Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

文化横町・壱弐参横町

2013年08月30日 23時49分00秒 | 山行・旅行・散策
本日は仙台にてひとりで、一番町に接している文化横町・壱弐参(いろは)横町に居座り、ご満悦。居座る、といっても2軒、2000円と1500円で計3時間。
安いと言っても、2軒は贅沢だったと反省中。

先ほどホテルに戻り、洗濯を終えた。

   

仙台を離れてから初めて駅の東側に出てみた。これほど再開発されていたかとビックリ。駅前の広い道路と、「みやぎ」を詠んだ古歌をレリーフにしている歩道の意匠に感心した。
小さな温泉地では見たことはあるが、このような大都市の繁華街では初体験のような気がする。定家の筆跡によるレリーフもあり、このような試み、いいと思えるがどうであろうか。作られたのは震災以前のようだ。復興のどさくさで取り壊されなかったのも嬉しい。



台風15号と低気圧

2013年08月29日 23時39分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどから天気予報、台風情報に釘付け。仙台の31日・1日の天気がとても気になる。しかしなかなか31日以降の予報を報道しない。あまり確定的なことを言うわけにもいかないようだ。刻々と台風の動き、低気圧の動きにあわせて変わるのはわかるので、いらいらしてもしょうがないとは思う。
 しかし一部の局では、31日は東北地方の日本海側は大雨の良そうだが、太平洋側は雨とはなっていなかった。翌1日もどうにか雨にはならないような予報図が一回だけ映し出された。それが信用できる情報とは思えないが、その可能性に期待をかけることにしよう。

 明日は関東地方は猛暑復活とのこと。昼前に酷暑の東京を抜け出して新幹線に乗ってしまいたいが、かといってそんなに早く行ってもしょうがない。

 2日の盛岡、八幡平はとても無理かもしれない。


中井久夫「「昭和」を送る」

2013年08月29日 17時43分16秒 | 読書
 「時には本の話でも・・・」のブログで教えてもらった精神医学者の中井久夫氏の著作、随分読んだ。専門書と訳書、現代のギリシャ詩人の翻訳詩集以外のエッセイ集はほぼ読んでいる。なかなかいい文章である。特に医師と患者の思いをどのようにつなげるか、いろいろな場面をとらえて柔軟に、そして自らの体験を貴重なよりどころとして思考している。
 病院という建物を作る時に関わったレイアウトへのこだわり、自らの生い立ちに絡むエッセイ等々、私の固い頭を柔軟にしてくれる。人を送る弔辞にもひかれる。
 1970年代の精神医療の世界を席巻した紛争、あの時代のことについては口は重いのだが、極めて否定的である。それは私などは直接関係はしていないが、その当時の空気を反対の側で吸っていた人間としては、本当のところの気持ちを語ってもらいたいと思っている。また天皇制などに対する言及も私などとは正反対だが、それはそれとして私には刺激的な著作である。そういった意味でもこの本におさめられた本の表題にもなっている「「昭和」を送る」は面白いかもしれない。天皇制へのアプローチとなる文献になるような気がする。

 さて、迂闊なことに新しいエッセイ集が出たことを知らなかった。みすず書房から出されているエッセイ集のひとつだ。今年5月に出版されていたのに、みすず書房の新刊案内は送られてくるがよく読みもしないで廃棄してしまっていた。
 昨日の「時には本の話でも・・・」のブログで発刊のことが触れられており、早速購入した。
 「「昭和」を送る」という題名。確かにみすず書房の本は高い。3150円也はやはり財布に優しくない。それでも購入するというのはそれだけ思いいれが強いということ。
 早速喫茶店で読んでみた。初っ端からある脳代謝循環改善剤という薬の処方の話し。はっきりいって医師でなければ放り出しそうな題であるが、それが引き込まれて読んでしまう。私なりの理系の頭にはその論理立てが実に心地よく響いてくる。
 実はもう一冊、ちくま学芸文庫からも中井久夫コレクションの5冊目「私の「本の世界」」も3月に出版されていた。こちらは本日有隣堂の文庫本売り場では棚にはなかった。明日から仙台に行くのに、新幹線の中で読む文庫本にはもってこいと思ったのだが‥。
 中井久夫氏も来年で80歳という大台にのる。刺激のある文章をながく書き続けてもらいたいと思う。

同窓会資料集作成終了

2013年08月28日 20時35分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
大学の同じ学部の同窓会の資料集は表紙を含めて22ページとなったが、本日ようやく製本が終った。差し替えの3ページを印刷しなおして、午前中にホチキス止めを終了。そのあと、持参する物品などをリュックに詰めて、取りあえずの準備が終った。

 明日は当日に私の提出する文章を考えてみようと思う。A4で裏表1枚位におさまる程度を考えているが、うまく出来上がるだろうか。学校を離れて以降40年の生き方の総括と現在の自分を表現するのだからそう簡単には出来ないのはわかっている。出来上がらなくても取り合えずまとめる努力はしてみたい。

 同窓会終了後、翌日は仙台にいるメンバーの案内で被災地を訪問することになっている。このツアーの申込者も予想以上に多い。みんな、私同様にあの大学にはいい思い出や、思い入れがなくとも、仙台という土地、東北という風土にはそれなりに大きな思いがあるのだと感じた。

 翌々日私は単身で盛岡経由で八幡平に行こうと思っている。盛岡の駅から直通のバスが出ており、頂上から歩いて30分ほどのところまで行くようだ。私としては初めて登る八幡平なので時間があれば麓から時間をかけて登りたいのだが、そうも言ってられない。バスで行って、藤七温泉・松川温泉に浸かって再びバスで盛岡に戻る予定を立てて見た。
 しかし台風が列島を縦断しそうだ。31日も1日も台風の影響で雨の予報。そして2日は台風はどうなっているのだろうか。雨男が復活してしまったのだろうか。嫌な予感がする。

オフ会

2013年08月28日 13時12分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は東京駅で当ブログのオフ会。大納言様、通りがかり人様、、私の4人で暑気払いのような飲み会を行った。
 仕事を終ってすぐに駆けつけてくれた大納言様、Gt様ありがとうございました。遠いところを早めに来て待っていてくれた通りがかり人様、申し訳ありませんでした。
 初めて顔をあわせる通りがかり人様と他の方との自己紹介などをしながら、楽しみました。
 それぞれのコメントの補足なども披露しあったり、大納言様のブログのコメントについても話がとんで有意義な時間を過ごしました。当初20時過ぎには解散と考えていましたが、とうとう21時過ぎまで。明日の仕事に支障をきたすといけないのであわてて清算、会計を済ませました。
 とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 次回機会がありましたら、葦原の山姥様、ローリングウエスト様にも参加して欲しいというのが、皆さんのご要望でしたm(__)m



本日の報告

2013年08月26日 22時13分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は大学の同窓会の資料づくりに精を出した。といっても綴じる直前の段階までの丁合いの作業まで。明日午後にはホチキス止めの作業で製本を終らせたい。そして明日に食事会の参加者数をお店に伝えて、準備はほぼ終了となる。あとは当日に仙台に赴き、会場設定などの作業を残すだけとなった。

 翌日は仙台で被災地での復興事業の見学も行う予定。そして終了後私は独りで盛岡に行き、八幡平にバスで登る計画を立てた。雨が降らなければいいのだが。

 そして明日はさらにこのブログのオフ会と称して、コメントをいただく方との飲み会を設定した。これもまた楽しみである。

「浮・透・韻・奏」展

2013年08月26日 13時42分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨年7月8日にこのブログで、「井上雅之自選展(雁皮紙によるコラージュ)」を取り上げた。大納言様の紹介で本当に偶然訪れたのだが、会場におられた井上雅之さんご自身から雁皮紙を利用された経緯や、作品に込めた作者の思いについて説明を受けた。
 夫婦で説明を受けたが、こちらの理解力が説明についていけたかというと甚だ心もとないのだが、私は作品自体はとても気に入った。

   

 そして先週はからずも、「コート・ギャラリー国立 画廊開設19周年企画 浮・透・韻・奏」展の案内を井上さんからいただいた。井上さんを含む4人(井上雅之・川崎耕一・菊地武彦・中野浩樹)の方の合同展と言うことのようだ。



 井上雅之さんはそのホームページで、

「‥2001年、藤沢市にあるギャラリーHIRAWATAの個展で、次のようなコメントを付けた。
  ー「偶然をつくる」、今回の個展の作品も「間」・「方形」シリーズで成り立っている。サブテーマとして「偶然をつくる」という姿勢で制作しました。雁皮紙を墨や柿渋やアクリル絵具で刷毛染めしてコラージュするための材料作りの工程から画面に貼り付けていく工程の間で、皺をよせる、絵具を垂らす、破く(破裂させる)、といった偶然性の強い要素をこれまで以上に意識して、最終的にはそこになければならないという制作姿勢をとった。人(私)は、感動を受けた偶然を体験し、学習することによって再現しようと試みる。同時に偶然は偶然でなくなり人の能力と変わっていく。芸術において、私の絵画において、蓄積されてきたそういった能力が新たな偶然によって放棄され、再現へと向かう。
  偶然はつくることができない。ゼロからも生まれてこない。今までに蓄積されてきた能力に支配されて見えなかったものが飛び込んでくる、そんな現象ではないだろうか。
9年経った今、改めて読んでみると、私にとって「偶然」という誘惑は、しめたと思う時であり新しい展開につながる要素になっている。しかし今までの蓄積に支配されているのか、然う然う出会うものでもない。1999年から小品として始めた「STUDY 108」から「偶(Guu)シリーズ」が生まれ、「Rectangle(方形)シリーズ」が生まれた。そして現在、「See through(透過考)シリーズ」が生まれ、それは嘗ての空気線が「光のかたち」へと進化したもので、大作という大きなスペース向きのシリーズである。」

 また今回の展覧会には、
「私の作品においていつも目標にしていることは、リアリティーと幽玄性という二律背反を同一姐上に獲得することができればということである。
「無作為の作為」という言葉を庭師がよく使うらしい。
例えば落葉を全部きれいに取り除かないで株元や池に落ちた葉も少し残す事があるという。
大きな存在感のある自然を相手に、どこに庭師の内面を象徴させようとするのか、私にとっても大事なことに思えてなりません。
2004年から始まった「See through(透過考)」シリーズは、大気から降り注ぐ光とそれによって見抜かれる私自身の内面の緊張を雁皮紙の線に置き換えて表現したものである。
See throughとは見抜くという意味で見抜かれた私の内面の動は浮遊する光のかたちとなって、前記した内面の象徴、つまりリアリティを得ることができないだろうかというシリーズです。」
という文を掲載している。

 「浮・透・韻・奏」の「透」が井上さんを、その作品の意味を表している。作家の表現意識とそれを表現する手段としての「雁皮紙」との出会いとそれを使い切ることの格闘が理解できる。

 私は芸術表現としての絵画などについて作家の製作工程にとても興味がある。何に悩み、何をどう表現しようとしているのか、その先端での思いに触れてみたいというのが、私のいつもの思いだ。
 このような思いがかなえられるよう期待して、作家の生の声を聞くことができる絶好の機会かもしれないと思い、この企画展に出向いてみたい。

 会期は9.5(木)~9.17(火) 11時から18時 中央線国立駅東口
 9.5の初日にはオープニングパーティーがあるとのこと。
 井上さんからは、パーティー参加のお誘いがあったが、残念ながら今のところ参加できそうもない。別の日にお邪魔してみようと考えている。

   

《追加》
 先に横浜美術館で開催されていた「賛美小舎」-上田コレクション展の記事を書いたのが今年の4月だった。そのコレクションの中に、武田州左という方の作品が含まれていて、私は気に行ったものとして取り上げた。
 実は、今回の四人のうち、井上雅之・川邊耕一・中野浩樹の三名と武田州左の四人で2006年に「青騎士」展を開催されているようだ。どのような集まりなのかはわからないが、いろいろなところで人はつながりがあるのかなぁと感じた。
 「青騎士」という名は、美術好きならばきっと「1912年にヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した綜合的な芸術年刊誌の名前であり、またミュンヘンにおいて1911年12月に集まった主として表現主義画家たちによる、ゆるやかな結束の芸術家サークル」(ウィキペディア)を思い出すと思う。私はカンディンスキーは好きだだが、この運動について詳しくはわからない。多分そのような志向をもった方たちの集まりなのは想像ができる。
 今回の展覧会も、この「青騎士」の理念を踏まえたものなのかもしれない。少し勉強してから訪れるように使用と思う。


雨と共に帰着

2013年08月25日 23時53分03秒 | 山行・旅行・散策
 先ほど突然地震。ウェザーニュースと気象庁のホームページによると横浜は震度2。震源が近そうな地震で急に大きく揺れた。我が家のセキセイインコの内一羽が驚いてバタバタしていた。もう一羽はまったく動じていない。こうも性格というか反応が違うとは驚きである。
 対岸の千葉県市原市付近が震源地のようだ。テレビでもテロップが出ないのでどうなっているのか、ちょっとあわてた。5分以上たってようやくウェザーニュースと気象庁のホームページに掲載された。

 さて、本日の朝は下田で迎えたのだが、朝から雨が結構激しく降った。伊豆に住んでいる人の話では、伊豆でも随分久しぶりの雨らしい。風はそれほど吹かず、低い雲が周囲の低い山の峰に漂い、横浜とはまた違った風情が見られた。雨の下田もなかなかいいものである。

 先ほどの記事で、午後に河津温泉の立ち寄り湯に寄ったと記載したが、寄ったところは駅から歩いて10分ほどの「薬師の湯」。800円。もう少し近いところにも立ち寄り湯があったが、1800円と高いのでやめた。
 内湯・露天風呂ともに小さいが岩盤浴もあり、人も少なくゆったりと過ごすことができた。

 お昼前に下田は雨があがり、河津を出発するまでは曇り空。

 河津からは特急に乗った。海岸のすぐ傍を走りながら、そしてところどころ雨が降る中を東海道線へ。この伊豆急の海岸線をはしる路線は、昔はよく地震・風雨で運行が止まった。最近はまずそのようなことは無いので安心して乗っているが、地理的には厳しいところを走っていることに違いはない。
 熱海・小田原・平塚辺りまで雨がかなり降っていた。雨と共に東海道を走ったのだが、横浜では再び雨があがっていた。

伊豆下田に1泊

2013年08月25日 20時32分52秒 | 山行・旅行・散策
 友人が所有する伊豆の下田の別荘に招かれて、還暦以上の男12人が押しかけで雑魚寝の1泊をしてきた。目の疲労か、眼精疲労かわからないが目を休めるためにスマホは見ないことにしてリュックの底にしまいこんだ。

 下田に行くだけではつまらないので、私は朝7時に家を出て10時前に伊豆急下田のひとつ手前の蓮台寺駅で下車。歩いて往復1時間45分の距離にある高根山(343メートル)に登った。



 蓮台寺駅から5分ほどで登山口。そこから急登が始まる。ほとんど人が歩いた形跡が見られない、ひたすら登りだけの道である。東電の送電保守用の管理道路を兼ねている。山は東伊豆の海岸線に面しているが、登山道は山の西側についている。確か五丁くらいから石の道標があったと思う。日当たりが悪く、沢沿いの道を20分ほど行くと道標が建っていて沢から離れる。
 その道標を通り過ぎてからふと振り返ると道標の横にヤマカガシが鎌首を立ててこちらを見ている。赤と黒の斑紋がきれいだ。それほど太くはなく、全体は草に隠れて見てないが、長さでは50センチ位だろうか。大人ではないような気がした。しかし久しぶりにヤマカガシを見た。それも不意に山道で出会ったものだからおもわず後ずさりした。ヤマカガシの毒で死ぬこともあると聞いたので、刺激を与えることも見つめることもやめてそのまま登り続けた。
 そして沢から離れ、小さな尾根に取り付いた辺りでところどころ日が当たるところに出たが、今度は小型のスズメバチが5匹ほど路面を飛び交っている。少し躊躇したがそのまま早いスピードで歩きすぎた。そのような個所を2ヶ所ほど越した。あまり人が入らない低山はこれが怖い。

   

 ようやく道がさらに明るくなって南北に伸びている頂上の北端に着いた。そこにプレハブ小屋が建っている。結局15丁の石標まで数えたが、それ以降は石標は見かけなかった。距離としては18丁くらいまであっただろうか。

 ここは昔から下田の海岸を見下ろす格好の位置にあり、灯台の役目をはたす山であったようだ。そのために地蔵堂が設けられ、信仰を集め、火が点されていたらしい。この小屋から1分もしないところが頂上で電波塔が立ち、見晴らしがとてもよい。



 東の海岸と海水浴場、西の山々が良く見える。ここの頂上から寝姿山の頂上を通ってロープーウェイの駅まで1時間40分の縦走路があるが草が道を覆っていた。ほとんど人が歩かないようだ。
 1時間のコースタイムを40分で登ったため、汗がひかない。頂上の強烈な太陽のもと、全身から汗が噴出し、シャツもスボンもすっかり濡れてしまった。シャツは2度ほど絞ったがまだ汗が吹き出てくる。結局20分も頂上で休んでから、登ってきた道を再びもどった。途中、スズメバチのところはやはりハチが飛び交っていたが、無視をして通り過ぎた。ヤマカガシのいた石標も難なく通過。35分で蓮台寺の駅に戻ることが出来た。
 途中で登ってくる若い男に出会った。運動靴の私と違ってハイキングシューズを履いていたので、おそらく寝姿山まで行くのであろう。

 下山後、ただちに蓮台寺駅から5分ほどで河内温泉金谷旅館で1000円の日帰り入浴に駆け込んだ。檜の千人風呂と称する広い浴場はだれも入っていなくて静かに入ることが出来た。着替えて、13時12分発の下田行きで待ち合わせの時間に間に合った。

 その日は深夜2時過ぎまで話ははずんだ。翌日は早い人は5時半からまたベランダで話の続き。私は11時ごろに寝て、翌朝は7時半に起きてシャワー後、11時過ぎまでお付き合い。
 お昼に下田駅で昼食後、私はこんどは河津で一人で下車、800円也の日帰り温泉を満喫して17時過ぎに横浜に帰着。家にかえってようやくパソコンを開いて自分のブログを見たところ、金曜にアップしたブログに6通ものコメントが寄せられていた。
 目の調子はなかなか良い。疲労感がない。良い方向に向かっているように思える。
 通りがかり人様、葦原の山姥様、大納言様、ローリングウエスト様、うれしいコメントを寄せていただきありがとうございました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

蒸し暑さに閉口

2013年08月23日 10時49分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ひさしぶりに朝から厚い雲に覆われている。とても蒸し暑い。夕刻からところによりかなりの雨が降るとの予報だ。傘は持って出たが、そんな雨に出会ったら、屋内に待避するにこしたことはなさそうだ。
渇水に多少の恵みとなればいいが、被害もまた困る。

目の状態、朝は悪くない。このまま違和感なく1日が過ぎることを祈るしかない。




「幽霊・妖怪画大全集」(そごう美術館)

2013年08月22日 21時35分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 本日は目の休養もかねて、のんびりと過ごそうとしていたら「暑いからそごう美術館にお化け屋敷がわりに行こう」という発議。夏休みの混雑も想定したが、何もせずに家でじっとしているよりはずっと有意義であることは間違いがない。

 収穫は何だったろうか。まず、45分の冷房の効いた会場は確かに背筋がとても冷えた。涼しくなる目的は充分達することが出来た。
 そしてコレクター吉川観方のコレクションとそれを寄贈された福岡市博物館にあるとてつもない量の幽霊・妖怪図の数々ということか。
 今回はこの1万2千点のコレクションのうちからわずか160点といっても、展覧会の量としては充分見ごたえがある。それも円山応挙、長沢廬雪、歌川広重、歌川国芳、月岡芳年、河鍋暁斎、伊藤若冲となかなかすごいものである。このすごさにやはり背筋がゾクゾクした。

 構成は、
プロローグ 笑う骸骨
第1章   幽霊画の世界
 1-1  幽霊画の世界
 1-2  歌舞伎の幽霊画
第2章   妖怪画の世界
 2-1  百鬼夜行と妖怪図巻
 2-2  鬼
 2-3  天狗
 2-4  人間
 2-5  妖怪動物園
 2-6  実録 化物退治

 図録は購入しなかったが、チラシの二面の図で取り合えず雰囲気を味わってもらおう。
 特に第1章の幽霊図は円山応挙にはじまるさまざまな幽霊図のオンパレード。これでもかこれでもかといろんな作者や幽霊のさまざまなパターンが並んでいる。さすがにちょっと怖いが、それこそ幽霊図の全パターンを見せてもらって満腹という感じをうけた。
 この展覧会、絵画史のジャンルとしての価値もあるだろうが、風俗史や社会学的な興味も引き起こすコレクションと思えた。

 そして最後にコレクターで画家でもある吉川観方の作である「お岩」「お菊」の図。チラシの3ページ目でが、これは有名な幽霊となる「お岩」が念入りに化粧をしている様子と、隣の部屋に住む「お菊」に声をかけてお菊が壁越しに応答しているというありえない場面を想定した絵である。
 これがなかなか印象深い一対の絵であった。

 会場の解説はとても丁寧で、どのような場面なのかや作られた背景など細かな説明が貼り付けてある。通常の絵画展よりは少し照明が暗いのは古い作品の保護と言う側面がありそうであるし、幽霊の雰囲気からは理解が出来る。
 ところが私の目がやはりつらい。説明の細かな字がとても読みづらい。眼科の視力検査ではこれまでと同じように視力はあった。やはり疲れ目、ひょっとして眼精疲労なのだろうか。
 会場を出たあと、喫茶店で一服したが目の奥が何となくだるい。緊張したためなのだろうか。痛いというほどではないが、疲労感が残った。
 ということで、本日はこのへんでもう眠ることとしよう。

         

目がかすんで‥

2013年08月22日 11時28分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 実は昨日までの3日間目がかすんで、全体に白っぽく見え、ものが見にくくなっていた。近くも遠くも全体にかすんで、ぼやけた状態が続いた。ウォーキングをしている時も遠くの景色がかすんで見にくかった。とりわけ信号が見ずらかった。家の中ではパソコンの画面とスマホの画面が見にくかった。何度も目をこすりながら画面を見る作業を続けていた。日常生活に若干影響がある状態と云えた。ただし今朝は調子がいい。これまでどおりに見える。
 以前から緑内障の治療にかかっている眼科の医師からは、年齢相応に白内障気味といわれている。今朝、月に一度緑内障の治療でいつも通っている眼科で受けた視力の検査、眼底の検査結果、眼圧もこれまでと変わらないとのこと。診断としては「疲れ目としかいいようがない、心配はないと思う」ということで、緑内障の点眼薬の他に疲れ目のときに処方する点眼薬1本を追加で出してくれた。薬代は300円追加なりということで安くて助かった。この点眼薬が本当に有効かどうかは不明だが、とりあえず使ってみることにした。
 特に日常生活上の注意点はいわれなかったが、パソコン画面を見続ける時間は短くした方が良さそうだ。

雨男返上ならうれしいが‥

2013年08月21日 18時13分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夏の高校野球は、日大山形と花巻東が破れてしまって東北勢はこれで残念ながら姿を消した。東北育ちの妻はいたって落ち込んでいる。しかし昔に較べて実に東北代表校は強くなったと思う。考えてみればベスト4に2校も残っているのである。すごいことである。
 それよりも妻のご機嫌が早く元に戻ることをまずは祈らねば‥。

 先ほど、3時近くになって雲が多く出て日が蔭り始めたので、11キロのウォーキングに出かけた。次第に雲が暗くなって来て、3キロを過ぎた辺りからするどい雷鳴が聞こえ始めた。しかし稲光は見えないので、雲の中での雷と思われ、まだ大丈夫と判断し折り返し地点で休憩の後再び速歩を再開。次第に雲行きが怪しくなり始め、自宅700メートル手前辺りで突如稲光がして1秒後に雷鳴が大きく鋭く鳴り響いた。
 そこからジョギングに切り替えあわてて団地にたどり着いた。そして自宅玄関50メートル手前で突如雨が降り始めた。10秒もしないうちに、あっという間に土砂降り。私が踊場に駆け込んだときには道路はもうすっかり濡れていた。さいわい茂っている大木のおかげもあり、私は数的の雨粒に当たった程度ですんだが、シャワーを浴びている間もものすごい雨音と雷鳴・雷光で外は大変なにぎやかさであった。蝉もあっという間に鳴きやんでいた。
 30分もしないうちに雨も雷も収まって蝉の声が逞しくも復活した。
 しかし前回は途中で雨宿りしなくてはいけない羽目になったが、今回は危ういところで回避できた。
 昨年山に行くたびに晴れた。今年も2回山に行ったが、晴れ。この間の白馬岳-朝日岳の時も下山した翌日から天気は悪くなった。最近出かけるが天候に恵まれている。雨男-嵐を呼ぶ男は、汚名を返上できたのであろうか。そうであって欲しいと心から思う。

 一方で危機回避能力、危機対処能力については出来るだけ蓄積をして、それらを高める努力をしたいと思う。もう年だから能力が低下することはあっても、高くなることは期待できないが、それでも少しでも対応が適切であるように努力したい思う。
 自然災害・都市災害とを問わず、人間の危機回避能力・危機対処能力というのは、都市化が進めば進むほど低下するのだろうか。ある人との会話の中で、何の根拠もないが、人事のようにふとそんなことを述べてみたことがある。発言してから自分はそんな能力がはじめから備わっていたかな?とあわててしまった。喋ってしまった以上、私は生半可な災害や事故で怪我をしたり命を落とすわけにはいかなくなった。余計な事を喋ってしまったと反省している。
 そう、酔っ払って車に引かれたり、転落したり、電柱にぶつかるようなことはしてはならなくなった。私が一番そんなことに合いそうな人間ではないか。先の友人との話は撤回しなくてはいけなくなる。口は災いの元である。困ったことになってしまった。

「和様の書」展(東京国立博物館)

2013年08月21日 13時29分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 まず私は草書がなかなか読めない。まして変体仮名などが出てくればもうお手上げである。
 和歌などが書いてある昔の文章も、戦国時代の手紙の類なども、そして江戸時代の草紙の類もダメである。多分、変体仮名をまったく教科書から排除してしまったため私よりも若い世代の人はますます遠い存在になっていると思う。私自身がまったく読めないのだから、若い人にとっては他の文化圏の文字に感ずると思う。
 書、特に仮名の書はまるで遠い存在だ。しかしそれでも心惹かれるものがある。料紙の美しさ、細い繊細な筆の跡、分かち書きの余白、丸みと縦長の筆跡の流れ‥魅力を感ずることがある。
 また漢字だけが並んでいる写経の文字や漢詩などが、最初から最後まで乱れも少なく楷書でキチンと書かれているのを見るとその整然とした美しさに見飽きることがない。
 墨書土器などに一字だけ記された文字なども神秘的な力を感じる。
 昔の人も文字に、特に漢字には霊能が宿るように感じて丁寧に扱ったと思われる。それが走り書きやメモに近いものであっても、字をおろそかに扱うことは憚れた世界であったと思われる。それだからこそ、文字を書くということはとても重要なことであったのであろう。

   

 構成は
第1章 書の鑑賞
第2章 仮名の成立と三蹟
第3章 信仰と書
第4章 高野切と古筆
第5章 世尊寺流と和様の展開
というもの。図録を購入しなかったので、構成の意図などはわからずじまいであるが、書の歴史的な展開は素人の私にも理解できるものであったと思う。

 今回、この2枚のハガキを購入してみた。実際は料紙の色彩はこんなに鮮明なものではなかったが、おそらく書かれた当時の色彩はこのようなものであったのだと想像している。

      

 先ほども書いてあるとおり、書かれている字も読めない、また和歌の意味もわからない。読むことが出来れば歌の意味も多少は想像できるだろうが‥。実に残念である。しかし二枚目など行の最初と最後の字を太くして全体のバランスを整えているところ、手書きであるにもかかわらず、行の頭と下の字の位置がキチンと揃っていることなど、私の感覚からすればとても落ち着いた構図に仕上げていると思う。
 一枚目のものも、右側では料紙の茶色の部分には字を書かず空白にしている。左では茶色の割合が小さく若干色がうすいのを踏まえて字を書いている。左では余白は上、右では余白は中程、と変化に富んでリズムを感ずる。
 記載してある内容がわかればもっと世界が広がるのだが‥。

 そして、ひらがなの書の世界はもうひとつ面白いと思うことがある。それは文節で行を変えるということからフリーであること。言葉の途中で行を変えることが当たり前だ。これはとても面白いと思う。全体のバランス、構図上の美しさと意味との剥離がはじめからあったのだろうか。現在の私たちの感覚からはとても不思議に思える。



 またこんなものを購入してみた。

 よく歴史の本を読んでいると石山切、高野切、安宅切、大手鑑、手鑑などという言葉を聞くが今回初めてそれを実物で見ることができた。これはうれしかった。
 また、漢字の書き方も中国の書法と日本の書法に違いがあることなども始めて知った。

 信長、秀吉、家康の3覇者の手紙が展示されていた。秀吉のおね宛の手紙はよく見かけるものだ。家康は実にこまめに手紙を多数したためた武将だと聞いたことがある。そのマメさは書面からは伝わらない。しかし信長もかなりマメだったようだ。信長の字は私の持つ信永像とは別にマメで細かいところまで臣下に丁寧に指示を出す気遣いの武将だったような印象を字体から感じた。そうでなければあれだけの業績は残せないだろう。
 もうひとつ、後陽成天皇の「龍虎二文字」は以前も見た記憶がある。これはすごい。自由奔走、豪放磊落というか、安土桃山時代という激動の時期を生き抜いた天皇のしたたかさを存分に想像できるものである。

 字はその人の性格を如実に表すという。しかし今、パソコンで印刷される字からはそれは無理な話だ。文体からその人の性格は滲み出るが、字体からはなかなか伝わらない。また直筆の字字体がまず見かけない。
 私など悪筆の上に、最近は直筆だと漢字がうまく書けなくなってしまった。時々鏡文字になったり、偏と作りが反対になったり、間違い字ばかりになってきた。パソコンの悪影響だが、パソコンのキーボードを叩くのにあわせて思考が働くので、今さらこれを戻すことが出来ない。10本の指の操作で思考が働いている。右手で書きながら思考するのではない思考方法が今は主流なのだ。
 あと10年もしたらこのような書の世界、ますます現実とのギャップが大きくなりそうである。



「縄文土器に飾られた人物と動物」展(東京国立博物館)

2013年08月20日 22時46分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 夏休みで混雑しているのではないかと敬遠していた東京国立博物館であったが、特別展「和様の書」は学生向きではないためそれほど混雑はしていないという情報があり、また特集陳列で「縄文土器に飾られた人物と動物」展に惹かれたので、暑い日であったが見学してきた。

 まずは「縄文土器に飾られた人物と動物」展から。

         

 縄文土器の形状や土偶、人面などの造形にわたしはとても惹かれる。形も面白いし、どのように使われたか、何を盛ったか、何を祈ったか、など想像しても解けないことばかりである。それが魅力である。しかも、中期は中部や関東、後期は東北で数多く作られている。どちらかというと東日本・東北日本が縄文時代の中心地であったらしい。
 縄文土器に描かれた人物の表情はなかなかユニークだ。どのような感情を表しているかはとてもわかりにくい。だが、その顔の表情の造形はとても大胆であり、意表をつくものがある。
 それは人物の表情だけでなく、器の形そのものにも当てはまる。
 岡本太郎が縄文土器に多大なインスピレーションを得、写真に撮影したことは知られている。その写真もとても造形的に私はすぐれたものだと思う。
 私はこの縄文土器の躍動的な造形、人の表情、動物の顔の表情の激しく豊かな感情にも惹かれるが、一方で自然に対する静かな感情、諦念、観照、畏怖というような感情の方にもっと惹かれる。
 縄文時代の人々の自然に対する感情はどんなものであったろうか。人の生活に今よりもっと直接的に影響を及ぼしてくる自然に対して、呪術的で、今よりもっと能動的に働きかける対象であり、思い入れが強かったことは充分に察することが出来る。しかし今よりもっとじっくりとした観察に基づいていたことも確かだ。自然に対する知識や知見は当然にも、現代よりも深かったろう。
 その自然との交流は、激しいだけでなく静かにあらゆる不可解な自然現象を受け入れる側面が無いと人は生きていけなかったはずだ。わたしはこの側面にいつもこだわりながら、土器などの遺物に託された感情を読み解くことが必要ではないかと、思う。
 それが学問的にどのような方法論となるのか、などということについてはとても理論など無いのだが‥。そんな私の思いを語ってくれる解説には出会ったことが無いのが、口惜しい。

 さて、今回の解説では、チラシの2ページ目に縄文中期の4の人面装飾付深鉢形土器を取り上げて「一方は怒った顔で、眉をひそめてつり上がった目元、口は一文字につぐんでいま眉をひそめてつりあがった目元、口は一文字につぐんでいます。もう一方は笑った顔。目じりが垂れて口元が弓なりに上がり、微笑んでいます。またこの土器の一方の顔にだけ鼻の孔がつけられている。みる方向によってまったく異なる印象を与える」この土器のように、一対の紋様でありながら、あえて違う文様が描かれる例がしばしばあります」と解説にある。
 また3ページ目の後期・晩期の説明に付随して、「対になる顔や人物装飾をもつ土器が複数見つかっている。意図的にその表情を変えているのがわかる。このような表情の違いを男女の描き沸けと考える意見もある。」
 と記載している。

 私はこの解説に異議を唱えるだけの力は持っていないけれど、でもオヤッ?と思った。
 まず、この2ページ目、本当に片方は目が釣りあがっているのだろうか。怒った顔に見えるだろうか。もう一方の顔は、微笑んで見えるだろうか。口元が弓なりに上がっていることに異存は無いが、この口元は何かゆがんでいる。ひきつっている。また目じりが垂れていると言い切ってしまっていいのだろうか。私にはどうしても解説のとおりには見えない。実際も写真も解説のようには何度見ても見えない。
 二つの顔の違いに着目するなら、違いの特徴はなんだろう。まず鼻の孔が付けられている、いないは顕著な違いだ。もうひとつ顕著な違いは、顔の輪郭線が同じく4重の点々の線であらわされているが、一方が広くゆとりある輪郭で、もう一方は顔が狭く、彫が深い顔に見える。そして鼻の孔のあるほうはハート型の額部分が大きく鼻まで食い込んでいるが、鼻の孔の無いほうは額が広い。二つの顔の違いを指摘するなら、この違いの方が顕著ではないだろうか。
 私にはこの顔の違いは男女の差、あるいは社会的な地位の差のような気がする。社会的な身分差はなかったというのが縄文時代の特徴とよく言われるが、年齢による階梯、あるいは役割分担と言い換えてもいいが、その差ではなかろうか。また輪郭の差は、刺青の紋様の違いでは無いだろうか。刺青でなくとも身体装飾の差、あるいは仮面の存在が表されていないだろうか。
 喜怒哀楽の差に絞り込んだ「コラム」は解説として納得できなかった。

 3ページ目の解説で、人面の差として男女差を指摘している。これはそう思うが、やはり刺青ないし身体装飾、仮面による舞踊・祈りなどの表現としてとらえられないだろうか。
 弥生時代の土器に描かれた人面はあきらかに刺青の紋様と断定していいのではないか。

 しかし学問的な解説の当否よりも、私はおびただしい土器の、この不思議な造形に囲まれいる時間がとてもいとおしいと思う。この不思議な造形に囲まれていると、厳しい自然に囲まれて、じっとそれを観察して全身でそれを受容しようとする縄文人の自然に対する感情が私に乗り移ってくるようだ。
 山に登って、誰一人出会うことなく、半分不安にさいなまれながら山道をひたすら歩くときのような感情が湧きあがってくる。決して気分が高揚してくるのではなく、静かに自然と交流しているような感覚でもある。ここはきっと激しい感情を読み取る他の方の感性とは違うものだと思う。

   

 この「縄文人の祈りのカタチ」展が東洋館地下一階で行われていたのはチラシをもらったのに気付かなかった。これは迂闊だった。中高生向けの企画かもしれないが、我々でも充分にいろいろな体験が出来たかもしれない。9月下旬までなので、参加の機会があればいいのだが‥。