那須高原の手前辺りから雪景色が続いていた。現在は郡山駅を通過したばかりだが、吹雪いている。かなりの積雪である。
新幹線は快調に飛ばしているものの、吹雪がすごいので少々不安も湧いてくる。
新幹線の運行の不安だけでなく 、仙台郊外の墓地の積雪も不安になった。
福島駅では雪は小降りで、風もおさまった。ほっとしている。
新幹線は快調に飛ばしているものの、吹雪がすごいので少々不安も湧いてくる。
新幹線の運行の不安だけでなく 、仙台郊外の墓地の積雪も不安になった。
福島駅では雪は小降りで、風もおさまった。ほっとしている。
「俳句世がたり」(小沢信男、岩波新書)から。
★人に言はずひぐらしきけばながらへし 森 澄雄
(作者は)学徒出陣で陸軍砲兵隊の少尉となり、二十一隻の船団に兵員を満載して門司港を出航したが、つぎつぎに潜水艦の餌食となり、目的地のマニラに到着したのはわずか三隻であった。大本営の机上作戦のままに、ボルネオの人跡未踏のジャングル三百五十キロを行軍の果てに、二百の中隊がたった八名になって、八月十五日を迎えた。過酷というもおろかな戦場体験。その概略をあえて最晩年に綴りはしたが。「人に言はず」の思いはながく胸底に沈み、‥かろうじて生き「ながらへし」者の、いうにいわれぬ負い目。
聖戦と唱えてなんという狼藉無惨。何が美しい国なものか。‥日本国憲法は、あのときは理想をかかげる勝者と、蘇った敗者の共同制作でありました。それにしてはアメリカは、その後も戦争をくりかえしてきているものですなぁ。‥世界の万民につくづく祟るのは、産軍共同体恣意と、民族紛争を招く権力の恣意と。
★白地着て白のしづけさ原爆忌 澄雄
「俳句世がたり」は多くの俳人の句を手掛かりに、敗戦体験と戦後体験を語ろうとしている。そこに綴られていることは、私達が戦後の日々の暮らしの中ですでに忘却し、忘却させられてきたさまざまなことを思い出させてくれる。
私のような戦争の混乱期に生まれたものには、当然のこととして受け継がれてきたことや、戦争体験、戦後の混乱体験はいつの間にか語り継がれないで、すべてが忘却されてしまっている。人は過去を見る時には、体験者も未体験者も都合の悪いこと、嫌なことは忘れるし、見ようとしない。都合のいいこと、美しいと思われること、強引に美しいと思い込んだことばかりを語りたがる。
語り継ぐことの困難をこれほどまでに実感するとは思いもよらなかったことである。語り継ぐことに多くの方が努力をされていることに敬意を評するとともに、自分のふがいなさもまたみじめに見える。
★人に言はずひぐらしきけばながらへし 森 澄雄
(作者は)学徒出陣で陸軍砲兵隊の少尉となり、二十一隻の船団に兵員を満載して門司港を出航したが、つぎつぎに潜水艦の餌食となり、目的地のマニラに到着したのはわずか三隻であった。大本営の机上作戦のままに、ボルネオの人跡未踏のジャングル三百五十キロを行軍の果てに、二百の中隊がたった八名になって、八月十五日を迎えた。過酷というもおろかな戦場体験。その概略をあえて最晩年に綴りはしたが。「人に言はず」の思いはながく胸底に沈み、‥かろうじて生き「ながらへし」者の、いうにいわれぬ負い目。
聖戦と唱えてなんという狼藉無惨。何が美しい国なものか。‥日本国憲法は、あのときは理想をかかげる勝者と、蘇った敗者の共同制作でありました。それにしてはアメリカは、その後も戦争をくりかえしてきているものですなぁ。‥世界の万民につくづく祟るのは、産軍共同体恣意と、民族紛争を招く権力の恣意と。
★白地着て白のしづけさ原爆忌 澄雄
「俳句世がたり」は多くの俳人の句を手掛かりに、敗戦体験と戦後体験を語ろうとしている。そこに綴られていることは、私達が戦後の日々の暮らしの中ですでに忘却し、忘却させられてきたさまざまなことを思い出させてくれる。
私のような戦争の混乱期に生まれたものには、当然のこととして受け継がれてきたことや、戦争体験、戦後の混乱体験はいつの間にか語り継がれないで、すべてが忘却されてしまっている。人は過去を見る時には、体験者も未体験者も都合の悪いこと、嫌なことは忘れるし、見ようとしない。都合のいいこと、美しいと思われること、強引に美しいと思い込んだことばかりを語りたがる。
語り継ぐことの困難をこれほどまでに実感するとは思いもよらなかったことである。語り継ぐことに多くの方が努力をされていることに敬意を評するとともに、自分のふがいなさもまたみじめに見える。