Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

病院からの眺め

2017年02月28日 22時44分13秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★病夫の名負ひをり花も過ぎんとし     加藤楸邨

 句集「山脈(やまなみ)」の「山脈抄」(1950~1952)におさめてある句。45歳のときの作。
 西行の辞世とされる「願わくは花の下にて春死なんその如月(きさらぎ)の望月のころ」が念頭にあったのだろうか。すくなくとも頭を過ったのではないか。
 私は今は入院したわけでもないが、本日検査後に最上階の食堂から、毎年きれいな桜を見ることのできる公園と横浜の港方面を眺めていた。15年も前に一カ月入院したときにさんざん眺めていた景色であるので、懐かしかった。
 ここは桜の季節になるとことのほか眺望がいい。病院にいるということを忘れもさせてくれる場所であった。
 しかし同時に長期入院をしていると桜の前後の季節は、次から次に花木が移り変わり、季節や時間がどんどん流れていくことを実感して、家が恋しくなる場所でもあると思う。
 桜だけをとっても、早咲きの寒桜からソメイヨシノ、そしてヤマザクラ、最後にヤエザクラと少しずつ色合いも変わっていく。

 さて同じ「山脈抄」には、
★雪降りつむ音なきものはつひにかなし
★しづかなる力満ちゆき螇蚸(ばった)とぶ
★玉虫はおのが光の中に死にき

などの私の好きな範疇の句が並ぶ。

ポリープ切除

2017年02月28日 20時01分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の内視鏡検査はこれまでの中では楽な方であった。あまり痛みは感じなかった。それでも空気を入れるときはやはりつらい。嬉しかったのはそれほど空気をいれなかったことである。大腸の動きを抑える薬を注射するので、この効果がなくなるまでは注入した空気は出てこない。そして食事もできない。無理して食事をすると吐き気を催す。
 検査後いつもの私のパターンは、人の少なくなった広い待合室の隅っこのベンチに横になって空気が出てくるのを待つことである。1時間くらいしてから最上階の食堂で、とろろ昆布うどんを食べる。これで生き返った気分になれる。
 帰宅したのが16時ころ。支払いは1万4千円ほど。毎年この金額がかかる。

 結果は2ミリほどのポリープが4ヵ所。いづれも切除して組織検査。結果は来週の7日の午後。
 帰宅後は、つかれた気分で寝入ってしまった。残念ながら本日はアルコール禁止。休肝日と思うことにしている。

 今晩は楽をして、朝まで寝てしまおうとしたら、確定申告をしなくては、とせっつかれてしまった。我が家には、鬼が巣くっているのか、と心の中で‥。

腸管洗浄剤の飲用終了

2017年02月28日 09時12分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく腸管洗浄剤の飲用が終わった。12時過ぎに家を出て、13時までに病院で受付を済ませる。腰痛体操というのは腸の働きを活発にさせる効果があるようにも思える。今回は坐骨神経痛のために便座にすわったり立ったりするのがつらかった。飲むことよりも、つらかった。
 不思議なものでこれだけのことをすると、なにごともする気力というものがなくなる。出かけるまでは、ベッドで腰痛体操をしながらひと休み。

 残る難行苦行は、内視鏡の検査と、腸を膨らませるために入れた空気を出し切るまでの時間。

腸管洗浄剤の飲用開始

2017年02月28日 07時57分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いつもより早起きをして、腸管洗浄剤2リットルの飲用を7時から開始。12分に200㏄のペースで飲む。いつ腸管洗浄剤が排出され始めるか、不安になる。出ないと大腸の洗浄ができない。検査を受けるたびに排出されないことはまずありえないが、もしも排出されなかったら、という思いを抱きつつ、お腹を揉み、足踏みをしたり、軽く腹筋運動などをする。今回は腰痛体操を行っている。
 いつもは半分の1リットルを飲み終えた頃になるともう飲みたくないと思うようになる。だいたいそのころに排出が始まる。今回は約50分で排出が始まった。順調なようでひと安心。


東京都横網町公園訪問 その2

2017年02月27日 23時11分36秒 | 山行・旅行・散策
   

 昨日の東京都横網町公園のリーフレットに次のような資料が掲載されていた。記録として貴重だと思ったので、掲載して記憶しておくことにした。頭の中の記憶はすぐに消えるので、画像としてパソコンの中にも取り込んでおくことにした。
 これによると東京の空襲は115回(伊豆七島の25回を含む)も数える。島しょ部を除くと90回というすごい数である。逆にいうと伊豆七島では六島(八丈島・新島・大島・神津島・式根島・三宅島)に及ぶ25回も空襲があり、八丈島・新島などで25人が亡くなっている。これがどういう目標をもってなされたかはわからない。軍の施設があったのか、飛行場があったのか、私の知識ではまったくわからない。もしかしたら孤立している農村部の市民を対象にした空襲だったのだろうか。
 いづれにしろ115回を数える空襲でのおびただしい犠牲者の数に言葉を失う。ここまで空襲をしつづける米国と、これでもなお戦争を継続した日本の軍部・政治家、政治と戦争のむごさに思いが昂じる。今の政治の危うさもまた憂えたい。


神経痛の痛みは弱まったが、座るのが怖い

2017年02月27日 20時17分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日国立西洋美術館で開催された「シャセリオー展」の内覧会は無事終了。展示作品の感想は明日の大腸の内視鏡検査が終了してから考えたいと思う。明後日以降に掲載したい。
 テオドール・シャセリオー(1819-1856)という37歳で亡くなった画家のことは名前も聞いたことがなく、そして作品を見た記憶もなかった。本日展示をみても「アポロンとダフネ」は見たことがあるかもしれないと思ったものの、同画題の作品や似た作品を見た可能性の方が高いので断定できない。
 しかしギュスタープ・モローとの交流やオディロン・ルドンへの影響など興味深い。じっくりと図録を読んでみたい。

 本日も昨日と同様あまり痛みを感じなかった。ただし横浜駅から上野駅間の往復はともに座ったが、立ち上がるときに痛みを感じる。電車をおりて10分も歩くと痛みは薄らいでくる。帰宅するために横浜駅からバスに乗り、15分ほど座ったらやはり少し痛みが出た。家にいてもパソコンの前に長時間座ったり、食事のために椅子に座ると立てなくなる。
 これを続けると座るのが怖くなる。人に座席を譲られるのが怖くなる。じっとしていても痛みが出るので、家にいるのもつらくなる。

 明日大腸の内視鏡検査のときに痛みが出ると困ると思っているが、そればかりを考えていると憂鬱になるので、考えることは止めた。
 本日帰り際に図書館に寄って返却期間を延長した「ゲルニカ」(宮下誠、光文社新書)とシャセリオー展の図録と、推理小説を交互に読みながら明日に備えたい。

明日は大腸の内視鏡検査

2017年02月27日 11時45分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は毎年受けることになっている大腸の内視鏡検査。50歳のときから毎年受けさせられている。何回しても「慣れる」ということが出来ない。腸管洗浄剤を2リットル飲み切ることと排出しきること、内視鏡を大腸の一番奥まで入れること、いづれも結構つらいものがある。事前説明のときに看護師からいつも「もうすっかり慣れておられますから大丈夫ですね」といわれるが、そんなことはない。いつも憂鬱になる。
 本日の朝から食事の内容が制限される。「繊維質の多い野菜・果物・種のあるもの・キノコ類・海藻類・しらたき・こんにゃく・とうもろきしや豆類・ゴマ・乳製品、などは食べないでください」といつものとおりの指示。「食べてよいものとして、白米・うどん・食パン・白身魚・豆腐・卵・ハム」を勧められている。アルコール・牛乳・乳製品・果実入りジュースもいけない。
 21時下剤服用。明日の朝から腸管洗浄剤2リットル服用である。検査は13時過ぎから。


 本日は朝の痛みは軽い。11時前には歩くのに違和感はほとんどない。用心のため杖は突いている。午後からは上野の国立西洋美術館で「シャセリオー展」内覧会。この内覧会が夜からでは厳しかったが、昼過ぎから開催ということで、申し込んだ。50名の募集のところ40数番目ということで何とか先着順という枠内に収まった。
 西洋美術館での内覧会は初めてだったような気がする。楽しみである。

東京都横網町公園訪問

2017年02月27日 08時41分21秒 | 山行・旅行・散策
   

 公園の案内パンフによると、おおよそ次のように記されている。

 1922(T11)年、当時の東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園を造成していた。その最中の1923年9月1日の関東大震災が発生、多くの人がこの公園跡地に避難したものの、運び込まれた家財道具に飛び火し、多数の死傷者を出した。この遭難者の霊を供養し、復興させた大事業を記念するため公園内に慰霊堂と復興記念館を建てた。
 その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の遺骨も安置することになり、現在に至っている。
 関東大震災の死者5万8千人の遺骨を納め、東京大空襲のなどによる殉難者の遺骨も10万5千体が安置されている。


 公園内には、慰霊堂、復興記念館、、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑、震災遭難児童弔魂像、幽冥鐘と鐘楼、朝鮮人犠牲者追悼碑、震災記念屋外ギャラリーなどがある。特に平和を祈念する碑は季節の花できれいに飾られている。

短い時間であったが、一通り園内を回り、同行者と共に慰霊堂にて焼香を行った。

   

明日は「シャセリオー展」内覧会

2017年02月26日 23時08分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は痛みは朝の内だけで済んだ。痛み止めを服用した効果でもあるが、やはり外に出て歩くと痛みがひいてくる。
 19時頃に帰宅、そして今までパソコンの前に座っているが、痛みは出ていない。
 朝、体がほぐれるまでは痛みがひどいが、いったんほぐれると痛みは出ることは少なくなった。ただし急に体を動かしたり、無理な姿勢をとったり、あるいは長時間喫茶店などで読書をすると痛みは再発する。
 家でもパソコンの前に長時間座りっぱなしというのも、よくないようだ。どうすれば痛みが再発するのか、再発した時にどのような体操をしたら痛みがひいていくのか、少しずつ体が記憶してくれている。
 もうしばらく様子を見て、再度どのような治療を求めるのか、自分なりに考えてみたい。

 本日の両国散策は実にゆっくりと歩いた。カウントした歩数だけは1万5千歩と多かったが、腰や膝には極端な負担はかかっていないと思う。こんばんは早めに風呂に入り、就寝して体を休めたい。

 明日は午後から上野の国立西洋美術館で開催される「シャセリオー展」の内覧会である。これはどうしても参加したい。


初めて訪れた「すみだ北斎美術館」

2017年02月26日 22時02分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 すみだ北斎美術館は初めて訪れた。開館したと聞いて、どこにできたのか興味深々であった。本日案内されていったところはなんと以前何回も歩いた「緑町公園」の端っこであった。
 シベリウスの生誕150周年記念のコンサートを幾度も聴きに行った、すみだトリフォニーホールの休憩時間に体を動かそうと両国駅まで往復したときに通りかかっていた公園である。
 休日ということもあり、公園には親子連れでにぎわっていた。しかしとても狭い敷地によく建てたものだなぁ、という感想が最初に頭に浮かんできた。便所も狭いし、階段も狭い。なかなか難しい設計を強いられたように思われた。
 ともあれこのような美術館はとても貴重である。65才以上の割引があり、企画展も700円で入場できたのはありがたかった。

 お昼にみんなでちゃんこ鍋を食べながら少々ビールも飲んでいったので、この次はゆっくりと独りで時間をかけて訪れたい。


「ピーター・モースと楢崎宗重二大コレクション展」(北斎美術館)

2017年02月26日 20時23分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の両国界隈散策は予定通りの時間で回ることが出来た。ちゃんこ鍋ランチが終わった後、すみだ北斎美術館で「すみだ北斎美術館を支えるコレクター ピーター・モースと楢崎宗重二大コレクション」展を見てきた。

            

 モースコレクションでは、冨嶽三十六景「甲州石斑沢」「牡丹に胡蝶」「羅生門」などの前でしばらくたたずんでいた。
 楢崎宗重コレクションでは、長澤蘆雪の「洋風母子犬図」、高橋由一の「三宅康直像」をはじめて見、興味深かった。また川瀬巴水の「浅草の雪」はとても懐かしかった。

   


両国界隈散策とちゃんこ鍋ランチ

2017年02月26日 08時44分24秒 | 山行・旅行・散策


 退職者会の仲間の企画した両国界隈の散策に思い切って参加してみることにした。退職者会の公式行事ではないが、気心の知れた仲間内なので楽しく参加できる。
 朝8時に家を出た。こんなに朝早く家を出るのは最近では、旅行に行くことと、退職者会のバス旅行くらいしか思い出せない。退職してすっかり朝が遅くなった。怠惰になったのか、朝寝が習慣になったのか。早起きは三文の徳、などということわざとはほど遠い世界だ。
 朝は体がほぐれていないためか、やはり神経痛の痛みが強い。一緒に行く人に迷惑はかけられないので、痛み止めを朝食直後に服用し、もう一回分を持参している。できればもう一回分は服用しないで済ませたいものである。
 横網町公園も行きたいし、もしも空いているようならば、当然にもすみだ北斎美術館にも寄ってみたい。江戸東京博物館では「江戸と北京」展を開催している。

「世界平和アピール7人委員会」ホームページから

2017年02月25日 23時09分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 世界平和アピール7人委員会のホームページに次のような「今月のことば№32」が24日付で掲載された。

 大学などの軍事化を国民は直視していただきたい           小沼通二

 私たち世界平和アピール七人委員会は、2017年2月24日にアピール「大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える」を発表した。
 2012年に発足した第2次安倍内閣は、憲法も国民の反対も無視して、次々に日本の国の軍事化を進めてきた。その中で、それまで「武器輸出3原則」によって原則的に禁止していた武器の輸出を、「防衛装備移転3原則」と名付けた全く逆の武器輸出原則推進政策に変更し、首相自ら熱心に武器輸出と外国との武器の共同開発に努めている。その中では周辺国への非人道的な武力行使を繰り返すイスラエルとの無人偵察機共同研究のように、防衛だけでなく攻撃にも直接不可欠な武器開発が含まれ、日本の科学と技術がいずれ戦闘に使われ、殺戮に寄与することになってきた。これは日本国憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」の明白な否定であり、第九条の武力行使の永久放棄への公然たる違反である。
 そして一方で、2014年から2018年までの中期防衛力整備計画では「大学や研究機関等との連携の充実等により、防衛にも応用可能な民生技術の積極的な活用に努める」と唱え、2016年1月22日に閣議決定された第5期科学技術基本計画には、「国家安全保障上の諸課題への対応」を登場させた。自民党政務調査会も「防衛装備・技術政策に関する提言―『技術的優越』なくして国民の安全なし」を発表(2016年5月19日)。外国より強力な武器の開発・装備は防衛省の重要課題とされている。
 このような流れの中で、大学・研究機関等には2015年度から「安全保障技術研究推進制度」による防衛予算の委託研究費が入っている。これは自主的な自由な研究ではなく、公表されていない秘密の装備化(兵器化)という目標に向かい段階を追って進める開発の第1段階なのである。防衛省の技術職員や自衛官の管理の下での制約付きの研究であり、受け入れた研究室には彼らが出入して研究課題の進捗確認、研究代表者等との調整、助言、指導等をする。そこには受け入れた研究者だけでなく協力者もいれば大学院生もいて、外国人研究員や留学生がいることもあるだろう。大学や研究機関には、自主性を失った秘密にかかわる研究は持ち込むべきではない。
 われわれがかねてから言っているように、外交不在の軍事化中心の路線は、国民生活を圧迫するというだけでなく、少子高齢化、慢性財政赤字、国土狭隘の日本では進めることができない破滅への路線である。かつての戦争で政府は判断を誤り、情報操作によって国民を誤った道に導いて、国を破滅させた。安倍内閣は再び同じ路線を歩んでいる。
 大学・研究機関等の軍事化は研究者や研究費だけの問題ではなく、日本の国の形に直接かかわる国民全体の重要問題であることを直視していただきたい。

⇒【http://worldpeace7.jp/wp/?p=973


明日は両国界隈散策

2017年02月25日 21時36分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中はなかなか痛みがひかないので往生したものの、午後からはほとんど痛みがなくなった。朝を除けば、随分と楽になったように思う。昼前に外に出かけたときは、かなり痛みが残っていた。
 明日は朝が早い。といっても横浜駅9時集合である。友人の企画した両国近辺の散策である。神経痛で杖を突いて歩いているので足手まといかな、と思ったがゆっくり歩くので心配しなくともいい、と言われて参加させてもらうことにした。歩く距離は5キロ未満らしい。
 お昼はちゃんこのランチということになっている。どんなちゃんこ鍋となるか、楽しみである。

「道志情報館 水カフェどうし」

2017年02月25日 16時29分25秒 | 読書
      

 先日松原商店街まで行ったときに、帰り際に昨年9月にオープンした山梨県南都留郡道志村の情報発信拠点「横浜市の水源地 道志情報館 水カフェどうし」【http://www.vill.doshi.lg.jp/ka/info.php?if_id=540】を覗いてみた。

 道志村は横浜市の水道の水源があり、横浜市との交流は長い。横浜市は1998(M38)年に取水を始めている。山梨県の東南端に位置する自治体で国道413号線、相模川に流れ込む道志川沿いの村である。横浜市の水道局の水源林管理所や横浜市スポーツ広場などもあり、交流事業が行われている。
 横浜市はこの水を抑えられたら都市としては機能できなくなる、という大事なパートナーである。
 この村の北側には赤鞍ヶ岳(1299m)、菜畑山(1283m)、今倉山(1470m)、御正体山(1681m)という道志山塊が連なっている。南側は丹沢山地の北辺で、大室山(1587m)、加入道山(1418m)、菰釣山(1379m)が連なっている。丹沢山地のほうは歩いているが、道志山塊は現役時代から何度も行きたいと計画をしながらついに行ったことがない。退職後もいつかは、とおもいつつとうとう神経痛で動けなくなってしまった。
 この「水カフェどうし」を訪れたのは初めて。小さなカフェであるが、少ないながら道志の物産を扱っている。野菜のクレソンを売りにしているようで、クレソンだけでなく、うどんやそばに練り込んだものなどもあった。棚に並んでいたものでは豆腐、道志七里味噌、キムチ、ソーセージ等々。豆腐は小さなリュックと杖の姿では崩れてしまいそうなので、山芋キムチとポークウィンナーを購入した。
 昨晩山芋キムチを食べたが、とても美味しかった。山芋とニラで漬け込んであり、かなり刺激的な辛さとコクがあり、これは病みつきになりそうである。
 今度は妻を連れていろいろなものを買い込んでみたいと思った。コーヒーを一杯飲むのもいいようだ。ソフトクリームもあった。
 各種パンフも豊富で、宿泊、飲食店、移住・定住促進、歴史など、充分に楽しめる。