Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

長梅雨

2019年07月15日 23時27分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夜のウォーキングに出かけたら、途中から雨が強くなってきた。用心して小さな折り畳み傘をズボンのポケットに入れていたので、助かった。しかしズボンはだいぶ濡れてしまった。雨が続いて洗濯物が乾かないので、洗濯についてはご機嫌が悪い。洗濯物の籠にそっとズボンを入れておいたが、明日の朝には睨まれる。

 そして今しがた横浜市域に大雨注意報が出た。現在は1ミリ未満の雨で音も小さくなったが、先ほど家にたどり着いた時は5ミリ前後の雨で音もそれなりにしていた。

 しかし7月も中旬に至った。例年であれば梅雨明けの話題があちこちで聞かれる。早い年であれば梅雨明けとなっている。梅雨の末期の大雨などでの被害なども例年起きている。今年はやはり様相が違う。これから先どうなるのか、不安が頭を過ぎる。

★草に木に五月の雨のやはらかし     中村弥生

 本日降っている雨も本来ならばこのような形容も当てはまる雨なのだが、今年に限っていえば、もううんざり、という気分である。

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ようやく帰宅

2019年07月15日 18時24分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中横浜駅で購入しようとしたもの、なかなか見つからず横浜駅周辺をずいぶん歩き回った。さすがに管美れてしまった。結局お昼前には病院に行けず、14時過ぎに病院に到着。

 昼は久しぶりに定食を出す店で「鯵の干物」定食。大変おいしい干物であったが、しかし1,000円。年金生活者には昼ご飯で1,000円はきびしい。月に一度の贅沢と思って注文した。友人と月に何度か訪れる居酒屋の回数を減らせばそんなに贅沢とはならないが、それには目をつぶってもらうしかない。

 病院からの帰途もいったん横浜駅に戻り、総菜を購入。妻はだいぶ回復したらしく、洗濯機をまわし、ごはんは炊いてくれた。私も草臥れたので、食材ではなく総菜を購入して帰宅。妻の食欲も少しは戻っているようだ。疲れがたまったのか、風邪気味なのか、判然としない。

 見舞いも連日となると次第に疲れが溜まってくる。

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本日も雨模様

2019年07月15日 10時42分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今は降ってはいないが、1ミリ未満の雨の区域が斑上に西から東に移動している。すくなくとも午前中は、雨が上がるということはなさそう。梅雨前線はまだ関東の海上で北上する気配はない。

 夜の頻尿が数日続いて悲鳴を上げていたら、ここ数日は朝までぐっすり寝ている。約6時間まったく排尿のために起きることがなくなった。特に何の対処もしないのに頻尿から解放されている。水分を取るのを控えているわけではなく。寝る前数時間のうちにウーロン茶などのお茶を3杯前後も飲み干している。寝ている間に水分が失われて発生するリスクの方が大きいと思って昔から実行していることである。
 頻尿から解放はされているが、昨日からは就寝前と今朝起きたばかりの最低血圧が90前後と少々たかめ。就寝前に服用する薬が効いていないのだろうか。あるいは服用しないともっと高くなってしまうか、どちらかであろう。 

 妻の体調は少し回復したようだ。頭痛があるようだが、起き出して洗濯に精を出してくれている。しかし外出は控えることに。
 入院した親から要望のあったいくつかの品物を横浜駅で購入し、私が病院へ届けることになっている。午後は夕食の食材の買出し。

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「ゴヤ スペインの光と影」(堀田善衛)

2019年07月14日 23時34分14秒 | 読書

   

 先ほどから読み始めたのは「ゴヤ1 スペインの光と影」(堀田善衛、集英社文庫)。かなりつい上に4冊で完結する評伝。
 先ほどまで読むのに厳しかった「マネの絵画」よりは理解できる範囲は広いと思われる。またそれなりに楽しみながら読めると期待している。

 

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「マネの絵画」(フーコー) 読了

2019年07月14日 21時49分21秒 | 読書

 

 ようやく「マネの絵画」(ミシェル・フーコー、訳:阿部崇、ちくま学芸文庫)を読み終わった。
 フーコーの「マネの絵画」という講演は、話し言葉でもあり、私でもそれなりにわかりやすく読めた、と思う。実際は読みこなせていないのかもしれないが、取りあえずは理解できたと思っている。
 フーコーという哲学者の著作は初めて目にした。西洋の哲学書にはなかなか縁遠くて、学生時代に初期のマルクスは何とかかなり目を通した。またヘーゲルの「歴史哲学」を少しばかり齧った程度でしかない。
 しかしこの書にはこのフーコーの講演が掘り起こされ、刊行されることで開かれたシンポジウムの8氏の発言をまとめた8つの論考がおさめられている。
 私にはいづれの論考も、それぞれが自分の言葉で語っていないことに不満を持つと同時に、フーコーや他の哲学者の言葉の片々を集めたような論考にはどうしても違和感を強く持った。フーコーや他の哲学者の言葉や「〇〇一派のように」などとまとめられても、まるで何のことやらさっぱりわからない。分かる方が無理というもの。
 読み通すのが苦痛であった。分からない文章というのは、文章の流れで次に出てくるかと想定した言葉と違う言葉が繰り返し登場したり、あるいは他者の言葉を短く唐突に引用してきて、それが理解されているという前提に立って論が一方的に進められるときである。
 学術的であっても狭い範囲でしか通用しそうもない論考にずいぶん長く付き合ってしまった、という徒労感とともに、最後のページを綴じた。

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自然災害が人災に転化する「政治の貧困」

2019年07月14日 20時12分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 予定通り午後遅く近くのスーパーへ買い物に出かけた以外には外に出ることもなく、何となく時間が過ぎた。特に何をするでもなく、私は読書タイム、妻は体調不良で布団の中、食欲もあまりない。過労だとは思うが、明日一日様子を見て、火曜日以降の対応を考えるしかない。
 読書はしていたが、読んでいる本が面白味がない。フーコーのマネについての講演は大変興味深く、勉強にもなったが、それを受けたシンポジウムの内容は私の関心からは外れている。次の本に早く移行したいものである。

 現在横浜港では花火の打ち上げか行われているが、外に出て見学する気にもならず、私もボーっとしている。活動のエネルギーが湧いてこない。

 横浜市域に出ていた大雨注意報も解除になっているが、未だ霧雨のように降っている。テレビのニュースでは来週もずっと曇り空、雨が続くらしい。日照不足・低温の影響がじわじわと出て着そうな気配。今の政治の貧困では自然災害が人災としてさらに増幅すること間違いがない。

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「雨籠り」の休養日

2019年07月14日 12時14分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

         

 本日も朝から弱い雨が続いている。九州ではまた豪雨との報道。ことしの梅雨は嫌な雨が続く。

 嫌な雨であるが、今横浜で降っているような弱い雨は、気分によっては心を落ち着かせるものである。昨日入ったレストランは木造の日本建築風の建物であった。植栽や設えなどではこのような湿気の覆い梅雨の時期にも、落ちついた雰囲気を醸し出すものであると思える。

 妻は私の親の入院で草臥れたようで、朝からダウン。寝入っている。本日は特に予定はないので、このまま休養の一日。「雨籠り」ということばは聞いたことはないが、本日は雨を理由に私も家に引き籠って、休養日。

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のんびりとした週末を

2019年07月13日 23時31分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどからごく弱い雨が降り始めた。レーダー雨量計を見ても0.1ミリ未満の雨のようだが、明日にかけて強い雨という予想からすると侮れない。これから強くなるようだ。

 本日は27℃ちかくまで気温はあがったのに明日は24℃が予想最高気温。今年は本当に気温の上がり下がりが烈しい。それが原因で体調を崩しかねない。

 明日・明後日と世の中は連休であるが、幸いなことに、私は特に予定が入っていない。

 今週は特に予定はない日が続いており、のんびりしている。ゆっくりとした日を過ごしたいものである。

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本日の飲み屋

2019年07月13日 22時38分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 先ほどようやく帰宅。茅ケ崎市内での飲み会に参加。横浜市内では降っていなかったが、茅ヶ崎駅に着くと傘を差さないでは歩きにくいほどに降っていた。約束の時間まで1時間ほど駅周辺の散策で時間をつぶしている間に雨は小止みになった。
 茅ヶ崎市は旧東海道沿いに出来た町並みなので、旧東海道まで歩き、そして東海道をデザインした下水道や水道のマンホールを探そうと思った。しかし雨に気持ちがダウンしてしまい、アーケードのある駅周辺のマンホールを見て回った。
 各都市それぞれに意匠に工夫を凝らしたマンホールが設置されている。近年それをカメラに収めるという趣味も流行っているらしい。
 本日撮影したマンホールは2種。一つは下水道の汚水のマンホール。もう一つのカラーのものは下水なのか水道なのか判然としなかった。



 入ったお店は熊澤酒造が経営するというお店。10数名で入り、たくさん飲んだ。しかもツマミはとても美味しかった。しかし一人2500円とずいぶん安かった。

 

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突然の友人の訃報

2019年07月13日 09時34分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前から昼にかけて親が入院している病院へ行く予定。新横浜駅から直行バスで10分ほどである。親族が見舞いに来てくれるので、同行。本人は骨折の痛みはあるが、元気である。リハビリに精を出している。
 見舞いに行く親族の方が疲れたり、転んだりしないか心配である。

 見舞いの後は、妻と従妹が付き添って新横浜駅界隈でランチタイムとのこと。私は新横浜駅に戻るまでは一緒に行動するが、それ以降は、横浜駅経由で茅ヶ崎駅まで出かける。退職者会のハイキングの後半の打ち上げに参加することになっている。


 さて一昨日、長年の友人が突然に亡くなったとの報があり、慌てた。私よりも確かひとつ上である。今年のはじめに体調を崩し、いったんは回復したばかり。完全に回復したものと、すっかり安心していた。
 葬儀の日取りなど気になるところである。喪服も慌ててクリーニングに出した。クリーニングが間に合うといいのだが‥。

 同じような歳の、同時代を体験した友人の訃報は、とてもしんどい。

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守宮(やもり)

2019年07月12日 22時29分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★守宮出て全身をもて考へる       加藤楸邨
★硝子戸の夜ごとの守宮とほき恋     鍵和田袖子

 守宮(やもり)は形は蜥蜴に似ている。夏の夜に壁などにくっついている。。指に吸盤がついていて指を広げるようにして強力に張り付いている。瀬が黒く腹が赤いのは「ゐもり」「いもり」である。

 第1句、「考える」ということはまさに全身で考えることである。守宮が全身の力を使って風に張り付いて何かを「考えて」いるかのように思えるときがある。「何を考えているか」「考えた結果」に感動するのではない。「全身・全霊を使って考え」ようとすることに感動するのである。守宮だけではない、小さな子どもの考えようとする姿勢に多くの人が感動するように。
 考える、ということと守宮の姿態を結び付けた思考の回路、発見がこの句の眼目だと思う。

 第2句、これはまた同じ守宮の粘着から「遠き恋」を連想した。あまりの艶めかしさに驚いた。対極にあるような句であるが、守宮が全身の力をもってその存在を示すように壁に張り付いた姿勢からの連想は同一である。

 いづれも忘れられない句になりそうである。

 

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アガパンサスの花

2019年07月12日 20時10分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 アガパンサスはヒガンバナ科の南アフリカ原産の単子葉植物。春に咲く君子蘭は橙色である。同じヒガンバナ科の遠縁である、こちらは紫君子蘭とも呼ばれる。

 季語として俳句に読まれることは稀れで、歳時記にも項目は掲載されていない。

 梅雨の時期の花として最近は注目されているとのこと。私にはあまりに豪華すぎてこれまで気に留めることはしてこなかった。しかし団地の北側にたくさん咲いているのが目につくようになった。
 最近はこのように豪華で、目立つ花が好まれるようだ。

 ツツジの葉の上では蟻が忙しそうであった。

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0.1ミリ以下の雨だが‥

2019年07月12日 13時08分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 ここ数日、夜中に排尿をしにいく回数が多くなった。寝てから1時間おきに3回は行く。その後は今日まで3時間近くは起きることはない。
 実は就寝前に高血圧の薬(カルシウム拮抗薬)を飲む。これの副作用ではないかと思い至った。以前も昼間に頻尿に悩まされたことがあり、それもこれとは別のカルシウム拮抗薬で、薬を変えてもらったことがある。だが、この薬に変えてからすでに3週間以上は経っている。先週まではこんな症状はなかった、と思う。また特に自覚していなかった。
 1時間おきに3回というのは睡眠が妨げられている、と実感してしまう。間もなく薬がなくなるので、医師と相談した方がよさそうだ。

 本日も朝から雨、といっても1ミリ以下の雨で、レインアイよこはまの画像を見ると間もなく上がりそうなのだが、すっきりとしない。

 昨年後半から今年にかけて、病院がらみでかなり慌ただしい日々が続いている。家族3人、いづれもがかかっている。気持ちにゆとりが亡くなっている所為か、ベランダの花も今年は淋しい。咲いている花が少ない。かろうじて以前からある白いランタナが控え目に咲いた。新しい花苗を購入してくるゆとりが妻にもないのかもしれない。
 団地の中ではアガパンサスが盛りである。梅雨の時期の花とは言えここまで日照が少ないとさすがに俯き加減が寂しい。それなりに日が照ってほしいものである。

 

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蜥蜴(とかげ)

2019年07月11日 22時19分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★蜥蜴と吾どきどきしたる野原かな    大木あまり
★糊硬き白衣の裾を蜥蜴去る       平畑静塔

 蜥蜴という季語は夏。初夏、石垣やコンクリートの上で日向ぼっこをしている。人の姿を見ると実に機敏に素早く逃げ出す。その速さには舌を巻く。昆虫・蜘蛛・ミミズなどを捕食する。尾は切れやすく、切れた後もさかんに敏捷に動いている。外敵の眼をここに惹きつけ、本体は逃げるというテクニックである。そして再生するという尾には骨はなく、軟骨が形を作っているという。再生しても元の大きさには戻らないらしい。

 第1句、蜥蜴は確かに心臓がバクバクと動いている。胸が大きく動いている。観察する人間と見つめられる蜥蜴、野原ではこの二つの生命だけが相対している。他に人気(ひとけ)などない世界である。
 野原、という言葉から身近な一角と思われる。そんなところでも耳を済ませ、目を凝らすと生命の緊張感あふれる一コマが見えてくる場合がある。そんな緊張感を感じ取ったのではないか。
 あるいは、ひょっとしたら「蜥蜴」と称しているのは、相方なのかもしれない、と読んでしまってはいけないだろうか。年寄りの詮索しすぎなのだろうか。

 第2句、梅雨開けした頃の作品だと勝手読み。梅雨も終わりすっきりとした日、白衣も洗濯したてで糊が効いており、気持ちのいい休憩時間、座った庭の石、ベンチに先客の蜥蜴がいたのに気づかずにいたのだろう。あるいは颯爽と病棟の外に出る機会があったのかもしれない。
 素早い動きでその存在、生命に気がついた一瞬。蜥蜴も日向ぼっこで気持ちよかったに違いない。そんな一瞬を蜥蜴と共有した。私などはそんな休憩タイムはとても気持ちの良い休憩タイムだと思う。白衣に蜥蜴の青い尻尾が鮮やかにはえる。

 残念ながら今年はジメジメとして雨が長く続く梅雨である。その上涼しい。蜥蜴にはまだお目にかかっていない。

 多くの人が蜥蜴を嫌うが、私は好きである。愛嬌のある顔をしている。娘も蜥蜴が好きであった。小学生のとき丹沢のハイキングで小さな蜥蜴を捕まえ、帰宅しようと虫籠に入れて電車に乗った。だんだん混んできて買い物袋を下げた若い女性数人が、「ギャー」と大声を出して娘から離れて行った。
 娘は何が起きたのかわからずキョトンとしていた。私は何かとても悪い事でもしたのかと逆にびっくり。しかしそのまま横浜駅まで二人で座っていたことがある。多くの乗客のつめたい視線をずっと感じていたのを記憶している。
 団地の草むらの中でときどき蜥蜴を見慣れていた娘は、捕まえた蜥蜴が気に入っていた。妻はちょっと気味悪がっていたが、娘に付き合っていた。数日間虫籠で飼ったのち、そっと草むらに放した。

 その後、その蜥蜴がどうなったか、それは不明。また娘が今でも蜥蜴に愛着があるか、それも確かめてはいない。団地にはいまだに蜥蜴をよく見かける。今年も見る機会が欲しい。

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雨が早めに降り始めた

2019年07月11日 18時57分01秒 | 天気と自然災害



 夜遅くから雨になるという予報であったが、予測より雨の区域の東進が早かったようだ。横浜では15時過ぎからポツポツと降り始めた。見舞いで言っていた病院の帰りがけに降り始めた。弱い雨なので傘をささなくとも10分位ならば歩けると思った。しかし妻もいたのでバスを利用して帰宅。
 夕方にかけて5ミリ程度の雨が間断なく降り続いている。しかし雨脚が強まっているようには見えない。このままの状態が続くのであろうか。本日のウォーキングはあきらめざるを得ないようだ。

 二十四節気では小暑、七十二候では明日までが「温風至る」ということになっているのだが、肌寒さすら覚える。最高気温は今のところ昼前の24.7℃。

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