Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

韓国の印象-1-光州

2014年09月30日 22時13分01秒 | 山行・旅行・散策
 光州というと私の知識ではまず、1929年に日本の支配に抵抗する光州学生独立運動、1980年には軍事独裁政権に抵抗する光州事件、そして日本から拉致された金大中元大統領の出身地として記憶している。
 今回はこの光州博物館と1980年5月18日事件の記念公園を訪れた。



 韓国では12地方の中心都市に、「国立博物館」がある。入場はどこも無料である。大体が太古から李氏朝鮮時代までを対象にしている。「国立」ということで統一することがいいことなのかどうかの議論は別にして、広大な敷地と広い立派な明るい建物によるゆとりのある展示は羨ましいというのが、とりあえずの感想である。
 ただし展示はその地方での遺跡の発掘品・遺品が主であるので、地域特色を出そうとしているようだ。地方ではそのほかに民俗博物館なども充実しいる。



 この光州の博物館の目玉ともいえるのが、パンフの表面にもある8角形の青銅器。どのような用途なのかわからない。
 さらに古代文化室にある、百済の力が強大であった頃の「金銅冠」なども複雑な装飾が施され、鮮やかで美しい。
 日本でも縄文の頃は大きな耳輪をしていたが、こちらでも新石器時代、青銅器時代ともに耳輪の風習があったようだ。人形がつけているのが、新石器時代のもの。透明のパネルに装着しているものが青銅器時代のもの。それぞれ何世紀のものであるか、展示ラベルを撮影したがともにぶれて読み取れなかったのが悔しい。
 前者は日本でいえば縄文時代に相当するのであろうか。後者は弥生時代に相当するのであろうか。これをみると日本の弥生時代も耳輪が行われていたと思われる。



 中・近世文化室では、高麗時代の青磁、17世紀以降の白磁の展示が豊富であった。

      

 5.18記念公園は韓国の民主化運動の聖地ともいわれる光州広域市内に広大な敷地に設けられている。記念墓地は遠いので諦めた。さまざまな5.18事件の現場を巡るバスもあるようだが、これも時間の関係で断念した。
 しかし記念公園の像とその地下にある犠牲者の名板、モニュメントなどの施設に入ることができた。公園内の文化会館には入ることが出来なかった。
 5.18記念財団の発表では認定された死者154名、行方不明70名、負傷3028名となっているが、異論はあるようだ。
 この事件の真相や背後で全斗煥政権を黙認したアメリカの存在など解明されなければならないことはまだまだ残されていると云われている。
 韓国内の扱いも、金永三、金大中、廬武鉉大統領の頃は毎年大統領が記念式典に参加していたようだが、李明博大統領以降は式典に参加しなくなったなどの報道もされている。現在の大統領はどういう対応なのだろうか。



 光州市内、記念公園の中では赤い彼岸花が満開で多数咲いていた。


中止になってしまった講座

2014年09月30日 18時36分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 残念ながら申し込んだ講座のひとつは受講生が集まらず、中止となってしまった。中止となったのは「水墨画の四大巨匠を紐解く」と題した藤浦正行氏の全8回の講座。南宋画の日本への影響、黙庵霊淵、大功如拙、天章周文、吉山明兆、雪舟東楊などについて作品鑑賞と解説がある予定だった。私は雪舟以外の名はまるで知らない。初めて聞く名ばかりであるので、とても興味があった。残念であるが、致し方ないという以外ない。
 世の中で西洋美術に対する関心は高い。平安時代の絵巻や江戸時代の浮世絵や明治期以降の日本画に対する関心も高いようだ。しかし水墨画というのはどうも取っ付き難いのかもしれない。私自身もほとんど知識がないし、作品に接する機会もない。作品に接しても心に響くものがない。これを是非克服したかったのだが‥。

 同じような講座は無いので、代わりに興味のある他の分野の講座を受講しようと思っているがなかなかいい講座が見つからない。


本日からの講座は「平家物語」

2014年09月30日 09時01分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は、「『平家物語』のやさしい読みかた」(源平盛衰記の章・その2)。全8回の講座の第1回。平家物語は自分で何回か通しで読んでいるが、源平盛衰記は読んだことはない。しかも平家物語を通しで最後に読んだのは記憶にないほど昔だ。30代の初め位だろうか。忘れていることの方が多い。平家物語との関係を踏まえての購読らしいので、理解しきれるのか自信はない。

 だが、平家物語は好きである。激動期となった平安末から鎌倉期にかけての芸術はとても魅力的である。和歌の世界も、軍記ものも。そして人の生き様も魅力に富んでいる。

秋は熟睡

2014年09月30日 08時36分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は21時半過ぎた頃には寝てしまった。朝4時半頃にいったん目が覚めたものの、そのまままた気持ちよく寝た。7時半に目覚めるまで約10時間の熟睡は久しぶりだ。お風呂に入らなかったので、先ほど時間をかけてシャワーを浴びた。浴槽内を締め切って高温で汗が少し出るほどにして体を洗った。ようやく体が目覚めた気分になった。
 最近はどうも深い眠りが少ない。朝になって「よく眠った」という実感があまりない。そんな気分になるのは週に1~2回位だろうか。日中の運動量やパソコンの操作時間、あるいはお酒の量とは相関関係はない。どういう具合だろうか。

 そろそろキノコの料理が嬉しい時期である。昨日の夕食はシメジとマイタケ入りの炊き込みご飯を作ってくれた。鶏肉と油揚げとシメジと人参。これと野菜5種ほどのてんこ盛りサラダとインゲンの胡麻和え。

御嶽山の噴火

2014年09月29日 20時57分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 御嶽山の噴火に伴う人的な被害についてはまだ確定はされていないようだ。NHKの報道では亡くなった方が12名、心肺停止という方が24人ということで、昨日よりも数が増えてしまった。これからもまだ増える可能性が無いとは言えない。山に入っていた人の数も確定は不能である。犠牲者がこれ以上増えないことを祈ることと、救助作業での二次災害が起きないことを願うしかない。

 今の段階であれやこれや評論する状況でもないし、実態もわからない。マスコミが客観的な状況を正しく報道しているとも思えない。噴火に関する事前の地震の解析と評価、それに基づく避難体制や登山者・山小屋関係者等々への周知などのあり方は今後の真摯な検討が必要であろう。
 しかし地震や噴火に関する研究はそれはとても困難であると思っている。火山性微動といってもそれと噴火とはつながらない。火山性微動だけでおさまってしまう場合の方が多いとも云われている。少なくとも今の段階で絶対的な兆候も、活動予測も出来ないという言は承認せざるを得ないと思う。
 研究というのは地味で報われることの少ない蓄積の上に成り立つものであることをあらためて私は実感している。自然現象をすぐにでも解明できるなどと甘く見てはいけない。費用対効果などという尺度で物事を判断してはいけない。御嶽山の噴火でブログをいくつかみたら、「予知も出来ない研究なんかすぐに止めてしまえ」などという暴論まで飛び出していた。言うのは自由かもしれないが、あまりに無責任でひどいものであると思った。

 私たちが踏まえなければならないのは、海や山や河川、その他さまざまな自然の中でのレジャーにはこのような危険は常に付きまとっていることをあらためて今回の事態は認識させてくれた。
 人間は自然の中に浸ることによって自己を回復したり、再発見したりする。これは山登りの私の拙い経験でもある。常に自分の体力や自然現象と対話しながら、コミュニケーションのアンテナを張り巡らしながら山道を歩いている。人間であるから、常にそれが間断なく継続できるわけではないが、持続する意志は重要である。高校野球の実況中継や音楽をイヤホンで聞きながら登っている人がいるが、このような人には「自然との対話を拒否していては、登山という自然との対話は止めた方がいい」というべきであろう。
 雨、気温、湿気、風向きや強さ、雲の動き、時刻と体力、水分・栄養補給、鳥や動物の声やもたらす音、植物のあり様等々いろいろな情報を目・耳・触感・匂いなどをフル稼働して集めている。さらに人間社会から切り離されて孤独の中でいろいろな想念とも対話をしている。
 このように自然の中に自分を投げ出すことで、結果として人間は危機管理に対するノウハウも身につくと思っている。人間社会での振舞いの勉強にもなる。人間が人間である限り、山や海や河川などに身をさらす行為やレジャーは無くなることはあり得ない。どんな時でも人間はそのような指向を持ち続けるはずである。
 よく山登りの達成感という言葉を聞くが、これは単に体力だけの問題ではない。体力を大いに使いつつも、自然や自分の体との対話をどうこなしてきたか、という総合的な経過そのもののことである。このことを抜きにして達成感というのはあり得ない。それはどんなことにも当てはまると思う。
 今回、噴石や火山灰、硫化水素、高熱といった人間では対応しきれない事態があっという間に、それも一度に登山者を襲った。逃げおおせた人が多かったのは奇跡的であった。それでもとっさに下山の判断をしたり、石室などの避難小屋をめざしたり、リュックを背中の防御に利用したりという、はたから見れば当たり前のようなことでも現場に遭遇すればそう簡単に実行できるものでもない。それを実行できた人が多かったようだ。このようなとっさの行動をとっても怪我をされたり、亡くなった人も多いはずである。生死を分けたのは奇跡としか言いようがないかもしれない。

 あんな危険な山に行ったのだから自業自得、という人もいる。確かにそうである。しかしこの自然との対話に対する指向は、人間が人間であるかぎり無くなることはない。人間であることの証といっていいかもしれない。これを止めることはできない。
 あとは装備と体力、そして自然との対話能力をどう万全なものにするかということである。残念ながらこれは経験でしか身につかないものでもある。そして万全な用意をしても自然の力の前では無力であることも事実である。

水蒸気噴火と水蒸気爆発を間違えて表記

2014年09月29日 09時48分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 恥ずかしいことながら、昨日の「御嶽山噴火」と「スマホが突然壊れてしまった」の記事で、今回の噴火を「水蒸気爆発」と記載してしまっていた。正しくは「水蒸気噴火」であったことに今朝起きて気がついた。先ほど訂正をさせてもらった。何とも情けない。
 大昔習った記憶がある。当時と今の定義は変わっていないようである。

火山における水蒸気爆発とは「地殻内のような密閉した空間に帯水層があった場合、そこへマグマが貫入することによって大量の水蒸気が急激に発生すると、このタイプの水蒸気爆発が起こる。その際にマグマも一緒に放出された場合、特にマグマ水蒸気爆発」(ウィキペディア)と呼ぶ。
 「マグマの熱で付近の地下水が気化し、大量の水蒸気が発生して圧力が急速に上昇することによって起こる現象。火口付近の岩石が砕け、噴石や火山灰として飛散する。」(デジタル大辞典)
 水蒸気爆発は規模が大きく時には山体崩壊を伴い、大きな被害が出ることがある。水蒸気噴火は比較的小規模が多いという。

 しかしどちらも自然現象である。今回のように小規模とはいえ、人的被害や人間社会には大きな被害をもたらす。

新機種のカスタマイズ

2014年09月28日 23時56分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日と明日は新しいスマホの設定で時間を費やしてしまいそうである。
 本日はまず余計な使いもしないアプリやインストールされているソフトを捨てたり、画面から追い出したりということに費やした。それをしながら新しい機種の操作方法を習得していくこともできる。
 しかし本当にお節介極まりないほどに余計なものが入っている。また使いもしない有料アプリを入れさせられる。一か月無料なのでどうしても入れないと販売してくれないのだ。明日にはアンインストールしてもらって構わない、と前回の購入時にも言われた。わざわざ捨てる作業をこちらに強要するなどとは購入者を馬鹿にしているとしか思えない。これはまさに押し売りである。
 しかも電子マネーの設定に至っては、機種が壊れた場合はそれぞれの事業者が継続のために手数料を取るという。Suicaなどは510円もかかるという。バカバカしいから継続はやめることも検討しようかと考えている。
 他の3種の電子マネーも対応が悪ければ解約も考える状況である。安いとはいえ気安さや便利さと引き換えの新手のぶったくり商法だともいえる。
 それよりも2年と4か月で壊れてしまう機種というのもひどいものである。

 不満は噴き出すと止まらないが、かといってこれまでの生活を変えるのも面倒である。スマホなどやめてしまえという声と天秤にかけながら、冷静に判断しようと自分を宥めている。

スマホが突然壊れてしまった

2014年09月28日 19時17分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩20時過ぎに突然スマホの電源が入らなくなり、機械そのものが動かなくなってしまった。Suica機能をスマホに入れていたので、電車に乗るのにかなり慌ててしまった。久しぶりに切符を購入して入場した。慌てて家電量販店に駆け込んで調べてもらったが、もとに戻らない。やむなく本日ショップで買い替え。設定や電話帳は無事に戻ったものの、電子マネーの設定は自分でしなくてはいけないとのこと。復元はかなり面倒であるようだ。
 しかし別にカードのSuicaも持っていた。慌ててしまってそのことを忘れていた。
 突然このように壊れた場合、実に面倒なことになる。便利なようで不便極まりないこともある。

 御嶽山の噴火、犠牲者・けが人など昨日の報道よりも多くなっている。自分もひょっとしたら出かけていたかもしれないので、他人事とはとても思えない。水蒸気噴火だから事前の予知はかなり困難であったと思われる。あの美しい中腹や山麓の風景が火山灰で覆われて一変してしまうと思うと残念な気もするが、それが火山のもつ宿命でもある。降灰での農業被害も深刻になるかもしれない。


御嶽山爆発

2014年09月28日 04時11分22秒 | 山行・旅行・散策
 13時過ぎにたまたまツィッターを起動したら御嶽山の噴火の模様を伝えるツィートが目に入った。幾人かが避難小屋付近の状況を映していた。ひょっとしたら自分も入山していたかもしれない、という思いも湧いた。時期的には紅葉の始まりの時期でもあり、入山者は多かったと思う。
 夜遅く帰ってからテレビを見たらかなりの人がけがをして山に取り残されているようであった。何とか無事に戻ってほしい。自分ならどう行動をしたか、もし自分一人が山に入っていたらどうなったか、小屋がなかったらどうなったか等々いろいろなことを想像した。

 御嶽山は、1995(平成7)年に登っている。南東側のバスで田の原まで行きそこから大滝頂上-剣ヶ峰-飛騨頂上-五の池小屋(泊)-継子岳を周回して濁河温泉に下山した。夜行列車で木曽福島駅まで行って、五の池小屋で自炊をして昼前に濁河温泉で湯に浸かっり、飛騨小坂駅までバスを利用した。

 火山噴火については地震と違い予知はそれなりに精度が高いのではないか、と考えていた。だから入山規制などが当然事前に行われる可能性が高いと思い込んでいた。今回山小屋も通常営業をしているのだから、入山規制が行われていたわけではなさそうである。予知というのは困難だったと解釈していいのだろうか。
 報道で見る限り水蒸気噴火だから事前の火山性微動が観測されていなかった可能性は高い。しかし水蒸気噴火にしては大きい噴火だったのではないか。しかも噴煙を見ると噴火地点は複数ある。人の観測網には引っ掛らない何らかの事前の兆候があったかもしれない。

ツィッターとその世界への危惧

2014年09月27日 11時15分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は退職者会のニュースのための資料づくりを始めた。とりあえずは画像として取り込む資料や写真を揃え、引用する文章の確定をしておけば、ニュースの記事作成と版下作成は半日で終わる。仕上げは印刷作業でこれは1時間で終了する。

 このブログはツィッター連携をしている。ブログでのコメントのほか、ツィッターでもリツィートをしてもらったり、ツィートを送ってもらったり、ツィッターを見てメールをくれたりと繋がりがある。いづれも嬉しいものばかりである。感謝している。
 しかしツィッターというのは、以前にも書いたとおり140字以内という極めて限られた発信なので、文章にこなれていないと誤解を招く文章がいたるところに溢れている。それだけではなくて、その誤解に基づく棘のようなやり取り、罵り合いが続いている。会話の世界と文章の世界の区別、会話の延長上には文章の世界は無いということの理解がないととても恐ろしい世界である。
 ツィッターが新しい文化を醸し出す、と単純に思わない方がいい。ただしこのことを理解してキチンとした発信をしている方もまた多数おられる。たぶんこの方たちの振舞いから新しいものの可能性は出てくるのだろう。
 もうひとつ不安なのは、ツィッターというもの自体が持つ不安定性に危惧を持っている。機能に対する信頼性が今ひとつ。昨日もリツィートとお気に入り登録をいくつかしたが、反映されないものが各2件あった。そして過去に遡ってその反映されなかったツィートを探したが、14時間以前のものが出てこなかった。誰のツィートだったか失念してしまったので、探すのにはフォロワーをひとつづつ検索しなくてはいけない。それほどの時間を費やすことはできないので探すのは断念せざるを得なかった。
 ツィッターのバージョンアップは頻繁だが、今ひとつ機能に対する信頼性が向上しない。プライバシー防御の観点からも今ひとつ信頼出来ないものがある。自己の防御を幾重にもしておいた方が良さそうである。

 ツイッター上では、気に入らないコメントや管理人に対する攻撃として、その人のプライバシーをどういう方法でかはわからないが、探し出してオープンにして「晒す」という行為が公然と行われる。当初はネトウヨだけかと思っていたら、それと反対側に位置する人間もそのようなことをしている人もあるようだ。
 モラルの崩壊が地方議員に波及して、金で醜態をさらした兵庫県議、自身の辞職を求める請願者の連絡先を晒した札幌市議、野次で批判を浴びた都議がやり玉に挙げられているが、それを批判する側が同じことをしてしまっていては誰もついていかない。政治に対する幻滅と不信を拡大するだけである。

彼岸花

2014年09月26日 23時18分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の作業終了。明日は退職者会の集まりが午後からあるので、参加する。好天の予報なので、ウォーキングに精を出したいのもやまやまだが、こんなにいい日和だとつい無理をしてしまうかもしれな
いので、いい塩梅かもしれない。さらに干した布団が気持ちいい。

 このところ退職者会の行動がたて込んでいる。残念ながら講座の日程といくつかぶつかっている。これ以上講座の日程にぶつかったり、美術館などの見学に支障がでないよう祈るばかりである。

 台風17号が東日本をうかがっている。小笠原諸島、伊豆諸島は直撃になりそう。天気予報では本州直撃はなさそうではあるが、まだまだ不確定で予報円は大きい。
 秋は台風の季節、秋の好天は少ないといわれる。しかしせめて彼岸花の咲いている間は好天が続いてほしい。

★転移てふかなしき語あり曼珠沙華  石田波郷
★彼岸花父の病を母嗣ぎき  石田波郷
★むらがりていよいよ寂しひがんばな  日野草城
★曼珠沙華咲く野に出でよ観世音  橋本鶏二
★つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子
★曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり  中村草田男
★何がため赤い結末 曼珠沙華  水田昊子
★落日と対峙は 一本彼岸花  伊丹三樹彦
★曼珠沙華ある日の雲によろめきぬ  稲村沙都子
★散る時は野獣の叫び曼珠華  垣内和代
★山の日はいつも無傷に捨て子花  菊地一雄




 

秋晴れ

2014年09月26日 19時17分53秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中から汗ばむように晴れあがった。しかし湿気はなく、とても気持ちのいい日であった。久しぶりに自分のペースで街歩きをしようと思い、ウォーキングよりは少しだけ遅め、おおよそ7800歩/時間のペースで歩いてみた。神奈川宿を経由して旧東海道を保土ヶ谷宿まで往復を歩いた。23000歩ほどだったが、気持ちのいい汗をかくことができた。

 韓国では彼岸花が盛りであった。日本では盛りを過ぎているのだろうか。それでもウォーキングの途中道路わきの敷地にたくさん咲いていた。斜面に多く見られると思うが、そのような土地を好むのだろうか。秋の日には彼岸花がよく映える。

★秋晴れに置き忘れたる夢の嵩  五十嵐栄子
★秋日和み仏に立ち歌碑に立ち  水谷美恵子
★秋晴れやペースメーカー異常なし  広川貞女
★海越えて大秋晴れや叫びたき  高橋恵光子
★秋晴れや父母なきことにおどろきぬ  内田美沙
★靴ベラがものいいた気な秋日和  田辺三耶子
★秋晴のどこかに杖を忘れけり  松本たかし
★秋晴や友もそれぞれ祖母を持ち  中村草田男
★秋晴の口に咥へて釘甘し  右城暮石
★畳屋の肘が働く秋日和  草間時彦
★秋晴や逢瀬の如き医者通ひ  石田波郷

「左手のピアニスト、舘野泉、再びつかんだ音楽」

2014年09月26日 12時07分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 NHKのアーカイブスでピアニストの舘野泉氏が「左手のピアニスト」として復活の日々を追った番組「左手のピアニスト、舘野泉、再びつかんだ音楽」を放映していた。11時まで時間の経つのを忘れて見た。2005年放送。
 2002年リサイタル終了直後に脳出血で倒れ、右手が麻痺した後、ブラームス編曲のバッハのシャコンヌを弾き込んでいく中で、音楽を獲得していく経過を語った語り口、親交のあったフィンランドの作曲家ノルドグレンや日本の作曲家間宮芳生への左手のためのピアノ曲の作曲との対話、いづれも心に沁みるものを感じた。
 バッハの曲についても、つまらない曲と思っていたのが、弾き込んでいるうちに音が生きてきた、音楽が生きてきた、というくだりは音楽愛好家には特に響いてくる言葉だと思った。
 番組の最後の方でシベリウスが晩年を過ごしたアイノラの旧居で弾くピアノ、そしてフィンランドの森の風景もまた心に残った。舘野泉氏は日本シベリウス協会の会長もされている。

舘野泉氏をおった番組は2012年にもあるようだ。これも再放送を見る機会があれば是非みたい。

 間宮芳生の曲が収録されたCDを探して見たくなった。


 昨日までに、ブログに載せようと思った韓国旅行の資料と写真は整理した。後は文章を書くことが残っている。

5世紀の「倭の五王」

2014年09月25日 22時35分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の古代史セミナー9月講座の講師は田中史生関東学院大学教授による「倭国の外交と「大王」の「治天下」」。5世紀の「倭の五王」の東晋・宋への朝貢の背景と雄略に擬せられる「倭王武」以降の朝貢途絶についての講義があった。
 詳細は省くが、「倭王武」の朝貢以降6世紀の遣隋使まで倭から中国への朝貢が途絶えたことについて、西嶋定生などの「倭国なりの天下論で中国の冊封体制からの離脱指向」とは言えないという視点での説明が行われた。
 朝鮮半島での高句麗の強大化・南下、ならびに山東半島の所有権が中国の南朝から北朝の北魏に移ったことで通行が困難になったこと、北魏と高句麗の接近に伴う北魏への朝貢の機会喪失などの国際環境からの説明が行われた。これは新しい視点のようで、なかなか示唆に富む視点ではないかと感じた。
 冊封体制下では、中国の天下概念に抵触しない限り、独自の「天下」は中国の天下の「一隅」として位置連れられる限り中国の許容範囲であった、とのことも指摘された。
 高句麗も「太王」「天下」を称しているが、中国皇帝を頂点とする冊封体制への対抗意識は持っていなかったという指摘もあった。

 このような行き詰る対中・対朝鮮外交の中で、倭国自体の支配体制も混乱し、あらたな支配の体制を模索し、「大王」号や「天下」観を再構築したのではないか、葛城・吉備氏などにかわり、物部氏・大伴氏などの台頭へとつながるのではないか、というところまでが本日の講義内容であった。

 とても示唆に富む刺激的な講義内容だったと思った。


写真展「昭和」

2014年09月25日 18時51分16秒 | 読書
  

 古代史セミナー9月講座の会場である神奈川県立地球市民かながわプラザで、写真展「昭和」(写真家が捉えた時代の一瞬)を開催していた。講座終了後に450円で入場した
 木村伊兵衛、入江泰吉、土門拳、浅野喜市、濱谷浩、緑川洋一、林忠彦、芳賀日出男、長野重一、田沼武能、熊切圭介の11人がの写真家が昭和10年(1935)~45年(1970)までの作品161点が展示されていた。
 大正デモクラシーの時代の残照が残り、関東大震災からの復興が東京をはじめ都市を大きく変えた時代から、昭和の恐慌を経て日中戦争から第二次世界大戦にのめり込み、敗戦、戦後復興、高度成長期と政治の季節への道筋がモノクロームの印画紙に克明に記録されている。
 大正デモクラシーの明るくそして逞しい庶民の生活が、昭和恐慌から日中戦争へと急傾斜で市民生活を圧迫し、国民をあっという間に巻き込んでいったか、人々の表情から察することもできる。同時に大正デモクラシーの残照の時代の人々の明るい表情がとても印象に残った。あの明るい表情の下には、戦争の足音が迫っていたと思う。さらにあの明るい世界の後ろには明治維新以来のアジアにおける覇権を求める日本のアジア侵略と、国内における過酷な格差社会と収奪が存在していたことを思い出す必要がある。
 しかし果たしてあの戦争の惨禍から回復することができたのであろうか。高度成長を経て豊かな社会になったといえるのだろうか。明治維新以降の近代化の歪みが私たちにもたらしたものは何か、あの戦争がもたらした惨禍とは経済的な損失だけではなかったのではないか、高度経済成長はそれらの歪みを拡大再生産しただけではないのか、いつもこんな疑問を私は持ち続けている。

 そんなことを想いながら会場を後にした。

 下の写真は土門拳の「原爆ドーム」(昭和32年(1957))。