩かずに保養日としたい。

「きりぎりす自在をのぼる夜寒哉」(蕪村)

2017年01月29日 11時49分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★きりぎりす自在をのぼる夜寒哉(蕪村)

 キリギリスはいまでいうコオロギ。自在は自在鉤の略で炉の上で鍋釜を吊るし上下に移動させて火加減を調節するもの。
 解説によるとキリギリス(コオロギ)は夜寒に鳴くものとの和歌の伝統的(規範的)な美意識から視覚でとらえたのがこの句とのことが書かれている。
 百人一首の「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む(後京極摂政太政大臣(九条良経))」がこの句の下敷きである。キリギリスは鳴くことでその存在を和歌の世界に登場し、寒さの象徴であった。
 現在ではコオロギもキリギリスも、そして夜寒も秋の季語として扱われるので、この蕪村の句は「季重なり」として扱われてしまう。しかし現在の俳句の季としては虫の「声」に着目した季語であり、その視覚的な姿態に着目して詠まれることはあまりない。平安の美意識がまだ現在でも生きている、といえる。この句ではキリギリス(コオロギ)の姿・形に季節感はかなり薄いといえる。和歌的世界を引き出すとっかかりとして夜寒を引き出した、という解釈が穏当なところだろうか。
 同時に暗い場所や人目に触れないようなところで生息するキリギリス(コオロギ)が、暖かい火の上に登場し、人目に触れて、そしてその生々しい姿態を晒していることへの諧謔味を感じる。ヘタをすると炉の火で焼け死んでしまうかもしれない危うい生、そして腹の膨らみや触覚の動きなどの生々しい生命観、いづれも蕪村の凝視に私は脱帽である。