Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第31番」

2021年04月15日 22時16分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は一昨日に続いて、ルドルフ・ゼルキンの1987年の演奏で、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番を楽譜を追いながら聴いている。
 おととい第30番のところで記載するのを忘れたが、ゼルキンは装飾音を前拍の中に入れ、そして被装飾音はアクセントを点けている。装飾音が一つ一つ丁寧に、ゆっくりともいえるほどに弾いている。私にはこれがとても好感度である。この弾き方は31番にも当てはまる。



 この曲のもっとも気に入っているのは、第3楽章のフーガの前段に置かれた、アダージオ・マ・ノン・トロッポの部分。耳に心地よいのだが、楽譜を見ると、転調や複雑な速度表示などに惑わされるほど自在な変化が見られる。楽曲の形式にとらわれようとしないベートーヴェンの意志を強く感じる。
 後半の8小節から26小節までは「嘆きの歌(Klagender Gesang)」と譜面に記されている。とても印象的である。バッハのヨハネ受難曲との関連があるというが、私はヨハネ受難曲を知らないのでなんとも言えない。この部分を聴くだけでも、満足しそうな気分になる。

 私は第1楽章の再現部も気に入っている。提示部・展開部よりも私の耳には心地良い。特に第2主題の再現が印象的である。

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桜の実

2021年04月15日 19時42分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 14時過ぎの気温が15.6℃とほぼ平年並みの気温、少し肌寒く感じたのは東寄りの風が冷たかったからだろうか。夕方にはすっかり雲が空を覆ってしまった。
 カワヅザクラには桜の実が他のソメイヨシノなどよりも早く赤くなり、風に揺れていた。
 見上げていると、何だろうと私の顔をのぞき込む人もいてびっくり。不思議な人がいるもんだ、というような顔でのぞかれた。のぞいたということは「危険な人」とは認識はされなかったようで、せめてもの救いだった。
 花が咲いていないと、見る人も、注目する人もいなくなる桜である。
 写真を撮っていると今度は小さな男の子が寄ってきて、赤い実がなっているよ、とわざわざ教えてくれた。子どものほうが大人よりも良く観察している。孫なのであろうこの子を連れた女性が「失礼しました」と笑って子どもの手を引いて行った。子どもは赤い実がなっていることをこの女性に教えられていたのかもしれない。
 こういう会話なり、挨拶は心をなごませてくれる。それこそ「不審者」扱いだった私は、この子どもに救われたような気分になった。

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またも「知らしむべからず」

2021年04月15日 11時24分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 またもオリンピック・パラリンピックの秘密主義、上意下達、「民はよらしむべし、知らしむべからず」体質があらわれた。
 2016年に45人もの死傷者が出た相模原市にある「やまゆり園」で起きた事件。パラリンピックの聖火リレーの採火式をやまゆり園の跡地で行う、と突然に発表され、遺族が中止をもとめるという事態が起きている。
 報道によると「遺族と被害者家族が知らされたのは「4月」に入ってからと説明。神奈川県や大会組織委員会が3月31日に正式発表した後、「全遺族あて」の「3月」付の文書が県から届いた」という。
 採火式の理念云々以前に私はその前提がとても気になった。この事件の当事者である遺族に何等の事前説明や合意がないなかで、突然に組織委員会や県から知らされる。3月下旬に報道ですっぱ抜かれてから、遺族は知ったという。しかもその式典の内容も知らされていない、ともいう。私は遺族全体の合意を前提とした事前の話し合いがないことが不思議でしかたない。
 どこの組織がこのイベントを言い出したのか、どの組織が企画したのか、誰がその企画を持ち込んだのか、それを承認・採用したのは誰か、責任の所在がはっきりしない。一応は相模原市が遺族の要望の窓口にはなっているが、どういう経過で相模原市が前面に立っているのか、よくわからない。教えてもらいたいと思っている。
 上意下達というのは、裏を返せば「誰もが責任を取らない無責任体制」「忖度政治」でもある。

 私が受けた印象は、もう一つある。いくらオリンピック・パラリンピックが政治とは切り離して運営していると言い繕っても、実際は、県や市町村に対して影響力を駆使し、その事前の調整や公表までも規制していることが窺える。
 安倍晋三の「アンダーコントロール」という嘘で誘致が決まったかのように宣伝され、組織委員会の初代会長が誘致にあたっての賄賂疑惑で辞任し、次の会長も女性差別言動や上意下達・秘密主義で批判を受け辞任、国会議員をやめないまま元担当大臣が三代目会長になるという組織委員会。
 エンブレムの盗作事件、開会式典のイベントのゴタゴタ、感染症対策不備での水泳の事前国際大会中止、電通へのイベント・企画などの丸投げ問題、さらに膨大に膨れ上がり、どんぶり勘定の経費など、もはやまともな企画とはとても言えない。
 新型コロナウイルスの感染症拡大局面でも、延期となった時の感染者数を大幅に上回っても中止も延期もできず、「特攻精神」を振りかざして強行しようとしているだけである。それに踊らされたくないなどというと、「非国民」のレッテルを貼られそうな昨今である。
 ごまめの歯ぎしり、といわれるだろうが、言いたいこと・言うべきことはある。

 「祭」というものは上からの指示で盛り上がる、という姿勢そのものが、今の日本の政治状況を物語っている。江戸時代の「民は由らしむべし,知らしむべからず」(『論語』泰伯編)を「法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよい」という意味に解釈した江戸時代の為政者の論理から何も変わっていない。
 論語の名誉のためにいうと、「知らしむべからず」この解釈はいろいろあるようだが、ここでは触れない。

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夜のウォーキングは断念

2021年04月14日 23時34分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 夜のウォーキングは雨で断念。数年前は多少の雨でも傘をさしてウォーキングをしたこともあるが、そこまでやる気力はなくなっている。また運動靴が雨で濡れて不快でもあった。歩いているときばかりか、翌日に晴れたとしても、靴は短時間では乾かずに、臭くなる。私は嗅覚がダメで匂いはわからないが、妻にとっては悪臭の元である。それも申し訳ない。

 明日は晴れるらしいが、気温は低いという予報。そして明日は年金の支給日。講座の受講料の支払いと、眼科を受診ができる。
 明後日は内科の受診日。あっという間に年金が消えていく。

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春の雨、春雷

2021年04月14日 21時20分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先ほどの猛烈な雨と、強い風、そして雷は30分もしないで南西から北東方向に、千葉県北部のほうに移動していった。風もおさまり、ごく短時間で雨は弱い雨に変わった。我が家では、電気関係への雷の影響も無くてホッとしている。山梨県でも強い雨の区域が通過していた。

      

 午後家を出るときに、家の前の植え込みのつつじなどについた雨粒が美しかった。カメラに収めてから家をあとにした。

 降っているのか、わからない程度の穏やかな春の雨と、豪雨と雷をともなう春の嵐と、二つを同じ日に体験するのも珍しいのではないだろうか。

 きわめて艶めかしいと思った句を一句。
★春雷や胸の上なる夜の厚み       細見綾子

 こちらは老いがにじみ出ている句に思えるのだが、読み違いか。虚子がいくつくらいの句なのであろうか。
★春雨のかくまで暗くなるものか     高浜虚子

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豪雨情報と雷鳴

2021年04月14日 19時47分06秒 | 天気と自然災害

 湿度86%という高い湿度が続いた。雨は傘をささずとも歩ける程度になり、二人で横浜駅から少し離れた、オフィスビル街の横浜駅近くの喫茶店まで歩いてみた。途中から雨は上がった。雨のためか、サラリーマンの姿もなく、空いていて快適であった。
 喫茶店で安いコーヒーを飲んでから、妻は食材の買い物、私は読書のために喫茶店に残った。読書の途中で、16時半頃に中年の女性二人連れがビールを注文してすぐ隣に陣取った。他に開いている席があったのに、「景色がいいね」といってわずか1mの席に坐られてしまった。私はムッとしつつ、席を経って退店。まるで「蜜を避ける」気がない二人連れに驚いた。数分の間、会話を隣で聞いたが、前日にはそれなりの人数で居酒屋会食をしていたようだ。吐いた人がいるとか、いないとか、その手の豪遊自慢話にもうんざり。



 今しがた、横浜市からの「豪雨のお知らせ情報」を着信した。レインアイよこはまを見ると、横浜市の西に接している藤沢、海老名、大和市では時間雨量換算で80mmの雨が降っている。雨の区域は西から東に流れている。まもなく横浜市の中心部も強い雨になるらしい。
 そして雷鳴がとどろいた。これをアップし終わったら、パソコンの電源を切ることにした。

 

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強風・雷注意報

2021年04月14日 11時20分21秒 | 天気と自然災害

 強風・雷注意報が出ている横浜、昨晩からシトシトと降り続いている。降水確率は午前が60%、午後が50%。妻は昨日家に閉じこもっていたので、晴れたら出かけたいというが、望み薄。雷鳴は聞こえてこない。聞こえてこないでほしい。

 食材の買いだめ・買い置きということが苦手な妻にとっては、ほぼ二日置きくらいの買い物は大切な日課である。
 私は余分なものまで、しかも本などという生きていくには直接無関係なものを購入してしまうほうなので、お互いにチクリと嫌味を言い合いながら、40数年やって来た。

 さて、午後の50%の降水確率、どのような天気となるのだろうか。

 

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ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番」

2021年04月13日 22時11分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 ルドルフ・ゼルキンの演奏のベートーヴェンのビアノソナタ第30番を聴いている。
 第1楽章全体と第3楽章の主題が私にはとても印象的で、頭から離れない。どのように記譜されているのか、気になっていた。
 弦楽器の楽譜とは違い、ピアノの譜面は右手と左手、両方にまたがって旋律が記されるので、ピアノの譜面を見てもなかなか旋律が頭の中に浮かんでこない。しかし曲を聴きながら旋律を追う楽しみがある。管弦楽曲のスコアよりも私に追いにくい。
 しかし美しいと思った旋律がこのように記されているのか、という発見はうれしいものである。例えば第1楽章のA部分、右手の旋律だけが耳には聴こえてくる。しかし楽譜を見ると左手が16分音符を鳴らしている。これに気が付くと旋律に厚みを持たしていることがわかる。
 同時にB部分の装飾音が印象に残る部分である。ベートーヴェンの装飾音というと第4番のシンフォニーを思い出してしまい、その執拗な繰り返しに私は閉口してしまうのだが、この曲では実に効果的で心地よい。
 さらに第3楽章は主題と変奏であるが、主題と第1変奏、第4変奏が私好みの曲である。
 主題の5小節目と6小節目にあらわれる装飾音の転がるような響きがこの曲全体を軽やかなものにしている。
 その気分が第1変奏では、3小節目の転がるような5連部やそれぞれの小節に頻繁に表れる短い装飾音に引き継がれる。
 こういう譜面を見ると、曲全体の美しさが譜面にあらわれていると感じる。
 第30番の曲全体を支配している気分がこの二つの譜面にあらわれていると思っている。

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久しぶりに楽譜を見ながら‥

2021年04月13日 20時48分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

  15時半頃にウォーキングに出かけた。少しだけ路面が濡れていた。傘をささないでも歩ける程度の雨が降っていたが、5分もしないうちに止んでくれた。
 約100分ほどで1万歩あまり歩いた。60分ほど歩いたところで頼まれた買い物。久しぶりに傘を持って出かけたので、最後の15分ほどは雨が降り始めたが、濡れずに済んだ。
 南寄りの風であったものの、歩きはじめた時は、少し肌寒く感じた。しかし途中から汗がだいぶ出て来た。

 帰宅後は、ベートーヴェンのビアノソナタの30番、31番、32番を再び聴き始めた。今度は楽譜を見ながら。特に30番、31番は丹念に眺めた。
 最近はスコアなど楽譜を見ることがなくなってしまったが、楽譜フェチの習性は残っていた。初めての曲を聴くときは、最初から楽譜を追いながら曲を聴くと、目で楽譜を追うことばかりに意識が集中し、曲全体の印象が残らない場合が多いものである。今回、楽譜を見ずに幾度も演奏を聴いたことがいい影響になったように思う。同時にこの旋律は楽譜ではこう記されているのか、と面白い発見が続く。
 曲全体の印象を保持しながら、それぞれの楽章の主題を追う、というのは充実した時間に思えるものである。

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未だ雨は降らず‥

2021年04月13日 15時06分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 雨が降ってこない。天気予報は外れてしまった。これから振る可能性は高い空の雲の様子である。午前中に印刷会社に記事の修正分を送信。これで最後の入稿になるはずである。

 その後、「バロックの音楽」(磯山雅)と、「あの戦争と日本人」(半藤一利)の2冊を交互に目を通しているうちに、いつの間にか15時になっている。

 一日家に籠もって、と思ったがどうしても体を動かしたくなって、散歩がてら買い物を買って出た。たかだか卵を階に行くだけだが、それなりの時間はかけて歩いてくるつもりである。本当は、買い物もせずぶらぶらと無目的に歩きたいのだが、それは許されることではないようだ。
 南寄りの風が少し強くなってきた。そろそろ降るという予告なのだろうか。早めに外に出かけたい。

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「面倒くさい」とは‥

2021年04月12日 22時34分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は終日雨の予報になっている。外に出かけるのは億劫である。最近は傘をさして歩くことが億劫になった。面倒くさそう、という言葉が先に出てきてしまう。
 これも歳の所為なのだろうか。「よっこらしょ」という掛け声と、「面倒くさい」は歳を取った証拠かと思った次第である。

 だが、私が高校生の頃は「かったるい」という言葉が流行った。私も使った覚えはある。今でも使う人はいるのだろうか。10代後半のときと同じような言葉を使っていたということは、「面倒くさい」という意識は、年寄り特有の言葉とはいえない、とも思える。

 ひょっとしたら、意識と実際の体がバランスを喪っているときの状態から発せられる言葉かもしれない。年寄固有の言葉として片づけるのではなく、何か心的な負担がのしかかっているときに発せられるSOSに近い悲鳴のような言葉、というか身体的な反応なのかもしれない。
 さてその心的なストレスとは何なのだろうか。これもまた回答のできない問題である。

 そんな迷路の中に紛れ込んでも仕方ない。明日は、外出はせずとも、読みたい本を読んで過ごしたい。

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「どくとるマンボウ」シリーズを探してみた

2021年04月12日 21時55分30秒 | 読書

 有隣堂にて、本を探してみた。

 「まん延防止等重点措置」という新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく措置である。「まん防」と略して政府関係者が国会でしゃべっていたが、私は法律用語を無造作に国会で略して使うことに強い違和感を覚えていた。しかもできたばかりの法律上の措置である。

 私が「マンボウ」という発言を聞いて思い出したのが、北杜夫のエッセイ集「どくとるマンボウ」シリーズである。1958年の刊行で大人気となったというが、私が中学生になった1964年ころも大人気で、伊勢佐木町にいまでもある有隣堂本店で立ち読みで「航海記」「昆虫記」を読んだ。
 立ち読みをしながら声を出して笑うものだから、横に立っていた他の客が馬鹿にしたように私を見ていたのに気が付いて、恥ずかしくなったことを覚えている。それでもやめられず、他の日に、やはり声を出して笑ってしまった。一緒に行った同級生が私の足を踏んで「恥ずかしいからやめろ」と注意してくれたことも覚えている。もう57年も昔の話である。
 だが、笑いこけたことは覚えているが、肝心な内容についての記憶がまったくない。著者の北杜夫にはとても失礼だとは思うのだが、こればかりは致し方ない。

 その「どくとるマンボウ」シリーズを本日探してみたのである。
 残念ながら書棚にはなかった。もう品切れなのだろうか。特に在庫を調べるほどの熱意はなかったが、もしもあれば読んでみたい。しかしまた立ち読みで笑いだしたら、今度は70歳間近の白髪のおじいさんとしては、とても恥ずかしい。

 図書館で借りて家で読んだほうが無難かもしれない。
 

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「口からでまかせ」のツケ

2021年04月12日 18時23分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の会議は思ったよりも時間がかかってしまった。10時から11時から、続けて二つの会議。片付けも含めて終了したのは12時30分頃になってしまった。
 喫茶店でハンバーガーを久しぶりに食べてみたが、空腹感は満たされなかった。会議では現役のころよりも疲労がたまる。やはり歳の所為だろうか。

 本日の会議で決まった日程をスケジュール帳に書き込んだり、来週の会議のための資料をどのように作成するか、など頭の整理がようやく終了。

 この3週間近く、退職者会の業務がひと段落しててたけれども、例年に戻ってきた。

 さて、本日も会議終了後に雑談の中で話題になったのが、ワクチンが行きわたるのはいつになるのだろうか、ということ。高齢者の組織としては実に切実な話題である。
 前政権時に「確保した」と前首相が言明した供給がいかにいい加減なものだったか、ということが明らかになってきている。人気維持のために何事につけて、なりふり構わず、金と利権で人を操り、「口からでまかせ」を乱発して、とうとう袋小路のようなどん詰まりに行きついてしまった。そうして政権を放り出した。
 それを支えた行政マンも実はあまりに世の中の常識とはかけ離れた者ばかりが集まっていた。人事権の掌握というものは恐ろしいものである。無能なものほど、人事権を掌握したがる、ということと、それに群がる者は本当は役に立たない者達ばかりなのだということが同時に証明された。
 しかしその責任を追求しようとする声が、議会の「多数」によっていつの間にか、免罪されてしまっていないか。マスコミの政治に対する監視能力もまた劣化が著しいようだ。ゴシップばかりを追ってきたツケではないのか、と八つ当たりもしたくなる。
 あえて言わせてもらうと、国民は「コロナ禍」という免罪符で命の危険にさらされてしまったのだ。

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早めの就寝

2021年04月11日 22時21分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 少しばかり風に冷たさを感じたものの、陽射しもあり18℃と温かい日であった。空に雲がほとんど見えず、それだけで気分が良くなる。
 本日はシジュウカラの声が特に響き渡っていた。もう一か月も前から盛んに鳴いていたのだが、さほど気にせずにやり過ごしていた。気にしだすと、なかなか耳を離れない特徴のある鳴き声である。もしもシジュウカラを飼うと、部屋中にあの声が満ち溢れたら、ちょっとまいってしまうだろう。外で鳴く声を聞くに限る。
 本日のウォーキングは少し控えめ。昨日少し歩きすぎたため、太ももの筋肉疲労が気になる。

 明日は、10時から組合の会館で会議。資料作りは意外と時間がかかってしまった。9時には家を出る必要がある。ということでこれより入浴と就寝準備。

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「あの戦争と日本人」(半藤一利)を購入

2021年04月11日 21時39分54秒 | 読書

 本日の失敗は、ウォーキングに出かけるときに喫茶店で読む予定の「バロックの音楽」(磯山雅、ちくま学芸文庫)を机の上に忘れてしまったこと。
 温かいので、喫茶店の外のテーブルを確保して、リュックを開けたら本が入っておらず、がっかり。コーヒーを注文してしまったので、書店に行くわけにもいかず、コーヒーを飲みながら、スマホでツイッターやフェイスブックを眺めて1時間を過ごした。
 帰りはバスに乗ることにして、書店で「あの戦争と日本人」(半藤一利、文春文庫)を購入。バスの中で第1章「幕末史と日本人」を半分ほど読んだところで、降車するバス停に着いた。
 有隣堂では、半藤一利氏の追悼コーナーはまだ書店にある。売り切れとなっていた「昭和史」も増刷ができたようだが、それも在庫は少ないようだ。私はあまりいい読者ではなかったし、異論もあったが、しかしその姿勢に学ぶべきものはたくさんある、と思っている。
 敬意を表して、いくつかの著書を読むつもりではいた。今回は本日購入した半藤氏の文庫本と、「バロックの音楽」(磯山雅、ちくま学芸文庫)を並行して読むことにした。

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