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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

七草粥と牡蠣のお粥

2017年01月07日 23時18分35秒 | 料理関連&お酒
 午前中に病院に二人で行ったが、診察を受けたのは妻のみ。7日分貰った薬の内、私はその1日分の薬を貰うことにした。セキと痰を抑える薬の2種を一日分。妻の分け前をくすねる悪い夫というか、医者にかかる費用の節約というか、まぁ医師には内緒である。
 帰りは関内まで地下鉄で出向いて、ベトナム料理店で辛めのフォーを食べて帰ってきた。酸味の効いた辛さで、それなりに汗をかいた。体からスッキリと何かが汗と一緒に抜けたような爽やかな気分になった。不思議な辛さであったと思う。
 またランチには自由にたべられるようにベトナム風のお粥が置いてあった。浅利を入れたお粥で、しかも水気の多いお粥。2口ほど食べたが私にはとてもおいしく感じた。これは真似してもよさそう。
 夜は昨晩に続いてお粥。昨晩は七草粥で蕪と大根、それぞれの葉がことのほか美味しく感じられた。今晩のお粥はそれとはうって変わって、牡蠣を入れて炊いた固めのお粥。割った鏡餅もいくつか入れて、醤油とお酒を少し加えて土鍋で炊いてくれた。これも実に美味しかった。牡蠣の美味しさもさることながら、小さなお餅を焼かずに入れたのが、手柄だったと思う。米と餅と牡蠣と同時に口に入れると不思議な食感があり、餅を噛み切るために牡蠣もよく噛む羽目になり、じっくりと味わうことが出来た。
 二日続けたお粥、変化に富んで美味しかった。この時期に限らず、時々は食べてみたいもののひとつになった。
 本日は風邪薬を飲んだこともあり、休肝日。

西行の「たはぶれ歌」

2017年01月07日 20時37分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 西行に「聞書集」という歌集がある。261首と連歌4句が収録されている。表紙裏に「きゝつけむにしたがひてかくべし」とあり、「西行が折にふれて詠みすてた歌を、周辺のものが忠実に記録した家集という意であろう」(西行全集(日本古典文学会)、久保田淳)とされる。
 この中に「たはぶれ歌」といわれる13首がおさめられている。
 詞書に「嵯峨にみすけるに、たはぶれ哥とて人々よみけるを」とあるが、西行以外の歌は収録されておらず、また伝わってはいないという。
・うなひこがすさみにならすむぎぶえのこゑにをどろく夏のひるぶし
  うなゐごがすさみにならす麦笛の声に驚く夏の昼ぶし
・むかしかないりこかけとかせしことよあこめのそでにたまだすきして
  昔かな炒り粉かけとかせしことよあこめの袖に玉襷して
・たけむまをつゑにもけふはたのむかなわらはあそびをおもひいでつゝ
  竹馬を杖にも今日は頼むかな童遊びを思い出でつつ
・むかしせしかくれあそびになりなばやかたすみもとによりふせりつゝ
  昔せしかくれ遊びになりなばや片隅もとに寄り臥せりつつ
・しのためてすゝずめゆみはるをのわらはひたひえぼしのほしげなるかな
  篠ためて雀弓張る男のひらはひたひ烏帽子の欲し気なるかな
・我もさぞにはのいさごのつちあそびさておいたてるみにこそありけれ
  我もさぞ庭の砂子の土遊びさて生ひ立てる身にこそありけれ
・たかをでらあはれなりけるつとめかなやすらい花とつづみうつなり
  高雄寺あはれなりける勤めかなやすらひ花と鼓打つなり
・いたきかなしやうぶかぶりのちまき馬はうなひわらはのしわざとおぼえて
  いたきかな菖蒲被りの茅巻馬はうなゐ童の仕業と覚えて
・いりあひのをとのみならず山でらはふみよむこゑもあはれなりけり
  入相の音のみならず山寺は書読む声もあはれなりけり
・こひしきをたはぶられしそのかみのいわけなかりしをりのこゝろは
  恋しきを戯られしそのかみのいはけなかりし折りの心は
・いしなごのたまのをちくるほどなさにすぐる月日はかはりやはする
  石なごのたま落ちくるほどなさに過ぐる月日は変りやはする
・いまゆらもさでにかゝれるいさゝめのいさ又しらずこひざめのよや
  いまゆらもさでにかかれるいささめのいつまた知らず恋覚めのよや
・ぬなわはふいけにしづめるたていしのたてたることもなきみぎはかな
  ぬなは這う池に沈める立石の立てたることもなき汀かな


 私も全首の解釈は出来ないし、全集本を写したが、ほとんどかなのためわかりづらいので、「西行」(安田章生、彌生書房)の表記をもとにさら漢字を加えてみた。
 安田章生の口語訳をもとに私なりのごく簡単な訳はいかのとおり。
・幼子が遊びに鳴らしている麦笛の声に目をさます夏の昼寝‥
・遠い昔、幼子の袖に襷をかけて、炒り粉かけなどをして食べたことがあった
・年老いた今日は、小さい頃遊んだ竹馬を杖にしている
・昔遊んだ隠れん坊、ものの片隅に寄りそって遊んでいた
・篠竹を撓めて雀を射る弓で遊ぶ子は、額につける烏帽子を欲しがっていた(この子は鳥羽院の北面の武士となる西行自身と私は思う)
・子どもたちがしている土遊びは私も幼いころしていた、老いた身にはとても懐かしい
・高雄の神護寺の法華会の「やすらい花」とはやしながら鼓を打つ祭りは趣きがあり懐かしい
・菖蒲を載せ、茅を巻いて作った馬は小さい子が作ったようだが、趣きもありいい出来だ
・山寺は暮れに撞く鐘の音だけでなく経を読む声も心に沁みてくる
・私の恋心も戯れといなされてしまった過去、若く一途だった気持ちが懐かしい
・過ぎ行く月日は、お手玉の玉が落ちてくる束の間のようなものではなく、心に残っている
・恋が覚めてしまった‥‥序詞の意味合いは不明
・取り立てて誇るような人生でもないが‥‥序詞の意味合いは不明

 私の訳は権威はないし、訳してしまうと情緒もなにもなくなってしまうが、大まかな意味の助けにしてもらいたい。肝心なのは原作の言葉の持つイメージの喚起力と、どのように情念・感情がひきか出されるかである。当然すでに1000年も前のことばであるから、当時のイメージや情念を引き出すことは出来ないが、現代でも心に響く心性、イメージが豊かに紡ぎ出される。これが古典の古典たる所以であろう。
 実は西行は中学・高校の頃の古典の授業でいたく惹かれた歌人である。そしてそれは40歳を過ぎるころまで、続いていた。特に詳しく勉強するわけでもなく、よく理解もできないけれども山家集や山家心中集、聞書集、同残集を拾い読みして満足していた。特にこの「たはぶれ歌」はその抒情性も多くの人に愛される理由であろう。
 40歳過ぎたばかりの頃の私は安田章生氏の「西行においては、そうした思い(若い頃のことを思う悲しみの心)も、さらりとして軽妙な表現のなかで、澄みとおっているのである」という箇所には?マークをつけている。今もそれは変わらない。気恥ずかしさと、忘れてしまいたい過去の思い出は、どこまでいっても昇華することはない。苦い思い出となって沈殿してもそれは心を常にどこかでかき乱し、そのことによって忘却にも、澄みとおって浄化もしない。悔恨とまではいかなくとも、その乱れによって今迄生き延びてきたのかもしれない。
 西行のこの「たわぶれ歌」に惹かれるのは、この心性を私なりに嗅ぎ取ったためである。過去の自分がふと浮かび上がってきた時の心のざわめき、心の乱れ、を懐かしむだけではなく、当時と今の落差、距離感を冷静に見つめ、読み解こうとする姿勢が見えてくる。情緒に流さりない情念の観察眼に惹かれる。引きづってきた過去を甘く懐かしむものとせず、折り合いをつける。そうでなければ次にはすすめない。
 例えば「麦笛」の音、「玉襷」の発見、「隠れ遊びに寄り臥った」折りの友やものの匂い、「土いじり」の土の香りなどかなり具体的である。甘酸っぱい「美しいだけの過去」に浸ってはいない。それらに付随してくる思い出したくもない嫌な過去にもきちんと向き合う覚悟が匂ってくる。それがなければ人は過去のまゝの人間でしかない、と私は思う。
 私は、美しい過去など欲しくもないし、それを懐かしむことなどできない。世代論など信じないが、そんな時代を潜り抜けて来た世代ならではのこだわりがある。そしてそれと向き合い続けたい性格でもある。それを具体的に言いきるほどには、私は老成してはいない。
 ついでに記載すると、そんな私は45年前にはデモに出る時はカバンには新古今集とマルクスと、埴谷雄高か吉本隆明か魯迅の著作が3冊は入っていた。毛沢東もレーニンも好きにはなれなかったが、魯迅と新古今集は手放せなかった。
 その後、現在まで西行のことを忘れていたが、先日部屋の片づけをしていて、西行と「再会」した。本日杖を突いて歩きながらふと第3首目の「竹馬を杖にも今日は頼むかな童遊びを思い出でつつ」を再々度思い出した。
 あと何年したら私は、自分の過去とこれだけ向き合ったと具体的に、そして誇りをもっていい切れるようになるのだろうか。今は自信がない。

夫婦そろってヨロヨロ‥

2017年01月07日 11時04分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私の風邪は回復過程だが、それでも寝る前のセキの発作、朝の痰の詰まりやセキの連発はつらいものがある。症状が出始めてから8日目。昨年もそうだったが、最近は風が長引く。妻の鼻水もまだつらいようだ。病気に辛抱強い妻も「つらいから近くの病院に行く」と言い出した。余程つらいのであろう。同行して家から5分ほどの内科に行ってみることにした。私は妻の薬をくすねてみようかと思ったが、気が引けるので私も見てもらって二人分の薬をもらう方がいいかもしれない。
 ただし私の左膝は昨日から時々ズキンとくる。動かさずにじっとしていると、動き始める時にしばらく痛みが出るようだ。しばらく我慢して歩いていると痛みは遠のく。ただし家に戻りおとなしくすると短時間だがズキズキと疼く。
 私は杖を突いて、妻はマスクをして、二人でよろよろと近くの病院に行く姿を想像すると、痛々しいのではないか。普段私はスタスタと速足である。妻も40年近く付き合っているといつの間にかそれに倣って結構速足で歩く。私一人の時だけでなく、二人で歩く時もまずは人に追い抜かれることはなかった。本日は他人から見ても、普段の姿との落差がすごい、と自分ながら呆れている。