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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「博物館に初もうで」(東京国立博物館)

2017年01月02日 22時50分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   



 東京国立博物館の「初もうで」を見てきた。かなりの人出だったが、東都葛西囃子中村社中の獅子舞と長谷川等伯の「松林図屏風」、海北融雪の「花鳥図屏風」、池大雅の「西湖春景・銭塘観潮図屏風」、円山応挙「雪景山水図」、横須賀市曹源寺の「十二神将」などを少し時間をかけてみてきた。「松林図屏風」は幾度見ても見飽きることがない。横須賀市にある曹源寺の十二神将像は、人だかりの間から撮影してみたが、写っている像が帰宅してから数える10体しかなくて?。左手の2体が写っていなかったかもしれない。

 東博のあとはどこにも寄らず大森駅に行き、妻の鹿島神社初詣と干支の購入につきあった。中華料理店で親族の新年会で楽しんだ。
 明日は箱根駅伝の復路を横浜駅傍で観戦するが、その後の予定はまだ未定である。




ブラームス「チェロ・ソナタ#1、#2」

2017年01月02日 16時12分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 お昼に出かけるまでの間に聴いていた曲はブラームスのチェロソナタ第1番と第2番。
 私の持っているCDは前にも幾度が取り上げた「堤剛・サバリッシュ」の組み合わせの1枚。私の心の落ち着く1枚でもある。

「学ぶ」ということ

2017年01月02日 11時32分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツィッターを見ていたらこんな文章が載っていた。



 まず学生だった時、私はどうであったろうか。教科書は買わざるを得なかったのでやむなく買ったが、キチンと読んだとはとても思えない。教養部の頃も学部の頃も。当時私が通っていた大学は私は理学部だったが、2年間は教養部という所に在籍して、専門分野以外の文系の科目も多数履修しなくてはいけなかった。その良し悪しは別として、どちらかというと参考文献の方をよく読んだ。もっとも理系の教科書についてはあまり理解できなかったので、文系の科目の教科書自体に乗っている参考文献(教授から直に示されたものではない)から読み始め、さらにそこに乗っている参考文献や引用文献へとどんどん脇へ逸れていくのがいつものパターンであった。
 魯迅の詩を取り扱った授業は新書が教科書だったが、そこから魯迅選集へ、竹内好へ、武田泰淳へと移ったりしたのが、典型的な例。他にもある流れが埴谷雄高と吉本隆明で合致・合流した。この遍歴の醍醐味はとても忘れられない。そして就職先は自分で見つけてきて、卒業という名の事実上の大学との決別。清々した。すくなくとも私の認識の成長過程で大学のカリキュラムも授業もほとんど役割を果たしていなかったことは歴然としている。しかしながらたまたま当時岩波書店で新書版の「魯迅選集」が発売が開始されたことや、参考文献としてそのことが紹介されたことだけは覚えている。

 今の大学生の指向や思いがどの辺にあるのか、私にはまるでわからない。だが、この発言をした大学の教員の方には申しわけないが、参考文献の方が、教科書というどちらかというと押し付けよりも、参考文献におおきな刺激を受けた学生の方が、大きな収穫を手にする場合も多い。無駄なのではなく、その営為が若い人に刺激を与えることを理解してもらいたいと思う。人は対話している人の思い通りの刺激を受けるわけではない。幅の広さを示すことが、教える人の人格の幅を広げるし、そのことをもって教えられる側の人におおきな影響をもたらすことが大きい。購入する金銭的ゆとりのない学生のために大学図書館はある。
 あるいは参考文献を書いた著者の他の書物に影響を受けているかもしれない。「学ぶ」ということは教員が考えているよりも広いものなのではないだろうか。人生全般から見ると「学ぶ」ということはとても間口の広いものである。教員がそれを閉ざしてはいけない。