Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

仏顔

2012年01月29日 19時26分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★一瞬の油断くしゃみの響く先
★水洟や電車の中のさびしさに
★水洟をすすりてなつかし同窓会
★くしゃみひとつ仏顔なるわが恩師
★人の世のつきるとこなく枯野原
★裸木の夕日むらさきなお優り
★枯蓮のわだかまりなく水に立つ
★枯蓮の衒いも無くて垂直に

 ブルースクリーンの頻出に脅かされて、パソコンを買い換えるとしたらいくらぐらいか見に行ってきた。10数年前にNECの最新の高級機を購入したが、現在は当時の約半値で現在の最高級機に近いものが購入できることが判明した。とはいっても23インチの画面で20数万円もする。これは今は購入できない。4月に入ってから退職金が手に入りなお且つ妻の同意が必要になる。これはとても難関である。今のままでだましだまし使うしかない。
 ブルースクリーンから自動的に再起動した。エラー報告をするとSP3の自動アップデートの画面となった。このアップデートで事態が改善するといいのだが‥。

パソコンがご機嫌斜め

2012年01月26日 20時39分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく鼻水とくしゃみがほぼ止まった。風邪は「長くて1週間」といわれるが、そのとおり1週間ちょっとで症状がおさまったことになる。

 さてパソコンの状態が思わしくない。立ち上げの途中で青い画面にかわり白い英文がずらりと並ぶ。2ヶ月ほど前からこの症状が3回ほど出た。英文を読むのも面倒なので再度立ち上げたら、そのままうまく起動し続けていた。先ほど立ち上げようとしたら途中から前と同じ青い画面になった。再度立ち上げたら今度は真っ黒な画面に変わり、「フィジカルエラー」の表示が出た。ハードディスクに多分物理的な劣化か損傷があるのであろう。ウィンドウズXPが出た直後に購入したものだから10年以上使っていることになる。そろそろ物理的な限界に近づいているのかもしれない。どこかの部品を取り替える気力もないので、そろそろ買い替え時なのかも知れない。
 一昨年の今頃ならば、一日でもパソコンが不調な日はあってはならない使い方をしていたが、今は実際に壊れて立ち上がらなくなってから購入しても大丈夫な使い方になっている。使用頻度が落ちたというのではなく、「明日まで片付けなくてはいけない」という使い方ではないと言うことだ。
 そうはいっても今のうちに相場を知り、予算と相談しながら機種をあれこれ見極めなくてはならない時期なのだろうか。今では高級機種もこの機種を購入した当時の約半額で手に入るようになったようだ。贅沢を言ってはきりがないが、画面は今の17インチから20インチ位なものにしたい。今週の土日あたりにとりあえず、量販店でパソコンの相場を見てみても悪くないと思った。

風邪でダウン

2012年01月24日 19時23分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の昼からから鼻水とくしゃみがひどくなった。鼻水は先週半ばから出始めていた。昨日午後はマスクをして仕事をしたが、とうとう今朝は起きあがることが出来なかった。
 今週後半は隔週で高血圧の薬をもらいに通院する予定だったので、予定を早めて本日昼前にようやく起き出して、いつもの病院へ行った。インフルエンザかどうか医師に聞いたところ、「インフルエンザなら先週のうちに高熱がでているはず」とのことで一安心。医師がいつもの高血圧のほかに鼻水を止める薬を4日分処方してくれた。
 インフルエンザでなければ薬はいらないと思っていたが、処方してくれたものを今更「いらない」ともいえず、もらってきた。確かに鼻水は間だんなく出てくるので煩わしくなり、その薬を昼食後に服用した。
 その結果だろうが、鼻水は止まり鼻が乾燥している感じだ。乾燥し過ぎてマスクをしないと鼻腔が少し痛いくらいだ。しかも頭が多少重く眠い。読書も出来ない。しかし眠るのは悪くないのでベッドで今までうつらうつらしていた。この薬の効果が切れたらどうなるか様子を見極めて、二回目服用するかどうか決めようと思う。
 明日は出勤出来るだろうか。

本日の収穫は美術館を3館

2012年01月22日 20時34分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、まず初めに東京国立博物館へ「故宮博物院」展を見に出かけた。しかし建物に入るまでに90分、「清明上河図」は210分待ちとのことで、全部見るには5時間以上かかるとの案内があった。こんなことならば先々週の9日の入場には「待ち無し、「清明上河図」の待ち90分」の状態のときに見ておけばよかったと反省。やむなく入場を諦めて、西洋美術館のゴヤ展に予定を変更した。ここも昨年からの開催の割にはそれなりの人出であった。
 小さな版画が今回の見ものであった。人間社会と人間に対するゴヤという芸術家の絶望・諦念と観察力を感じさせる作品が並んでいたと思われる。図録は予算の関係で断念。
 次に三菱一号館美術館にて「岐阜県美術館所蔵ルドンとその周辺-夢見る世紀末」展におもむいた。ルドンは私はこれまで見る機会もなく縁遠かった。人間の顔をした蜘蛛の絵ぐらいしか印象になかった。初めてルドンという画家の絵をまとめて見る機会となった。モノトーンそれも黒を主体とした絵の時期から突如として明るい色彩が奔出する花や女性像の絵が出現する経過がわかる展示内容となっている。色彩の絵は少なかったが、この時期の絵は所蔵作品が少ないためと思った。しかし画家の生涯が見渡せる好企画と感じた。図録は2200円也で購入。
 さらにそのあと渋谷のパルコに足をのばし、「青森県立美術館コレクション展 北の異才たち」を見た。この詳細は「時には本の話でも…」のブログに詳しいが、やはり小島一郎という写真家のモノクロの写真に大いに惹かれた。10点に満たない展示であり、機会があればその全容を見たいと切に思った。私の函館時代と重なる時期の写真だけになにか懐かしさとともに、農漁村の過酷な時代をきりりと切り取っているような印象を受けた。写真集は残念ながら目につかなかった。あるいは売る切れか。予算オーバーで、置いてあっても購入は出来なかったが、置いてあれば立ち読みくらいはしたかった。
 青森県立美術館の設計者である青木淳という方は初めてだ。鈴木理策の写真では雪に埋もれた全景しかわからないものの、興味ある建築物であると感じた。こんど青森に行く機会ははたしていつであろうか。その時、この美術館を訪れることができるであろうか。

俳句誌投稿句

2012年01月21日 22時33分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
今月の投句
★一番星いつまで白き寒さかな
★夫婦椀古りにし箸で大晦日
★冬の芽のさし交わしたる枝の先
★葉一枚浮かべて川は年の暮
★機嫌よき尖塔もあり初あかね
★ほのひかるセピアの写真初明かり
★うれしさはあふれんばかり初湯かな
★どんと焼過ぎ行く巫女が手をかざす
★雪飛んで潮の穂先走り来る
★雪すさぶ舳先の鉄鎖黒く濡れ

本日は雪

2012年01月20日 20時47分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は今年の冬初めての雪模様。朝、私の住む団地の芝生に雪が積もってそれなりにはげしく雪が舞っていた。しかし勤め先の横浜南部方面では雪は降っていたが積もってはいなかった。
 横浜市は広いため北部と南部では雪の様相が随分と違う。北部で雪でも南部では雨の場合が多い。特に南部の海岸沿いでは雪はめったに積もらない。
 帰宅時は、風が冷たくさすがに寒さを気にしない私も寒さが身にしみた。コートの前のチャックをして、風を防ぎながら歩いた。私にしては珍しい格好だ。明日以降雨なのか雪なのか、天気予報でははっきりとしたことがわからない。あさって日曜には雨が上がってほしい。

 一昨日仙台に住む旧友からハガキが来た。年賀状が来ないから心配していたら案の定、昨年の震災でマンションが全壊して、向こう2年間は応急仮設住宅に入居することになったとのこと。幸い仕事は継続しているとのことで、一安心した。2年後の安定した生活を祈るのみである。
 本日はこの友人にお見舞いと無沙汰のお詫びのハガキをしたためることとしよう。

出不精

2012年01月17日 21時02分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近はなかなか出不精になってしまい、三菱一号館美術館の「ルドンとその周辺-夢見る世紀末展」と東京国立博物館の「故宮博物院展」に出かけたいのだが、それも半ば物憂くて自分でも情けない。別に足腰が衰えたわけではないのだが、人間、このようにして歳を取っていくのかと変な感心の仕方を自分に対してしている。
 さて、「時には本の話でも…」のブログで紹介された、神奈川県立美術館(鎌倉)での「藤牧義夫展 モダン都市の光と影」展にも心を動かされている。3月25日までなのでとりあえずはあわてることはなさそうだ。ただし心が動いたからには出かけないことにはこのまま出不精が板についてしまうので何とかしたい。
 そんなこんなで、今度の土曜か日曜には、三菱一号館美術館と東京国立博物館に、何はともあれ出かけようと決意をした。そのためには今週スムーズに仕事を片付けなくてはいけない。またダウンして寝てしまうことのないようにしよう。

 さてこの頃このブログ、身辺雑記的になってきた、といわれた。内容がなくなってきたという見方もあるだろうし、もともと立派な内容なんて無かったともしえるし、私としては自然の流れに任せるだけだ。
 確かに気張った内容のエッセイ風はここしばらく書いていない。古い昔の記憶をたどればまだまだ綴ってみたいことはいろいろある。自然に筆が、というより指がキーボードを叩くに任せて、綴ってみたくなったら、出来上がったら、アップすると言うことでご容赦願いたい。

記憶に残る唯一の夢

2012年01月12日 20時43分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夢は記憶に残らないし、また記憶にとどめようとしてもそれが成功したことがない。しかし記憶に残る唯一の夢がある。
 それは37年前から何回となく見ている夢で今でも年に2~3回は見る。それも夢を見ている自分を客観的に見ている自分はいなくて、その夢の中で必ずもがいている。
 単純な夢である。37年前就職した時、大学を卒業見込みで採用され、3月末には卒業証明書を提出したにもかかわらず、「卒業するのに単位が足りない」とあせってもがく夢である。卒業に必要最小限の単位に1単位だけオーバーして卒業した。1科目でも落とすと卒業できないぎりぎりで卒業証書を交付してもらったためか、薄氷を踏む思いで卒業した。否、満足に授業に出ていなかったので、卒業という名の放校処分に近かったかもしれない。A~C評価で単位をもらったが、A、Bは各2科目、だけ。あとはすべてC評価だった。
 そのために就職して4~5年は毎週1回はうなされて目が覚めた。それ以降月に1回はうなされたことが10年以上続いたか。今でも、37年前に遡って「採用は無かったことにせざるを得ない」と宣言を受ける夢に変容している。働いた分はしょうがないから給料はそのままだが、「嘘をついていたのだから退職金はないよ」と宣告されるのだ。
 何とも言いようのない学生ではあったことは自他共に認める。しかし60歳を越えてここまで大学に復讐されるとは何とも腹立たしい限りである。

年新た

2012年01月10日 20時56分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
この間の俳句
★初日の出生きる気力を胸に受け
★機嫌よき尖塔もあり初茜
★初茜にわかに雀群れ飛びぬ
★初詣柄杓の白さ際立ちて
★陽の当たるセピアの写真年新た

昨日の読了
・「蕪村」(藤田真一、岩波新書)
 この本は俳人としての蕪村だけでなく画家としての蕪村に言及するとともに、蕪村が今で言うところの出版に関する総合プロデューサー的存在で、「夜半亭」はその企画・出版会社のようなものらしいということもわかった。
 そして俳人としての蕪村は、萩原朔太郎の「郷愁の詩人」としてだけの側面だけでは理解できないということにも触れられていた。与謝野晶子・石川啄木・北原白秋などへの影響の指摘など、私には新鮮であった。 同時に私なりの「蕪村」理解をしてみたい、そのために蕪村の俳句を読んでみたいと思わせてくれた。


ブリヂストン美術館&上野動物園

2012年01月09日 20時20分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、ブリヂストン美術館へ出向いた。『パリへ渡った「石橋コレクション」1962年、春』の企画展が開催されていた。「時には本の話でも…」のブログでも紹介されている。
 私はコローの「オンフルールのトゥータン農場」、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」、ブラックの「梨と桃」が印象に残った。ブラックの「梨と桃」は所蔵展でも見せてもらっていないような気がした。対象の質感、背景の色合いなど特に印象深かった。
 ブラマンクの「運河船」はブラマンクのこれまで私が持っていた印象、あるいはこれまでのブラマンクの展覧会の印象とは随分違うタッチであり色使いにびっくり。ブラマンクはもっと立体的で憂愁な感じがしていたがこんなにも明るく平面的かと驚いた。
 ブリヂストン美術館を出てから上野に出向き、国立博物館の「故宮院展」を見ようとしたが、入場は待ち時間は無かったものの呼び物の「清明上河図」は90分待ちとの表示があり、入場を遠慮することとした。また別の日の平日の朝一番にでも訪れてみようと思った。
 ということで余った時間で上野動物園に入り、パンダ・レッサーパンダ・ゾウ・ニホンザル・カンガルー・ペンギンそしてハシピロコーを見学。若いカップルや小さな子供連ればかりのところに我々のような年の夫婦二人というのはとても気恥ずかしいものがあった。

ウォーキング

2012年01月08日 17時51分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は無為の一日というものの、夕方からは読書に勤しみ、岩波新書を練るまでに3分の2程読んだので、まったくの無為の一日ではなかったのが救いではあった。
 本日は昨日のように朝から何もしない時間をだらだらと過ごしたくないと思い、朝NHKの「日曜美術館」を見てから、掃除・洗濯後、ウォーキングに出た。2時間ほど歩いて東急東横線の駅で7駅分歩いた。
 途中で先に電車で出かけていた妻と合流し、今度は2人でウォーキング。2駅分ほど歩いて、新丸子駅そばの丸子山王日枝神社まで出向いた。目的はどんど焼を見学しようというものであったが、16時からとのことで見学は断念。
 帰路は東横線に乗車した。ただし買い物を理由に一つ手前の駅で降りてまた歩いた。私は合計26200余歩。2日分歩いたような感じで、心地よい疲労感が残っている。
 昨日の状態もそうだし、今朝もそうだったが、体を動かすまでがとてもしんどい。たが、いったん体を動かし始めると途端に快調になる。やはり精神的になにか支障があるのだろうと思う。しかしそれが何かは私にはわからない。
 あまり気にしてもしょうがないので、運動後の心地よい疲労感があるうちに、おいしい焼酎のお湯割りでも飲んで、さっさとくつろいでしまおう。

またも無為の一日

2012年01月07日 20時38分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日このブログのトータル訪問者数を見たら8万を越えていた。トータル閲覧数も19万を越えていた。驚くとともに、訪問していただいた方に心から感謝申し上げたい気持ちになった。取り留めない記事にお付き合いいただきありがとうございます。

 さて本日、一日閉じこもっていた。蕪村の解説書を読みながらうつらうつらとしつつ…。眠っている時間のほうが長かったと思う。目が覚めているときも特に何を思うでなく、ただぼんやりと。昼食もとらずにいた。こんなだらだらとした時間、ここ一年半ほど多くなったように感じる。その以前には時間がもったいなくてもったいなくて、常に何かを手がけていないと気がすまなかった。主に労働組合の仕事だったが、それをこなしていた。とてもこんな無為の時間を過ごすなど想像すら出来なかった。
 明日・明後日はどこかへ妻と出かけてみようと思っている。はたしてどこにするか、これからどこかを考えてみることとしよう。

屠蘇について

2012年01月05日 21時47分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日の記事についていろいろの指摘があったので、ウィキペディアで屠蘇を検索してみると、

「正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代に始まり、日本では平安時代からと言われている。宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた。この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている。
 基本的には関西以西の西日本に限られた風習であり、他の地方では、単に正月に飲む祝い酒(もちろん屠蘇散は入っていないただの日本酒)のことを「御屠蘇」と称している場合もかなり多い。関西では年末近くになると一部の薬局・薬店でティーバッグタイプの屠蘇散が近年は売られている。日本酒や味醂または両方を混ぜ合わせた液体をコップなどの容器に注ぎ、好みに合わせて糖分を加える。袋に入った屠蘇散を一晩程度浸けて出来上がりとなる(生薬が原料なので当然の如く独特の香りと味がする為、好みは人によって分かれる)。」

と記載されている。

 私の父親が日本酒につけていたのは、西日本の習俗の影響を受けていたことになる。ただし味醂につけたり、糖分を加えることはしていなかった。私の母親ももとは兵庫の出自らしいから私の父親の習俗をそのまま受け入ることが出来たものと思われる。
 しかし一概に西日本の風習といってしまっていいものか。地域差がいろいろあるだろうし、日本酒より焼酎が主流の九州ではどのようなものか、東北ではどうなのか、私なりにいろいろ疑問がわいてくる。いろいろな地域の屠蘇の風習についての論考があれば知りたいものである。
 雑煮の作り方や餅の形が地域により千差万別なようにいろいろな屠蘇のあり様が想像される。

年初めのお酒

2012年01月04日 21時17分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このところ芋焼酎ばかり飲んでいるが、正月ともなれば日本酒に屠蘇散を漬込み元旦に賞味している。屠蘇は匂いが嫌いという人がいるが私は嫌いではない。そして残りはそのまま日本酒としてじっくりと味を愉しむ。
 今年屠蘇を漬込むために買い込んだのは塩竈市の「浦霞」の純米酒。「一ノ蔵」とともに宮城県を代表するお酒だ。名前の由来は「塩竈の浦の松風霞むなり八十島かけて春や立つらん(源実朝)」によるらしい。約2合は大変失礼とは思いつつ屠蘇に仕立て、残り2合に舌鼓をうった。
 同時に購入したのが、滋賀県湖南市の「御代栄」。これはアルコール度19度あり、飲み過ぎないようにしないといけないが、旨味があり口の中で転がしても強い刺激がない。
 年末に購入した芋焼酎は鹿児島県日置市の「紅薩摩宝山」。これもよい香りと口当たりのよさが気に入った。
 さてこれらがなくなったとき、次は何を購入しようか。酒店で瓶に囲まれてあれこれと迷うのも楽しいものである。日本酒でも焼酎でも一升瓶は購入しない。量が多すぎる。味にあきてします。4合瓶がちょうどいい。焼酎では900cc瓶が多いのでそれにする。

 お酒は私は大した量は飲めない。一晩で、日本酒で1合半未満がちょうどいい。25度の焼酎では8勺(0.8合)位が味わって飲む限度だ。焼酎はそのままあるいはお湯割りに限ると思っている。
 おいしいお酒を少量じっくりと口の中で、舌で転がして味わう。私にとっては至福のときだ。この時は音楽も何もいらない。そのままで時間も味わう。頭の中であれやこれやいろいろなことが駆け巡る。それがいい。
 さらにお酒を飲んだ後、2時間位してからぬるめのお風呂にゆったり入るのもまたいい。全身の力が抜けて一日の疲れがすべて抜けていくような気がする。
 人は、私がアルコールが好きだというと「随分と飲むのでしょう」と勝手に決め付けてしまう。どんどんついでくれようとする。だから私は宴席は好きではない。好きなペースで少量をいい肴とともに味わいたいのだ。外でお酒を飲んで、一人で帰宅するときは、1時間くらい歩いて帰る。そうすると酔いも程よく回り、帰宅後のくつろぎがまた楽しい。お風呂に入るのもちょうどよいころあいになっている。
 これが度を過ぎて飲んでしまうと、徒歩帰宅も、お風呂も面倒になり、翌朝がつらくなる。思うにアルデヒド分解酵素が不足しているのであろう。
 お酒は本当に、程よく自分にあった量を自分のペースで飲みたいものである。

久保田万太郎の俳句

2012年01月03日 17時28分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
「万太郎の一句 365日入門シリーズ」(小澤實、ふらんす堂)及び、「久保田万太郎句集 こでまり抄」(成瀬櫻桃子編、ふらんす堂)より、私の心に残った38句。

・冴ゆる夜のこころの底にふるるもの
・われとわがつぶやきさむき二月かな
・あたたかやさしかはしたる木々の枝
・落椿夜めにもしろきあはれかな
・うららかにきのふはとほきむかしかな
・春の灯のまたたき合ひてつきしかな
・小でまりの花に風いで来りけり
・神田川祭りの中をながれけり
・短夜のあけゆく水の匂かな
・梅雨ふかし猪口にうきたる泡一つ
・手摺まで闇の来てゐるひとりむし
・さめにけり汗にまみれしひるねより
・持ち古りし夫婦の箸や冷奴
・がてんゆく暑さとなりぬきうりもみ
・秋立つやてぬぐひかけの手拭に
・何もかもあつけらかんと西日中
・ながれゆくものの卂さや秋出水
・露の道また二またにわかれけり
・さざなみをたたみて水の澄みにけり
・死ぬものも生きのこるものも秋の風
・秋風や水に落ちたる空の色
・灯のともるまでのくらさや秋の暮
・冬の灯のいきなりつきしあかるさよ
・古暦水はくらきを流れけり
・鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな
・湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
・ゆく年や草の底ゆく水の音
・水鳥や夕日きえゆく風の中
・帯解きてつかれいでたる螢かな
・寒の月しきりに雲をくぐりけり
・鳴く蟲のただしく置ける間なりけり
・人のうへやがてわがうへ螢とぶ
・あさがほを蒔く日神より賜ひし日
・道づれの一人はぐれしとんぼかな
・風鈴のつひにかなしき音をつたへ
・ひとごゑを風ふきちぎる焚火かな
・囀りに木洩日に刻うつりけり
・水打つや一うちづつの土ほこり

 久保田万太郎俳句では人の死を悼む句が心惹かれる。身内・友人いろいろあるがどれも惹かれる。
 またいわゆる写生句とは違う俳句も多数ある。私の上げた句にもそのような句がたくさん入っている。
 どの俳句もわかりやすく、なめらかだ。真似をしたくなるような俳句というのがいい俳句の条件かもしれない。