Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「この父ありて」 感想その1

2023年01月31日 21時37分54秒 | 読書

   

 「この父ありて」は冒頭の2章は、2・26事件で対極にいたそれぞれの父親との関係から始まる。渡辺和子の父親は、「反乱」側の将校たちに43発もの銃弾を扉の隙間から浴びせられて幼い和子の目の前で殺される。齋藤史の父親は「反乱」側の将校に大きな影響を与え、幼馴染は首相官邸を襲撃している。

 私が気になったのは作者の位置というか、ノンフィクション作家として対象である女性への迫り方である。ノンフィクション作家であるから当然であるという意見もあるかもしれないが、それが妥当なのかどうかは保留しておきたい個所があった。
 射殺された父、渡辺錠太郎を目の当たりにした和子は、敗戦間際にキリスト者となる。戦後にこの事件を扱ったテレビの特集番組で「叛乱軍」の伝令を務めた人と同席したが出されたコーヒーを飲めなかったという。

父を惨殺された衝撃と悲しみは簡単に消えるものではないが、恨みは乗り越えたつもりだったし、聞かれればそう答えてきた。だが、心の奥底で許していなかったことにこのとき気づいたという。‥コーヒーを飲めなかったときの気持ちをあらためて尋ねると、彼女は言った。『やっぱり私の中には父の血が流れている。そう思って、うれしかったですね。』思わず『うれしかったのですか?』と問い返した。許すということの難しさや、憎しみを乗り越えて生きる大切さというような話になるのではないかと思っていたからだ。‥

 私は、この段まで読んで「あぁ私は『ノンフィクション作家』にならなくてよかった」あるいは「なれないな」と直感した。
 いくら取材とはいえ、また対象に肉薄したいとはいえ、私はそこで面と向かって「コーヒーを飲めまかった理由」を聞けるだろうか。私ならば沈黙する。質問は飲み込んでしまう。せめてもっと搦め手から聞くべきだと直感した。
 苦悩を抱え込んできた渡辺和子の受け答えは実に当事者ならではの答えである。また36歳でノートルダム清心女子大学の学長になり、理事長にもなった渡部和子に対して、どのような質問をしようとしたか、建前の答えではない本心に迫る質問はどうあるべきか、梯久美子という作家のためらいや逡巡やの行きつ戻りつを浮き上がらせることで、相手の胸中を浮き上がらせることこそが大事ではなかったのか、と感じた。対象に迫ろうとする作者の心の動きが対象を浮き立たせるのだ。この作者はちょっとむごい迫り方をしているな、と思った。

 批判めいたことを記載してしまったが、渡辺和子というかたのことも、射殺された彼女の父の渡辺錠太郎陸軍教育総監のことも、私の浅学故に今回初めて知った。

 あらためて思ったのは、2・26事件をそれなりに詳しく聞いたのは高校生の時である。1966年としても事件からわずかに30年しか経っていない。
 齋藤史の短歌に「正史見事につくられてゐて物陰に生きたる人のいのち伝へず」が引用されている。1945年という断絶を経て教えられた昭和史は、見事に忘却という霞の向こうに曖昧に存在していたし、今もタブー、恥部のように扱われている。
 今から30年前のことを若い人たちが見ているよりも、もっと深い断絶があるはずだ。
 「戦前のこと、明治維新以降のことは三学期のさらに末になって駆け足のようにしか教えられない」から伝わらないのではないと私は思う。歴史的事件が政治的に葬られ、タブー視され、蓋をさせられてきたから伝わらないのだ。
 昭和天皇の振る舞いや指示、そしてその後の破滅への道のり、戦後の戦争責任の処理の曖昧さ、戦後の「民主化」と東西冷戦に翻弄された戦後処理などなどの曖昧さが、戦前のことが遠い世界のできごととして不鮮明な像を作り上げてしまったのではないか。

 ノンフィクション作家の対象への迫り方の問題もまた作家の責任ではなく、戦争責任を曖昧にしてきた政治の責任ではないのか、という思いが湧いてきた。

 具体性の希薄な感想ではあるが、そんな思いを強くした。

  


眩暈の予兆に緊張

2023年01月31日 18時43分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から二人で出かけて買い物。喫茶店で一服後、私は横浜駅へ、妻は帰宅。購入した食材の重いものは私のリュックに詰め込んだため、肩にリュックが食い込んだ。
 横浜駅はかなり混雑していたが、東口・西口と歩き回る羽目になり、かなり疲れてしまった。私一人で本日2軒目の喫茶店で読書タイム。

 「この父ありて 娘たちの歳月」(梯久美子)から最初の2章「渡辺和子」と「齋藤史」を読み終え、第3章の「島尾ミホ」に入ったところで、軽い眩暈の予兆がして緊張。一応眩暈は起こらずにすんだものの、読書を続ける気力は一気に失せてしまった。

 早々に喫茶店を出て、バスにて帰宅。歩き回ったのが原因であろうか。体を動かして三半規管の中のリンパ液を動かすことは軽い眩暈には有効、とのことであるので、歩き回ったことは悪いことではないと思っていた。歩き回るのが度を濾したのかもしれない。
 帰りのバスの中では予兆は起きなかった。帰宅後も眩暈の予兆は今のところおさまっている。

 


奥の細道「平泉」

2023年01月31日 10時54分05秒 | 読書

 昨晩は「奥の細道」の第26段「平泉」を書き写した。「三代の栄耀一睡の中にして‥‥」という有名な「奥の細道」の核心部分とも思われる段である。前半がここでおわり、後半の入口でもある。ここから奥羽山脈を超え日本海側に抜ける折り返し点でもある。
 序章とこの平泉の段は、古文の授業で扱われ、多くの人が暗記などさせられた記憶があるはずだ。私も序章、旅立、平泉、象潟の諸段を諳んじさせられた記憶がある。
 しかしどうして芭蕉は平泉で引き返して、南部領まで行かなかったのか、と中学生の頃は疑問に思っていた。歌枕の旧跡が数少なかったのか、あるいは平泉が当初からの目的だったのか、俳諧の関係者の伝手がなかったのか、未だにわからない。



 本日もよく晴れている。最高気温は8℃。昨日は1万歩を超えた。膝が心配だったが痛みは出なかった。本日は用心してあまり歩き回らないで過ごす予定。


読了「現代秀歌」

2023年01月30日 21時59分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 いつものように覚書として何か所か引用。

普段考えることもなく見ていた普通の風景が、改めて指摘されてはじめて、なるほどそんな見かたもあったのかと驚く。歌を読む楽しみのひとつは、確かにそのような他の人の〈感性の方程式〉とでもいったものに触れる喜びでもあるのである。」(第3章)

渡辺松男の歌は、一首だけ取り出して解説しても、そのおもしろさが十分には伝わらないもどかしさが残る。しかし歌集として読んでいくと、自然との不思議な親和性、かつ意表を衝く作者の精神の段差とでもいったものに、こちらの精神がくらくらしてくる。ある種の酩酊状態に読者を落とし込む作品がならぶ。‥理屈と文体の乖離と破綻によって、破綻の全体像が作者の内部に抱え込まれたまま、それがそのまま読者の胸になだれ込んでくる‥。」(第3章)

(三枝昂之の歌は)敵とか味方とか、はっきりしていればまだいいのである。しかし、「終の敵」も「終なる味方」もとうとう自分には居なかったという苦い思い。まことに中途半端な仲間でしかないという忸怩たる思い。そんな内部と鬱屈とは関りがないように「あかるさの雪」が流れよる。明るさがいっそう内部の昏さを浮き立たせたのであろう。」(第4章)

(前登志夫について)村は変えるべきところであるとともに、ついに己れの違和として存在する場所でもあった。吉野はいつも温かく自らを包んでくれる母郷なのではなく、常に拭いがたい違和感とともにある存在でもあったのであろう。」(第8章)

大和には、長い、そして深い歴史の襞が刻まれ、深い闇を抱えている。普段見ている大和の景は、そんな襞や闇から濾されてきた上澄みにしか過ぎないのではないか。とっとどろどろと深い闇にこそ大和の本質はあるはずなのだ、作者(前川佐美雄)は気づくのである。」(第8章)

そんな卑怯は、実は自らの裡にこそ根を張っているのではないかと、深く思っている作者(伊藤一彦)がいる‥。そんな見苦しい卑怯が、確かに自らのなかにあると気づくとき、人は、他人のを非を一方的に攻撃する傲慢さから少し距離を置くことができるのである。それが〈自己相対化〉ということに他ならず、自己相対化を通して、人間は謙虚になり‥。」(第9章)

 歌の世界だけでなく、人は他者との関係の中で、このように変わっていくものである。

 私の注目している渡辺松男、三枝昂之についての言及は新鮮であった。
                                        


本日の購入本

2023年01月30日 18時47分28秒 | 読書

   

 午後に神奈川大学生協の書籍部で注文していた本を受け取った。手に入れたのは「この父ありて 娘たちの歳月」。
 この本は昨年の10月末に発行され、11月初めには有隣堂に並んでいた。
 何しろ表紙が林武の《うつむく女》である。始めは林武の伝記か、絵画作品の解説本かと思ったが、並んでいる棚が文芸評論の棚であった。
 手に取ってみたら、齋藤史、島尾ミホ、石垣りん、茨木のり子、石牟礼道子の名が並んでいる。すぐに購入しようと思ったものの「単行本は生協で割引価格で購入」という私なりの財布の事情と、その時に「読んでいた本を読み終わってから」、という理由で後回しにした。
 神奈川大学の生協に12月に入ってから注文したところ、「再版待ち」との連絡に驚いた。10月末に第一刷でもう再版待ちということはかなり売れているということらしい。本日手にしたら1月20日に第四刷発行となっていた。
 私としては珍しく「売れている本」にすぐに反応したことになる。またこのような本が売れるということもどこか「出版界も捨てたものではないな」という感想を持った。
 それと同時に《うつむく女》の魅力が広まることもまた面白いと思った。
 私が初めて林武の名を知ったのは洲之内徹の「絵の中の散歩」で林武の《星女嬢》を読んだ時。残念ながらモノクロの図版であったが、気に入った作品に思えた。ただし洲之内徹のこの文章には林武の作品についての言及はない。その次に林武の作品に接したのは横須賀美術館でこの《うつむく女》という作品に対面したとき。横須賀美術館の収蔵作品である。この《うつむく女》がたまたま展示されていた。とても印象深く感じた。いつの頃だったかは覚えていない。

 ただし、著者の梯久美子という著者のことは知らないし、内容も詳しく確かめたわけではない。それはあくまでも明日から読み始めての判断。新しい知見が得られ、刺激的な論考があることを期待している。


少しずつ忙しく

2023年01月30日 10時28分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 乾燥・強風・波浪注意報の横浜。今のところ強い風は吹いていない。

 昨晩遅く、「奥の細道」の第25段「石の巻」を書き写した。昨日は3つの段で併せて1000字近くとなった。多く写せばいいというものでもないので、本日からは少しペースを落としたい。
 本日からはいよいよ「平泉」の段。

 午前中は退職者会の新年会の準備作業(パンフ作成等)を少々。3年ぶりの開催ということと、店を変えたのでゼロから準備や段取りを組まねばならない。これまでの店が今年は利用できないのがつらい。来年から元の店の広い会場が再開されることを期待している。

  今週は後半から忙しくなりそうなので、今日・明日中に読書タイムをたくさん確保したい。

 


夕陽

2023年01月29日 20時46分24秒 | 天気と自然災害

 本日の夕日はわずかに見える富士山の北に沈んでいた。ことのほか、夕焼けの色が鮮やかに見えた。黄色からオレンジ色のグラデーションが同心円状の半円になって見えた。

 購入した食材が以外に重く、強引に詰めたリュックの重みが肩に食い込んでつらかった。以前はこの程度の重みでは何も感じなかった。

 明日もまた神川大学のキャンパスへ出向く予定。生協で注文していた本が入荷したとの連絡があった。
 本日は陽射しはあったが、最高気温が平年よりも2℃ほど低い7.8℃。明日は11℃の予報となっている。明日もまた歩いて本を取りに行きたい。ただし本日行った喫茶店は平日なので混むと思われる。キャンパスの最寄りの駅に近い喫茶店でも探したほうがすいている可能性がある。
 本日は6千歩あまり歩いた。特に膝に痛みは出ていない。明日は様子を見ながらもう少し距離も歩数も速度も増やしてみたい。

 


読書と書き写し

2023年01月29日 17時57分55秒 | 読書

 日曜日で寒い一日であったが、陽射しはあった。一日家に籠っているのはどうしても性に合わないので、14時過ぎに軽く散歩がてら外出。歩いて神奈川大学のキャンパスまで。構内の傍のハンバーガー店で格安のコーヒーを飲みながら読書タイム。一見寒々しい店内であるが、決して寒くはない。充電もできる。便所もきれいである。
 何より日曜日なのですいているのが有難い。美味しいとは思えないが、ホットコーヒー120円が年寄りには魅力。快適な場所代と考えれば贅沢は言えない。年に数回は土曜・日曜・祭日に利用させてもらっている。

 帰りは頼まれた食材をスーパーで購入して帰宅。

 本日朝から「現代秀歌」(全10章)の第5~7章までの3章を読み終えた。
 出かける前にはいつものとおり「奥の細道」の書き写し。第23段「松島」、第24段「瑞巌寺」をゆっくりと。夜には第25段「石巻」を写したい。第26段は「平泉」。松島から平泉、そして尿前の関あたりが奥の細道という紀行文の一番のピークというところであろうか。文章もまた濃密であると感ずる。
 急がずにじっくりと味わいたい気分と、文章の流れに沿って切れ目なく読みとおしたい気分が入りまじる。

 


中華街の混雑

2023年01月28日 22時16分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどとても眠くなって、夕食も食べずに2時間あまりも熟睡。昼飲みのビールがずいぶんと効いてきた。
 帰り時に中華街を縦断したが、ものすごい混雑であった。最近の中華街は人出の多い時とそうでないときの差が大きいという声も聞こえてきた。また、日本人観光客よりも、中国語や東南アジアからの観光客と思われるひとびとが多いとも感じた。
 まっすぐに進めない混雑の中を5分も歩くと、酔いが格段に回ってしまったような気がする。中華街の最寄り駅よりひとつ先の駅まで歩いてから電車に乗った。思ったよりも電車はすいていた。

 寝てしまう前に、退職者会の新年会のパンフなどの修正作業を短時間だが行った。
 細かな修正点も手直しとなるとなるとそれなりに面倒。ある個所を訂正すると、他の個所に影響が出ていたりと、実際に打ち出してみないとわからない場合が多い。モニターの画面だけではどうしても見落としが出てしまう。それは若い人と年寄りの差だと言われる。
 実際に打ち出されたものをみないと全体を俯瞰し、客観的な目に少しでも近づけて判断できないのが、年寄りの特徴ということらしい。私はこの意見には異論があるが、目くじらを立てて反論するのも大人げないなようで、無視している。
 まだいくつか訂正箇所があるが、本日はもう限界。肩も異様に張ってきて痛い。

 


一瞬の雪

2023年01月28日 18時26分54秒 | 天気と自然災害

   

 本日の新年会の帰途、バスの外をみたら雪が舞っていた。降りてみると冷たい風が強く、雪は解けずに地面に着くや否や昇華してしまっていた。さらに15時半から15分程度しか降らなかった。
 天気予報はピタリと当たったということのようだ。最高気温は予想は8℃で実際には7.6℃であった。また16時ころに一時雨または雪という予報があたった。
 雪を降らした雲はあまり広範囲にひろがっておらず、南西の空は明るく晴れていた。
 この雪は乾燥した大気と地面には湿り気など何ももたらさなかった。

 新年会ではだいぶビールを飲んでしまい、今はだいぶ眠くなった。おなかは満腹。夕食が入りそうもない。


昨晩の充実

2023年01月28日 09時40分22秒 | 読書

 昨晩は、モーツアルトのピアノ協奏曲第24番を聴きながら、「奥の細道」の第22段「塩竈」の書き写し、ならびに「現代秀歌」の第4章を読み終えた。
 読んだことのある歌人の名や、好きな短歌が出てくると楽しいものである。
 「奥の細道」では塩竈の段は、平泉の段への布石があり、奥州藤原氏滅亡時、義経とともに頼朝に抵抗しようとした秀衡三男忠衡への思い入れが溢れる段である。平泉の段を大きな頂点とする「奥の細道」の仕掛けのひとつである。塩竈の表記は新潮日本古典集成の表記に拠った。

 夕食時にお酒を飲まなかったので、それなりに充実した時間であった。

 本日は最高気温8℃の予報。最低気温は1.2℃とほぼ予報通り。昨晩のニュースでは各地での水道管凍結の模様が報道され、今朝は路面凍結が予想されることなども伝えていた。
 太陽が顔を出し、明るい日となった。春節の中華街の混雑はどの程度であろうか。

 


明日は中華街で新年会

2023年01月27日 20時52分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 まだ早いかもしれないが、本日の雪の予報は不発だったようだ。南岸低気圧の移動に伴う南関東の雪の予報は難しいといわれている。いくらコンピューターの予測の制度があがったとはいえ、経験則による部分も多い天気予報、そう簡単には的確な予報ができることはなさそう。外れるたびに批判をされ、頭を下げさせるのもまたひどい話である。天気予測は、広範な社会生活やさまざまな産業に大きく影響を与えるようになってきただけに、予測はより慎重にならないといけない。もっとおおらかに見守りたいものである。
 明日も最高気温の予測は本日はあまり変わらない。8℃というから寒い。ただし太陽が顔を出すらしい。

 明日は正午から中華街で新年会。招待されての出席。ただし会費は当然ながら自分持ち。来週行われる退職者会全体の新年会に先立って、あるブロックで企画したもの。春節の中華街、混雑が予想される。


コートと傘の選択の謎

2023年01月27日 18時38分13秒 | 読書

 雨ないし雪は予報では強くは降る見込みはないようなので、横浜駅まで出かけて喫茶店で読書タイム。17時過ぎに喫茶店から外に出てみると冷たい小雨が降っていた。雪にはならなかったようだ。

   

 本日は「現代秀歌」(永田和宏、岩波新書)の第3章を読み終え、第4章に入ったところで帰宅時間となった。

 バスにて帰宅。バスを待っている間も、バスの中も寒々しかった。最寄りのバス停から家までごく近い距離だが、持っているにもかかわらず、傘を差さずに歩いたら、ダウンのコートにそれなりに水滴が着いていた。結局妻に怒られて、ハンガーにかけて干す羽目に。
 乾かすために傘を開いて干すのと、コートをハンガーにかけて干すのと、どちらが面倒なのか、謎である。


モーツアルト ピアノ協奏曲第24番

2023年01月27日 11時17分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 朝の内は太陽が顔を出していたが、しだいに雲が多くなり、薄雲が全天を覆ってしまった。太陽が蜘蛛の向こうで弱々しく光っている。昨日の夜までの予報では、15時過ぎから雨のマークであったが、本日になってから同時刻は雪のマークに変わった。

 本日の作業と読書のお伴はモーツアルトのピアノ協奏曲第24番と第25番。演奏はいつものとおり、内田光子のピアノでジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団。1988年の録音。翌年くらいに購入したと思う。
 第24番はとても有名で聴く機会も多い。悲劇的で、デモーニッシュ、内省的という表現がなされる。確かに昨日まで聴いていた第22番、第23番とはおもむきがまったく違う。
 第20番のおもむきと似ているが、もう少し明るい。少し救いを感じさせるところが人気の秘密なのだろうか。
 本日は気分的には、この曲に耳を傾けるのにふさわしい気分である。

 午後からいつものように喫茶店に出向くことのできる天気と気分であれば嬉しいが‥。

 


所用終了

2023年01月26日 17時43分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

所用終了。横浜駅に帰着。これより友人と軽く飲み会。本日も寒い。明日は雨の予想だが南関東でも、雪のところがあるようだ。
本日も寒さがつのるらしいので、早めに帰宅したほうがいいようだ。
早めに寝て明日は早くから作業と書き写しと読書、モーツアルトの続き、といういつものルーティンを。