Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

仕事が進まない

2022年08月09日 22時32分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 このところ少々体調不良、というか眩暈が2日ほどあり、眩暈が起こりそうな日が2日ほどあった。眩暈自体はごく軽く済んだので助かったが、退職者会ニュースなどの作成は2日ほど遅れている。他にも頼まれ仕事があるのに、それに手をつけていない。
 退職者会ニュースは本日の予定分はできた。しかし全体の6割程度の面積が埋まった程度。気分的には少々焦り気味。暑さのために気分的に集中できないことも遅れの原因であるかもしれない。しかしそれを理由にはしたくないものである。
 焦ってもいい結果とはならない。コツコツ作り上げるしかない。

 明日は予定がないので、もう少し進捗かもしれない。同時に記事を書いてもらう依頼もいくつか必要になった。


長崎平和宣言

2022年08月09日 18時03分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 広島市の平和宣言に続いて、今年も長崎市の平和宣言を転載します。

                                  長 崎 平 和 宣 言

  核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者をもたらした原子爆弾の投下から11年後のことです。
 被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。
 その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
 「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」。
 核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。

 今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5か国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせました。
 この出来事は、核兵器の使用が“杞憂”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
 核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。

 今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。
 6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。
 そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
 核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
 日本政府と国会議員に訴えます。
 「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
 非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
 そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。

 世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。
 私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
 長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。

 被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
 長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

        2022年(令和4年)8月9日      長崎市長   田 上 富 久

 


熱風

2022年08月09日 17時45分43秒 | 天気と自然災害

 横浜では33.4℃となった。風が強く、最大瞬間風速が16.6mの南南西の熱風のような風である。かろうじて35℃とはならなかった。この南寄りの風でベランダの洗濯物が煽られて陽を反射してきらきらと輝くと同時に、室内では洗濯物の影が踊っていた。あっという間に乾いた。

 午前中は、退職者会ニュースのおもて面のメイン記事を作成。うら面のメイン記事は夕方から夜にかけて作成することにして中断。この暑い中を所用が出来て、二人で出かけた。さいわい熱中症にはならずになんとか無事帰宅。

 妻の買い物の間、喫茶店で15分ほど「犬の記憶」を読んで過ごした。


明日は猛暑日の予報

2022年08月08日 23時40分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は猛暑日の予報となっている。本日よりも気温が2~3℃上がるようだ。本日も杖を突きながらだいぶ汗をかいた。付き添いで病院に着くまでのわずか500歩あまり歩くだけで下着が汗で濡れた。喫茶店での一服後に帰宅してみると6000歩ほども歩いていた。ほとんど横浜駅の地下街を歩いた。

 明日は特に予定はないので、退職者会ニュースの編集作業に戻りたい。それなりに拍車をかけて、頑張らないと出来上がりそうもない。おもて面と裏面のそれぞれのメインの記事を仕上げたいものである。


百日紅(サルスベリ)

2022年08月08日 21時37分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 すでにサルスベリが満開の季節になっていた。まったく気がつかずに過ごしていた。
 杖を突いて、下を見ながら歩くことが多かったためか、時々雲を見上げるときだけ顔を上に向けていたのではないか、と反省。しかし上を見ながら歩くのはまだ危険。
 サルスベリだけではなく、多くの季節ならではの景色に気がつかずに過ごしていることに気がついた。それもまた致し方ないかもしれない。うつむきながら歩くことでの新発見もあることを期待したいものである。

 感性が鈍っていれば何を見ても感動しないし、何も発見できない。


不快極まりないテレワーク

2022年08月08日 20時21分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 31.7℃と昨日よりもわずか1.3℃高い最高気温であったが、とても暑く感じた。昨日に比べ風が強く、しかも同じ南寄りの風であったにもかかわらず。
 午前も午後も短時間であったが通院の付き添い。歩いて5分ほどの同じ病院に二度。それが終わってから、横浜駅まで一人で出向いた。家電量販店でラベル用紙を購入。いつものとおり書店で新刊のチェックと欲しい本の在庫助教などを見て回った。在庫チェックをしても注文・購入するのはこの店ではないし、また購入しないことの方が多いのだが、止められない癖である。

 コーヒーの安価な喫茶店で一服しながら「犬の記憶」を読んでいた。しかし30分もしないうちにやって来た一人の女性がとてもうるさかった。その若い女性は3つとなりの席に座った。パソコンを立ち上げテレワークと思しきしぐさでキーボードをガチャガチャ打ち始め、さらに取り留めなくメリハリのない電話の会話がとてもうるさく耳にわずらわしい。いらいらして席を立たざるをえなかった。きわめて不快。
 テレワークの普及に伴い、この手の迷惑行為が増えた気がする。


「犬の記憶」から その4

2022年08月07日 20時10分51秒 | 読書

   

 本日は「犬の記憶」から「城」と「海辺の日記」の2編を読み終えた。体長の回復と読書量あるいは読書時間は関係があると断言していいようだ。

「僕の記憶への旅は、ありうべき全体像の風化を前提としたところから始まっているような気がする。確かに過去と現在の照合などというヌエのような作業は、カフカの小説の主人公Kのようにいらだつばかりだ。目の前に映っているように見えて行きつくことが出来ない。」(城)

「人間とは、所詮無数の風景の組みあわせのなかをひたすら駆けぬけていく存在にすぎないのだろう。はかないといってしまえばそれまでにしても、あのときのあのころの、あの風景はいったい何処へいってしまったのかと考えるとき、それは僕にとって感傷などいうのではなくむしろいきどおりに似た感覚である。人間はみな風景をつぎつぎに喪失していく。それは時間への焦燥といいかえてもよい。時間とは、無限につづいていくものてはなく、むしろそれぞれに迫りくるものだと思う。失われていく風景への追想は、同時に木たるべき死への風景を予感することでのような気もする。」(海辺の日記)

「短い言葉の向こうに風景が見え、そのさらに向こうに過ぎた時間がある。‥無数の記憶の風景も、その時点で写し止めることは不可能であったが、それらはいったん僕の記憶のそこに沈み込み、僕の意識を通り抜けることによって、あらかじめ潜在していた日付は、新たなる日付との邂逅のなかでふたたび蘇生するのではないだろうか。‥記憶とはそんなものなのかもしれない。」(海辺の日記)


少し体調回復

2022年08月07日 18時38分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 久しぶりに陽射しの中を歩いた。15時過ぎでまだ陽は高かった。杖を突いて、のんびりプラプラと歩いた。プラプラ歩きはいつ頃したか、ほとんど記憶にない。いつもスタスタどころか何かにせかされるようにせわしく、わき目も降らずに歩くのが私の歩き方であった。
 膝を痛めてから、まわりを見渡しながら、景色を堪能しながら歩いている。空には、真夏の入道雲と秋の雲が混在していた。

 これまでならば10分のところを20分近くかけて歩いて、サイフォンで淹れるコーヒーを飲ませてくれる喫茶店で、一服ののち、30分ほどの読書タイム。
  17時の閉店までのんびりして、再び同じコースをやはりぶらぶらと歩いて帰宅。最高気温の31.4℃は16時少し前で、喫茶店にいるときであった。
 いくときも帰るときも、日陰の道を選んだつもりだが、カーブごとに西日を浴びてかなりの汗をかいた。

 どんなにゆっくりとした歩き方でも、家の外を歩いてかく汗はやはり格別である。汗と共に体の内部の毒が出ていくような気分になる。
 さいわいにも右膝の痛みは今のところ出ていない。眩暈もおこらなかった。

 


少し過ごしやすい

2022年08月07日 15時05分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は団地の管理組合の諮問会議。帰り際、雨が少し落ちてきたが、路面が濡れるほどではなかった。しかし南区・磯子区・中区では狭いながらも強い雨の区域が短時間で通過していた。
 最高気温の予想が31℃。現在はまだ31℃に達していないと思われる。35℃超えの気温のときに比べるとホッとする。この気温でこれまでよりも過ごしやすく感じる、というのが恐ろしい。
 これより久しぶりに出かけてみたい。本日のところは、さいわいにも眩暈は起きていない。このまま治まってほしいものである。
 久しぶりに美味しいコーヒーで一服したくなった。

 退職者会ニュースの編集作業は本日は中止。明日から再開予定。


ミンミンゼミの抜け殻

2022年08月06日 22時04分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 広島の原爆投下の日、ようやく例年のような天気の日となった感がある。
 この時期、蝉の抜け殻が目に付く日々でもある。今年も団地では街灯のコンクリート柱、木々の幹の人間の高さ程度のあたり、そしてアガパンサスなどの背の高い花の茎などにも蝉の抜け殻がしがみついている。
 時には集合ポストや壁などにもぶら下がっている。なかには道路上に落ちてしまって転がっている。夏休みの子供たちにはこの抜け殻を集めるのが楽しみなのであろう。脱皮という不思議な生態を目の当たりにする絶好の機会でもある。
 ミンミンゼミの盛んな超えに圧倒されて、カラスもキジバトもシジュウカラもオナガもおとなしくしている。


広島平和宣言

2022年08月06日 20時54分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年も8月6日を迎えた。例年のように、広島市長の名による広島平和宣言を掲載することにした。

   平和宣言

母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。

今年初めに、核兵器保有5か国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

  令和4年(2022年)8月6日              広島市長 松井 一實


「図書8月号」から 2

2022年08月06日 20時24分12秒 | 読書

 3日ぶりに本を手に取った。読んだのは「図書8月号」。

・生態学者の「さとやまガーデン」づくり  鷲谷いづみ

・世界市民のための音楽          大岡 淳
「専門家気取りの演劇人や音楽家は往々にして自分流のブレヒト、自分流のヴァイルを粗製乱造して、失敗しています。なぜ彼らは失敗するのか。たとえ職業的なアーティストであったとしても、ブレヒトやヴァイルに取り組む以上は、なんらの専門性も歩凝らす、あらゆる特権を放棄した、丸裸の匿名的存在して、舞台に立つ構えが必要であることを理解していなからでしょう。アーティストから観客へ、ではなく、市民から市民へ語りかける手段として、ブレヒトやヴァイルの作品を位置づけることができれば、そのときはじめて、ブレヒトやヴァイルのルーツたる古代ギリシアの演劇が本来、市民が市民の面前で、語り歌い舞う祭祀だったことを想起してもよいでしょう。」
 戯曲というものに接する機会はシェークスピア以外はほとんどなかったものの、ブレヒトという名は聞いている。このままこの世界と縁のないままでいるというのも寂しいと思い、ブレヒトの戯曲は目にしてみたいと思っている。また演劇も見に行ったことはない。一度体験してみたいと思っている。

・レオン・ブルムの弁護士とその娘     今枝由郎

・この歌手は誰だ、と僕は叫んだ      片岡義男

・座標                  谷川俊太郎
「空間的な座標ばかり気にして、時間的な座標、つまり歴史の中の自分に考えがいかなかったのが現在の私にとっては、自分の感性の原点を見るようで面白い。」
 実は私はこれとは逆である。ここの言葉を借りるならば、理系を志した私は本来は空間的な座標に生きるはずであったのに、いつの間にか時間的な座標、歴史の中の自分の位置の模索ばかり気にして17歳から71歳まで生きて来たようだ。この選択に悔いはまったくないけれども、多分60歳以降、二つの座標軸を同時に生きてきた気もする。

・さびしいおおかみ            文月悠光
「家族の物語は、必ずその時代の社会構造と抑圧の影響を受ける。今の日本における家族の在り方は、これらの作品に比べて、どうなるのだろうか? 旧来の家父長制への批判が強まる一方、日本では夫婦同姓が未だに維持され、女性側が改姓することが一般的。家庭のなかで父親の存在感は薄い。‥当たり前とされている構造を疑い、声を上げて、崩していきたい。子どもが読む本、とあなどるなかれ。私はそこから、当たり前を疑う心を養ってのだ。」

・土をつくる               岡村幸宣
「他者の悲しみの記憶を聞いたとき、そのイメージが重なることで、目の前の風景がまったくちがって見えることがある。瞳に映る世界と、まだふの裏側に浮かぶ世界の、どちらが現実で、どちらが幻影なのか、わからなくなるような体験。」
「この絵は、福島の土地に悶え加勢するつもりで描いているんです。悶え加勢する、というのは石牟礼道子さんの言葉ですけど、この絵を描いているとよく思い出すんです。石牟礼さんから学んだ姿勢として、悶え加勢するつもりで、新鮮な土をつくって描いているんです。(加茂昴)」

 本日は以上の7編を読み終わった。


眩暈

2022年08月06日 14時48分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一昨日と昨日の深夜就寝前、昨日と本日の朝起き抜けに軽い眩暈がした。本日は、お盆休み前の土曜日だが、かかりつけの耳鼻咽喉科の診断を受けてきた。前回の私の眩暈の時も診てもらった医師である。予想よりも病院の待合室は空いていた。
 私のかかりつけの医師からは、「熱中症などで体内の水分が不足すると起きるときもある。排尿を面倒がらずに多めの水分補給をするよう」に言われ、前回の眩暈の時と同じ薬を処方としてもらった。確かに一昨日と昨日の深夜の眩暈の時は、水分を補給したら15分後くらいには眩暈は収まった。血圧は眩暈直後では正常値よりも高めであった。眩暈が収まると通常の平常値に戻っている。眩暈のときは血圧が上がっているようだ。

 先週は親が眩暈がするということで親のかかりつけの医師に診てもらった。特に体に眩暈の原因となるような異常はないと言われていた。今度眩暈がしたら服用する薬を処方してもらった。しかし今朝も軽い眩暈がしたとのことであった。

 私のかかりつけ医から得た話を、親にも私から伝えた。水分補給を忘れないよう注意を促し、先週処方してもらった眩暈の薬を服用するよう伝えた。私が処方された薬と、親が処方されていた薬は同じ薬であった。

 これほどの暑さが続くと、いろいろと体に異常が出てくる。特に高齢になればなるほど、この夏の暑さを乗り越えるのは大変である。


忘れ物ばかりの誕生日

2022年08月05日 19時34分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方まだには大雨・雷注意報は解除された。朝早くはまだ黒い雲が南の空を覆っていたが、昼までには夏の雲に変わった。
 10時前の予約だったが、思いのほか市民病院の診察まで時間がかかった。採血があったため、診察・会計後に朝食兼昼食を終えたのが13時前。残念ながら、読む本をリュックに入れ忘れてしまった。朝の目薬も忘れて出かけてしまった。
 横浜駅でいつものとおり家電量販店や書店などを巡ってから、薬局を経由して帰宅。昨日の右膝の注射後、痛みが出たので鎮痛剤を服用したら急に眠くなり、2時間も寝てしまった。痛みは起床後も少しあり、寝る前にはもう一度服用する必要がありそう。
 これより2時間ほど、退職者会ニュースの編集作業を予定。


大雨・雷注意報へ

2022年08月04日 23時02分08秒 | 山行・旅行・散策

 22時45分までの段階で大雨・洪水警報は解除となり、現在は大雨・雷注意報のみとなった。とりあえず一安心。
 私の昔の職場も待機は解除となり、出動も無くなったと思われる。

 横浜では被害はほとんどないと思われるが、東北の日本海側、北陸での被害は深刻のようである。二次被害がでないよう復旧が少しでも早くなることを期待したい。