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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

災害は人を鍛える

2025年05月31日 23時27分54秒 | 天気と自然災害

 一昨日、このブログに「いくつかのこと」という曖昧な表題で記事を投稿した。後から考えると「災害対応に考える」とでもした方がよかったと反省。
 本日はその続きを少々。

 突発的な事故は別として、気象災害・地震などの自然災害などの対応は、日常業務の延長上に想定すべきである。これは多分どのような職場でも言えることではないだろうか。
 私たちも、市内各区の都市基盤整備の最先端に位置する職場の労働組合の考え方の基本に、日常業務の延長線上に災害対応があるということをおいていた。自覚的になったのは阪神淡路の大震災対応のときであった。
 災害用に特別な機械を購入し、「これは災害用」として大切に倉庫にしまい込む、というのが、私が50年前に就職したころの職場の管理職の発想であった。しかししまい込んでいざ使おうとすると、使い方がわからない、さび付いて動かない、燃料が通常使うものと違うなどの不具合が生じていた。
 まず管理職の発想自体を変えることから私たちの労働組合の再生の運動は始まったといえる。日常業務で当該職員が使い慣れた機器類が災害時にも力を発揮する。本来は業務改善の一環であるが、労働組合が主導してこれらの業務改善を提起するというのが、多くの自治体の職場実態であったようだ。
 同時に災害時ほど、人間性が問われる。これもまた真実である。大雨・雪害など日常業務の延長上に災害対応を構築しても、肝心の管理職の一部が被害が出始めると右往左往してしまい、思考停止になったり、頓珍漢な指示しか出来なくなる。
 今でも覚えている「傑作」は住宅の庭の樹木が台風の風で道路上に倒れ、公道を人も車も通行できなくなったとき、作業班が倒木を伐採しにいつものように出かけようとしたら、職場の長である管理職が、「樹木の管理責任はその住宅地の所有者であるから、所有者が伐採すべきで、道路管理者である我々は手を出してはいけない。土地争いの箇所でもあり、片方に肩入れの恐れもある。民事不介入の原則である。」と作業班の出動をとめてしまった。民事不介入が行政の不作為の理由に使われることを目の当たりにした。
 「道路の機能が損なわれているし、企業でもない住民に能力はない。必要なら費用を後から請求するのが筋。まずは道路の啓開が道路管理者の責務」というこれまでの経験から多くの担当職員が指摘したにもかかわらず、首を縦に振らない。私が机を叩いて怒ろうとしたら、隣の係の係長が目くばせをして制してくれた。そして自ら局と区と消防署、所轄の警察署に密かに電話をして、それぞれからその管理職に「地元要望に答えてください」と言わしめた。
 上司をなだめすかしてまっとうに動かすということの面倒を、まだ20代だった私はその老練な係長の動きをみて体得した。当時60歳定年間近のあの管理職は本当に使い物にならなかった。そんな管理職がゴロゴロいたのも半世紀前の職場実態であった。
 災害時ほど冷静になる必要があり、人を動かすことの能力が問われる。

 災害は人間性を露わにし、そして人間を鍛える側面がある。



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いくつかの気になること

2025年05月29日 21時27分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 八潮市の下水道管の破損による道路陥没、トラックの運転手が亡くなる事故は私にはとてもショックであった。
 私は、横浜市の出先職場の事務職員として道路・下水道等々の管理業務と災害対策に長年だずさわった。事務職員だったので、工事そのものの設計・監督には携わってはいないが、工事にかかわって水道・ガス管などの移設工事の申請を受理し、許可をする占用業務は10年以上かかわった。
 横浜市は下水道整備が遅れていて、急速に普及率をあげるために十数年のうちにほぼ100%の普及率を達成しようとした。当時の忙しさは特筆に値するものであった。もう半世紀近く前の事業であったが、そのころに埋設した下水道管、そしてそれに伴って移設した水道・ガス管等の年数からすると、八潮市のような事故がこれから多発する可能性は大きい。
 自分が関与した都市基盤の耐用年数が大きな転換点を迎えることは承知をしていたが、現実に人の生死にかかわる事故が起こるのは、いたたまれない。

 もうひとつ、国会で国民民主党の玉木雄一郎議員が「古古古米」を指して「1年たったら動物の餌」と発言。さまざまな批判があり、「釈明」に追われているようだが、私もあまりにひどい発言であると思った。
 私は出先職場で災害配備に位置づけられ、事務職といえども大雨・雪害時にはパトロールばかりか、悪天候下での土嚢積み・排水桝清掃・雪かき・融雪剤散布などにも携わった。そして作業を少し早めに切り上げ、作業従事者が夜中に職場に戻った時の夜食、早朝出動前の朝食作りに従事した。雨や雪で冷えた体には暖かい食事が必要である。しかも20~30人分の食事である。
 当時、災害配備用に用意されていたパック詰めのお米はそれこそ、「古古古古米」であった。3升近い「古古古古米」をいかにおいしく焚き上げるか、夜食・朝食づくりの従事者の腕の見せ所であった。水を一割以上多くする、2度炊きする、植物油かマーガリンをたらす、油揚げのみじん切りを入れる、醤油か味噌を少々混ぜるなど先輩からいくつものコツが言い伝えられてきた。
 玉木議員の言い方に従えば「動物の餌」を私たちは食べながら災害配備に従事していたというのである。都市基盤整備に従事する職員に対する認識不足にほどほど愛想が尽きる。
 さらに付け加えるならば、N市長になった時、この災害配備用の食糧費すら取り上げられた。「災害時でも人は食事をする。食事を供する必要はない。調理のための光熱水費も無駄。調理のための残業代は認めない」との理由で。
 飲食店の少ない場所に出先職場を作り、深夜・早朝に食事にありつけない職員のことなどお構いなしの人間性にはあきれている。
 私も労働組合の役員としてこの食糧費の問題でも交渉に臨んだ。交渉相手の労務担当も頭を抱えていた。当局も労働組合や職員、現場の管理職の突き上げで困っていた。結局、管理職会が会費から米・味噌・最低限の食材(みそ汁の具、卵等々)費を供してくれることが表明され、交渉は峠を越えた。光熱水費は誰もが目をつぶった。醤油等は各職場の親睦会のものを利用させてもらった。残業代は労務担当管理職の「そこまで点検できない」という言葉を引き出して当時は交渉を終えた。
 あれから20年、食糧費は復活したのだろうか。現在の災害配備の実態は私には分からない。

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「死者の贈り物」(長田弘)  その2

2025年05月28日 20時55分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   


 前回の続き、「死者の贈り物」(長田弘、ハルキ文庫)の後半を読み終えた。

 その人のように

・・・・
この世界は、
ことばでできている。
そのことばは、
憂愁でできている。
希望をたやすくかたらない。
それがその人の希望の持ち方だ。
・・・・

 わたし(たち)にとって大切なもの

・・・・
逝ったジャズメンが遺したジャズ。
みんな若くて、あまりに純粋だった。
みんな次々に逝った。あまりに多くのことを
ぜんぶ、一度に語ろうとして。
・・・・

 砂漠の夕べの祈り

・・・・
砂漠では、何もかもが
どこまでも透きとおってゆくだけだ。
世界とは、ひとがそこを横切ってゆく
透きとおった広がりのことである。
・・・・

 この詩集は、2003年の刊行である。しかし私は、どうしても1960年代後半から70年代前半の時代を思い浮かべてしまう。それは「みんな若くて、あまりに純粋だった。/みんな次々に逝った。あまりに多くのことを/ぜんぶ、一度に語ろうとして。」の一節のように、あの時代、みんな生き急いだことを思い出したからだ。
 その時代、咳き込むように、言葉が先に出てきた。その自ら発した言葉に引き摺られるように人は生を駆け抜けようとした。「行動の時代」は、本当は言葉が先にあり、行動がそれに追いつこうともがいた時代であった。言葉のインフレーションの隙間を埋めるために、人は切羽詰まって生き急いだのだ。
 詩人は30数年経てからその時代をうたったのではないか。

 「不確かな希望を刻したことばの一つ一つをおもいだす。/束の間に人生は過ぎ去るが、ことばはとどまる、人の心の一番奥の本棚に。」(「草稿のままの人生」から)
 人に生を生き急がせたほとばしる言葉の噴出のあとにかすかに残る言葉にかすかな希望を見つけながら、詩人は言葉をなお信じている。
 この詩集は人の「死」が漂う詩が並ぶが、同時に言葉に対する信頼と希望を歌ってもいる。


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「死者の贈り物」(長田弘)

2025年05月27日 22時03分18秒 | 読書

   

 午前中は、「日経サイエンス5月号」の特集記事から「リュウグウが語る太陽系惑星の起源」と「アルマ望遠鏡で迫る惑星誕生の現場」を読んだ。
 午後からは昨日に続いて長田弘の詩集を引っ張り出してきた。「死者の贈り物」(ハルキ文庫)を再読。
 2003年に刊行されたこの詩集の「あとがき」に長田弘は「『死者の贈り物』にどうしても書き留めておきたかったことは、誰しものごくありふれた一個の人生に込められる、それぞれの尊厳というものだった。ひとの人生の根本にあるのは、死の無名性だと思う。」と記している。
 本日は前半の11編を読んでみた。いく枚もの付箋が貼ってあるが、3編から抜粋。


 渚を遠ざかってゆく人

・・・・
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光りにつつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかってあるいてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
・・・・

 三匹の死んだ猫

・・・・
生けるものがこの世に遺せる
最後のものは、いまわの際まで生き切るという
そのプライドなのではないか。
雨を聴きながら、夜、この詩を認めて、
今日、ひとが、プライドを失わずに、
死んでゆくことの難しさについて考えている。

 箱の中の大事なもの

・・・・
愛するということばは、
けれども、一度も使ったことはない。
美しいということばを、口にしたことある。
静かな雨の日、樹下のクモの巣に
大粒の雨の滴が留まっているのを見ると
つくづく美しいと思う、と言った。
どこの誰でもない人のように
彼はゆっくりと生きた人だった。
死ぬまえに、彼は小さな箱をくれた。
「大事なものが中にはいっている」
彼が死んだ後、その箱を開けた。
箱の中には、何も入っていなかった。
何もないというのが、彼の大事なものだった。

 私は最初の詩の「わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。/死者は足跡ものこさずに去ってゆく。」というところにとても親近感を覚えた。死んだ友人、まだ生きているが連絡の取れなくなっていても無性に会いたくなる友人を思い出したとき、こんな感覚に襲われたことが幾度かある。
 その友人たちは、常にふと私の元から気が付くといなくなっていた。そしてそれが不思議に私の心に刻み込まれる足跡なのだ。その足跡は私の身体にわずかな痕跡も遺さずに突き抜けていく。突き抜けたという感触すら曖昧なときもあるが、確かに突き抜けていったのだ。この年になるとそんな感触が繰り返される。そんな友人たちが増えてきた。
 長田弘の詩は、そんな痕跡や感触を私に思い出させてくれる。


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「世界は一冊の本」(長田弘)

2025年05月26日 21時29分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 長田弘(おさだひろし)の詩集「世界は一冊の本」をふと手にして購入した。長田弘の詩は好きである。やさしい言葉がアフォリズムのように次から次へと出てくる。この詩集はその最たるもののひとつかもしれない。
 1939年生まれ、今からちょうど10年前の2015年5月にに75歳で亡くなっている。

 立ちどまる

立ちどまる。
足をとめると、
聴こえてくるくる声がある。
空の色のような声がある。
・・・・
立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。

 ファーブルさん

・・・・
理解するとは、とファーブルさんはいった。
はげしい共感によって相手にむすびつくこと。
自然という汲めどつきせぬ一冊の本を読むには、
まず身をかがめなければいけない。
・・・・
狭いほうからしか世界を見ない人たちの、
とげとげしいまるで人を罵るような言葉。
呪文のような用語や七むつかしいいいまわし。
ファーブルさんは、お高い言葉には背を向けた。
・・・・
死がきて、ファーブルさんのたくましい頭から
最後に、大きなフェルトの帽子をとった。
そして、二十正規の戦争の時代がのこった、
ファーブルさんの穏やかな死のあとに。

 世界は一冊の本

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけがほんではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。
・・・・
本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。
・・・・
権威をもたない尊厳がすべてだ。
200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができるということだ。
・・・・

「おぼえがき」の中で、詩人は「十二人のスペイン人」という詩の一群について、今回は引用しなかったが、次のように述べている。
 「人の生き方、人のことばの生き方を感じ考える場所に、黙って立ち尽くして心すませ、聴こえない声に耳かたむける。そうした思いの方法に私がつよくみちびかれたのは、1930年代の終わりにヨーロッパの端で起きたスペイン市民戦争がそれからの世界に遺した経験の切実さを尋ねて、沈黙の国だったフランコ独裁下のスペインを車でだ比してのことだった。「十二人のスペイン人」が、スペイン市民戦争の時代をよく生きた、十二人のスペイン人の密やかな紙碑であればとねがう。
 この12人の中には、私も知る、作曲家ファリャ、、チェリストのカザルス、詩人のヒメネス、画家ピカソ、思想家オルテガ、画家ミロ、詩人ガルシア・ロルカなどを取り上げている。

 また「おぼえがき」の末尾には、
私にとっては詩は賦である。生きられた人生の、書かれざる哲学を書くこと。‣‣‣」とも記されている。‣‣‣には白川静の「字統」が引用されている。


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またも休養日

2025年05月25日 21時32分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は結果としては今週2回目の休養日。
 午前中、部屋の中にいると少々肌寒く感じたが、午後になって外に出てみると、雲が厚く陽射しはなし。湿度が高く、空気がねっとりとして肌にまとわりつくような暑さを感じた。薄い長袖のウインドブレーカーをリュックに仕舞い、半袖で過ごした。
 言い訳をいうと、湿度の高い日はなんとなく体が重苦しい。いつもより重い服をまとっているように感じる。

 午前中は家の中で、「日経サイエンス」の5月号の緊急解説「小惑星の衝突確率なぜコロコロ変わる?」と特集記事「未知なる惑星」の「発見なるかプラネット・ナイン」とを読んだ。
 午後からは「トラウマ」(宮地尚子、岩波新書)を持って横浜駅近くの喫茶店へ。しかし10頁も読まないうちに、うつらうつらと寝てしまった。
 横浜駅周辺の繁華街は日曜日ということで混雑しており、地下街のドラッグストアで買い物をしたのち、いつもの通り家電量販店のカメラコーナーでカメラの新製品、書店で新刊の本を眺めただけで帰宅。
 夜は宿題を少々。

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本日から読む本「トラウマ」

2025年05月23日 13時05分49秒 | 読書

 一昨日までの「やさしさの精神病理」(大平健)に続いて、今回も精神科医の著書「トラウマ」(宮地尚子、岩波新書)。
 まだ1頁も読んでいないが、理解がどの程度できるか、まったく自信はない。
 しかしどんな本にしろ、ゼロということはないと思っている。私の図々しさだけは人一倍である。
 しばらくは精神科医の世界に足を踏み入れたい。

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本日から読む本「トラウマ」

2025年05月23日 13時02分51秒 | 読書

 一昨日までの「やさしさの精神病理」(大平健)に続いて、今回も精神科医の著書「トラウマ」(宮地尚子、岩波新書)。
 まだ1頁も読んでいないが、理解がどの程度できるか、まったく自信はない。
 しかしどんな本にしろ、ゼロということはないと思っている。私の図々しさだけは人一倍である。
 しばらくは精神科医の世界に足を踏み入れたい。


読了「やさしさの精神病理」(大平健)

2025年05月21日 21時14分46秒 | 読書

   

 本日「やさしさの精神病理」(大平健、岩波新書)を読み終えた。

“やさしい”人々が「いちおう」だの「とりあえず」だのといった言葉を先発しているのを聞いていると不思議な気がしてくるものです。自分の価値に始まって自分の判断や行為に至るまで、一様に「とりあえず」や「いちおう」で塗り固めて‣‣‣‣‣‣。何だか、彼らが彼ら自身のすべてをかりそめのものとして考えていないように思えてくるのです。そう思って尋ねてみると、彼らが「本当の自分」を見失ったように思って「自分」に確信をもてないでいることが分かります。現在の「自分」が曖昧であればこそ、未来に自分を賭けることができないのです。夢想的な人は占いや新興宗教など未来を革新的に告げてくれる言葉に耳を傾けます。現実的な人は<未来のための過去づくり>に励みます。‣‣‣‣熱中できるものがなくても、日々の生活に「とりあえず」満足できていれば、“やさしい”人々はそのままの暮らしを淡々と続けます。生き生きと暮らしているという実感に乏しい生活ですが、熱く(ホットに)なるのが嫌いな彼らはあんがい、それがほどよいのかもしれません。」(終章)

 精神病理学の研究手法は私はよくわかっていないが、個別の症例のいくつかの比較から共通項を取り出して立てる仮設。やはりそこにはいくつもの恣意性が入り込む余地がある。それはそれで読者である私好みの針路ではある。
 病の定義の症例研究と、社会評論・社会批評へという道筋との違いがまだ私には分からない。この本の著者の大平健氏は、どのように分けているのであろうか。そこのところは分からないままである。多分これはこれからも分からないままであるような気がする。

 『とりあえず』このまま次に進みたい。

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梅の実とがん検診結果

2025年05月21日 11時15分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先週の土曜日に我が家の北側に植わっている梅の木の剪定をした。小さな実が4つなっているのを見つけた。この梅は、小さな赤い花を咲かせるが、梅の実も花に似てとても小ぶり。早速ワンカップの焼酎を購入してきて、若干の氷砂糖と4つの梅の実を入れて漬けてみた。甘さはほとんど感じない程度の量の氷砂糖である。
 一週間たって氷砂糖が融けただけで梅の実にはまったく変化はなく、焼酎も色がつかない。我が家にはすでに3年前に漬けた2リットルの梅酒がある。ほとんど飲んでしまった。昨年も今年も梅は漬けていない。この4粒の小さな梅だけを漬けた。

 さて、4月1日に受けたがん検診の結果がようやく郵送されてきた。
 胃・肺・大腸・前立腺・肝胆膵すべての頑健さは「異状なし」という結果であった。
 6週間後に通知が来るはずだったが、7週間以上かかった。異常があり、急ぎの処置が必要ならばもっと早めに通知が来るはずなので、心配はしていなかったものの、「忘れられていないか」と少々気になっていた。
 昨年もすべて「異常なし」、一昨年は肝臓・腎臓にのう胞等があり、「精密検査が必要」とされた。その時の精密検査結果は異常なかった。今年も昨年と同様に、のう胞と一部石灰化が指摘された。「症状がある場合は受診がおすすめ」という昨年と同じ所見があるにとどまっている。昨年は受診はしなかった。今年は、一応7月予定の市民病院の受診時に担当医師に結果を見せることにした。

 昨日はくたびれていたので、夜のウォーキングは中止。ゆっくりの入浴で体を休めた。

 

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休養日

2025年05月20日 22時06分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 暑い一日、陽射しが痛いほど。風が強かった。横浜も28.1℃と今年の最高気温であったらしい。
 昨日の退職者会の役員会と幹事会、会館の中の行き来でとても疲れた。

 休養日にしたくて、久しぶりに妻の買い物にお付き合い。週に2~3回は食材などの買い物に付き合うつもりでいるが、なかなかそれも果たせていない。スーパーでカゴやカートで後ろをついて回り、レジで清算したのちは、重いものをリュックに詰めて運搬担当。
 ときどき自分の食べたいものをそっとカゴに入れて置く。本日はオカラを食べたくなり、総菜コーナーでオカラを狙っていたが、おいしそうなものがなく、断念。スーパーなどの総菜コーナーはどれもがいかにも味が濃く、甘みも強そう。私の趣味ではない。薄味の惣菜を自分で作るしかない。
 スーパーの上の階で、部屋で履くゆったりサイズのズボンを購入してもらい、ご満悦。最後に安価なコーヒーを提供している喫茶店で私はアイスコーヒー、妻はソフトクリームで一息をついて買い物はひと段落。
 まるで子どもが買い物に連れて行ってもらって、自分のほしいものを手に入れて喜んでいるようなもの。みっともないと言えばみっともないが、73歳の年寄りにふさわしい振る舞い、ということにしておこう。
 喫茶店でさらに私は若干の読書タイム。「やさしさの精神病理」(大平健)の第6章「“やさしさ”の精神病理を読み終え、終章「心の偏差値を探して」の途中まで。その間に妻は食材の追加購入へ。
 普段は帰りは別々とし、私は書店や家電量販店を一回りして帰るのだが、なんとなく疲れて珍しくそろって帰宅。帰宅後ぼーっと時間を過ごした。読みたい本は山と積んであるのだが、眺めることもなく、天井を見上げていた。


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「やさしさの精神病理」 その2

2025年05月18日 21時09分30秒 | 読書

   

 「やさしさの精神病理」(大平健、岩波新書)の第3章から第6章まで読み進めた。平易な文章表現であるが、なかなか含蓄のある文章である。

“やさしさ”とは相手の心に立ち入らず、相手と滑らかな関係を保つことで市。葛藤をできる限り避け減らす工夫でした。縫いぐるみの柔らかい背中を“やさしく”撫でる時の“やさしい”感触。これ以上純粋で理想的で究極的な滑らかな関係はありえないでしょう。」(第4章「縫いぐるみの微笑み」)

近代語としての優しさは、人の心をなごませるような性質の一種でした。それは娘たちや花々の美徳として認められはしても、「華奢」の弱さに通じるマイナーな価値しか与えられていませんでした。優しさは与するに易しいことでもあったのです。やさしさが大変貌をとげたのは、1970年前後のことだと僕は考えています。学園闘争の閉塞状況のももとで、当時の若者たちは、自分も他人もともに弱い傷ついた者である、と認識しました。その時「互いの傷を舐めあうようなやさしさ」が求められ始めたのです。当時の若者たちにとって、この言葉は彼らの新発見--やさしさが人や花の性質であるばかりか、人付き合いの方法でもありうることを雄弁に表現してくれるものだったのです。若者たちの社会進出にともなって、メジャーな価値となってゆきます。その後、世の中は急速に代わっていきました。‣‣‣やさしさもさらに変化してゆきます。治療としての「やさしさ」から予防としての“やさしさ”の方が、滑らかな人間関係を維持するのにはよい。そういうことになったのです。」(第6章「“やさしさ”の精神病理」)

 読んでいて井上陽水の「心もよう」を思い出した。60年代からのフォークソングから70年代への転換点のような歌である。

 さびしさのつれづれに
 手紙をしたためています あなたに
 黒いインクがきれいでしょう
 青い便箋が悲しいでしょう?!

 「さびしさ」の解釈でいろいろな場面や背景が浮かび上がる仕掛けの「詞」である。同時に「さびしさ」の裏にある「やさしさ」が浮かんでくる。ここまでで私の感触は行き止まりであった。私はいつもこの歌にこの「やさしさ」“やさしさ”の区別はつかなかったが。もう少し読み進めたい。


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晴耕雨読とは無縁な日々

2025年05月16日 10時52分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 このブログ、一日3回も更新していた時期も長かったが、最近も一応毎日更新を続けてきた。ときどき一日更新しない日も生じていた。一昨日・昨日と二日間も間が空いてしまった。
 最近は少しあわただしい。その原因は親の通院の対応、退職者会の作業、膝の不安を抱えながらのリハビリとしてのウォーキング、そして年齢なりの体力と頭の回転の低下のような気がする。
 退職者会も人の組織である以上、さまざまな軋轢や葛藤もある。退職者会であるからそんなにシャカリキになるのではなく、気軽に集まる組織でいいとも言われるし、私も同感である。
 現役の労働組合では、交渉相手があり、交渉事項にみんなの意識が集中しているので内部の軋轢や葛藤は主要な課題としてはあまり浮上してこない。内部で浮上してくるのは個々の組合員の生活相談である。それは全体化はしない。
 退職者会では、社会保障などの課題の渉相手は身近な使用者ではない。政治課題に直結する。高齢者の集団でもあり、生活上で破綻をきたす会員はまずいない。
 退職者会のイベントは花見や新年会、趣味の発表会、レクリエーションなどの交流が中心であるから表向きは和やかである。だが、1000人もの組織運営では、交渉相手が見えない分だけ内部の軋轢や葛藤の占める割合は大きくなる。穏やかで緩やかな交流組織としての側面と、内部問題が浮上しやすい側面とのバランスは、なかなか難しい。
 現役時代からの経験と実績が必要である。現役時代の役員だから退職者会の役員としてふさわしいというふうにはならない。イコールの関係ではない。調整役に徹したい私自身の発想も硬直気味であることは確かなので、イライラしないように毎日反省の連続である。

 高齢の親との関係も含めて、いろいろと考えさせられる昨今である。ブログの更新が間遠になる言い訳にはならないが、最近気疲れが多い。晴耕雨読でストレスのない老後、だれもが夢見る。夢見るのは自由だし、必要なことかもしれないが、そんな生活は存在しない。


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カワヅザクラの実

2025年05月14日 11時10分49秒 | 近くの自然

      

 昨日は親の通院の付き添いでほぼ一日が過ぎた。
 先週フラワー緑道を歩いたときに、カワヅザクラの実が色づいていた。今回はスマホでそれなりにピントのあった写真が撮れていた。
 ヨコハマヒザクラには実はついていない。


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昨日から「やさしさの精神病理」

2025年05月12日 21時56分45秒 | 読書

   

 昨日から読み始めたのは、「やさしさの精神病理」(大平健、岩波新書)。一昨日、書店の新書コーナーで精神医療関係の本を探していて見つけた。精神科医による1995年刊行の新書である。
 本日は読む時間的なゆとりはなかったものの、昨日序章「過剰な“やさしさ”」と第1章「“やさしい”時代のパーソナリティ」、第2章「涙のプリズム」を読み終えた。

 本書を読んで確かに1990年代には“やさしさ”が強調されていた記憶がある。当然にも私はその言葉の氾濫に違和感が強かった。私はいつの時も「流行り」言葉に大きな違和感を持つのが常である。常に私の持つ語感と、流行る言葉がもたらされる意味合いに大きな齟齬をきたすのである。また私の持つ語幹と違う言葉を入口に、不思議な言葉の世界に迷い込んでしまう。流行り言葉とはこういうものか、といつも私はその言葉の使い方を無視し、生きてきた。あえてその言葉を頼りに、社会の病理にたどり着こうなどとは考えも及ばなかった。
 
 第1章に取り上げてある4つの症例ならぬ事例は、相談者自身にとって重要な契機を「忘却」し、その代わりに他の事例を口実として浮かび上がらせるという逃避の事例でもある。一般的には大人になり切れていない、あるいは人間関係がうまく取り結べない人々、と判断されてしまう事例である。
 そこから社会の病理をどのように抉り出そうとするのか、興味深い。
 第2章の症例で次のような見解が示されている。

彼らの“やさしさ”は“一見やさしい”人や“やさしそー”な人、“やさしい感じ”の人をも含む「集団」との「協調」を目指していたのです。‣‣‣「やさしさ」がはやりの価値になったのは、六十年代後半の学園闘争時代のことのように思います。男も「やさしく」なければならなくなったのは、確かにあの頃です。‣‣‣違いは「やさしさ」が相手の気持ちを察するのに対し、“やさしさ”が相手の気持ちに立ち入らないことです。‣‣‣“やさしい”人々は、熱い人間関係が苦手のようです。「熱い思い」を伝えたり伝えられた利するのが嫌いです。反・熱血主義なのです。」(第2章「涙のプリズム」)

 六十年代の「連帯」の持つ「やさしさ」と、90年代の“やさしさ”を「熱血主義」と断定してしまうのは少し違和感はあるものの、否定はできない。「連帯」の「やさしさ」が相手の人格否定につながる場合があるという背理のような時代を垣間見た90年代の人々の“やさしさ”の持つ「踏み込まない」人間関係の持ち方という把握・結論は、興味深かった。


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