Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大晦日

2011年12月31日 10時18分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
高層ビルより
★見下ろせる鉄路は遠く年の暮
鳥山川
★葉一枚浮かせて川は年の暮
★夫婦椀古りにし箸で大晦日

 暮も押し迫って俳句が3句出来ました。出来はいかがでしょうか。

 さていつもこのブログに目を通していただいている皆さん、この一年のお付き合いどうもありがとうございました。実質的にブログを初めて2年と4ヶ月、よく続いたものと思っています。
 本年はこれにて終了といたします。皆様よいお年をおむかえください。
 明年は2日から再開の予定です。

年の暮雑感

2011年12月30日 18時39分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年一年の記憶は何だろう。3月11日の震災は横浜市内の路上で体験した。駐車場の車が今にも動き出しそうに揺れ、大きな看板が落ちそうに揺れ、恐怖を味わった。反対論者もあらためてその影響の大きさに驚愕した原発事故もある。
 台風15号では塩害による樹木の葉の枯れに驚いた。しかし台風15号は自然災害である。3月11日の震災は自然災害であると同時に原発事故は人災でもある。作り上げられた安全神話がいかにもろいものであるか、明らかとなった。台風という年中行事のような災害にも人は無力である。数百年に一度の地震災害に、耐震建築物も防波堤もそして原発も無力であった。
 政治は明らかに戦後「後」の社会・経済構造に立ち遅れている。その無力をさらけ出している。震災復興・国家財政・沖縄・景気‥‥、私たちは自らの利害と全体の行方の折り合いのつけ所を見失っている。先行きの見えない不安感が増大して暗雲の下にいるような閉塞感を持っている。威勢のよい嘘が、人気投票が、ゴシップが政治を左右するようになった。これは明らかに民主主義の危機でもある。
 しかしながら全体の社会状況は状況として流れつつも、私たちは個々の個人の領域の折り合いもまたつけにくくなり、人生の里程標のそこかしこで立ち往生している。多くの友人が社会や職場と個人との折り合いに失敗をして悩んでいる。とうの私も躓きかけた。年間自殺者3万人という水準のむごさがこれを証明しているのではないか。

 こんなことを考えながら年の瀬を迎えた。来年はどうなるのであろうか。私はとことん、「個」の領域にこだわって生きたい。少なくとも大状況を語ったり、「‥ねばならぬ」式の上意下達の政治に関わったり、歯の浮いた同情や「連帯」にも関わらない。
 60歳・定年という誰でもがとおる里程標をどのように個人史として関わっていくのか、どのように歳をとっていくのか、老年とはどういうものか、自分の中に繰り込んでいきたい。それが団塊の世代・全共闘世代の最後尾に位置する私の生涯の後退戦のありようかもしれない。

仕事納め

2011年12月28日 22時27分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 とりあえず今年の仕事が終了した。例年のとおり夕方3時過ぎにあわただしく仕事が舞い込んできたが、それも何とか終業時間までに終わらせることが出来てホッとした。
 同僚と打ち上げのつもりで軽く立ち飲みに寄り早々に帰宅したものの、そこで飲んだ44度の焼酎が効いてきた。
 濃い煎茶で気分を転換して、最近ちょっとご無沙汰したシベリウスのピアノ曲作品101、同58、同76を聞いて充実した時間を過ごした。

 あとは久保田万太郎の俳句に目を通してさっさと寝てしまおう。

孔版画

2011年12月26日 20時45分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私のブログにリンクの貼ってある「時には本の話でも‥」というブログで、「福井良之助- 孔版画の世界」が紹介された。私には初めての名だが、なかなか興味を惹かれる画家のようだ。私の好みかもしれない。
 孔版の技法についてもブログに掲載してもらったが、「あのガリ版印刷で」と思うような技法が詳しく書かれていてびっくりした。人の「技」というものはすごいものなのだと感心する。
 高崎市美術館で展覧会があったそうだが、都内か神奈川県内のどこかでまた展覧会を開催してほしいものである。

 さて郵便局の要請にしたがって、元日配送の年賀状を昨日25日に投函した後に、「喪中はがき」が1枚来た。よりによって投函した途端である。もう取り返しはできない。致し方なし。

枯すすき

2011年12月25日 18時15分32秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★冬の芽のさし交わしたる枝の先
★遠山に夕日と雲と枯葎
★枯すすき夕日に仄かむらさきへ

 本日は横浜そごう美術館で開催中の院展へ。残念ながら感銘を受けたものはなかった。わずかに猪股公介の「諷影」に心惹かれるものがあった。
 帰途は夕暮れ時になったが、丹沢に日が沈み、近景の枯れ芒とともに美しかった。

年賀状

2011年12月24日 21時31分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後から年賀状をしたためた。いつの間にか少しずつ数が増えて約90枚。来年以降は少しずつ減っていくのであろうか。あるいはまだ増えるのであろうか。 
 パソコンで表面に住所と宛名を印刷し、同じくパソコンで裏面を作成する。ここまでは簡単。だが、もともと字が下手な上、最近は字を書くことがさらに減ったため、個人的なプラスαの文面も一枚一枚パソコンで付け加えている。これに時間がかかるが、手書きよりは余ほど早くしかも読みやすく出来上がる。
 手書きの味も何もないほどの悪筆のため、止むを得ないものと私は一人で納得している。決して手は抜いていないつもりだが、余計字を書く機会が減っていることは確かだ。どうしたらよいものか‥。


俳句誌3月号投句

2011年12月22日 21時41分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
俳句誌3月号投句
★植え替えの土柔らかに菊日和
★人も葉も雲もしなやか落ち葉掻き
★大根の畝長うして日の暮るる
★球根は右に傾いで冬の凪
★母老いぬ夕闇に芝枯れゆきて
★葛飾へ行かねばならぬ日一茶の忌
★冬ざれの大きな屈曲土手の道
★冬夕焼ビルの一隅赤く照り
★冬の日の不思議なまどろみ父の顔
★西空に燃ゆる日と富士年暮るる

「「思春期を考える」ことについて」(中井久夫)

2011年12月21日 22時21分54秒 | 読書
本日の読了
「「思春期を考える」ことについて」(中井久夫、ちくま学芸文庫)
 中井久夫のエッセイの文章は私にはとてもしっくりと来るので専門領域の精神医学関係の本や訳書以外には目を通すことにしている。しかしこのちくま学芸文庫の文章は専門領域にも踏み込んだ文章が多いため、なかなか理解が出来ない文章の割合が高い。治療論やサリヴァン論などこれを理解するのはとても容易ではない。それでも目を通すことだけはした。その努力がどのように実を結ぶかは?である。実を結ばない方の確率の方が高そうだが‥。
 次にカバンにいれる文庫本は同じ著者の「世に棲む患者」で同じちくま学芸文庫の一冊。これも難しそうだが、挑戦してみよう。

冬夕焼け

2011年12月19日 21時51分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★冬の日の不思議なまどろみ父の顔
★冬夕焼ビルの一隅赤く照り
★西空に燃ゆる日と富士年暮るる
★気取る尾の犬の歩みも年の暮

 繁華街はクリスマス商戦真っ最中で、年の暮というには少し早いかもしれないが、それでも繁華街から一本裏通りにでると、何となく年の瀬の雰囲気が漂っているようだ。


「松井冬子」展

2011年12月18日 16時07分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の17日は、横浜美術館にて「松井冬子」展の初日に出かけた。1974年生まれというから今年37歳だから若い画家だ。題名は哲学的な言葉が並ぶ。28歳での東京藝術大学卒業制作「世界中の子と友達になれる」、ならびに2年後の修士課程卒業制作の同名の別の絵が画家としての出発点であり、代表作となっている。
 なかなか衝撃的な絵が並ぶこの展覧会の感想は後日、頭の中が整理されたらつづってみよう。
 こん展覧会には作者の作品に対する言葉が並べられているが、矯正視力で1.0はあるはずの私にも、字が小さくて読めなかった。カタログにもそれらは記載がない。不満の残る展示方法だったことは書いておこう。


はてさて‥

2011年12月16日 21時01分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日、塚本邦雄の「百句燦燦」をめくっていたらこんな俳句と評にであった。引用の句は「昼寝の後の不可思議の刻神父を訪ふ(中村草田男)」。そしてその評は「‥昼寝自体不可思議な時間によつて充たされてゐる。あるいは面妖な時間の欠落と言つてよい。夜の眠りが休息すなはち死へのおもむろな接近であり、おだやかな溶明、溶暗の儀式を伴ふのに較べるなら、昼寝は一瞬にして空白の罠に陥ち、突如現実の世界に引戻される趣がある。白昼の逢魔が刻、その時間は短ければ短いほど不吉な陰翳を伴ひ、たとへば坐睡の一、二分間に異次元を彷徨し醒めて烈しい虚脱を覚えることもある。」
 塚本邦雄独特ともいえる。仮定に仮定を有無をいわさず積み上げていつの間にか思いもかけぬ断定にいたる文脈ではなく、肯いやすい実感を積み上げて見せてくれているようではある。それほどこの句に対する思い入れが強いのかもしれない、と感じた。
 死の直前洗礼を受けたキリスト者、草田男にとって昼寝の後のこの不可思議な時間に「神の存在」を、「聖書」を実感したのかもしれない。あるいはそのような不可思議な体験をしたのかもしれない。草田男にとっては信ずることのない私たちからはうかがい知れない、当然のことが「神父を訪ふ」だったのかもしれない。これらの「かもしれない」のはてに私たちは何を感じたらよいのか。迷うばかりである。しかしこの迷いを含めて句は鑑賞できる、納得できる。
 はてさて、この塚本邦雄の文章では結語はどうなっているか。「この作品の冴えた暗さ、直叙体の重いリズムには無頼の魅力がある。不可知の時間「昼寝」と神との対話者「神父」は「不可思議」を以て繋がれ、その唐突な出会の因と果は語られぬ。‥初七の重みとたゆたひとはすなはち草田男の肉と心の相でもあった。」
 結語までとりあえず理解できる文脈である。だがしかし最後の一文はやはり理解できない。
 私の文章読解能力の欠如であろうか。それならばそれはいたし方のないものである。

冬ざれの川

2011年12月14日 19時47分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★冬ざれに川くろぐろと流れゆく
★冬ざれの大きな屈曲土手の道

 本日は朝から気分がすぐれず、一日仕事を休んでしまった。夕刻病院へ行く途中あつい雲に覆われた冬ざれの川に沿って歩いた。
 時代は私の思うようには良い方向に向かっていないどころか、押し留めようもなく悪い方向へとひたすら歩んでいるように感じられる。
 こんな考えが自然と肥大化してしまう陰鬱な日であった。

「芥川龍之介俳句集」から

2011年12月12日 20時06分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
「芥川龍之介俳句集」(岩波文庫)1159句から好きな俳句44句
・山椒魚動かで水の春寒き
・一痕の月に一羽の雁落ちぬ
・木枯しや東京の日のありどころ
・凩や目刺に残る海の色
・夕波や牡蠣に老いたる船の腹
・五月雨や雨の中より海鼠壁
・花芒払ふは海の鱗雲
・雁の声落ちて芋の葉戦ぎけり
・花あかり人のみ暮るる山路かな
・暁闇を弾いて蓮の白さかな
・胸中の凩咳となりにけり
・青蛙おのれもペンキぬりたてか
・日は天に夏山の木々溶けんとす
・氷嚢や秋の氷のゆるる音
・孟竹の一竿高し秋動く
・今朝秋や寝癖も寒き歯のきしみ
・柚落ちて明るき土や夕時雨
・遠火事の覚束なさや花曇り
・榾焚けば榾に木の葉や山暮るる
・もの云わぬ研屋の業や梅雨入空
・埋火の仄に赤しわが心
・夢凉し白蓮ゆらぐ枕上
・春の夜や小暗き風呂に沈み居る
・蜂一つ土塊噛むや春の風
・手賀沼の鴨を賜る寒さかな
・元日や手を洗い居る夕心
・炭の火も息するさまよ夕まぐれ
・ひと籠の暑さ照りけり巴旦杏
・竹の根の土に跨る暑さかな
・雨に暮るる軒端の糸瓜ありやなし
・茶の色も澄めば夜寒の一人かな
・藤の花軒ばの苔の老いにけり
・唐黍やほどろと枯るる日のにほひ
・春雨の中や雪おく甲斐の山
・初秋や蝗つかめば柔らかき
・咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな
・金網の中に鷺ゐる寒さかな
・静脈の浮いた手に杏をとらへ
・七夕や夜ははなるる海の鳴り
・小春日の塒とふらしむら雀
・松かげに鶏はらばへる暑さかな
・蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
・薄曇る水動かずよ芹の中
・水洟や鼻の先だけ暮れ残る
 
 昔中学生の頃、名は忘れてしまったが国語の先生が「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」を引き合いに出して、「芥川龍之介の俳句には昆虫や小動物を読んだいい句がたくさんある」といったのを妙に覚えている。しかし実際に全句集を読んでみてそれほどに多いとは思えなかった。あるいは私の見落としかもしれないが…。
 しかし結果として好きな句としてあげた44句の中に、鷺・蝶・鶏・雀・蛙・蝗・鴨・蜂・牡蠣・山椒魚が10句登場することとなった。これが多いのか少ないのかはわからないが、観察の細やかさが身上なのだろうと感じた。
 これらの中でももっとも好きなのは「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」「金網の中に鷺ゐる寒さかな」あたりだろうか。第1句、鼻の先を赤くして寒さを感じる真冬の夕方の残照の中にいる情景が実感としてとてもよくわかる。思わず鼻に手をやってしまうようだ。第2句、言わずと知れた代表句だろう。真夏の昼間、花の蜜を吸う蝶の様を見極めた感がする。第3句、川の中に立っている鷺も冬の寒さを連想するが、金網の中で孤独にいる鷺に、そんな自然の中にいる様をいとおしむように連想させてくれる。鷺への愛情を感じる句ではなかろうか。
 

皆既月食

2011年12月11日 16時39分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は皆既月食。約3分の1ほど欠けた頃から、皆既月食を挟んで約半分に戻るまで、断続的にベランダから双眼鏡でのぞいた。
 皆既月食を見たのは何十年ぶりだろうか。ごく小さな双眼鏡で観測した記憶があるが、いつごろだったのかさっぱり記憶にない。ただ団地のベランダから見た記憶はあるだけだ。
 今回は還暦祝いにもらった大型の双眼鏡だったが、それなりに楽しめた。ベランダからだから、北側は見えず、南側も大半は他の号棟に阻まれ、天頂から東・南・西側の半分が見えるだけ。オリオン座を中心に、おうし座、おおいぬ座、ふたご座、ぎょしゃ座、木星に双眼鏡を向けて見た。
 双眼鏡・望遠鏡での観測は大学生時代以来だから、ほぼ40年ぶりだ。星団も二重星もすっかり忘れてしまった。ふたご座のどちらがポルックスかカストールかも忘れ、ぎょしゃ座の一等星の名前が本日もまだ思い出せない。
 昔は望遠鏡で、星星の微かな色の違いや散開星団の星の数を数えたり、彗星を追いかけたり、太陽の黒点の図を作ったり、木星の4大衛星の動きを年鑑を見ながら確かめたり、変光星の明るさの変化を調べたりとそれなりに楽しんだものだが、見上げることによる首と肩の痛みに耐えるのが苦痛に感じるだけになった。情けないものがある。