一昨日、このブログに「いくつかのこと」という曖昧な表題で記事を投稿した。後から考えると「災害対応に考える」とでもした方がよかったと反省。
本日はその続きを少々。
突発的な事故は別として、気象災害・地震などの自然災害などの対応は、日常業務の延長上に想定すべきである。これは多分どのような職場でも言えることではないだろうか。
私たちも、市内各区の都市基盤整備の最先端に位置する職場の労働組合の考え方の基本に、日常業務の延長線上に災害対応があるということをおいていた。自覚的になったのは阪神淡路の大震災対応のときであった。
災害用に特別な機械を購入し、「これは災害用」として大切に倉庫にしまい込む、というのが、私が50年前に就職したころの職場の管理職の発想であった。しかししまい込んでいざ使おうとすると、使い方がわからない、さび付いて動かない、燃料が通常使うものと違うなどの不具合が生じていた。
まず管理職の発想自体を変えることから私たちの労働組合の再生の運動は始まったといえる。日常業務で当該職員が使い慣れた機器類が災害時にも力を発揮する。本来は業務改善の一環であるが、労働組合が主導してこれらの業務改善を提起するというのが、多くの自治体の職場実態であったようだ。
同時に災害時ほど、人間性が問われる。これもまた真実である。大雨・雪害など日常業務の延長上に災害対応を構築しても、肝心の管理職の一部が被害が出始めると右往左往してしまい、思考停止になったり、頓珍漢な指示しか出来なくなる。
今でも覚えている「傑作」は住宅の庭の樹木が台風の風で道路上に倒れ、公道を人も車も通行できなくなったとき、作業班が倒木を伐採しにいつものように出かけようとしたら、職場の長である管理職が、「樹木の管理責任はその住宅地の所有者であるから、所有者が伐採すべきで、道路管理者である我々は手を出してはいけない。土地争いの箇所でもあり、片方に肩入れの恐れもある。民事不介入の原則である。」と作業班の出動をとめてしまった。民事不介入が行政の不作為の理由に使われることを目の当たりにした。
「道路の機能が損なわれているし、企業でもない住民に能力はない。必要なら費用を後から請求するのが筋。まずは道路の啓開が道路管理者の責務」というこれまでの経験から多くの担当職員が指摘したにもかかわらず、首を縦に振らない。私が机を叩いて怒ろうとしたら、隣の係の係長が目くばせをして制してくれた。そして自ら局と区と消防署、所轄の警察署に密かに電話をして、それぞれからその管理職に「地元要望に答えてください」と言わしめた。
上司をなだめすかしてまっとうに動かすということの面倒を、まだ20代だった私はその老練な係長の動きをみて体得した。当時60歳定年間近のあの管理職は本当に使い物にならなかった。そんな管理職がゴロゴロいたのも半世紀前の職場実態であった。
災害時ほど冷静になる必要があり、人を動かすことの能力が問われる。
災害は人間性を露わにし、そして人間を鍛える側面がある。
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