Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜市歴史博物館

2012年06月27日 17時54分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は横浜市歴史博物館へ「鍛冶ヶ谷村と小岩井家」の収集資料展を
見に出かけた。
 横浜市栄区の区域のあった村で、他の5村と共に「本郷」といわれていた。戸塚宿と藤沢宿、金沢、鎌倉に囲まれ、鎌倉と東海道保土ヶ谷宿を結ぶ鎌倉道に沿った村である。幕府直轄領で、戸塚宿の助郷としての機能を持っていた、という概略は知っていたが、これ以上の知識は持ち合わせていなかった。
 石高が約400石の村であり、年貢は現磯子区の森村から船積みで江戸に運ばれたこと、18世紀には戸塚宿の助郷役は村の疲弊により免除になっていたことや、19世紀海防の必要から担当大名の領地・預地となりその支配を受けたことなどが明らかにされていた。また名主は多方面の事業を展開していたことも示されていた。
 残された古文書を見ると、日本は古くから文書主義で、領収書や嘆願書、年貢の割付、かなり正確な絵図に基づく検地とその結果、そして寺社への寄付などすべてについて細かに文書が作成されていたことがよくわかる。
 残念ながら古文書を読む能力はまったくないが、解説を丁寧に追いかける意欲が十分にわいてきた展示と解説であった。
 幕末・維新の舞台となった横浜の周辺地域のあり様の解明はなかなかに面白いものがありそうだ。
 私はしてきた仕事柄から古道について興味がある。旧鎌倉道などを現在の地形に当てはめて復元する作業などにも一時とても興味を覚えた。残念ながらその意欲は今はすっかりなくなってしまったが、それでも旧道を探して歩くことには未だに興味がある。人の研究成果を利用した趣味ということになろうか。

東京都写真美術館と山種美術館

2012年06月25日 11時51分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 休日を利用して、写真美術館で「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」と山種美術館で「福田平八郎 日本がモダン」を見に出かけた。いづれも恵比寿駅から近い。山種美術館ははじめて訪れたように思う。

 はじめに川内倫子展であったが、残念ながらこれはちょっと私の好みではなかった。対象に肉薄しようという迫力が感じられなかった。若い世代に人気がある、とのことであったが、日常の光景の切り取り、瞬間瞬間の目に映る光景をこんなにも脈絡なくたくさん、ひたすら表面をなぞるように追いかけるエネルギーには脱帽しつつも、一つの事象、一つの対象へのこだわりがまったく感じられなかった。日常の表面を追い掛け回し、それでおしまい、という底の浅さばかりが目に付いた。



 確かに若い人が多く見にきてそれなりに盛況ではあった。ある山焼きの模様を追いかけたシリーズが今年の作品としてあった。このようなシリーズが積み重ねられる必要がありそうだ。それでも一貫したモチーフを獲得するにはまだまだ大きな溝があるような気がする。
 写真というよりも、動画の比重が大きく、またそのほうがこの人には適したツールなのかもしれない。

 次にのんびり広尾界隈の坂を上り山種美術館を訪れた。福田平八郎展についてはNHKの日曜美術館で取り上げられたこともあるからか、
かなりの盛況であった。

 「筍」「漣」「牡丹」などは確かに人をひきつけるものがある。デザイン的で色彩も構図もリズミカルな画面は今でも斬新さを失わないと思われる。そしていかにも対象をとことん見極めようとした姿勢が見るものを惹きつける。
 残念ながらお目当てのひとつ「雨」は後期展示のため見ることができなかった。ごらんのようにチラシはこの「雨」をメインに作られており、何かだまされたような気がした。



 同時代の作家の作品もそれぞれに個性が見られた。私が惹かれたのは横山操の「滝」と言う作品であった。写真にでも撮っておきたかったが、それは許されないので諦めた。こんど見る機会があるだろうか。

横浜での句会提出句ほか

2012年06月23日 22時35分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連
句会提出句
★露草の藍深く我が揺籃期
★太陽も雲もわがものみずすまし
→太陽も雲も自在にみずすまし
★夏蝶の影の濃きまま一筆に
→夏蝶や影濃きままのその軌跡

俳句誌9月号投句
★青梅や晩年の始まりは明日
★白薔薇の白の諧調鴎飛ぶ
★ふるさとのなくて紫陽花淡き色
★片蔭は風の溜まり場海鼠壁
★夏蝶の骸を前に野の仏
★人去りぬ梅雨闇の先のその先へ
★青田風雲の白さのままに吹く
★露草の藍深く我が揺籃期
★太陽も雲も自在にみずすまし
★夏蝶や影濃きままのその軌跡


ちょっと体調不良・・・回復

2012年06月22日 21時30分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ここ3日ほど体が何となくだるかった。そして昨夜は随分と寝汗をかいて寝間着がびっしょりとなった。寝る前に体温を計ったら平熱であったが・・・。おとといのジョギングもいつもの6割程で切り上げた。大量の汗をかいたものの爽快な気分にはならなかった。お腹の調子もよくなかった。
夕べの寝汗が最後の回復過程だったのか、朝起きて着替えたら、体が軽くなって回復したように感じた。それでも午前中は用心して、雨が降っているのを幸いにおとなしくしていた。お昼やたらと空腹を感じ、うどんを食べた。銭湯も今週は控えていたが午後雨があがったのをみはからって銭湯に行ってみた。まず驚いたのは、運動量がかなり控え目であったにもかかわらず体重が少し減少していたことだ。やはり体調不良だったということなのであろう。
サウナでは快調に汗をかきとてもすっきりとした。この分では本日控えたジョギングも明日は差し支えなさそうだ。

夕方には予約していた歯科医院で先週取れてしまった詰め物の復元治療。この歯科医院、なかなか手際がよく2回で治療が終わる。腕もよい。他の歯の点検・治療も依頼したら来週の火曜日1回で済むとのこと、助かった。

あすの午後は横浜での句会。

そごう美術館で琳派外

2012年06月20日 20時28分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は朝のジョギング後、台風の雨が降り始める前に家を出て、横浜駅東口にあるそごう美術館に出向き「細見美術館展Part2 琳派・若沖と雅の世界」を鑑賞した。
 前回のPart1と違って、酒井抱一・鈴木其一・若沖の絵がかなりの数そろっていた。江戸時代の琳派を見せてくれてはいたが、迫力ある中心となるような一点がなかったのが寂しかった。しかし、そんな中で抱一の「槇に秋草図屏風」は何ともいえず落ち着いた気品があり、美しいと感じた。とくに桔梗の花の色と、黄菊・白菊が印象的であった。また若沖の「雪中雄鷄図」もやはり心に残った。




 夜は同期採用者の内で気の合った4人とひさしぶりに会って美味しく楽しくビールを飲んだ。

 飲み会を終え店の外に出てみると、台風の雨と風が一番ひどいときであったようだ。大きなビルの屋上にあるスポットライトに照らされた広告塔には雨が勢いよく吹き付け跳ね返されていた。まるでその広告塔から水が吹き出すように。とても歩ける状態ではなかったのでわたしはタクシーで帰宅。他の3人は無事に帰ることが出来たのだろうか。

 そして本日は台風は過ぎ去ったものの風が朝から強く、朝のジョギング&ウォーキングは何が飛んでくるかわからず危険と判断して中止。気温が上昇して横浜でも29度を記録した模様。明日以降は次の台風の影響で天気は悪いようだ。あまり外出せずおとなしくしていよう。








退職者会

2012年06月18日 21時45分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は所属していた労働組合の退職者会の幹事会に代理出席した。私の所属するブロックでは来月の幹事会までに会員と相談しながら新幹事を選出しなくてはならない。
 それはさておき、久し振りに諸先輩方の顔を見てその元気の良さ、威勢の良さにいつものように圧倒されながら会議を終了した。
 いろいろと取り組み日程が提起された
。みんなと相談しながら、ということになる。少し忙しくなるかもしれない。

 

インカ帝国展とブリヂストン美術館

2012年06月16日 11時00分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は国立科学博物館に「インカ帝国展」と、ブリヂストン美術館の「開館60周年記念 あなたに見せたい絵があります。」を見に出かけた。 



 インカ帝国展は、金曜日の午後13時過ぎという時間帯であったが大変な混雑で、展示品にじっくり見入ることはとてもできなかったのが残念であった。展示品の上に掲げてある案内文や、展示品の写真を見ることで我慢するしかなかった。
木製の器や織物の紋様などもう少し落ち着いて見ていたかったと思う。


 ブリヂストン美術館では、私の好きな絵がたくさん展示されていた。今回特に心に残ったのは、藤島武二の「屋島よりの展望」。画面の大半が緑がかった海という大胆な構図に目を惹かれた。その緑がかった色がなんともいえず美しかった。藤島武二はこれまで特に私の中では印象がなかったが、この海の風景は心に残る。左側にある白い帆船がこの絵をひきしめているような気がした。残念ながら絵葉書はなかった。石橋美術館所蔵というから久留米まで行かないと再見はできないことになる。カタログ2000円は遠慮したが、購入したほうがよかったかもしれない、と反省している。


小鳥の病院2回目

2012年06月14日 20時24分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日はセキセイインコを連れて小鳥の病院へ。4週間分の薬をもらって約4700円也。ペットが医者にかかるとなると費用がかさむ。
 にもかかわらず本日また生えかけの毛をむしり始めた。お手上げである。

 さて高めの気温の中のジョギングで旅行中に増えた1キログラムの体重がもとに戻り一安心。

米沢を訪れる

2012年06月12日 20時43分58秒 | 山行・旅行・散策
 10日から本日12日まで2泊3日で米沢市を訪れ、白布温泉と小野川温泉にそれぞれ1泊してきた。定年後の妻との旅行は韓国旅行についでに二回目、温泉旅行はこれが最初になる。
 新幹線で米沢盆地にはいると田植えが終わったばかりとおぼしき田んぼが広がっていた。青田風が心地良良さそうであった。
10日午後と12日午後は米沢市内を散策。米沢市は伊達・上杉氏の城下町として有名で歴史ある町だが、人口が9万人を割りやはり過疎化の波をかぶっているようだ。街は米沢牛、蕎麦、ラーメンそして上杉氏ばかりが目に付く、といってしまっては言い過ぎか。上杉神社・上杉博物館を訪れ、米沢織の工房を2つ見てブックカバーなどの小物類を購入した。
 11日は天元台高原から残雪の山道を西吾妻山の稜線上の人形石(1963m)まで登り展望を楽しんだ。飯豊連峰・朝日連峰・米沢盆地の眺望が良かった。残雪が深くウォーキングシューズでは少々心もとなかった。稜線上は木道が整備され快適であった。
 白布温泉は、江戸時代初頭に幕府に内密に鉄砲を生産した箇所とのことで、当時からの名を引き継ぐ旅館が3軒。硫黄の含有量の多い泉質と熱めの温泉であった。
 小野川温泉は小野小町伝承の温泉地でそれを売りにしている。共同浴場も整備され、無料の足湯をいくつも備えるなどのまとまりを見せていた。平行してながれる最上川最上流部での蛍は残念ながらあと1潤オ2週間後とのことであった。

 東京に着いてみたら米沢より寒い雨模様にびっくりした。

 ということでブログの更新をサボってしまった。

横浜での6月の句会提出句

2012年06月09日 23時26分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
句会提出句
★ふるさとのなくて紫陽花淡き色
→ふるさとのなくて紫陽花淡く咲く
★片蔭に風の休憩海鼠壁
→片蔭は風のたまり場海鼠壁
★傘去りぬ梅雨闇の先その奥へ
→人去りぬ梅雨闇の先のさらに先

3句目は、もう少しなんとかしたいものである。

「横浜の海 七面相」展

2012年06月08日 18時36分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、関内にある横浜開港資料館と横浜都市発展記念館を訪れた。いづれも「横浜の海 七面相」と題して、横浜の海岸の歴史的変遷を「変貌する海、まつりごとの海、文化の顔、つなぐ海、豊穣の海、憩いの海、現在の海」という7つの視点での企画展を開催している。前者が幕末・明治編、後者が大正・昭和編の展示である。
 1時間半ほどかけてすぐそばにある2つの会場をまわった。特に目新しい知見はなかったものの、幕末当時の旧東海道の神奈川宿から開港の道を経て関内にいたる道が当時の地図にどのように記載されているか、探しながら見るのが楽しいものである。


部屋を取られた

2012年06月07日 13時34分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は梅雨入り前の晴天とのこと。私の住む団地では鶯の鳴き声が朝からしきり。その他の小鳥も芝生で盛んに餌をついばんでいる。

 さて、飼っているセキセイインコの症状改善のためには早く寝かした方が良い、とのことで妻の取った処置は19時ごろに私の部屋のカーテンを閉めて暗くし、そこに当のセキセイインコの籠を持っていって寝かしてしまうというもの。
 ということは、私は夕食以降自分の部屋に出入りできないということになる。迂闊にもこのことに気がつかずにいて、妻が提案したセキセイインコの処置に承諾を与えてしまった。あとから出入りの不自由さに気づいたが、後のまつり‥。
 ブログの更新もコメントへの返事も、そして友人からのメールへの返信も、夜に行う場合はスマホに頼ることになってしまった。スマホのタッチパネルの操作は非常に疲れるし、思うように文章を綴るのが不便なため、長い文章は昼間パソコンで行うしかない。セキセイインコに生活のリズムを狂わされてしまった。泣き言を言ってもしようがないが‥。
 そんなわけで取りあえず恨み言をここに記して、憂さを晴らすことにした。

毛引き症

2012年06月05日 20時38分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 我が家で飼っているセキセイインコ(雄一羽、1才半)が胸やお腹、足の付け根の毛をむやみにむしるようになって剥げるようになって三週間、心配になって本日「小鳥の病院」に持参した。人間並みに予約診療ということで朝一番に予約して夕方の診療となった。
 診察では寄生虫でも、皮膚病でもなく、内臓疾患でもなく、発情期の兆候でもなくストレスではないか、かなり神経質な性格ではないかとの診断であった。糞の分析ではかなり羽を飲み込んでいるとのことだった。取りあえずビタミン剤と抗ヒスタミン剤とをもらい水に溶かして与えることとなった。その他の処置は特に思いつかないとのこと。
 購入したときから人になつかずかなり警戒心は強いと感じていた。籠の扉を開け放っていても籠の外に出てくることはなく、人に心をひらくこともないセキセイインコである。
 それでも毎日水・餌の取替えは欠かさず、籠の掃除も毎日している。はやく全快して、人に多少でもなつくことを祈っている。



嫌な感じ

2012年06月03日 14時05分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日の夜から何となく身体が重い。昨日の土曜日は10キロメートルの周回コースのうちジョギングしたのはわずか3キロメートルほど。あとはウォーキングにした。いつもと割合が反対になってしまった。土曜日なので銭湯にいったが、お風呂に入るのもサウナに入るのもしんどく感じて途中で上がってしまった。
 夕食時のお酒もやめてベッドにて読書。

 さて最近は、新聞も読まず、テレビのニュースもほとんど見なくなったが、それでも気になった嫌な思いをした話題が二つほどある。
 一つは、石原都知事の尖閣諸島の一部を埼玉県在住の所有者から都が購入するという話題。私は都が購入する理由がわからない。都が土地を所有するのは、都という自治体がその行政の一環として必要な土地を購入する場合に限らせるはずである。都議会が承認しなくてはならない。都の行政目的に照らしてこれが合致することなのだろうか。
 そしてそれに付随してがっかりしたのが、当の尖閣諸島を行政区域に含む石垣市長の対応である。市長は何を思ったが、都が購入することに理解を示し、わざわざ都知事に会見しに行った。その後共同購入を申入れ、軽く門前払いを食らっている。所有者にも都知事は相談したような報道はない。
 もし地方自治体が尖閣諸島を所有するとしたら、石垣市か沖縄県というならば理解できないことはない。その自治体の行政区域に含まれるからである。
 私が都知事で、所有者と信頼関係があり購入を打診されたら、国か沖縄県か石垣市に仲介の労を取るであろう。しかし石原都知事はそうはしなかった。自らの政治「信条」のために都が所有権者となると言うのである。石垣市長も体よく利用された。石垣市長の支持まで取り付けて共同所有の話すら所有者とも相談もなく袖にして、自身は得意満面であろう。
 しかもおまけに何を頓珍漢かと思ったが、大阪維新の会までもが応援団を名乗りを上げた。この人たちは地方自治と国家間の問題をはっきりいって摩り替えているのか、混同している。
 この購入資金のカンパが数10億円となったらしい。いくらカンパといってもこれもおかしい。石垣市がそれほどの財政力がないのならカンパとして成り立つ理屈はあるかもしれない。都という自治体の名義が、石原個人の政治目的に利用されるだけの話でしかない。
 国は、個人財産であるから誰が誰に売却しようと介入はできないが、自ら購入の手を上げることはできる。また都の購入が地方自治法に照らして合法なのか否かについてコメントぐらいは発表すべき立場ではなかろうか。
 地方自治の本旨に照らした対応をきちんと整理すべきではなかろうか。

 もう一つは大阪橋下市長の刺青調査の話である。職員に刺青のアンケート調査をしたとのこと。そして刺青をしている職員は職員としてふさわしくないとまで断言したことのこと。
 まず私は刺青が、いわゆるやくざの象徴としての彫り物なのか、今は若い人でもファッションとしてはやっている刺青=タトゥーなのか、一緒くたになって、前者として発表・報道・理解されているように感ずる。
 そしてよしんば前者だとして、それが「元」であって現在はやくざでもなんでもない人の立場はどうなるのであろうか。
 やくざを辞めて(多分多くが現業職員として)正統に採用された職員にとっては、寝耳に水の嫌がらせでしかない。採用前の過去を暴きたて、正統な就職をして市民生活を送っていることを許さない、というのはそのほうこそ問題である。
 また最近は女性も男性もファッションとして愉しんでいることがいる。私はそれがファッションとして成り立つことに個人的には違和感を感ずるが、若い人にとっては違和感はないようだ。橋下市長個人にとっての違和感を押し付けること、そのことによって職業そのものにつくことを否定することはできないはずだ。
 まして採用条件の中に「刺青禁止」がうたわれていたわけではないし、そこまでしたら採用差別である。また応募者を裸にして刺青検査をするわけにはいかない。橋下氏の発表によって事情をしらない市民は、「やくざ者が市の職員の中にいる」との怯えを助長しているきらいもある。
 二流の政治というのは、人びとの感心をいつも引き寄せるために、内部に敵に見出し公表し、それを敵として見なしていくことを常とする。
そのことによって不幸になるのは、その政治家を選んだ、あるいは選ばざるを得ない市民である。北朝鮮の政治体制を批判しつつ、それと同じ政治手法を繰り返す、橋下流の政治はこれはとても怖ろしいものを感じる。特別顧問として橋下市長に擦り寄っている中田横浜前市長の政治手法とも同じだ。
 差別問題・人権問題としてとりあげたときどのような評価になるのだろう。地方自治体の処置としても妥当性はいかがなものだろう。
 今のところ他の自治体は静観あるいは一歩踏み込んで否定的だが、正面きって否定は行われていない。これも問題ではなかろうか。