Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

秋の風

2018年10月18日 10時51分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日よりもさらに雲が少なく、秋の柔らかい陽射しと適度な風が気持ちいい。台風24号の風と塩害でケヤキの葉がだいぶ少なくなってしまった。しかしこれがかえって大気の明るさを見せてくれる。ケヤキの剪定の予定はあるが、その前に風通しがよくなった。散った葉を翻す乾いた風が、音と一緒にベランダから部屋に入ってくる。小鳥の声も続いてくる。
 サクラも台風の影響で早めに葉が落ちてしまい、花が咲いているものがあると報道されていた。さっそく来年の花見は「大丈夫か」という声が出ているらしい。わずかな花でサクラ全体が来年春の開花が少なくなるほどエネルギーを使い果たすとも思えない。杞憂が多すぎる、というか、テレビ「解説者」のしたり顔・ものしり顔の「ご高説」にはあきれる。
 残念なのは、ベランダから見える紅葉が今年は葉が少なくなってしまい、楽しめないこと。

★吹きおこる秋風鶴をあゆましむ      石田波郷
★髑髏みな舌うしなへり秋の風       高橋睦郎


第一句、中学生のころ国語の先生が、B4のわら半紙に明治以降の近代俳句を目いっぱい並べて配布してくれた。どの句も気に入った。散文も韻文も気に入ったものは出来るだけ「声に出して読むこと」と「書き写すこと」を教わった。いつの間にか、気に入ったものが頭の中に自然に住み着くようになった。その住み着いた句のひとつにこの句がある。やはり釧路失言の鶴の仕草のテレビ放映の画面と重なって頭の中に住み着いている。
 第二句、これは教科書にも、教師が配布した句にも掲載はなかった。確かに髑髏それ自体は表現という行為はしない。しかし存在そのものによって雄弁にさまざまなことを語っている。それを聴くことのできる人はごくわずか。舌という当たり前のような表現手段を失っても、人は何かを語り続ける。それには「秋」の風でなければ伝わらないのだ。

 11時前に近くの眼科に行く予定。薬代で五千円札が1枚消えてしまう。月に1度とはいえ、きびしい金額である。
 
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夜寒・秋の寒さ・身に入む

2018年10月13日 23時07分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 18時過ぎから時間当たり5ミリくらいの弱い雨が降ったり止んだりを繰り返している。こんな天気が明日の朝まで続くらしい。
 夜に入り気温は寒くなってきている。昼間は半袖を着て出かけたが、今は長袖をひっぱり出してきた。
 明日の最低気温の予報が横浜市14℃となっている。最高気温は本日と同じ19℃。本当は一日休養日として寝ていたい気分である。

★しとしとと雨のもたらす余寒かな     古谷地良
★うなじ剃れば秋の寒さのしのびゐる    横田さだ子
★人の死の身に入(し)む齢となりにけり  佐藤倭子


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「冬の海」(吉野弘)

2018年10月13日 22時11分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連
  冬の海 詩集《消息》所収

吹雪のなか 遠く 海を見た。
海は荒れていた。
そして 荒れているわが 僕には
すぐ わかった。

海は 海であることを
只 海でだけあることを
なにものかに向って叫んでいた。

あわれみや救いのやさしさに
己を失うまいとして
海は狂い
海は去り
それは一個の巨大な排他性であった。

吹雪のなか 遠く 走っている海を見た。
そして
海の走っているわけが
僕には わかりすぎるほどよく
わかった。



 難しい言葉もない。海は抽象化された労働者一般ではなく、個別具体的なひとりひとりの働く者の象徴である。抽象化も一般化も、普遍化も出来ない、否そのようなことを拒否する個別具体的な意志と維持と生活を抱えた「人」である。それはちっぽけな個人ではあるが、「巨大な排他性」を持つ、「他所とは違うという強固な意志を持つ」ひとりの「人」である。多くの読者はこのことを誤解してしまうようだ。
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黄菊

2018年10月13日 20時22分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★次の世のしづけさにある黄菊かな    浅井一志

 私は大輪の菊が好みである。むかし菊花展で背の低あ,そして安い3本仕立ての黄菊を購入して以来、菊に関心を持つようになった。電車の中でひときわ黄色の色が目立ち、車内を明るくするような色合いに、他の乗客の眼が吸い寄せられたようだった。黄色の菊の大輪は、花が膨張するように見えて圧倒される。
 この黄色がこの世のものではなく、彼岸からこの世に顔を出したのかもしれない、というのであろうか。そんな気分が伝わってくる句である。次の世は、静けさに包まれた夜であった欲しいというのも理解できる心境である。次の世や、彼岸を想定していない私にも、心情的には惹かれるものがある。

 残念ながら今年の我が家のベランダには菊は咲いていない。
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本日は三日月

2018年10月11日 21時48分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は三日月。秋の三日月ということで、歳時記で月をめくってみた。

★月光にいのち死にゆく人と寝る   橋本多佳子

 目についたのは、橋本多佳子の句。1937年、経済人であった夫の死にのぞんだ頃の句とのこと。この句がおさめられている最初の句集「海燕」(42歳)には、次のような句も収められているという。
・颱風過しづかに寝ねて死に近き
・死に近き面に寄り月の光るをいひぬ
・月光は美し吾は死に侍りぬ

 私の見たブログ「知音」【⇒https://meiku.exblog.jp/11879236/】には、「「いのち死にゆく」という表現は、斎藤茂吉の『赤光』の中の母の死を詠んだ一連の歌『いのちある人あつまりて我が母のいのち死にゆくを見たり死にゆくを』の影響があるだろう。」と記載していた。
 実際の影響関係は判断できないが、だが、しかし茂吉の歌よりも、多佳子の句の方が、詠んだ心境として切実、そして身に迫る感じがする。「死にゆくを」という繰り返しで詠嘆を表しているが、茂吉の歌はどこか母の死を客観的に、情景を突き放して見ているのではないか。
 俳句と短歌の違いによるものなのか、作者の資質や姿勢によるものなのか、わたしにはわからない。多佳子の句は、作者と「死にゆく人」との距離がとても近い。一体化しているともいえる。
 「人と寝る」、特に「寝る」が「死にゆく人」と「作者」の共振関係を読者に普遍化して示している。
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秋雨のイメージは夜と切り離せない

2018年10月10日 22時43分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 予定通り横浜駅まで歩き、家電量販店や書店を見てまわった。家電量販店でテレビの分波器を購入したものの、ソケットが合わず、明日また家電量販店に行かなくてはいけなくなった。二度手間になることをしてしまった。
 喫茶店で若干の読書タイムの後、再び歩いて自宅まで。本日は気力は萎えずに歩いて帰ることが出来た。昨日は喫茶店を出た段階で気力が萎えて、バスに乗った。本日は疲れた場合や気力が萎えてしまった時は、途中のコンビニのイートインコーナーで一服することにして気分を楽にして歩き始めた。歩く始めるとそれほどのことはなく、コンビニに寄ることもなく自宅まで歩き通すことが出来た。
 本日はとても気分よく予定通りに過ごすことが出来た。明日はどうだろうか。疲労が出て、一日寝込んでしまうかもしれないが、それでもずいぶん回復したと思う。

 今晩は明け方までの雨の予報が50%。微かだが、もう降り始めている。西から雨の区域がせまってきている。ただし明け方以降の雨の確率は30%以下。

★秋雨やともしびうつる膝頭         小林一茶
★秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな       中村汀女


 LEDに変えたばかりの夜、それも秋雨。秋雨のイメージはガスコンロと燐寸、寒さに抱える膝小僧‥。LEDとはまたとてもかけ離れたイメージである。私にとっては秋雨は夜のイメージと切り離せない。どこでそんな風になってしまったのだろうか。思い当たらない。
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秋暁、秋の朝、そして秋の日

2018年10月09日 10時44分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日とは違い青い空が高い。雲は空全体の50%を超えているが、空は青く、雲が白いので、頭の上の重しが外れたように軽い気分になれる。ときどき現れる陽射しが心地よい。風もない。
 本日は妻に頼まれた所用がいくつか。横浜駅や近くの私鉄の駅まで出向く予定。一人で出かけてみることにした。昼前から出かけて、午後3時過ぎに帰宅予定にしている。

★秋暁や胸に明けゆくものの影    加藤楸邨
★秋の日の白壁に沿ひ影とゆく    大野林火
★竹垣の結目正しく秋日さす     出田浩子


 秋暁(しゅうぎょう)とはまず聞いたことの無い言葉であるとおもう。私も加藤楸邨の句集を読むまではしらなかった。知ったのはつい数年前。歳時記によると「秋の朝」の事ではあるが、朝よりも時刻は早く、まだ暗い時間帯をいうとのこと。私には体感することのごくまれな時間帯である。
 現役時代は労使交渉で明け方までかかり、始発電車の音を聞きながら組合の会館や事務所に引き揚げたことが幾度もある。徹夜交渉ではたいていは冬なので、秋の暁の時間帯よりもさらに寒かった。
 秋の暁の時分に日の出を街中で見る気分はどのようなものであろうか。爽やかで身が洗われる気分であろうか。
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心の底の熾火

2018年10月08日 22時56分53秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 石川啄木の詩に次のような一節がある。

   はてしなき議論の後
  一
暗き、暗き曠野にも似たる
わが頭脳の中に、
時として、電〈いかづち〉のほとばしる如く、
革命の思想はひらめけども--
・・・・
  二
われらの且つ読み、且つ議論を闘はすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜の青年に劣らず。
われらは何を為すべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
“V NAROD!”と叫び出づるものなし。
・・・・


 この啄木の詩の世界では、“V NAROD!”という政治的な言語とそれを口にし行動に移すことは、初めから分離されている。観念の世界に対する幻滅として、距離をもって「革命」や「政治」が語られている。

 しかし私が同時代的に接したものは、だいぶ位相が違っていた。

コンクリートにふとんを敷けばすでにもう獄舎のような教室である
雌伏の眼制服の眼 けしゆくへの路遥けば五日帰らず
眼下はるかな群青のうみ騒げるはわが胸ならむ 靴紐むすぶ
鯖のことくカブト光れり われ叛逆すゆえにわれあれ存在理由〈レーゾン・デートル〉
カタロニア賛歌レーニン選集も売りにしコーヒー飲みたければ
振り向けば返り血あびているごときこの夕ぐれを首塚一基
もはやクラスを恃まぬゆえのわが無援 笛噛む唇〈くち〉のやけに清しき
流血に汚れしシャツを脱がんとも掌はひとくれの塩のごとしよ
ここよりは先へいけないぼくのため左折してゆけ省線電車
二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ
               〈福島泰樹「バリケード・1966年2月〉


 この短歌、まさに政治の坩堝のなかに放り込まれた地平にいる。この位相の違いを噛みしめつつ、そうして福島泰樹の世界からも遅れた沙漠を、私はトボトボと歩いてきた。吉本隆明は「福島泰樹の短歌のなかの政治は喪失の歌から、生の裂け目に瞬間的に獲得された光景へと変貌した。‥もはやあのバリケード闘争の原型を幻のように想起すること自体が無意味だという自覚と自信は強固になっている」と述べた。前半は了としつつも、後半部分については、私の心のどこか奥深くで、未だに熾火のように消え去ることはない。
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「雪の日に」(吉野弘)

2018年10月08日 18時07分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
  雪の日に

--誠実でありたい。
そんな願いを
どこから手に入れた。

それは すでに
欺くことでしかないのに。

それが突然わかってしまった雪の
悲しみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。

雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけねばならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。

誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手にはおえなくなってしまったかの
ように
雪は今日も降っている。

雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。


 吉野弘の詩集《消息》より「雪の日に」。
 吉野弘という詩人、学生の頃は知らなかった。40歳も過ぎてはじめて読んだ。だれかに教わったわけでもなく、ある書店でたまたま棚に「吉野弘詩集」(思潮社)が並んでいたのを手にしたのがきっかけである。中身も読まずに「たまには現代詩を読んでみたい」というだけで、購入した。
 使っていることばはやさしい。時としてこのように処世訓的な詩も書くが、あまり厭らしさや胡散臭さを感じない。
 労働組合の役員をされていた体験が詩の根拠にもなっている。そんなところが親近感の根拠かも知れない。同じ世代では吉本隆明氏も当初は労働組合の役員を体験していた。吉本氏が「転移のための十編」で、表現者への道を歩み始めたとすれば、吉野弘氏はそのような転移ではなく、それこそ労働組合運動の中に身を置いたまま、身のまわりの人びととの関係をひたすらに持続しながら身を処した人と私には思える。
 若い頃はそのような姿勢については理解できないところもあった。いつの間にか私は、転移も飛翔もしないまま、この歳まで身のまわりの人との関係を「誠実」という言葉を意識的に、そして敢えて持続して生きて来た。
 「誠実に」、人は誠実に生きたいのだが、誠実さというのは誠実たらんとすればするほど、いっそう混迷の中に自分を追いやる。何が誠実か、いつも反芻ばかりで答えはないまま定年を迎えるのが、人の常である。誠実たらんとすれば、人に抑圧的に振る舞ってしまうことも避けられない。そんな現役時代のことを思い出させてくれる詩である。
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読了「尾崎放哉句集」(春陽堂版)

2018年10月07日 22時48分48秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

 「尾崎放哉句集」(春陽堂放哉文庫第一巻)を読了。岩波文庫本と比べると、初期の有季定型句はおさめられていないが、自由律以降の句はこちらの方がかなり多く収録している。1頁に3句という割り付け、しかも解説の伊丹三樹彦氏を書いているモノクロの写真がとてもいい。「写俳」の提唱者だけのことはある。そしてその写真は尾崎放哉の最後に住まった小豆島で撮影したものである。

 私にとっては、自由律の俳句の世界がよくわからないので、岩波のあの体裁では自由律の俳句の理解そのものが出来なかったと思う。こちらの方が写真の存在も含め、一頁に三句の方が気持ちにゆとりをもって読むことができた。感想はまとまらないので、本日はまだ書けない。

 だが、一句ごとでも理解できるものも当然あるが、いくつかの句を並べて、詩のようにして鑑賞するのが適したものもいくつかある。隣同士にかぎらず、任意の組み合わせで短歌もどきの一首が出来上がるものもあるように見えた。全部が全部ではないが、こういう感想を持つということは、俳句としては完成とはなっていないようにも思った。

 例えば
★今朝俄かに冬の山となり    放哉
★針の穴の青空に糸を通す    放哉

 この二句、それぞれに一句として味わうことも出来そうだが、二区を並べて短歌の一首としてもなかなかいい。このような組み合わせを探しながら句集を読むのは意外と面白い読み方だと思った。

 この文庫はすでに絶版になってしまっているようだ。できれば第2巻の随筆も新たに購入してみようと考えたのだが、手に入らない。古書店巡りで果たして手に入るだろうか。

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かまきり・蟷螂

2018年10月07日 21時20分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は一日寝て暮らした。真夏日の気温であったらしい。家に閉じこもっているとそのようなことがわからない。
 明日は過ごしやすい天気との予報である。外を出歩いてみようと思う。

 我が家の玄関横の壁に3日間ほど緑色の鮮やかなカマキリが張り付いていた。頭を下にして、3日間ほとんど動かなかった。5センチほど動いた形跡はあるが、頭を下にした姿勢は変わらず、平行移動しただけのようだった。そのカマキリは、後ろの一番大きな足が片方しかなかった。向かって右側の足がない。虫にしてみたら左の足である。これでは多分思った方向には飛んでいけない。どうやって飛ぶんだろうと、憐れんでみたもののどうすることもできず、そのまま放置していた。3日目の夕方、気がついたらその姿はなかった。
 台風の風を避けて階段室の扉の横に避難してきたのか、他の天敵に追われて足をとられながらもあの場所に避難したのか、想像ばかりしても本当のところはわからない。ただ、虫の世界も厳しいのだろうな、と推察するばかりであった。

 カマキリ・蟷螂は秋の季語。

★蟷螂の真青に垣の雨晴るゝ        内藤鳴雪
★蟷螂に怒号のなきを惜しむなり      中原道夫
★かまきりのたたみきれざる翅吹かる    加藤楸邨


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秋の蝶

2018年10月06日 22時14分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜になって横浜では風が強くなると同時に生暖かい南寄りの風となった。最大瞬間風速は19時で13メートルを記録している。明日は最高気温が30℃の予想となっている。
 風の被害が心配である。
 明日・明後日は予定はないが、本日だいぶ草臥れてしまったので、少なくとも明日は休養日とさせてもらう。体力よりも気疲れ、大勢の人の中に入った。これも寝ることで解消するしかない。

★我が影の伸びゆく先の秋の蝶    星野 椿
★秋蝶の土に触るるを怖れけり    島田なお子
★秋蝶の堕ちゆく草の深さかな    町田水子


 夏の蝶とは違って動きは少し衰えて見える秋の蝶。冬の蝶となるとかなり弱々しく、そして死と隣り合わせのようにも読まれるが、秋の蝶は冬の蝶に比べてまだ力は残っている。生の晩年の輝きは充実しているようにも見えることがある。
 第一句、秋の陽射しを受け夏よりも長い自分の影の先に、秋の蝶を配している。この蝶は作者の文身、老年を迎えたのであろうが、決して弱々しさは示していない。逆にこれまでの生の充実した姿を見ているように私には思える。句がのびのびしていることでそんな風に感じた。
 第二句と第三句、危うい飛翔を続ける秋の蝶、第一句とは違い、気息奄々としている。作者もまた体の不調に怖れを抱いているのであろうか。共に私はとても惹かれる句である。土までの距離、草の深さ、ともに永遠の距離があるともいえる。
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読了「尾崎放哉句集」(岩波文庫)

2018年10月05日 18時05分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

 予定よりも時間超過だったが、岩波文庫の「尾崎放哉句集」(池内紀編)に目を読み終わった。
 早熟であった中学生の頃の有季定型句から、自由律初期の句から最晩年の句、ならびにと荻原井泉水の手元に保管されていた句稿、そして「入庵雑記」という最後を過ごした小豆島の西光寺南郷庵で記した散文をおさめてある。
 収録句数はあまり多くはない。
 私は自由律の句はほとんどなじみがなく、自由律以降の句は戸惑うばかりであった。選句の仕方もあるだろうが、あまり気持ちの上で響くものを感じなかった。
 ただしここに収録してある「入庵雑記」の文章は優れたエッセイだと感じた。

「今日は風だな、と思われる日は大凡(おおよそ)わかります。それは夜明けの空の雲の色が平生と違うのであります。ちょっと見ると晴れそうでいて、それは夜明けの空の雲の色がただの真ッ赤な色ではないのです。これは海岸のお方は誰でもご承知の事と思います。実になんとも形容出来ないほど美しいことは美しいのだけれども、その真ッ赤の色の中に、破壊とか、危惧とかいった心持の光りをタップリと含んで、如何にも静かに、また如何にも綺麗に黎明の空を染めているのであります。こんな雲が朝流れている時は必ず風、‥‥間もなくそろそろ吹き始めてきます。庵の屋根の上には例の大松がかぶさっているのですから、これがまっ先きに風と共鳴を始めるのです。悲鳴する如く、痛罵するが如く、また怒号するが如く、その騒ぎは並大抵の音じゃありません。‥」(入庵雑記、「風」)

 引用が長くなったが、観察が濃やかで、そうして過不足ない描写が美しい。さらに時間というものの順を追って、齟齬がない。少々饒舌であるが破綻もなく、それもまたいい文章だと思った。
 口語体であるが、これは放哉の俳句の特徴でもある。文章に随分こなれた人、書きなれた人だったのだと思った。
 この文章を読んでから、再度俳句を読みなおしてみた。そうすると何となく頷ける作品も出出来た。有季定型句の判断基準とは違う感覚で読まなくてはいけない、ということが何となく匂ってきた。同時に作品を並べてみると、ひとつひとつの作品として独立して読むのとは別に一連の「詩」として、多少言葉を削ったりほそくしたりしながらだが、読むのも面白いと感じるようになった。
 また一つの作品は、口語の短い断章が二つ連なったものが多いことにも気がついた。例えば、「何やら鍋に煮えて居る僧をたづねる」などの句のように。そしてこのふたつの術語が並んだ句よりもそれを解消した句に人を惹きつける句があるようにも思えた。
 ある人が昔、尾崎放哉や種田山頭火の句には「起承転結の転がない」とないと切って捨てた。私はこの言葉がいろいろ引っ掛っていた。今回それなりに「転」は含まれていると感じた。二物衝撃ではないが、二つの術語でつながった作品、あるいはそれを解消しようとして二つ目を体言止めにしたりした句はそれなりに感じる者はあり、成功しているのであろう。

 収録句が少ないと感じたので、今度は以前にも購入していた春陽堂の「尾崎放哉句集」(放哉文庫)を読んでみることにした。この文庫、第2巻には「随筆・書簡」が収録されている。これは持っていない。
 作品への感想はこちらを読んでからまとめてみることにした。


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秋分の日、秋の彼岸

2018年10月02日 22時00分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 入院中に秋分は終わってしまった。例年秋の彼岸前後に墓参りに多磨霊園に行っていたのだが、今年は私の入院で中止。秋のうちに行くか、今年は中止をして、来春にするか。今月中に決めたほうがいいのだろうが、まだその気にはならない。秋の彼岸は秋分の日の前後3日の合わせて7日間。単に彼岸というと春の彼岸のことであり、秋は「秋彼岸」「後の彼岸」という。

★峯聳(そばだ)ちて秋分の闇に入る      飯田龍太
★山寺に降りこめられて秋彼岸         大橋櫻坡子
★秋の日の白壁に沿ひ影とゆく         大野林火

 
 第一句、岩肌に秋の陽射しが当たっている。秋の陽射しは強い。だが、日陰の岩肌は日のあたるところとは違ってとても冷たく、そして秋の日影はとても暗い。この温度差と明暗の差が秋である。日のあたらない方の冷たい岩肌が鋭く立ち上がり、秋の日ならではの闇が立ち現れる。キリッとした雰囲気を感じる句である。
 第二句、秋日和ともいうが、秋は意外と晴間は少ない。そして降り始めるとにわかに気温が下がってくる。秋の彼岸、秋の花々で作った仏花を抱えたままの雨宿りであろうか。
 第三句、片影というと夏の陽射しによる強い日かげであるが、秋の陽射しもまた強いものがある。春よりも、冬よりも鋭い。しかし汗を拭いながらの道ではない。影もまた長くなり、その存在が大きくなる。影が同行者として立ち上がってくる。
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嵐の前の静けさ

2018年09月28日 11時05分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日以降、横浜でも台風と秋雨前線の活動で雨が降り続くらしい。9月に入って雨ばかりのような気がする。
 嵐の前の静けさ、本日は実に気持ちのいい秋日和。団地の南側のベランダからは雲は一つも見えない。風も柔らかく微かである。菊日和というにはまだ少し早いかもしれない。園芸店でもまだ菊は蕾であった。

★野菊まで行くに四五人斃れけり    河原枇杷男

 作者は1930年生まれというから今年88歳なのだろうか。この句、わたしよりも高齢のときの作ではないかと思っている。ネットで検索すると作者の代表句としている解説が多い。

 さてこの句、野菊の咲くところが桃源郷のような理想郷と解して、たどり着く不可能性を言及しているのだろうか。あるいは若い頃の仲間を思い出しながら青年期から回想して今年の野菊の季節までに鬼籍に入ってしまった人びとを懐かしんでいるのか。または、一年ないし数年前、一緒に野菊を見た仲間が、立て続けに数名も亡くなった悲しみを詠んでいるのか。
 そんな3つの情景を思い浮かべた。私には最後の情景が思い浮かんだ。私ももう5年前に20代の頃の懐かしい仲間と40年ぶりに再会した。その時以来3名の仲間が突然のように亡くなった。自分がもうそんな年齢になっていることに愕然とした。同時に会える時に会うことの大切さ、これからの時間の大切さを実感した。

 しかし私の受け取り方だけではなく、「斃れけり」には単なる詠嘆ではなく、「斃れ」という漢字が当てられていることに重要な意味があるとも思える。
 「斃」は「疲弊してたおれ死ぬこと」「野たれ死する」(白川静、「字統」)とある。作者はアジア太平洋戦争敗戦時には15歳、直接の戦争だけでなく空襲や敗戦間際の混乱期に無念の死を迎えた仲間、敗戦後の混乱で息絶えた仲間、などが念頭にあったのかもしれない。

 情景が読む人によってさまざまに浮かんでくる。若くして亡くなった仲間は、高齢になって野菊の咲く情景を愛おしむということができずに亡くなった。そのことに痛切な当時への批判が含まれているのかもしれない。
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