Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

汐留ミュージアム「幸之助と伝統工芸」展内覧会

2013年05月31日 22時22分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
                     


 30日夜、はからずも抽選であたりパナソニック汐留ミュージアムで開催されている開館10周年記念特別展「幸之助と伝統工芸」のブロガー向け内覧会に参加した。
 汐留ミュージアムはルオーのコレクションで幾度か訪れ、ブログに記載させてもらった。ルオーをじっくりと鑑賞できていい勉強になったし、はじめてその魅力もたっぷりと味わうことが出来た。また最近は二川幸夫展も見て、これもブログに2回掲載した。図録が高価だったが、二川幸夫の写真にはすっかり魅せられた。

 今回の展示は、前期・中期・後期の3期に分けて展示替えがあるようで、この日は中期の開始日に当たるとのことであった。中期は5月30日~7月9日、後期は7月11日~8月25日という長い会期である。

 私は展示品に対するあくまでも私の感性で見た感想を中心に述べてみる。松下幸之助という方の思想や理念などには触れない。そして器以外は語る能力が無いので、器についてのみ書かさせてもらう。

 まず私がこの展覧会に参加したいと考えたのは「茶道具の中でも茶碗の名品が展示されている、陶器を鑑賞する気持ちがあるなら見るだけでもいい体験になる」との情報をくれた友人がいるからだ。
 陶器といっても私は器も皿も購入する資力も眼力もない。ただ形が手に馴染み、そして釉薬の色合いに飽きのこないお猪口が好きで、ごく安いものを旅行先の土産物店で購入するくらいのことしかしていない。それでも飽きがこなくて人の手に馴染む器というのは、ホッとする。心が和む。同時にこのような展覧会は、展示されている器の取捨選択・評価を自分なりにしてみて、解説などの評価と比べてみるという勉強の場にもなる。

 人類だけが器というものを手にしてきた歴史があるのだが、その人類の歴史を感じさせてもくれる。不思議なもので見ているだけでも楽しいと思うことがある。遺跡から出てくる古代の土器も、ガラス器も、青銅器も鉄器などの金属器も、木製や漆の器も含めて器というものは皆、その土地土地の生活にはぐくまれた形と紋様と風合いや色彩などの特性を持っている。

 今回も作品解説を読まずに自分の好きなものをまず選んでみようと思いながら会場に案内されてみると、最初に並んでいたのが茶碗の数々。会場での案内は幸之助の工芸に対する姿勢の説明から始まったが、申し訳ないとは思いつつ、私はその説明はほとんど聞かずに展示されている茶碗の間を回った。
 私の目を惹いたのは、「黒茶碗 閑談」(作:樂一入、17世紀)と「黒茶碗 毛衣」(作:樂宗入、17~18世紀)、「赤茶碗 常盤」(作:樂覚入、20世紀)。そして萩茶碗(作:三和休和(十代休雪)、1967~74年頃)。
 先ほど解説のパンフレットを見てみると、樂一入の黒茶碗と三輪休和の萩茶碗が掲載されていて、私の好みと一致してうれしかった。
 樂一入については「樂家四代当主一入による黒茶碗。朱釉がきれいな景色を見せている一入らしい小ぶりでしまった作風」とある。萩茶碗については「萩焼の人間国宝自身が開発した失透性のある温和な白い釉薬「休雪白」を使用した休和らしい上品な白萩茶碗」とある。
 当日の解説では、最近の茶碗は昔の茶碗に較べて大振りになり、扱う立場、喫する立場からするとどうなのか、という話もあった。これは私も同感である。当然手に触れることは出来ないのだが、それでもじっと見ていると手触りなどがなんとなく伝わってくる。現代の作は手に馴染むという観点からは大きさにちょっと難点はあると思う。私も小ぶりのほうを選ぶと思った。
 また、黒茶碗・赤茶碗ともにその色合いがいい。光の具合で輝きに差が出てくるし、黒茶碗といいつつ朱釉がほのかに自己主張してくるなど、注目しようとする色合いが見ていると浮き上がってくるような錯覚に襲われる。

 さらに茶碗の並ぶ一角の中央に「萬暦赤絵方尊式花瓶」と「萬暦赤絵枡水指」が色鮮やかに展示されている。鮮やかな3色の色の主張は、私の好みではないがそれでもこの方尊は赤・緑・青のバランスがいいと思った。水指は赤と緑の比率が高く青は少ない。私は赤と緑を主とした水指の方の色の配置がおとなしく感じて好ましいと思う。そして地の白の比率も高く、方尊よりも一層落ち着いた感じの図案に見えた。

 次に私が見入ってしまったのが、「彩瓷壷(さいじつぼ) 晩秋」(作:石黒宗麿、1959年)。柿の実と枝が文様化して描かれ晩秋の景色をあらわしている。私はこの白っぽい地と柿の実の色の組み合わせがとても気に入った。さらにざらついた表面の感じが晩秋の空気も感じさせてくれる。これなどは手元に置いておきたいという贅沢な衝動に駆られる。収集家という人々の独占欲がわからないでもない。
 解説文では「中国や朝鮮、唐津などの古陶磁器を範として、特に天目系の鉄釉陶器の再現をはじめ多種多様な表現に特有の気品と芸術性を獲得した。本作品は白化粧して高火度焼成した胎に絵の具で模様を描いて低火度で焼成する彩瓷(さいじ)という技法」とあった。

 器では他に、河井寛次郎の「白地花絵偏壺」(1961年)、濱田庄司の「柿青掛分白格子文角皿」(1972年)、十三代今泉今右衛門の「色鍋島緑地草花文花瓶」(1978年)、角谷一圭の「芦鷺地紋真形釜」(1961年)の前でたたずんだ。
 会場でこれらの器の前を何周したか忘れたが、時間ぎりぎりまで見飽きることがなかった。

 このように陶器などを見飽きることなく眺める時間が訪れてこようなどとは、私自身にもとても信じられない。人間にはふとこのようなことに気分が傾く瞬間が訪れることがあるらしい。その時の気持ちを忘れずに持ち続けていれば何かの拍子に再び、今度は時間的なゆとりのあるときにそれが思い出されたり、共鳴したりするときがあるようだ。そんな時間をこれからは大切にしていきたいとあらためて思わせてくれた展覧会であった。

 図録は購入していないが、パンフレットの図版も解説も丁寧で好感が持てた。学芸員さんの努力と力量に感謝である。
 贅沢を言えば著作権などで難しいのかなと思うが、展示品のカードサイズの写真の販売があるととてもうれしい‥。二川幸夫展のときもそう感じた。ルオーの作品のカードは豊富にあるのに、といつも感じる。

         

残念ながら抽選漏れ!

2013年05月30日 23時32分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は朝から東京都写真美術館「写真のエステ」展の感想をブログにアップするため記事をかなり根を詰めて作成。午後からの神奈川大学の講座「続・ヨーロッパ芸術を旅する」の第3回目の講義に辛うじて間に合った。
 前にも書いたとおりこの講座とても勉強になる。講義の内容も毎回配布される資料もともに私には出色。伊坂青司教授の話もわかりやすく聞き易い。人柄が何よりすばらしいと思う。話し方に人を惹きつけるものがある。
 前回はドイツとイギリスのロマン主義絵画の説明があり、ドイツの19世紀初頭の画家キャスパー・ダヴィット・フリードリッヒと、イギリスのやはり19世紀初頭のターナーの絵の紹介と解説をしてもらった。フリードリッヒは私は始めて耳にする画家だが、とてもひきつけられる絵だ。これはちょっと勉強してみたいと思った。東山魁夷も影響を受けたらしい。樹木の絵など生命力の象徴として捉えるなど、江戸時代の琳派の水墨画にも通じるようなおもむきがある。
 そして本日はイギリスのラファエル前派のロセッティ、ミレイ、バーン・ジョーンズの3人の絵の紹介と解説。夏目漱石が惹かれたミレイの「オフィーリア」も取り上げられた。ラファエル前派というのは、このミレイの絵以外は私はまったく知らなかったのだが、なかなかすばらしい。またアール・ヌーボーへ繋がることも初めて知った。
 そして夕方から、パナソニック汐留ミュージアムで開催されている「幸之助と伝統工芸」展のブロガー内覧会に出かけた。
  松下幸之助個人については私はいい印象は持っていない。特にあの松下政経塾でろくでもない政治家を多数輩出していることについて、不愉快極まりない嫌な体験を強いられた身としては否定的な評価しか出来ないと思っている。卒塾者全員がそうだとは言わないが、マスコミに出てくる彼らは人間性の深みもないし、文化を政治に従属させる発想しかない。その上、伝統文化への理解などとは程遠い彼らを輩出しておいて何が伝統文化の擁護者だと悪態もつきたくなる。  しかし、当選しておいて悪態をつくのも気が惹けるのだが‥展示されている工芸品、すばらしいものがあるとのことで、見たいという誘惑には勝てず、ブロガー内覧会に応募したら当選してしまった。その内容は明日以降に掲載する予定。

 この内覧会のあと、汐留ミュージアムの帰りはいつも寄るのだが、駅の傍のビルの立ち飲み屋街で軽く飲んでから帰宅した。

 さて明日、東京芸術大学美術館で開催されている「夏目漱石」の美術世界」展のブロガー内覧会が行われる。残念ながら応募したが抽選漏れになってしまった。本当はこの内覧会に当たりたかったのだが。くじの運は相変わらず悪い。

 


東京都写真美術館「写真のエステ」展

2013年05月30日 11時56分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      
   
 昨日東京都写真美術館のコレクション展「写真のエステ-五つのエレメント」を見てきた。
 五つのエレメントとは光(luminous)、反映(refrection)、表層(surface)、喪失感(sense of loss)、参照(reference)を指している。この五つのテーマごとに作品を展示している。この展示の企画者が写真芸術あるいは写真の美の在り方として感じているこの五つの要素を手がかりとして、19世紀の初期の写真から現代の写真まで紹介している。
 写真芸術の五つの側面の紹介という、写真を鑑賞したり写真芸術を志す人に向けた基本のレクチャー、教科書的な展示というふうに私は理解した。
「光」:光は始原であり、生命を与えるもの。暗い部屋のなかに外界からの光が注 ぎ、像を結ぶことが写真装置の本質である。
「反映」:水に映る光の像、ガラスや窓に映る世界。イメージは現と幻の境界にた だよい、どちらともつかない情趣や感覚、豊かな重なりあいを生み出す。
「表層」:物質の質感、皮膚感。ものの表面とディテールへのフェティッシュな感 覚。そしてモノクロームの印画紙の表層に色彩をのせる「化粧」をほどこすこと で、外国人を魅了したエキゾティックな明治期の横浜写真。
「喪失感」:廃墟や昔の記念写真。失われた時の痕跡は人の記憶や情動をゆさぶる。 写真をとおして人は取り返しのつかない時間の流れに思いをはせる。
「参照」:ひとつのイメージは他のイメージを源泉として未来に再生される。ひと つのイメージは過去の視覚文化の歴史とつながっている。
 今年度にはこのあと「写真のエステ-作り方のエレメント」(7.13~9.16)、「写真のエステ-自然のエレメント」(9.21~11.17)と連続する企画。

 私が惹かれた作品は、「光」のエレメントに展示されているものでは、稲越功一(1941~2009)の「Maybe,maybe#8」とチラシの表紙を飾る佐藤時啓(1957~)の「Breath-graph#155 YUBARI」、川内倫子(1972~)の《イルミナンス》のシリーズ。
 稲越功一の作品は何ということもない景だが、柔らかい光と落ち着いたたたずまいの室内がいい。心を落ち着かせてくれる佳品だと思う。
 佐藤時啓の作品は「喪失感」のエレメントに入れてもいいのだろうが、蛍の光が主題と考えるとこのエレメントでもいいのだろう。夕張のおそらく廃坑の建物の朽ちていく情景を写している。これなど時間のかなり長い経過・人の歴史も感じさせ、また光の芸術としての写真としてもいい。板目のディテールも美しい。蛍が美しい自然や、人の手が入って懐かしい田園風景の中にある美しさというような過去の範疇をさらっとかわし、和泉式部の「もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる」という恋の情念を現代の栄枯盛衰の世界に変えてみせるてもいる。今回の展示の五つのエレメント、いづれにも当てはめられる作品ではないか。とても気に入った作品である。
 川内倫子の作品、以前この東京都写真美術館で作品展があったと思う。そのとき私はあまり好印象はなかった。スナップ写真ばかりが目立っていて、作意が薄っぺらで面白味が感じられなかった。今回この「光」をテーマとした作品群の中にはいると技巧的な作品としておもしろいと思った。
 また畠山直哉(1958~)の「スローグラス」は雨に濡れたガラスの向こうに赤い東京タワー近辺の都市風景だが、この作品のように都市を温かみのある風景として切り取るということにも私は最近ようやく慣れてきた。
 「反映」のエレメントは、大きく分ければ「光」でもあるようでもあり、今ひとつ私には作品群としては迫ってくるものがなかった。しかし「映ることは自然現象で写すことは文化的な行為、能動的な意志。リフレクションのイメージは、その中間にある。」というコンセプトはなかなか面白い。最近の若いスナップ写真家の多くが自然現象のように映すことにエネルギーをあまりに使いすぎているのをみると、写すことの意志があまりに希薄でつまらないと思う私には、このエレメントは貴重なのかもしれない。
 山崎博(1946~)の「海をまねる太陽No.4」は自然写真であるが、同時に時間を写しこむ造形的な美しさに惹かれた。このエレメントになるのだろうか。また東松照明(1930~2012)の「ホテル」や《チューイングガムとチョコレート》シリーズなど、表出意識の過剰な氾濫が技巧を越えて行く危うさが感じられて私などは惹かれるのだが、このエレメントとどうかかわるのか。
 いづれにしても面白いエレメントなのだが、展示作品との関連が私にはわかりにくかった。理解が到らなかった。
 「表層」のエレメントは、もうひとつのコンセプトは「写真の表層には目に見えるものものしか写らない。内面的なビジョンや精神性を表出する絵画表現と異なって、徹底して表層の美しさ、見栄えの良さにこだわる写真が私は好きだ」とある。私もこの把握は好きだ。いわゆる造形写真の多くがこの部類に入るし、同時に自然写真にもここに入るものも多い。マン・レイの作品やアンセル・アダムスの山岳写真が並んでいる。森山大道の作品でここに展示されるようなものがあったのは私の無知を晒すようだった。この方は実にいろいろな技術や目を持っていたのだなぁとあらためて感心した。
 幕末から明治にかけての、モノクローム写真に水彩で色をつけたいわゆる横浜写真がこの部類に入るのかとビックリしたが、あらためてその精緻な彩色に舌をまいた。
 「喪失感」のエレメントは私には刺激的だ。雑賀雄二(1951~)の《軍艦島》のシリーズ、川田喜久治(1933~)の《地図》のシリーズ、宮本隆司(1947~)の《建築の黙示録》のシリーズ、どれも見入ってしまう。そして造形的にもすぐれている。細部への細かな配慮も好きだ。このエレメント、シリーズものになるのはどうしてだろうか。時間を閉じ込めるのは一枚の写真でも充分に閉じ込めてそれを鑑賞者に見せることは充分に可能だ。しかしシリーズものになる場合が多いのはなぜなのだろう。私の理解では、作者の対象に対する姿勢、対象に肉薄しようとする表現意識の強さと関係があるのかもしれないと、この展示を見ながら考えたが、それ以上はまだわからない。
 「参照」は面白い切り取り方だと思う。「モダンアートがひとつの作品が他の何にも似ていないことが創造的であるとされてきた。ポストモダンアートと呼ばれる高度情報化社会の美術作品は、先行する美術作品やさまざまなジャンルの視覚表現を引用し、参照することで成立する。」というコンセプト。確かに本歌取りやエッセンスの引用、新しい視点による再解釈、新しい意味の付与など芸術作品の原動力だ。こんコンセプトも面白いし、多くの作家が試みるべき試行だ。森村泰昌(1951~)の《なにものかへのレクイエム》のシリーズの試みなど刺激的で私はとても惹かれる。今回は「パブロ・ピカソとしての私」が展示されている。
 文化や表現の画期をもたらすというすぐれた試みも持つと同時に、しかし同時にこのことが強調され、氾濫する時代は、時代の爛熟期の特異という側面もある。
 いろいろなことが学べるコーナーなのだろう。

 この写真展、素人目にこんな感想を持った。なかなか刺激的な時間を過ごすことが出来た。勉強にもなった。企画に感謝である。

         

都写真美術館と武蔵小杉駅周辺の居酒屋探索

2013年05月29日 21時45分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝は晴れ間が出ていて、暑くなりそうな天気であったが、予報どおり次第に雲が多くなった。午前中は組合の退職者会の会合に出席。会合の終了後、恵比寿にある東京都写真美術館に直行し、「日本写真の1968」展と「写真のエステ-五つのエレメント」展の二つを見てきた。それぞれの感想は明日以降アップすることにした。

   

 お昼に横浜の石川町を後にしたときはまだ降っていなかったが、恵比寿駅に着いた頃は今にも降り出しそうな天気に変わり、展示を見終わったときは路面がかなり濡れていた。コーヒーを飲みながら休憩中にもまた降り始めた。
 来週の後半、久しぶりの友人と武蔵小杉駅の傍で落ち合う約束をしたので、居酒屋を探しに一人で武蔵小杉駅で途中下車した。そのときはかなりの雨が降っていた。武蔵小杉駅は横須賀線の駅と南武線の駅は焼く500メートルほども離れている。 むかしながらの街の趣を探しに南武線に近いJR北口を中心に雨の中を歩いてみた。居酒屋はまだ開店前であったが、いくつかの候補を見つけて駅にもどり、17時近くにセンターロードの焼き鳥の店に入った。日本酒1合と黒糖焼酎のロックを1杯とツマミ二品で2060円。店を出る頃には雨はすっかり上がっていた。
 古い下町のような雰囲気が残る反面、再開発で大きな商業施設・ビルが立ち並ぶなど新旧取り混ぜた不思議な街という印象である。
 武蔵小杉駅は江戸時代には中原街道の小杉宿があった場所ということは知っている。そして過去に二度ほど昼間訪れたことがある。妻と二人で参加した、横浜駅から震災を想定した帰宅困難者向けの歩行訓練の終着地点としてたどり着いた。昼間でもあり、居酒屋を探すこともなくそのまますぐに電車に乗り横浜駅にもどった。だから武蔵小杉駅周辺の印象はほとんどなかった。印象としては悪くない。また来てみたい雰囲気もある。

 さて 実は失敗をした・・・・
 6/1(土)の第61回横浜能を見に能楽堂へ行くつもりだったが、切符が売り切れていた。前売り券を買わなくても大丈夫だろうと安易に考えていた。本日確かめたら「残念ですが」と言われてしまった。
 誰かをお酒に誘わないといけなくなった。

牙の研ぎ方

2013年05月28日 22時25分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は神奈川大学の市民向け講座の「歴史の中の日中韓関係」3回連続講座の最終回。講師は田畑光永氏、講座としてはとても面白かった。また私の知らない歴史的な展開も含めて説明があり勉強になった。以前にも記したが、講座の内容では個人的には多少の違和もあるが、それはそれとして素直に勉強できたと思う。

 現実に進行している日・中・韓、無論台湾も含めるが、この各国の政治の舵取りの難しい時に、各国の政治のトップこそが常に冷静に事態を見極めなければならないところだが、各国ともトップが冷静とは思えない、危うい事態であることが私にはとてももどかしい。そんな折の講座であった。
 内容についてはここでは触れずに、いろいろの人との話の中で活用していきたいと思う。


 さて、箱根湯本での泊まり、それぞれに懐かしい方ばかりでとても有意義であった。そして参加者の中に組合役員になる以前、就職した頃からいろいろ組合活動について助言をいただいたIさんがおられた。早速メールやブログのお互いの情報を交換して、このブログも紹介した。今でもIさんのブログは、盛んに社会に対して発信をしておられるようで、懐かしく且つすごいなと感じた。私などはその手のことはかなり後景に追いやってしまい、趣味の世界にどっぷりと浸かってしまったような観を呈している。

 そんな現状を見て時々昔の仲間から、「お前さんはすっかり牙を抜かれたのかい?」などと揶揄されることがある。私としてはそんなことはないし、現役の頃と今とは決して断絶なんぞしていない。そのまま繋がっていると思っている。昔も今も、自分は何ら変わっていないと自負している。ただ現れる仕方が変化しただけと思っている。あるいは牙の造形が変わって見えるのかもしれない。しかし牙は牙だ。
 そう、牙は常に、今も研ぎ続けているつもりだ。

 しかし牙を研ぎ続けることが人生なのかといわれれば、そうではない。自分の納得する人生の結末のつけ方、充実した人生のための牙であって、牙を研ぐための人生ではない。そこら辺の若干のすれ違いが、昔から代わりばえせずに私の周りに多いのではないか、と最近自嘲気味である。

 明日は、講座と退職者会の予定が朝からお昼過ぎまで重なってしまっている。退職者会の予定を優先せざるを得ない。午後の予定がはっきりしない。朝からの予定が長引かなければ行ってみたい展示があるのだが‥。

 先日触れた入院中のNさん、無事明日退院する運びとなった。仕事は来月第2週くらいから再開とするらしい。何とか早めに社会復帰してもらいたいものだ。長い付き合いの友人、というよりも大切な先輩なので引き続き体をいたわってもらいたい。

 本日も少々内容のない、曖昧な話が続してしまったが、ご容赦を。

小田原-平塚ウォーキング

2013年05月27日 21時19分07秒 | 山行・旅行・散策
 お昼を小田原駅傍の店で参加者全員楽しんだ後、私は平塚駅までウォーキングをすることにした。ウォーキングで平塚まで行く、といったらやはり皆から不思議な顔をされた。変わり者と思われるのも無理はない。しかし折角のいい機会なので、皆の目は気にしていられない。
 小田原駅の改札まで皆と一緒に行動した後、国道一号線をひたすら横浜方面に向かって歩いた。出発したのが13時40分頃。駅から歩いて小田原城傍で一号線に入ったときが、日本橋からの里程標で82.5キロだったと記憶している。平塚駅の傍の地点では63.5キロのあたりだったので19キロ。平塚駅に着いたのが16時45分頃だったので、4時間5分。それぞれ駅までの距離を加えて歩行距離は約21キロ位だろうか。箱根駅伝の小田原-平塚間のほぼ6区に相当するとおもう。
 駅数では、鴨宮、国府津、二宮、大磯を経て平塚。途中コンビニで3か所ほどでトイレ休憩をかねてお茶を購入。それぞれ7~8分ほどの休憩を取った。小田原から鴨宮あたりまではお寺や神社が東海道の山側にかなり張り付いており、また蕎麦屋も多く、古い街道であることを教えてくれる。大磯付近は松並木も残っている。
 かなり暑いので汗が多くすこし大きめのフェイスタオルを絞りながら歩いた。途中ビールも欲しくなったがこれは我慢。最後に平塚駅で缶チュウハイを購入して一息ついた。本当は平塚駅傍でビールと日本酒でそれぞれ一杯ずつ飲みたかったが、夕食時に間に合わないので断念。

 缶チューハイを飲み終わる前にすぐに電車が入線。高校生やサラリーマンの帰宅時でもあり、電車は混んでいた。それでもさいわいに一人分の席が空いていて珍しく座ることにした。きっと左右の人は汗臭いオジサンに迷惑顔だったかもしれない。しかも缶チューハイを片手に。これは明らかに嫌われるパターンだ。しかし人の目は気にしていられない。
 家についてみると朝起きてからの歩数が合計で40,500歩ほど。大分疲れた。

 しかしこれまでは日本橋から戸塚駅まで、神奈川宿から大磯駅までを各一回歩いたし、その間については幾度も歩いてきた。しかし大磯駅から小田原駅までが今回はじめての経験となった。特に歩きにくいところやわかりにくいところもなく、通行車両も特に多くなく楽であった。ただし歩道に駐車してある行儀の悪い車両もあり、幾度が車道に出て歩かざるを得なかった。日本国中どこでものことではあるが、実に不愉快であるし、危険だ。

今回は、急遽思い立ってのウォーキングだったので、薄手のジーパンと半袖のシャツ、トレッキングシューズといういでたち。かなり暑く薄手とはいえジーンズは厚い。また430グラムのトレッキングシューズは踵の深さは普通の靴だが、長時間の早い歩行には向かない。半ズボン・Tシャツ・運動靴ではないのでかなり暑く、靴も重く感じた。
 普段は10キロ位をジョギングをしたりウォーキングをしたりと慣れているが、20キロとなるとやはり途端に草臥れる。明日は休養日にしないとまた左足のが痛くなりそうだ。

箱根湯本

2013年05月27日 07時19分14秒 | 山行・旅行・散策
 昨日は13時半過ぎに箱根湯本に到着。時間があったので、大平台駅まで往復約7キロほどを歩いた。しかし1号線は歩道がない上下2車線。絶え間なく続く車両におびえながらのウォーキングはつらかった。車はみんなとばすこと、すごい。とても怖かった。
 しかし走りながら登ってくる人、競歩のスタイルで降りて来る人、自転車で登る人、それなりに多い。
 16時前に宿に入り、お風呂でくつろぐことが出来た。

 本日は小田原で昼食後解散とのこと。小田原から東海道を4時間ほど横浜に向かおうと考えている。道に迷わないよう気をつけないと・・・・。

本日は箱根湯本に一泊

2013年05月26日 11時08分30秒 | 山行・旅行・散策
 本日は、住んでいる団地の管理組合の総会なのだが参加できない。これから出かけて箱根湯元で1泊の予定。
 現役の頃の他の政令指定都市の同種の職場の労働組合の支部の情報交換の場として交流を続けてきた。その歴代の参加者たちのOB会が行われる。私は始めて参加するのだが、どのような会なのかわからない。ただし現役の頃は私どもの支部を立ち上げたばかりであり、他都市の支部のさまざまな経験を聞くうえで極めて大きなインパクトを与えてもらった。
 私たちの職場については、他の政令指定都市ではすべて連合系が圧倒的な多数派。横浜だけが孤立していた。私たちの支部が立ち上がることで、ずいぶんと歓迎され、さらに大いにアドバイスをいただいた。集まる人たちにはずいぶんとお世話になった。
 泊まる場所は幾度か現役の頃の会合で使った宿泊施設でこれも懐かしい。このような集まりがもうないものと思っていたのだが、ひょんなことから誘いがあり、その存在を教えてもらった。
 さて、神奈川県に住んでいると、近くて意外と行く機会のないのが箱根や熱海の温泉地。久しぶりにすこし早めに出かけて、箱根湯本の付近を散策してみようと思う。
 集合時間は現地16時だが、これから出かけることにする。


横浜での句会提出句

2013年05月25日 21時46分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
  句会提出句
★幼子の予期せぬ一歩立葵
★校庭に気合一声蟻の列
→少年の気合一声風薫る
★おにぎりに個性の開花山桜桃の実
★円座する昼の女子会桜の実
★青年の気ままな欠伸夏近し

 本日の句会は持ち寄り3句と席題2句。
 はじめの句「幼子の予期せぬ一歩立葵」は季語の「立葵」が付き過ぎとの意見があり、再検討の余地があるのではないかとの指摘。作者としてはちょっと悩んでしまう指摘。すこし時間をかけて考え直してみることにした。「予期せぬ」はおおむね伝わったと思う。
 「校庭に気合一声蟻の列」は「校庭に」が再考の余地ありとのこと。「気合一声蟻の列」の気合が「蟻の列」にも関連するのではないか、との指摘もあった。ということで、→のように場所を示す「校庭」をやめて発声の主体を明確にし、季語を変えてみた。
 「青年の気ままな欠伸夏近し」については「気ままな欠伸」の意味が不鮮明ではないかとの指摘があった。「気まま」を傍若無人の意味、あるいは「場所の配慮もなく」の意味で作ったのだが、確かに伝わるのは無理があるのかとも思った。しかし作者のような解釈の意見もあり、このままとすることにした。
 他の二句は提出した私も予想したとおり、無理のある句。まったく取ってもらえなかった。「おにぎりの」句も「円座する」も情景がまったく伝わらない。特に「円座する」の句は席題。席題は私にはつらい。

旧芝離宮恩賜庭園と竹芝桟橋

2013年05月24日 23時14分28秒 | 山行・旅行・散策
   

 本日は夏日のなか、初めて浜松町にある旧芝離宮恩賜庭園と竹芝桟橋を訪れた。
旧芝離宮庭園ではショウブが見ごろを迎えているのかな、と期待していた。
 入場料は150円。しかし結果としてハナショウブは残念ながらまだだったようだ。6月以降で、この庭園では少ないようだ。隣の浜離宮では800株の群落があるようだ。
 園内は強い陽射しであるが、私たちが着いたお昼時は近くの男女の勤め人が木陰のベンチやあづまやのベンチでおもいおもいにお弁当を広げたり、読書をしていた。私たちもお弁当を持ってくればよかったと、あわてて管理人に断ってお弁当を買いに外にでてから再入場した。しかし再入場したときにはもうベンチはいっぱい。仕方なく木陰の木の根っこに座ってお弁当を食べた。
 近くの勤め人がお昼を食べにくる分には管理人も目くじらを立てず許してくれているようだ。しかし、出入り口のチラシを見ると飲食は基本的には認めていない。行儀良く散らかさないで、そして大勢が押しかけて騒がなければ特に問題にはしないのだろう。何となくほほえましく、このような対応が続けられることを期待した。
 今は庭園の花はちょっとさびしい。満開だったのはヤマボウシ。蝋梅の大きな実、ユスラウメの赤い実が美しかった。アジサイは花の早いものが行く本か咲いている程度。ショウブの群落はすこしだけあったのみ。ハマユウは大きな株がいくつもあったが花はなし。
 しかし石の配置が美しい。枯滝や西湖の堤を模した石の配置や組石はなかなか面白い。池の亀も愛嬌があって見ていて飽きない。園内は浜離宮に較べて特に広いわけではないが、いろいろに変化があって楽しい。ただし、JRの在来線と新幹線、高速道路の騒音がずっと響いているのは残念。しかし都会の臨海部のオアシスとしては充分にその役割を発揮している。松や紅葉、桜の葉が今が一番美しいときだとおもう。
 逆に、美しい日本庭園からながめる東京タワーや現代的なビルの面白さを堪能できれば面白いと思うことも必要かもしれない。

 園内を2時間ほど散策してから、すぐ近くの竹芝桟橋を訪れた。伊豆七島や小笠原行きの船の発着場だということすら初めて知った。東京湾のナイトクルーズなどもあるようだ。妻がまったく船に弱いので、まずここを利用することはないだろうが、それでも海を見たり、船の発着を見るのは楽しいものである。

 旧芝離宮庭園の印象
                                                



俳句結社誌8月号投句

2013年05月24日 10時14分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連
  俳句結社誌8月号投句
★春満月生簀の鯛のほのひかる
★首都の空曖昧模糊と夏来る
★融けてゆくジョガーの時計薄暑光
★尖塔は等軸晶系薄暑光
★御仏のくつろぐ時間庫裏五月
★どこまでも螺旋構造夏の雲
★夏の蝶生まれは首都のラビリンス
★辛らつな言葉飲込む青葉木菟
★現実はいつも曖昧初夏の月
★メーデーやラピスラズリの首飾り
→メーデーやラピスラズリは彼方より

 最後の句は→のようにした方が私にはしっくりくると気付いたが、すでに投函した後だったので、後の祭り。致し方なし。


「上海と横浜 波濤をこえて-夢・汗・涙が都市を結ぶ-」展

2013年05月23日 22時54分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜開港資料館の「友好都市提携40周年記念 上海と横浜 波濤をこえて-夢・汗・涙が都市を結ぶ-」展を見てきた。
 当初は特に興味を惹かなかったのだが、たまたま講談社学術文庫「幕末の天皇」(藤田覚)を読み終えたばかりで、幕末-明治維新の頃のことがふと気になった。また、神奈川大学の「歴史の中の日中関係」の講座を受けていて、ちょうどこの頃のことから歴史の解説も始まっており、ちょうど良い機会と思い見に出かけた。
 前回、生麦事件についての資料展示があり、なかなか面白い資料もあって多少の期待をもって出かけた。

 今回の展示では横浜開港時の資料と、ほぼ同時期の上海の諸資料の並列展示であった。私には二つの資料と展示が興味を惹いた。
 ひとつは、日本で最初の洋画家といわれる高橋由一が上海に渡航した折のスケッチが8点ほどあったこと。このことは私は初めて知って驚いた。当時の写真が上海や横浜の様子をうかがうにはいいのだが、スケッチの方がかえってわかり易い面もあるようで、歴史的にも一級の資料になりうると実感した。高橋由一という画家のデッサン力にあらためて敬意を表さなくてはと感じた。人物も港の風景も実に生き生きと描かれている。
 二つ目は、高杉晋作の日記の「遊清五録」が展示されていた。年譜によれば、1862(文久2)年5月に藩命で、幕府使節随行員として上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情や、太平天国の乱を見聞して帰国した。この日記、私の能力では読めないが、展示の解説では上海での租借の実態、租借により中国人が困窮している実態を見、尊皇攘夷の志を強くした部分の記述などが示されていた。同時に同じ目で開港したばかりの横浜港を見て、外国船のマストの林立の様を目の当たりにし、その思いを強くしたことなどの解説があった。あらためて昔習ったことなどを思い出すことが出来た。
 昔は高杉晋作の思想形成については勉強したことがあるが、「遊清五録」という日記にその思想形成過程が記されていることなどは今回初めて知ったし、その実物を始めて見た。
 200円の入館料で、とても勉強になったと思う。
 

名刺のデザイン

2013年05月21日 20時09分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 名刺のことを昨日記載したら、大納言様からコメントをいただいた。それを読みながら、量は大して配布をしないのだが自分の個人的な名刺のデザインについて再検討してみた。
 肩書きもないし、勤め先も記載がないので当初は氏名と住所、メールアドレスとこのブログのアドレスだけの何の面白味もない名刺であった。字だけでは津なら無いと思い、普段使っている篆刻を画像に読み取ったものを氏名の後に貼り付けて作成していた。まったく字だけの名刺よりは何となく落ち着く感じがしていた。
 大納言様からのコメントを受けて、再度デザインを再検討した。しかし大していいアイデアなんかありはしない。自慢ではないが、美術を鑑賞するのは好きだが、自分でデザインをしたり、描いたりというのはまったく不得意でこの61年貫き通してきた情けない「自負」がある。
 自分の苗字にちなんだ花を隅にあしらい、さらにそれと同じ色の細い罫線を中段に配置してみた。思ったよりはよくなった。
 ということでこの一年間はこの名刺を活用することにした。また一部の名刺の裏には、昨日作ってもらった名刺をスキャンして新しい名刺の裏面に貼り付けて見ることにした。

 大納言氏の評価はどうなるか、今度会ったときに意見を聞いてみることにしよう。


肩書き付の名刺

2013年05月20日 23時08分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 もう肩書きのついた名刺は御用済み、二度と持つことはないと気楽に考えていたら、本日組合の退職者会として「○○退職者会△△ブロック代表◎◎××」という肩書き付の名刺を支給されてしまった。
 今の組合員で退職予定者へ退職者会への勧誘のために利用するため、ということである。まあ必要なことは充分承知をしていたが、あらためてこの肩書き付の名刺を見て、これは棺おけに足を突っ込むまでお付き合いせざるをえないんだな、とあらためて「しょうがないか」という気持ちになった。
別にしんどいわけでもないし、自然体でそのような気持ちになっているので、憂鬱とか嫌だとかいうのではない。人間、一生足が洗えないものがあるというのは、それはある意味理解できる。一方でこれが自分が生涯をかけてやってきたことの意味なのかといろいろと考えるきっかけにはなる。これがさまざまな人と培った関係に付随する感慨も、後悔も、愛憎もすべて飲み込んでいくということなのだろう。これは読んだ人にはピンと来ない感慨かもしれない。

 現役を退いてみると、これまで気にもしなかった本当に些細な小さなことにいろいろな感慨がわいてくる。ひとつひとつそれを記録していったらキリがない。とても疲れてしまう。もっとのんべんだらりといかないものか、とも思うがそうはいかない性分なのだろう。