Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日購入した本

2020年05月31日 21時29分59秒 | 読書

 午後に横浜の家電量販店にネット注文していた本を取りに行こうとしたら、突然の強い雨。ほぼ同時に大雨・洪水・雷注意報が発表された。さらに5分後には大雨警報に切り替わった。
 雷はさいわいにも雷光・雷鳴ともになかった。私の住んでいる国も市から「豪雨情報」がとどした。
 しかし短時間で雨は弱まり、折り畳みの小さい傘をさしながら横浜駅まで地下鉄で出向いた。購入した本を受け取ったものの、家電量販店はかなりの人混みであった。また格安の理髪店も10数名が店外に並び、入る気はしなかった。

 購入した本は、「方丈記私記」(堀田善衛、ちくま文庫、770円)。実は10年ほど前に本棚を整理したとき、堀田善衛の本は7~8冊ほどあったもののすべて古書店に売ってしまった。読んだものも未だ読んでいないものもあったが、すべて文庫本であった。当時はあまり私の心は共鳴しないものだった。
 しかし最近また読みたくなり、近くの古書店4件ほどをまわったけれども℃の店にも堀田善衛の本は置いてなかった。
 また神大の生協が電話などで注文を受け付けていてこれまでと同じように10%引き、ということも知らなかった。家電量販店で3%のポイント還元を利用して注文していた。他に「定家明月記私抄 正・続」(ちくま学芸文庫)も注文しているが、これはまだ店には届いていない。

 どちらも読み始めるのはこの次にする予定である。

 家電量販店で支払いを済ませた後、喫茶店で1時間ほど読書タイム。「図書6月号」から6編ほど。昨日手に至れ読書用の眼鏡を掛けた。

 


岩波「図書6月号」その1

2020年05月31日 18時44分41秒 | 読書



 午前中に岩波書店の「図書6月号」が配達された。

・表紙 「杳子」の森        司 修
「「あんたの描いた木の『杳子』ね、あれ、まだ玄関に飾ってある」といって古井さんは笑いました。」コロナウィルスによる緊急事態宣言の出た翌早朝の夢で、ケイタイの録音機能に喋っておいたものを聞きながら書いたのです。「『杳子』ね、あ、まだ玄関に飾ってある」という言葉は、夢ではなく酒場で会う十回に一度は聞いていました。古井由吉さんは、二月十八日、鬼籍にはいられました。」

・疾病対策の都市史に学ぶ     宮本憲一
「新型コロナウィルスはこの社会のシステムの欠陥を明らかにした。被害の特徴は公害と似ている。公害は年少者・高齢者・障碍者等の生物学的弱者と社会的弱者に集中するので、自主自責に任せず社会的救済が必要である。‥同じく予見の難しい自然災害の予防でとられる「事前復興」対策が検討されてよい。まずは公衆衛生を軸とする医療体制の改革であるが、根底は被害を深刻にした東京一極集中の国土と文明の変革である。」
「超高層ビルと稠密な交通網からなる災害に弱いメガロポリスをを作り上げた‥大東京圏をこのままにすれば、国土の社会経済の破綻は避けがたいことが今回はっきりした。‥「事前復興策」作理、国土の環境を破壊し大東京圏集積を進めるリニア新幹線建設をまず、中止すべきではないか。

・笑いについて          野矢茂樹
「規範に縛られてわたしたちは生きている。ときには規範を緩める場を設けてやることも大事。‥規範から外れる、ズレることであり、同時に規範に従わなくてはいけないという緊張から解放されることでもある。しかも大事なのはそこに安心感がることだ。‥安心して規範から外れる。緊張から解放されて心身共に弛緩して、笑いという反応が生じる。」
「安心して規範から外れるときに笑いが生じるのだとすると、逆に、笑うことによって、「ここは安心していい場所」というメッセージになる」

・その期に調べれば        藤田真一
「金子兜太氏の遺句集「百年」を送っていただいた。「語り過ぎて臍(ほぞ)かむなり敗戦器」「起きて行きて冬の朝日の横殴り」「歳を重ねて戦火まざまざ桜咲く」‥まるで体内からほとばしり出た生得の語勢を、仮に「俳句」とよんでいるだけのようにも見える。生命(いのち)のことば、といってもいいかもしれない。」
「句集最後の場面、「雪腫れに一切が沈黙す」冬の空高く突き抜ける明るさのうちに、もの音ひとつない、広々とした世界が開けている。」
「「河より掛け声さすらいの終るその日」「陽の柔わら歩き切れない遠い家」末尾の二句である。」
「辞世の句、臨終の吟、絶筆‥」


昨日伝えようとしたこと

2020年05月31日 12時37分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日のオンライン飲み会で伝えようとしたことは、あまりうまく言葉にならなかった。手元のメモを起こしてみた。

ゴヤ(1746.3~1828.4)
 ナポレオンスペイン侵攻(スペイン独立戦争)(1808-1814)の体験を版画集《戦争の惨禍》にまとめる。
・ゴヤは生前、宮廷画家として最高の地位を極めた。しかしゴヤの現代性はむしろ画家の没後徐々に明らかとなった「自由制作」の報にあり、それらはモダン・アートの選句しして評価が高い。かくしてゴヤは「死後の巨匠」として生き続けるのだ。(もっと知りたいゴヤ 解説文)

堀田善衛(1918.7~1998.9)
  1951年に芥川賞。1977~スペイン在住
 「広場の孤独」(1951)、「時間」(1953)、「方丈記私記」(1970)、「ゴヤ」(1977)、「定家明月記私抄」
 宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けている。宮崎の作品のゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来。

大高保二郎(1945.8~)
  1973~1976 スペイン留学 堀田善衛にスペイン案内役

★ゴヤ版画集《戦争の惨禍》(1810-15)より《5番 やはり野獣だ》(長崎県美術館)

・民衆の女たちが、槍や石やナイフを手にフランス兵と戦っている。再前景にいるのは幼子を背負った母親である。戦場では女たちもただ被害者に甘んじているわけではない。怒りと絶望に駆り立てられた時、彼女たちはまた加害者と化す。ここにあるのは戦う女たちの英雄性や愛国心ではなく、誰をも野獣にに変えてしまう戦争の痛ましさである。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・「戦争の惨禍」国家単位の“現代”が終ることになってもらいたい‥という現代終焉願望が、「戦争の惨禍」をくり返し眺めていると自分のなかに澎湃として沸き起こってきて押しとどめることが出来ない‥。(堀田善衛「ゴヤ」第3巻)
・筆者(堀田善衛)は、戦争中の学生時代に「戦争の惨禍」を持っていた。(スペインの)ゲリラ側にも(ナポレオンの)フランス側にも、そのどちらにも身を傾けることなく、双方にとっての「戦争の惨禍」をつまりは人間にとっての戦争の惨禍をあますことなく、従前に描き切ったものであった。それは、戦時中の若者にとっては一つの啓示であった。「皇軍」「鬼畜米英」などという言い方が新聞やラジオで呶鳴るような調子で高唱されていた時に、戦争が人間にとっての惨禍であることをこれらの版画は、無言で若者に告げていた‥」(堀田善衛全集11巻、引用は大高保二郎)

★ゴヤ《1808年5月3日、マドリード プリンシペ・ビオの丘での銃殺》(1814)(ブラド美術館)



中央左で両手をあげているのはキリストの磔刑のイメージ。手のひらに聖痕がある。左端には聖母子象が描かれている。右側の銃を構えた兵士はナポレオンによって派遣されたフランス兵。
・両腕を上げた形式、それは殉教者だ。‥あれは、木が枝分かれして十字架となった磔刑の腕なんだ。」(パブロ・ピカソ)

 

★ゴヤ《暗い絵》(1820-23)より《砂に埋もれる犬》(ブラド美術館)



・生と死を象徴する流砂から頭だけをのぞかせ、上方を見上げる犬。悲しげなその姿にはゴヤ自身、あるいは歴史に翻弄されるスペインを重ねることも出来る。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・堀田先生は「黒い絵」の中では「犬」という絵に、とりわけ思い入れが強かった。この絵に、自由や平和を希求し、苦悩してもがく人間の姿を見ていたのではないでしょうか。この犬は、ゴヤであり、堀田先生ご自身ではなかったか‥。(大高保二郎)


Zoom飲み会

2020年05月30日 22時50分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 Zoom飲み会は無事終了。いつもは自分より年上の、しかも意見が極めて近い男ばかりの飲み会なので、自分よりも若い女性4人とお話をする飲み会はとても新鮮であった。いろいろな人の話を聞くのは実に楽しい。

 若い頃は、自分と共鳴しない話、あるいはそのような人の話を聞くのは抵抗があった。人の意見を聴くゆとりがなかったのだと思う。
 しかし最近はざっくばらんにいろいろな意見を聞くのが楽しい。自分にとっては切実な話ではなくとも、なぜこの人はこのことにこだわっているのだろうか、というのを想像することだけでもとても楽しい。そんなことを考えながらチューハイを飲み続けていたら、あっという間に時間が過ぎていった。このような体験をこの歳でするとは思ってもいなかった。
 


読書用メガネ

2020年05月30日 18時27分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 読書用の眼鏡が出来上がった。焦点が25~30センチに合わせた。一番安いフレームとレンズも一番安いものをしよう。それでも2万円近くかかった。
 メガネにはお金をかけざるを得ない。読書ができないと私はどうにもならなくなる。

 少々度がきついかもしれないが、しばらくは使い心地を試してみる。半年以内ならば作り替えは無料とのことに甘えてみた。先週、はじめは30~35センチに焦点が合うように調整してしばらく店の中で本を読んでみたけれど、見づらかった。

 あくまでも読書用のメガネである。このメガネでは歩くことはとてもできない。50センチ先もボヤけて危険である。

 読書用といっても、夜寝る前にベッドの中で本を読むためのもの、というべきか。明るい昼間は今の遠近両用眼鏡で十分役に立っている。


オンライン飲み会の準備

2020年05月30日 11時35分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は「オンライン(ZOOM)飲み会」という企画。19時から。美術の講座の講師のかたの企画。1時間半ほどであろうか。
 まずは何を飲むか。日本酒ではすぐに酔ってしまって醜態をさらしては恥ずかしい。寝てしまうわけにもいかない。毎晩飲んでいる缶チューハイはアルコール度数が9度もある。いつも店で飲むチューハイやハイボールは5度位なので、缶チューハイを炭酸で薄めることにした。
 ということで、強炭酸水で割った缶チューハイに、梅酒の中にまだ残っている梅を2個ほど入れて飲んでみることにした。
 ツマミまで用意する必要はないとは思うが、まったくないのもさびしい。台所で鮭の切り身を焼いたものが1/3残っていた。これをパソコンの前に「お供え」することにした。
 お酒をこぼしては困るので、百均で購入したトレーをひっぱり出してきてお皿代わりにする。

 これで飲み会自体の準備は終了。

 さらに、何をしゃべるか。一応3分のおしゃべりを用意してほしいとのリクエスト。悩んだ末に、堀田善衛の「ゴヤ」、「堀田善衛を読む」から大高保二郎の文章の引用を簡単にメモ。

 これで準備は終了。

 退職者会の仲間とのいつもの気楽な飲み会とは違って緊張する。夜までに部屋の掃除をしなくてはいけない。


「椿の海の記」読み始める

2020年05月29日 22時54分20秒 | 読書

 「椿の海の記」は冒頭から引き込まれる文章である。

 第1章の前にこんな言葉が掲げられている。
「ときじくの/かぐの木の実の花の香り立つ/わがふるさとの/春と夏とのあいだに/もうひとつの季節がある  ――死民たちの春」

 この文によって、小説は「春と夏とのあいだ」の「もうひとつ季節」の物語ではないかと推察させる。さらに冒頭の一文は、

「春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。海の香りとそれはせめぎあい、不知火海沿岸は朝あけの靄が立つ。朝陽が、そのような靄をこうこうと染め上げながら登り出すと、光の奥からやさしい海があらわれる。」


 なかなか印象深い文章である。濃い文章が続く。このままでは作者は最古になるまでに息切れがしてしまうのではないか、と余計な心配をしてしまう。
 池澤夏樹は解説で『この本を前にした時に一つ大事なことがある。ゆっくり読むこと。‥日行ずつを賞味するように丁寧に読まなければたくさんのものを取りこぼしてしまう。』
 なかなかいい指摘である。また次のようにも記している。『いわばあの悲劇の前史だ。この幸福感の記憶があったからこそ石牟礼道子は「苦海浄土」を書くことができたのだし、その意味ではこの「椿の海の記」が「苦海浄土」を下支えしているのだ。」

 じっくり読み進めることとしよう。
 


夏の雲・雲の峯

2020年05月29日 21時14分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夏の入道雲を見ながら、まずは横浜駅まで出向いた。1100円の理髪店をめざしたものの、10人以上が並んでおり、本日は断念した。
 オープンスペースのある喫茶店でホットコーヒーを飲みながら読書タイム。午後の陽射しが直接当たるようになって、店を出た。

★夏雲や甍の反りのたしかなり      枇榔蓉子
★父果てしところを知らず雲の峰     八木昌子
★夏雲へ骨のかたちの膝立てて      谷野予志
★雲の峰過去深まつてゆくばかり     矢島渚男

 第1句、固い甍と一見「柔らかい」とも思われる雲を、夏の空に明るい光によってともに「鮮明」な像を結ぶ。「鮮明な像」であることで、両者が結びつけられた。屋根の甍が太陽光を反射して眩しく光っているのが印象的である。
 第2句、雲の峯が似合う南太平洋の何処かの激戦地での父親の戦死の報がもたらされたのであろう。ひょっとしたら幼くて父の顔も知らない作者なのかもしれない。敗戦から半世紀を超えても紡ぎだされる記憶。人間が捨ててはならないものである。
 第3句、私は老人のやせ衰えた足と、もくもくと成長を続ける入道雲が対比されていると受け取った。孤独な老人が、成長力を見せつける入道雲を前に、過去を振り返っている図かもしれない。しかしそれは意外にも独立不羈の猛々しい人生が対置されているのかもしれない。現在の姿だけでは計り知れない、他者の人生に思いを致さなければいけない。
 第4句、入道雲には膨大なボリュームを感じる。自分の過去がどんどんその嵩を増していく。そんな強迫観念にも似た重い過去に作者はこだわっている。
 多くの人は明るく成長していく入道雲に成長の希望、若さなどを重ね勝ちであるが、私は性格がくらいためか、どちらかというと過去を引きづっている自分にこだわる。自分の過去にこだわり続けたい。
 入道雲、遠くから見れば白く輝いている。しかし近づいてくると、空は暗くかき曇り雷雨の様相である。雹・霰も降ってくる。過去の時間や体験は、他人が見ればかがやいているかもしれないが、自分に引き寄せればそれは悔恨と痛みと苦渋の積み重ねなのである。この想像力が真の友だちをつくるもとになる。


降圧剤

2020年05月29日 11時14分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も暖かい陽気。南風で26℃まであがる予想。大気は湿度は感じられず、気持ちがいい。

 高血圧の薬がなくなったので、本日はいつもの内科を受診予定。最近は血圧は低めに落ち着いている。寝る前などは低いくらいなので、降圧剤を服用するのを躊躇してしまう。これは医師に相談するつもりである。夏になると血圧は低くなる、とのことだが、このことと関係かあるのだろうか。
 午前中の診療に間に合うといいのだが少々難しそう。受診後は横浜駅のまで歩いて、オープンスペースの喫茶店でサンドイッチの昼食の予定だったが、家で昼食となりそう。


明日からの本2冊

2020年05月28日 22時37分01秒 | 読書

   

 本日から読み始めようとしていた本は、「もっと知りたいゴヤ 生涯と作品」(大高保二郎・松原典子、東京美術)と、「椿の海の記」(石牟礼道子、河出書房新社)。
 前者は、昨日読み終わった「スペイン美術史入門」の監修者と第2章「近世スペインの美術」の執筆者のコンビ。「近世」では「スペイン王国の成立」の1496年からフェリペ4世まで。絵画史ではバロック・ルネサンス・マニエリスムからバロック、画家としてはエル・グレコを経てベラスケスまでを扱っていた。
 こちらに掲載されている作品はカラーで、大きいのでよりわかりやすい。いい復習になるはず。
 石牟礼道子の「椿の海の記」はなかなか読みはじめられなかったもの。本棚に積んどくにはもったいなかった。
 2冊を同時に居間のテーブルに持って行ったものの、つい寝てしまった。昨日1日家に籠ったままで本日港の見える丘公園まで出かけて日に当たったためか、気持ちよく寝息を立てていたらしい。
 恥ずかしながら本日は断念して、明日から読み始めることにした。
 


港の見える丘公園

2020年05月28日 19時40分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 広いところで気持ちの良い風にあたりたくなり、思い切って港の見える丘公園まででかけてみた。
 みなとみらい線の終点からエレベーターで山手の外国人墓地まで行ける。バラ園は5月末日までは中には入れなかったものの、その外周園路とベンチは解放されていた。日時計の前のベンチでおにぎりの昼食をしながらしばらく陽射しに当り、港からの風にあたっていた。
 近代文学館まで下りていく園路をめぐり、ベイブリッジなど本牧埠頭などを眺めて元町に降りた。帰りは中華街を経由して関内駅へ。
 中華街はまだ空いている店はなく、おみやげ店がいくつか開いている程度。中華街が人とぶつからずに歩けるというのはこのような時しか経験できない。

 帰宅後は、無くなった名刺を追加印刷。配布数は、退職してからも現役時代と変わらないのが不思議である。ただし現役時代は職場での名刺と組合の名刺、そして個人の住所等を入れた名刺3種類。
 現在は、おもて面が住所・氏名・ブログのアドレス等で裏面に退職者会の名刺をスキャナーで取り込んで印刷している。1種類だけというのは楽である。


広い空間で初夏の風にあたりたい

2020年05月28日 10時45分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日から3日間は心地よい天気が続くらしい。心地よいといっても25℃を超える夏日になるとの予報になっている。
 腰の具合は朝の内は落ちついている。快調といってもいい。無理は禁物であるが、空いているならば、そして15分程度の短時間ならば電車に乗って見晴らしのいい公園にでも行きたい。海風にでもあたりたいものである。

 住宅街と近くのスーパーやドラッグストアまでの散歩ばかりしていたので、広々とした空間に身を置きたくなってきた。
 まもなく梅雨。雨が続くと出かけるのはさらに億劫になる。腰に用心しながら‥。杖をリュックに忍ばせて出かけるのがいいかもしれない。
 用心の為とは言いながら、杖を突くことにためらいがなくなっている自分の姿は、30代・40代の頃には想像していなかった。
 50歳になったばかりの頃、退院後に、生まれて初めて杖をついて団地の中、街の中を歩き、電車に乗った時の気恥ずかしさは今でも忘れられない。

 


ベートーベンとブラームスを3曲

2020年05月27日 22時50分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 本日聴いたのはブラームスのヴァイオリン協奏曲(Vln.シュロモ・ミンツ、アバド指揮・ベルリンフィル、Rec.1987)と、ドイツ・レクイエム(サヴァリッシュ指揮、バイエルン放送交響楽団、同合唱団・ミュンヘン音楽大学室内合唱団、ソプラノ:マーガレット・プライス、バリトン:トーマス・アレン、Rec.1983)。
 さらにベートーベンのヴァイオリン協奏曲(Vln.グリュミオー、アルチェオ・ガリエラ指揮・ニューフィルハーモニア管弦楽団、Rec.1966)。

 やはり3曲も聴くと、ちょっと重すぎた。しかし久しぶりにベートーベンのロマンスを聴いたのは良かった。こちらはグリュミオーとハイティンク指揮・ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の組み合わせで、1960年の録音。ベートーベンの曲としては片意地張らずに聴くことができる。


「堀田善衛を読む」読了

2020年05月27日 20時47分06秒 | 読書

   

 「堀田善衛を読む――世界を知りぬくための羅針盤」(池澤夏樹・吉岡忍・鹿島茂・大高保二郎・宮崎駿・高志の国文学館(館長:中西進)、集英社文庫)を読み終わった。

 いづれの章も興味深く読むことができた。
 不思議なもので私は20代半ば過ぎに初めて堀田善衛の作品に接した。文庫本で「広場の孤独」「時代」「若き日の詩人たちの肖像」「19階日本横丁」「方丈記私記」を読んだ。
 それまでも名前は知っていたけれど、読む機会はなかった。
 60年代末から70年代初頭、「リベラル」であることと「ラディカル」であることの区別も分からず、それらがるつぼの底に渦巻いているような世界に当たり前のように引きづり込まれた。
 その体験は、これまで教わってきた歴史や社会や文学の世界から「国家」という概念を取り除いたとき見えたのである。「国家」という軛を取り除いたときに見えてきた世界は底抜けに明るく、そして輝いて見えた。それは一瞬のうちに私に大きな衝撃を与えた。

 そんなが体験を経た後、社会が閉塞していく70年代半ば以降、私はそれ以前の体験から得られた核、あるいは芯となっているものを少しだけずらして見るということを覚えた。
 そうすることで不思議なことに、今迄響いてこなかった職場の仲間や社会で接する人との意思疎通が、そして世界がより奥行きのあるものに見えてきたと感じた。
 自分と社会がつながっていた1本のタコ糸が、数本の細いが強くしかも双方向に通信できる通信ケーブルのようなものに変化したと思った。それを少しずつより強くしていくことで社会と自分の回路が私なりに、より豊かに出来上がったと思う。
 だが、この体験は十代末のときのように一瞬で体験したことではなかった。時間をかけて少しずつ、それこそ20年以上にわたって積み重ねた体験である。

 文学作品にかぎらず、作品というものに共鳴するということは、読者の心のありようや、読者の社会の受容の水準などさまざまな要素が絡み合っている。読者の心が作品に響いて共鳴する瞬間というのがある。成長していたとか、大人になったとかというのではない。年齢がいっているとか、若すぎるとかということでもない。この響きや共鳴を敏感に感じ取ることが、その人の生涯を決めることもある。
 残念というべきか、20代後半の私には堀田善衛の紡ぎだす世界に共鳴することができなかった。現在堀田善衛の作品に共鳴する、というのは最近の社会のありようが私にそうさせているのか、私が自分のこれまでの世界の見落としを拾い集めはじめたためか、何が原因かは捉えようがない。だが確実に、堀田善衛の作り上げた世界に自分の心が共鳴していることを感じ取っている。社会や歴史や文化の現象を前にして、それらをできる限り複合的に、時間の累積にたじろぎながら汲み取ろうとする堀田善衛の力技に脱帽している自分がいる。

 そんなことを考えながら、終章の「堀田善衛20のことば」からいくつかを引用しておきたい。

 まず、誰のことばかわからなかったが、私はよくこの趣旨の文章をこのブログでも書いている。30代になる前に読んだ「時間」の中に出ていた言葉だとは思い出しもしなかった。あらためて大切にしたい。

「何百人という人が死んでいる――しかしなんという無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならない。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万人にのぼったのだ。何万人と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある‥‥。」(「時間」より)

「私が慶応の予科に入るために上京したのが、‥2・26事件の当日でした。‥つまり、軍隊は反乱を起こすことがある、また天皇がその軍隊を殺せと命令することもある、そういうことを認識させられたということです。これは、生家が没落したという経験とも重なって、国家もまた永久不変ではなく、軍隊の反乱などによって崩壊することもあるのだという、中世の無常観ともつながる感覚を与えられたわけで、こうした経験は、私自身の人格形成に深い影響を与えているだろうと思われます。」(「めぐりあいし人びと」)

「人間の存在は、たとえば巨大な曼荼羅の図絵のように、未来をも含む歴史によって包み込まれていると思う。よく、「歴史は繰り返さず」というが、このことばはもう一つ、「歴史は繰り返さず、人これを繰り返す」ということばがくっついていたはずである。」(「時代と人間」)

 次の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」は定家の明月記にある有名なことば。この言葉は私も大切にしている。自分が「政治」の世界には入り込まないという選択を20代初めにしたときから、どこかで聞きかじってきた。多分この本の「はじめに」を書いた中西進氏の本から学んだ気がしている。
 だが労働組合の関係からは政治の世界を見、そしてその範囲で政治の世界とは付き合っている。あくまでも私の属する世界は「政治」の世界ではないと考えている。そうはいっても政治の世界は社会に生息している以上点いて回ってくる。

「『世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。』定家のこの一言は、当時(戦争中)の文学青年たちにとって胸に痛いほどのものであった。自分がはじめたわけでもない戦争によって、まだ文学の仕事をはじめてもいないのに戦場でとり殺されるかもしれぬ時に、戦争などおれの知ったことか、とは、もとより言いたくても言えぬことであり、それは胸の張裂けるような思いを経験させたものであった。」
(「定家明月記私抄」)

「あちこちヨーロッパを歩き回っていると、結局、僕自身が路上の人なんだと、ルンペンなんだとという気がひしひしとしてきてね。またルンペンであった方が、ヨーロッパは見えてくる。組織に属した者は眼を組織の方に向けてしまうから、自分のいるところが見えなくなってしまう。」(「路上の人」)

「美術とは何か。美術とは見ることに尽きる。そのはじめもおわりも、見ることだけである。それだけしかない。見るとは、しかし、いったい何を意味するか。見ているうちに、われわれのなかで何かが、すなわち精神が作業を開始して、われわれ自身に告げてくれるものを知ること、それが見るということの全部である。すなわち、われわれが見る対象によって、判断され、批評され、裁かれているのは、われわれ自身にほかならない。」(「ゴヤ」)

「ゴヤは、敵味方、つまりフランス軍とスペイン・ゲリラの双方の戦争の残虐さを、まことに公正な視点でとらえていて、それを見事に描き分けています。決して侵略される側のスペイン・ゲリラのほうにのみ立っているわけではなく、その悲惨さを冷徹に描いています。そして、自由、平等、博愛という魅力的なイデオロギーを掲げながら、軍隊という野蛮な力をもって他国を踏みにじるナポレオン軍に対する批判も十分に尽くされている。」(「めぐりあいし人びと」)


「スペイン美術史入門」読了

2020年05月27日 14時52分00秒 | 読書

 「スペイン美術史入門――積層する美と歴史の物語」(大高保二郎監修、NHKBOOKS)を読み終わった。
 冒頭の序章は大高保二郎。その冒頭に掲げられているのが、堀田善衛の文章。

「この国ほどにも、どこへ行っても、重層をなす「歴史」というものが、何の粉飾もなく、あたかも鉱脈を断層において見るように露出しているところが、他にあまり例がないのではないか、という心持が私を動かしたもののようである。」(堀田善衛「スペイン断層」(1979))

 堀田善衛に多大な影響を受けたという大高保二郎の論述には、教科書的な著述以上にスペインの美術史、建築史をスペインを重層的にそして歴史と風土、宗教と政治を広く把握しながら捉えようとしていると思える。
 氏の著作である岩波新書の「ベラスケス」をいつか再読してみたい。