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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年賀ハガキの当選番号

2017年01月31日 22時34分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 時の過ぎるのが早いとはあまり思わなかったが、いつの間にか1月も31日。ようやく時の流れの速さを自覚した次第である。
 本日は横浜駅の傍の安い居酒屋でノンビリとひとり呑み。このお店は焼き鳥が安くておいしい。皮3本とネギ間を3本、それぞれ塩で注文。お酒はホッピー。いい気分になって35分歩いて帰ってきた。

 家に着くなり思い出したのが、年賀状の当選番号。すでに発表になってから2週間以上経過している。どういうわけかまったく思い出さなかった。膝の痛みで耐えていたのが原因だろうか。さっそく当選番号をネットで調べてこれから照合することに。

 昔からこのような籤などで当たったことがない。当たったら何がもらえるのか、ワクワクしながら照合を始めた。たぶんこのような「取らぬタヌキ」の根性がいけないのだろう。あまり期待しすぎるのが当たらない原因だと友人に指摘されたことがある。当たる当たらない以前に充分楽しんでいる。

【追記】
 妻と「1等の10万円が当たったらどうしようか」などと話をしながら約120枚ほどのいただいた年賀状を照合した。
 結果は、3等の切手シートが3枚。
 いづれも毎年の水準とおなじであった。とりあえず20分ほどはワクワクしながら楽しめた。

夏・秋・冬の霧

2017年01月31日 17時35分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★冬霧を押すやうに牛鳴き出せり    大串 章
★炭馬の首をふらねば霧ばかり     加藤楸邨


 一句目は冬霧が冬の季語。早朝、前日よりも急激に寒くなると川から霧が発生することがある。川の水温は外気ほどには下がらないために起きる。そんな寒い朝霧に覆われた牧場や牛舎から牛は白い息を吐きながら鳴く。牛の生気、温かな体温が感じられる。押すやうに、という表現がすごい。
 二句目はこちらは単に霧とあるので、秋の季語。里山で炭を運ぶ馬が霧の中にいるらしい。馬の歩みも緩いので霧に隠れているのだろう。馬の首を振る仕草がなければ馬と人がいることすらも見分けられない深い霧を感じる。首をふらねば、という表現が適格だと思う。
 二つの句を並べると、冬と秋の、山と川の、牛と馬の、静と動の、聴覚と視覚の差が想像出来て面白い。

★夏霧の海より湧きて海に去り     鈴木真砂女

 夏の霧となると海の霧である。途端に景色は広大となる。

「図書2月号」から

2017年01月31日 09時22分36秒 | 読書
 覚書風に、気になった個所の抜き書き

・宣教師のDNA(篠田謙一)
 昨今では技術と結びついた科学は、お金を儲ける手段としてしか捉えない風潮がある。しかし、科学は社会を豊かにする文化としての側面も持っている。今回の出現(ジョバンニ・シドッチの墓と骨の発見とDNA分析は)それを私たちにおしえているように思う。

・デカダンと理想-田中英光を思う(道籏泰三)
 デカダンスとは、自身と世のなりゆきとに対する懐疑、反抗、憎悪、絶望のうちに生まれ、反社会的な破壊や退廃や陶酔にふける虚無的な態度のことを謂うのが普通だ。が、この定義には、これと裏腹になったもう一つの重要な傾向が捨て去られている。破滅に対する反発、ないし生きる個に必然の生の力である。デカダンスの背後には必ずこれが、理想へのひそかな希求といった形でひそんでいる。たとえそれが意識の深層で半ば忘れられ歪んだ姿をとっているとしてもだ。デカダンスの本質は、表に現われ出た退廃や破壊それ自体にあるというより、奥深くにひそむこの理想にあるといわねばならない。

・新しいモニュメントの到来のために(中)-わたしたち<非当事者>たちのための物語(新井卓)
 政治的文脈や倫理的解釈、教義を留保して、わたしたちは、しばしばモニュメントの表面に留まらなければならない。こうしてわたしたちは、一人ひとりの内に個別に生まれ出ずる、新しい感情と現実感覚を通して、辛くも、他者の記憶を分有するための、わずかな可能性を見いだすだろう。