Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読了(坂本繁二郎展図録)

2019年08月31日 23時28分49秒 | 読書

   

 先ほど1時間ほど前に帰宅。「没後50年 坂本繁二郎展」の図録の残りを読み終えた。
 論考は以下の3つ。
1.坂本繁二郎の絵画観、渡仏期の形成~コローからゴーギャン
                     小野寛子(練馬区立美術館主任学芸員)
2.坂本繁二郎の発見           加藤陽介(練馬区立美術館主席学芸員)
3.坂本繁二郎の静物画について      中山景子(久留米市美術館学芸員)

 気になった叙述などは坂本繁二郎展の感想の、その3以降に触れることにしたい。

 本日はこれにて就寝。

 

 


カジノ誘致反対集会

2019年08月31日 15時38分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

自由民権会議@神奈川で、横浜港運協会会長の藤木氏の講演会。

講演者への評価はいろいろあるが、カジノに反対する運動の広がりを求めて。横浜港の将来のビジョンも含めた議論の必要性もあらためて痛感。

 


本日の予定

2019年08月31日 11時18分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は家に着いたのが0時50分。沸かしてくれていた風呂に入り、パソコンでメールチェックをして、いつものとおり血圧測定・降圧剤などの服薬・緑内障の点眼薬を終えて、ツィッターに目を通し、2時半過ぎに就寝。いつもより1時間ほど遅くなった。
 起床は8時半だが、朝食後さらに1時間ボーっとしていた。日付が変わっての帰宅は疲れる。横浜駅の一つ手前でおりてタクシーに乗ろうとしたが、やはり並んでいるので結局歩いて帰宅した。さすがに妻はもう寝ていた。

 昨日、岩波書店の「図書9月号」が届いていた。明日にでも読む予定。読みたいものがそれなりに並んでいる。9月の岩波新書の出版予定に「酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情」(井田太郎)が記載されている。星月20日の発売が待ち遠しい。
 「俳諧の詩学」(川本皓嗣)も目に入ったが本体価格3300円ではとても手が出ないし、読み切る自信もない。

 本日は14時半から講演会、18時から学生時代の友人と会食。一昨日だいぶお酒を飲んだので、昨日は少々控え目。本日も少々控え目にしたいのだが‥。理性が頭を支配してくれるか、自信はない。
 これより友人との会食のときに配布する簡単な資料を作成予定。


渋谷駅発

2019年08月30日 23時35分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

遅くなってしまったが、渋谷駅発。横浜につく頃には日付が変わってしまう。

こんな時間の帰宅は何年ぶりであろうか。
横浜駅からのタクシーは長時間並ばないと無理そう。

歩くのはつらい。悩みどころ。


渋谷・・・

2019年08月30日 18時04分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

久しぶりに渋谷の駅周辺を20分ほど歩いてみた。旧東横線沿い。新しい街というのははどうもしっくり来ない。そそくさと喫茶店に逃げ込んだが冷房が少々きつい。

これより喫茶店で1時間ほどの読書タイム。寒さに耐えられれば、という条件付きだが。


お酒と血圧

2019年08月30日 12時03分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 九州北部はじめ豪雨の被害が出ている。一日も早い回復と復興がされることを望みたい。本日は近畿から北陸、東北の日本海沿いに大雨警報等が出ている。被害が出ないで欲しい。

 昨晩寝る頃には降っていたのだろうか。明け方からはかなり強い雨音がしていたのはそれとなく記憶している。強いときで時間雨量にして20ミリの雨が断続的に降り続いたようだ。8時半前に起こされた時は雨の音が強くなった瞬間と重なった。現在は雨が上がっている。昨晩のお酒が効いて起きるのがつらかった。

 昨日の旅行、雨は降らずに済んだ。関東地方はちょうど晴れて、暑かった。熱中症の警報が出てしまった。退職者会の旅行としては時期的に相応しくなかった。さきたま古墳群では太陽と照り返しに参加者はちょいとつらかった。また酒蔵見学も暑い最中でつらかった。
 さいわい具合の悪くなった人はおらず、ホッとした。

 お酒を飲み過ぎた翌日はやはり血圧が高くなる。わたしの場合は最低血圧が基準値を超える。寝る前の降圧剤もあまり効かない。深酒は禁物なのだが、つい飲んでしまう。本日も朝は高かったので、降圧剤を追加で服用。午後には一カ月ぶりにいつもの内科で降圧剤を処方してもらい予定日である。医師には一カ月の血圧の測定票を見せるが、数値が基準値を超えているときは深酒のときである。注意をするように指摘されるはずである。こればかりは人の所為に出来ない。
 酔っているときは誰もが血圧は低くなると思う。しかし酔いが醒めかけたときが高くなる。このときが要注意なのだと云われたいる。

 今晩は渋谷に出かける予定。お酒は控えめにして帰宅予定。


明日は丸木美術館・さきたま古墳群

2019年08月28日 23時06分44秒 | 山行・旅行・散策

 雨は今のところ上がっている。空には雲の切れ間もあった。風は強い。45分ほどのウォーキングをしてきた。
 明日の天気は曇りのち午後から晴れ、の予想。横浜の最高気温は32℃となっている。

 明日は退職者会の日帰りバス旅行。丸木美術館・さきたま古墳群をめぐって酒造見学をしてくるコース。朝7時に横浜駅に集合、横浜に戻るのは18時前。定期観光バスではなく私達で企画したコース。

 いつものとおりカメラを持参して、役員としての役割もこなさなてはいけない。しかし丸木美術館、さきたま古墳群ともに行きたかったところである。


「坂本繁二郎展」 その2

2019年08月28日 21時35分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 今回は「牛」3題。坂本繁二郎の「うすれ日」(1912)を第6回文展で夏目漱石の目にとまり「牛は沈んでゐる。もっと鋭く云へぱ、何か考へてゐる」と評した。このことは私のブログでも言及したことがある。あの辛辣な夏目漱石が褒めた、ということで坂本繁二郎のデビュー作といわれることもある。世間に注目されるようになったのである。
 当時西田幾多郎を評した鈴木大拙が「西田は‥牛らしいところはあつた。それは一筋に前方を見つめて進む漢だとの義である」と述べて、たゆまず努力し続ける人を評して牛にたとえることが行われた。そういう背景から漱石の評を理解してみると面白い。若い作家への励ましの評として読める。
 一方で私はこの絵がとても窮屈に見える。牛が見ている方向にすぐが画面の端である。うしろのしっぽのほうに木があり、さらに右に画面の端がある。わたしはこの作品を見るたびにどこか座りの悪い人形を見たような気分になった。牛だけが左右反対になって木に向かうと落ち着く。描かれた頭の方向が寸詰まりなのである。



 後の「海岸の牛」(1914)でも頭の方が狭いが、「うすれ日」よりも広い。しかも元は頭の方にあったという杭が後ろにきている。これによって右側が開け、お尻側の広い空間が杭によって縮まった。結果として牛の位置がとても座り心地のいい場所に収まっている。新たな杭の位置がとてもいいのである。牛が全体的に頭の方が白っぽく、それを反映するように草地と空もも右側が白っぽい。そして波の白は牛のお尻の方にだけ見える。
 これによって色彩の左右のバランスもまた釣り合いが取れている。この色彩の左右のバランスを確認するうえでは、牛の腹の下の紫と青の線形の影のような彩色と、左側の縦の杭の影のような紫の彩色も杭の影にしては太いのだが効果的だと思う。その計算が鼻につくかというと私はそうは思わない。ごく自然に受け入れられる。



 ヨーロッパに行く前の年に描かれた「牛」(1920、アーティゾン美術館)は、図録を見る限り1970年、2006年いづれでも私はこの作品を目にしている。しかし印象に残ったのは今回が初めてである。鑑賞眼がなかったということだと思う。
 この作品では左側の牛の尻尾の方は尻尾が一部描かれないほどに狭く、頭の方は少しひらけて、柏の木の太い幹がある。ヨーロッパの印象派の画家が浮世絵の構図に影響を受けたという、画面を縦に遮断する樹木を配置している
 坂本繁二郎のこれまでの、そしてこれからの作品とは異質なモノクロームに近い彩色である。しかしよく見ると柏の葉は実に色彩が豊かである。そしてそれに対抗するように牛が黒く、沈んで見える。色彩のバランスだけでなく濃淡によるバランス、構図上の安定などを工夫した画面に思えた。留学前のこれまでの総決算のような作品に思えた。ルドンが晩年に色彩を解放して華やかな画面になったように、色彩をため込んだような作品に思えた。
 この作品、これからもっとじっくりと頭の中で温めて、味わってみたいと思った。


大雨注意報ふたたび

2019年08月28日 09時47分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

    

 『「坂本繁二郎展」 その1』のテニオハを修正と若干の加筆を施した。いつもいったんアップしてから、訂正箇所や加筆・削除の必要性に気がつく。

 昨晩来のシトシト雨から次第に風も強まり、雨が強くなってきた。今しがた私の住んでいる地域に、1時間換算で約60ミリの豪雨の予報メールが来た。
 長崎・佐賀・福岡では特別警報も出ている。長崎にいる友人のことも心配である。神奈川県でも現在は西部の箱根町・小田原市辺りで強い雨が続いている。その強い雨の区域が県の東部に向ってきている。

 横浜市域には大雨・強風・雷注意報が出ている。竜巻注意情報もきた。この強い風雨のなか、ミンミンゼミとアブラゼミが鳴いている。心なしか弱々しい。


「坂本繁二郎展」 その1

2019年08月27日 23時51分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 

 私は大規模な「坂本繁二郎展」を1970年の「追悼展」(日本橋、東急)、そして2006年の「石橋美術館開館50周年記念」(ブリヂストン美術館)の2回も見ることができた。今回で3回目、幸運といえば幸運である。実は1970年の追悼展は私の頭の中では「ブリヂストン美術館」で見たとばかり思い込んでいた。しかし先ほど再確認したら図録には「日本橋、東急」と書かれており、これまでブログで記載してきたことは訂正しなくてはならない。
 2006年の展覧会がブリヂストン美術館であった。何しろ49年前の高校3年生の時の遠い記憶なので、許してもらいたい。

 さて今回の「没後50年 坂本繁二郎展」は、
第1章 神童と呼ばれて    1897-1902年
第2章 青春-東京と巴里   1902-1924年
第3章 再び故郷へ-馬の時代 1924-1944年
第4章 成熟-静物画の時代  1945-1963年
第5章 「はなやぎ」-月へ  1964-1969年
という構成になっている。

 第2章では、青木繁との交友が窺われるものが展示されている。青木繁の「坂本繁二郎像」というスケッチ、妙義山へのスケッチ行などの青木繁の資料、そして青木繁の「海景(布良の海)」(1904、石橋財団アーティゾン美術館)、同じく青木繁の絶筆「朝日」(1910、佐賀県立小城高等学校黄城会)などの作品はあまり見ることがないので興味深く見ることができた。



 特に「朝日」は図版でしか見たことがなく、実際に見ると彩色が鮮明で、大きくうねる波と空の雲の対比、太陽の光のグラデーションに惹きつけられた。

 このコーナーの坂本繁二郎の作品では妻を描いた「張り物」(1910)と対面出来た。3回目の対面である。太陽の光が反射した布地は、あまりに輝き過ぎているが、これが坂本繁二郎の「観察」なのである。
 今回は、雄大な景観と身近な景観との差はあるものの青木繁の絶筆の「朝日」の光の描き方と相通じるような印象を受けた。ただ単に近くに展示してあったからの印象なのだろうか。とても気になった。

 今回取り上げるのは3作品。「張り物」の外に「魚を持ってきた海女」(1913、石橋財団アーティゾン美術館)、と「髪洗い」(1917、大原美術館)の3つの作品に共通して描かれている白い洗面器がとても気になった。  



 「張り物」(1910)では人物の手元を照らす太陽の赤い光に呼応してやはり光を放っているかのような白い洗面器は、赤い色面を囲む白い曲線(画面上部右から左へ、そして白い前掛けから洗面器へ、右端の白と青の模様の布地、右上に直線で伸びる白っぽい柱)という色彩の配置の一環である。この赤と白の対比に置かれただけでなく、光を発する硬質の素材として底面に赤が反射し、工夫した色彩配置の重要な役割を持っている。



 それに引き換え「魚を持ってきた海女」(1913)ではどこか唐突で、異様に浮き上がって見える。洗面器だけが異様に白く輝き、色彩のバランスに首をかしげてしまいたくなる。白い洗面器の役割が私にはよくわからなかった。洗面器以外の描写とどこか人を食ったような海女の表情と姿勢、背景の松の形は配色、下側の魚や各種の器の色彩はうまく収まっているのだが‥。



 そして三枚目の「髪洗い」(1917)は、髪を洗う妻と下半分の白い台と洗面器がすっかり分離している。これは画家の二つの興味、あるいは意識の分裂のように思えた。人物を描く暖かみのある光や色彩のグラテーションへのこだわりと、硬質な台と洗面器の質感と光のグラデーション、この二つの要素の統一がうまく処理しきれなかったのだろうか。
 面積的にも洗面器とそれが載っている台は異様に大きい上に白い色彩で、全体の構図から見ると人物とのバランスが崩れている。そして白い洗面器は、実に丹念に描かれている。少しばかりの青や赤味を施され、後の静物画の色彩を予見させるのではないか。
 そしてこれ以降、渡仏期を除いて坂本繁二郎は人物画への興味を次第に失っていくのではないかと、いうのが私の印象である。ここで描かれた人物についてはひょっとしたらルノワール的な描写なのかとは素人の私の印象である。人物も表情が窺うことも出来ず、体の輪郭も朦朧としている。存在感は確かにある。
 人物の存在感と、顔の表情とは違うのだということが、49年前の私にそれとなく示唆してくれたように今になって気がついた。

 その2へ

   


いつの間にか1日が終了

2019年08月27日 20時39分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 日曜日に入稿した新聞の校正刷りが早くも送られてきた。早いものである。しかしいくつかの手直しをお願いすることになった。おもて面の再校正刷りも夕方には届いていた。うら面の再校正刷りは明日に持ち越し。

 15時からいつもの眼科で緑内障の診察と点眼薬の処方箋を貰いに行ったら、待合室から溢れるほどに混んでいた。お盆休みも終わって2週目なのでびっくり。とはいえ明日は休診、明後日は私が朝から所用があって診察に来られない。どうしても本日中に診てもらわないといけないので、1時間半以上待っていた。
 といっても途中抜け出して往復30分ほど歩いたところの銀行でお金をおろしてきた。薬局で払う5000円余の薬代を確保できた。診察後に銀行にいってもたいしてかかった時間は変らないのだが、じっと待つばかりよりは体を動かしていた方が気分的には楽である。またおしゃべりな人の止めどなく、抑揚のないだらだらのおしゃべりを聞かされるよりは余程ましである。

 1時間ほど前からいつの間にか雨が再度降り出した。昼間は降らなかったが、現在は横浜市域全体がすっぽりと5ミリ未満の雨の区域に覆われてしまった。昨日と違い弱い雨の区域だが、範囲は広範囲である。

 校正刷りの点検と、眼科の長い待ち時間の影響で、坂本繁二郎展の感想の準備作業は出来なかった。これより再開。


明け方にかけて大雨警報

2019年08月27日 12時05分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の眠気はすっかりなくなり、心地よい目覚めであった。一度強い雨の音で目ざめた記憶が微かにある。が、すぐにまた寝入ったようだ。

 明け方にかけて大雨・洪水警報、雷注意報が出ており、頻繁に豪雨情報がたくさん着信していた。横浜市域の磯子区などの南部と、鶴見区などの北部のそれぞれに強い雨の区域が出現しほぼ停滞していた。今はいづれもが北に移動して、千葉県の北部にまで達している。
 現在横浜の市域には雨の区域はなくなり、警報も注意報も解除となった。一時は河川の水位もだいぶ上がったところもあったようだ。

 11時に27.2℃。本日も30℃を切るかもしれない。
 「処暑」の声を聴くと同時にガラッと気温も低くなり、蝉の声もツクツクホウシが鳴きはじめ、夜には秋の虫の声が蝉の声よりも耳につくようになった。例年のことかもしれないが、しかし、不思議なことである。

 午前中は家のことを少々。これより「坂本繁二郎展」の感想の準備作業。