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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

風邪をひいたか?

2017年01月04日 22時05分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 暮れの31日から少し鼻水が出ていた。何となく鼻の周りが重苦しいと感じでいた。嗽をしながら症状がおさまるのを待っていた。だが、先ほどお屠蘇の残りわ口にした瞬間、顔がとてもつらく感じた。わずか5勺の日本酒がとても効いた。声が鼻声で、咳とクシャミも止まらなくなった。鼻水がひどくなった。そして何もする気がおきない。
 熱は無いし、下痢もしていないが、どうやく風邪をひいたようだ。妻も鼻水が本日になってひどくなってきたという。夫婦で同じような症状が同時進行している。
 本日は二人共早寝して、直すことに専念することにした。

「めでたさも中くらいなりおらが春」

2017年01月04日 20時40分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
めでたさも中くらいなりおらが春   小林一茶
めでたさも一茶位や雑煮餅      正岡子規


 二句目の子規の句は無論、最初の句を踏まえている。そして一茶の句には、「門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」(一休宗純)も踏まえているといわれている。一茶57歳の句で、50歳で郷里に帰り若い妻を迎えた者の生まれた子は次々に亡くなりその妻も若くして亡くなる。さらに継母や異母弟との遺産争い、自信の度重なる病気や住居の消失と不幸が続く。迫る老いとの葛藤の中で、どちらかというと投げやりな、そして社会に対し斜に構えた「拗ねた」姿勢を感じる研究者もいる。
 また江戸時代の後期は、農村の社会もまた子供の間引きなどや幼い家からの奉公など、厳しい状況であった「中くらい」というのが、当時の一茶の住んだところ付近では、「たいしたことではない」「どうでもいい」というニュアンスあるとの指摘があるらしい。
 そういうことを踏まえると、「めでたい、めでたい、と云ったって、そんなに目出度いことなどどこにある。誰がそんなに浮かれているんだい」というニュアンスも読み取れる。一筋縄ではいかない一茶の一面を感じることが出来ないか。
 そうすると子規の読み、解釈が明治以降の江戸ことばに引きずられているのだろうか。私たちはこのような解釈で教わってきた。はたしてこれで正しいのだろうか。

お節料理の残り

2017年01月04日 19時37分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今晩からお節料理から普段の食事に戻ると思っていたら、お節料理を片付けなくてはいけないということで、引き続き三が日の食事が続く。確か昨晩「お節料理の最後」といわれたような気がしたのだが、止むを得ないこととは知りながら、何か騙されたような気分になっている。しかもお酒を食前に一口飲もうと思ったら、お屠蘇の残りが5勺冷蔵庫にきちんとしまわれていた。
 もっとも病院の帰りに久しぶりに蕎麦屋で美味しい蕎麦を一人で食べて来たので文句はとても言えない。またお屠蘇の残りといってももうお屠蘇の味はほとんどなく、美味しい日本酒の味の方が勝っているし、足りなければさらにおいしい「菊勇」がまだ2合あるのでこれも文句などとてもいえない。
 お餅ではなく、ご飯を炊いたようだ。餅というのは私は好きであるが、やはり3日も続くと飽きる。だが、不思議なことに2日もするとまた餅が恋しくなる。正月に食べきれなかった餅だけでなく、切り餅を買ってきて時々食べることがある。学生の時は味噌味のインスタントラーメンに餅を入れるのが好きだった。現在では、焼いて食べることが年に4~5回くらいあるだろうか。

 昨年はお節料理はやはり4日まであったようだ。そして5日はいつもの料理になり、6日に外食、それも洋食を食べに出たようだ。

 50代の頃とお節料理の量は変わらないらしい。それだけ食べる量が減ったのかもしれない。ただし体重はむしろ増加気味というのが悲しい。

膝のMRI

2017年01月04日 14時56分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は左膝のMRIを撮った。MRI検査に特化した医療機関が出来て、今回が2回目の利用となった。しかし病院への画像郵送料と合わせて8000円はビックリ!
結果は10日午前には病院に着く予定。
本日の医師の見立では、予想以上に回復しているので、処置必要ないかも、といわれた。MRIを見てからという前提だが。
もうしばらくはおとなしくしていなくては・・・。