Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

写真の整理

2013年10月31日 22時44分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 沖縄旅行の写真をパソコンに取組み、一部を退職者会用に整理を始めたがなかなか進まない。パンフレットのデータ化にはまだ手をつけていない。これは少々時間がかかりそうである。

 夕方、講座に参加するために、みなとみらい地区まで歩いて往復した。旅行中はバスで移動のためほとんど歩いていない。歩数が多少多くなってもゆっくりのため運動にはならなかった。少々ズボンがきつくなっていた。これはまずい。本日は往復15000歩ほど。明日以降はもう少し速く、そして歩数も多くしてみよう。

<那覇市内 国際通りにて>
      

休養日

2013年10月31日 13時37分45秒 | 山行・旅行・散策
 本日は旅行からかえって休養日。
 夕方からみなとみらい地区での講座を聞きに行く。それまでは特に予定はない。旅行中の写真や資料の整理も今日はまだ手をつける気分ではない。とりあえずパソコンに画像を取り組むことと、いくつかのパンフレットをスキャンする程度のことはしておこうと考えている。

 沖縄では、沖縄料理を食べ、泡盛をおいしく飲んだ。前回食べたり、その後沖縄物産展で購入したもの以外は口にしていないが、今回気に入ったのが、島ラッキョウとアオサ(アーサ)である。今までゴーヤなどを加えて梅酢和えにしたものや、塩漬けばかりを食べていたが、今回初めてテンプラにしたものを食べたが、とてもおいしかった。繊維が柔らかくなるが、味はしっかり残っている。海塩を掛けて食べた。醤油は使わないで食べるものらしい。
 朝食は前の晩の泡盛の飲みすぎの所為もあり、2回ともお粥にしたが、アーサ入りであった。特に味がするわけではないが、ほんのりとした香りがするようで、また、お粥だけの舌触りにはない柔らかい舌触りが心地よかった。
 前回あまりおいしいと思わなかったモズクのテンプラは今回おいしいと感じた。口の中の食感は変わらないのだが、歳とともに好みが変化したのかもしれない。
 沖縄が発祥というタコライスの謂れを聞いたが、1980年代半ばに始まったらしい。前回訪れたときはまだ売れ始めて5年くらいのときらしいから、食べる機会は無かったようだ。ただしあまり食べたいとは思わない。若い人向きなのだろう。



 前回、お土産店では店先に100ミリリットル入りのビンに入った泡盛がテンコ盛りに籠に入って売っていた。今回はそのような店は無かった。ただし同じ大きさのビンの泡盛は1本265円くらいで売っていた。当時より高くなった。当時は確か100円だったと記憶しているのだが‥。
 今回はこのビンを7種類の銘柄7本を購入して、同行者と共に飲んだ。このミニチュア瓶はなかなかいいアイデアである。是非存続して欲しいものだ。
 ラベルを集める楽しみもあるかもしれない。私は集めるという趣味はもうないが、それでもこれは集める楽しみになると思う。何でも45種類あるというが、真偽の程は知らない。ただしある店で45本25000円送料無料では売っていた。送料込みとはいえ1本あたり555円というのは高いし、家では受け取り拒否されそうなのでこれは購入はしなかった。

 セキセイインコの籠の掃除を4日ぶりに行ったが、ちょっとインコは私に戸惑ったような表情を見せたが、すぐに元に戻ったようだ。



 琉球ガラスのお猪口が気に入ったようで、水の飲むか、餌をついばむような具合に中に頭を突っ込んで底をつついている。光の具合がいいのかもしれない。鏡に興味を示すように光るガラスや金属に興味を示す。私の眼鏡も興味があるようだ。妻の眼鏡を机の上から下に落とすのが楽しみであり、いつも掛けている私の眼鏡にとまってレンズを嘗め回すか、眉毛を抜くように引っ張るのも楽しみであるらしい。



羽田に帰着

2013年10月30日 22時20分22秒 | 山行・旅行・散策
 無事羽田空港に着陸。これから家までは約45分。途中で誘われない限り11時前に帰宅できる。
 旅行中の詳細の感想はまた別途記載する予定である。いろいろと考えさせられる旅行であった。

 沖縄は戦後の歴史を語るときには忘れてはならない重要な地域である。戦後の矛盾・しわ寄せが集中した地域だ。人にはそれぞれのかけがいのない人生・歴史があるが、同時に沖縄を忘れてはいけないと思う。
 日本の戦後がいろいろと取り沙汰されている今こそ、思い出すことが大切ではないだろうか。
 私自身は育ったのが横浜よりも北の地なので、南方の沖縄より東北の地に温みと安らぎを感ずる。一昨年の震災のことは身につまされる。
 しかしながら一歩間違えれば、どこの地域でも沖縄のような戦後処理を強いられたら可能性はあった。
 信じた神国日本という国家に放り出され、米国に蹂躙された沖縄では、アメリカという国と軍隊に直接対峙させられた。そして本土では「新生日本」という国家とアメリカという国家と二重に対峙する事を強要された。
 このような視点で日本の戦後史を、もう一度考え直さなければならないと思う。

沖縄旅行 3日目

2013年10月30日 16時00分17秒 | 山行・旅行・散策
 本日の行程は、
沖縄美ら海水族館ー今帰仁城ー辺野古ー那覇空港ー羽田

 水族館では、ジンベイザメとマンタの優雅な泳ぎと、ウミガメとマナティーに癒されてきた。時間がなくて海洋文化館を覗けなかったのは残念であった。
 ここからは伊江島が美しい。米軍との激戦地、そして米軍の土地収容や米軍との熾烈な闘いは岩波新書で学生の頃学んだ。阿波根昌鴻さんという方の名も知った。確か100名を越す死者を出した米軍艦船の事故もあった。

 今帰仁城は今回最後の世界遺産見学。石垣がこれまでと違い地上は石灰岩ではなく凝灰岩のため黒っぽい。そして堅いため切ったりしておらず自然形のまま積み上げている。石自体も小振りである。全体の印象がチョット暗い。しかし曲線状石垣というより石積みというようだが、この形状は変わらない。
 鹿児島以北の城郭に慣れた目には奇異に映る。私は対馬の金田城の石積みの谷の形に添った形状との類似に思い当たった。それが当たっているのかどうかは不明だ。専門家はどのように考えているのだろうか。

 辺野古はキャンプシュワブを眺めながら、座り込みのテント村で説明を受けた。詳細は後日に・・。

沖縄旅行 2日目

2013年10月30日 01時37分00秒 | 山行・旅行・散策
本日は、沖縄2日目。嘉数台(かかじだい)公園・普天間基地展望ー嘉手納基地展望ー座喜味城跡ー勝連城跡ー恩納村のコース

いずれも初めて訪れた。
嘉数高台は沖縄戦最大の激戦地と云われた地点。私は「かかず」と思っていた。
普天間ではオスプレイを目の当たりにし、嘉手納では町の83%を米軍基地に占領された町を見学した。
昨日は旧日本軍が結局沖縄の人々を守ることをせず、琉球の文化も守るつもりも無かったことを記した。
軍隊の本質・戦争の本質として米軍も琉球・沖縄を尊重する気は100%無かったことは、強引な沖縄占領・土地収容・人々への犯罪行為で明らかである。
正義の味方=アメリカ軍という神話は存在してほしく無い。戦争に正義の戦争も正しい戦争も有るはずがない。文化を守るはずもないのである。
軍隊にある唯一の正義は「敵を殲滅せよ」これだけである。これは戦後の米軍の関わった戦争のどれを見ても明らかである。朝鮮戦争、ベトナム戦争しかり、アフガニスタン・イラクすべてに当てはまる。対抗した「革命」戦争も例外では有り得ない。
そして命を落とすのは末端の兵であり、現地の非戦闘員である。戦争を仕掛けた者、「正義」を語った者ほど命を長らえてきた。
最も人間らしい風は諍いを起こさない知恵である。集団が持つ幻想領域の意識をできる限り薄く剥ぎ取り、戦争の意義を疑い尽くしてみよう。そこに解決の糸口はあるはずだ。

沖縄旅行 1日目

2013年10月29日 05時22分46秒 | 山行・旅行・散策
昨日の行程は
那覇空港ーひめゆりの塔・同資料館ー平和祈念公園ー首里城ー国際通りー夕食会
ひめゆりの塔の資料館は以前訪れたときとは展示が模様替えされていた。全体的には見やすくなっており、展示の工夫を感じた。以前は壕の中の様子が強調されていたと記憶している。それが整理され、簡潔になったと思う。代わりに手記や回想がクローズアップされ、見る者に迫ってくる。私は良くなったと感じた。
祈念公園は広々として手入れが行き届いている。ガイドの案内で神奈川の戦死者の礎の前までいった。モモタマナという木々が礎を守るように美しく立っている。時間がなく資料館には行けなかったのは残念。次の機会があることを願うしかない。摩文仁の丘を遠望して公園を後にした。
この2カ所では高校生の修学旅行が幾つも来ていた。その中に横浜市内の複数の高校と鉢合わせしたり、やはり複数の神奈川県立高校のバスと行き会ったりした。彼らがどのように受け取っているか・・期待をしたい。

首里城は修復工事が続いている。全体の復元が待ち遠しい。私は初めて訪れた。当時の衣服の案内人などの工夫がいい。琉球王国の盛衰が見て取れる。
不思議に思うのが2点。
琉球(あえて沖縄とは言わない)の歴史では、グスク時代が突如出現する。それ以前は考古学だけの範疇になってしまう。国家の成立はもっと遡れないのか、文字資料の出現と国家の成立がどうしてイコールなのか、という疑問がいつもある。
もう1点は、明治の日本軍隊がどうして首里城を駐屯地とし先の戦争でも司令部を首里城に構えたのか?対馬でも金田城という天智・天武朝の遺跡に、明治から戦前まで防衛拠点を置いている。
近代戦とはいえ、旧日本軍の発想は古代・中世と変わらないということだったみたいだ。「防衛上重要」とはなにを持って「重要」としたかなのだが、旧日本軍が何を守ろうとしたか知りたいものである。決して琉球の文化伝統でも、沖縄の人々でも無かったことは、沖縄戦の様子を追えば明白であろう。

国際通りはずいぶん感じが変わっていた。店が明るく様変わりしている。みやげ物自体も明るくなった。ミニチュアのシーサーの表情も多様になり明るくひょうきんだ。Tシャツの模様も豊富になった。泡盛が美味しいことは変わらない。歩いていて楽しい通りであることも変わらない。泡盛の100ミリリットル瓶を7本も買ったが持って帰ることが出来るだろうか?みんなに飲まれてしまいそうである。

昨日は久しぶりの青空

2013年10月28日 05時27分04秒 | 山行・旅行・散策
 昨日は、妻と東横線沿いに4駅ほどの散歩に出掛けた。帰りは2駅ほどは電車を利用して1万2千歩余り。
 途中のおいしいお蕎麦屋さんで遅い昼食、さらに白楽商店街の外れに小さな喫茶店を見つけて紅茶で一服。喫茶店は10人ほど入ればいっぱいになるほどの小さな店、私たち二人のほかは先客1人だけ。新しい内装で落ち着きがあり、清潔感タップリ。静かなのが嬉しい。チョット遠いが、ウォーキングの途中の一服のために記憶しておこう。
 行きは背中に当たる秋の日差しが暖かく気持ちがよかった。折り返し後、夕食の買い物を付き合い帰宅。
 私は歩き足りないので、帰宅後ジョギングに出掛けた。ほぼ1週間ぶりのジョギングで脹ら脛がつりそうになり、ユックリと。それでも7キロ近く走ることができた。さらに3キロ余りウォーキングを続けて終了。気持ちのよい汗をかいた。
 夕食はおでんとイタリア風のサラダその他、変わった取り合わせ。白ワインを飲んでから麦焼酎の水割りとお酒も変わった取り合わせになってしまった。

 羽田に今朝7時集合ということで、朝5時半に家を出て横浜駅まで歩くことにした。沖縄ではバスでの移動のため、多分運動不足になりそう。夜にホテルの周りをウォーキングないしジョッギングをする事にして、そのためのズボンを持って行くことにした。朝食は羽田空港で軽く取る予定。

 20数年ぶりの沖縄、そんなには変わってはいないと思うが・・。変わったこと、変わっていないこと、感じ取りたいものである。

 

今年の収穫は「夏目漱石」展

2013年10月27日 20時07分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今年訪れた展覧会や美術展、博物館、全体としての感想は12月になったらまとめて見たいと思っているが、もっとも勉強になったと思うのは「夏目漱石」展であったと思う。
 これまで夏目漱石の作品は大体読んでいるが、これだけ整理されて展示してもらえると気が付かなかったことも含めて随分と勉強になったと思う。あらためて読み直してみたい作品もあったし、新しい視点で考え直した作品もある。実際に目で見ることと、想像で済ましてきたことの大きな差を感じた。
 また漱石の書のすぐれた面を見ることができた。同時にいろいろの方の指摘通り絵の、思っていた以上(以下)の「出来」にびっくりしたことも忘れられない。漱石とく人が身近かに感じられもした。
 横山大観に対する評については、横浜美術館の「横山大観」展とあいまってとても勉強になる機会を得ることが出来た。
 図々しくも、勉強不足も知識不足も棚に上げて、感想を書き続けることで新しい感想を持つことも出来た。

 あと二ヶ月でこのように刺激的な展示に再びあえることを願っている。


台風一過

2013年10月27日 12時23分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 爽やかな太陽が顔を出した。セキセイインコも久しぶりのベランダで風に当てている。
 午前中は明日からの沖縄訪問の支度、といっても2日分の着替えと旅行の行程表とカメラ・ノート、薬と洗面用具、充電器だけである。カメラ用と携帯電話用の充電器というのが最近の旅行の必須アイテムらしいところか。
 沖縄の天気予報によると21-26℃ということなので半袖のTシャツと薄手のジーパン。傘は必要がなさそうなので防水の山用超軽量ウィンドブレーカーを用意した。
 20リットルのデイパックで充分余裕がある。

 「未曾有の歴史的地震活動気に入った21世紀日本?!」という8回連続の無料の講座。昨日は第3回目であったが、毎回なかなか参考になる。1回目、2回目は技術的な観点からの講演、昨日は経済社会的な側面から見た震災の影響の広がりとそこから見える首都直下型地震の想定される影響。関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災の比較からの想定は参考になる。
 次週は野田武則釜石市長の講演である。さらに3回は地震のメカニズムからの考察が続く。最後が経済復興の問題点の講演になる。それぞれのアプローチの仕方、考察の方法など細かく見れば私なりにもいろいろな異論や疑問、掘り下げ不足も感じられるが、逆に教えられる点が多い。
 学生の頃は、教授なり指導教官の意見に異論を挟むゆとりも知見もなく、すべて正しいものとしてただ聞くしかなかった。それが自分に対するもどかしさ・苛立ちとして常にもやもやしていたものを感じていた。だが、この歳になればいろいろな知見、別の角度からの視点も自分なりに持っている。講演や研究方法をある程度客観的に、そしてゆとりを持って、自分の意見や問題意識を持ちつつ、見たり聞いたりできる。それが楽しい。

 昨日、予習復習のことを書いたが、博物館・美術館を巡ったり、旅行に行くたびに資料をスキャナーでデータ化したり、写真を整理したり、カタログ・パンフレットをめくることで、一応復習をしている形になっている。頭の刺激になっていると思う。そして意外と忘れないものである。


予習・復習で思い出したこと

2013年10月26日 12時30分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明け方から雨脚が強くなってきた。しかし風はほとんど吹いていない。横浜近辺ではこのまま推移すれば特に被害も出ないですみそうな気配である。
 深夜2時過ぎの地震で目が冴えてしまい、なかなか眠れなかった。地震の揺れは長かったがそれほどではなかった。地震の揺れで体が興奮して眠れなかったのではなく、私の体感から感じた予想が大きく外れたのが応えた。何か、地震にだまされた感じがした。

 気象情報や雨の推移の予想画面を見ると、このままならばお昼過ぎ、13時から14時には雨はあがりそうである。風もないし午後からの講座の実施には何ら問題はなさそうである。
 しかし気温がとても低い。本日も昼の段階で14度になるかならないか、ということを天気予報で言っていた。

 葦原の山姥様と通りがかり人様の指摘のとおり、これから妻の淹れたコーヒーで一服することに‥。こんな気分は今年に入ってからまだ二度目らしい。コーヒータイムの後は午後の講座の復習でもしてみることにした。
 予習なんていうのは高校生まではした記憶があるが、大学入学以降はおそらく皆無だと思う。大学では単位取得や試験のために、復習は止むに止まれずせざるを得なかった。しかし、この歳になって予習・復習は予想していなかった。予習はあらかじめ講義要録や教科書がないので無理である。
 高校生のころの記憶では、予習が楽しい科目は成績が良かった。復習ばかりに追われた生物・地学・日本史・英語・政治経済・地理は思わしくなかったので、英語を除いて大学の入試の選択科目からは外した。復習ばかりに追われた科目は結局消化不良のまま推移してしまったと思う。さらに日本史・地理は瑣末な暗記にこだわる授業だったので余計に敬遠した。授業をした教師の責任というより、大学の入試問題の傾向がそうだったのだと思う。今にして思えば、日本史は本当はもっと楽しい、想像力を書き立てるものだったはずだ。
 予習というのは、理系の科目では新しい世界をあらかじめ垣間見る楽しみがあり、文系の科目では中学で習ったことや既知の知識の掘り下げが楽しかった記憶がある。また教科書を離れて、さまざまに資料を漁る楽しみがあった。数学・物理・化学・世界史・国語・古文漢文がその範疇であったと思う。

 最近よく耳にするのは「高校の勉強は世の中で役に立たない。社会で役に立つ勉強を‥」という議論だ。しかし、私は「勉強する楽しみ」の方が大切だと感じている。世の中に役に立つかどうか、という尺度は果たして正しい尺度・基準なのだろうか。少なくともそのような思考も大切なこととして切り捨てないで欲しいと思う。

地震と津波と大雨と・・

2013年10月26日 03時16分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
雨が次第にひどくなってきた。その雨音を聞きながらウトウトしていたら地震。ビックリした。
かすかな揺れがとても長かった。一端収まったように揺れが止んだと思たとたんに強めの揺れがきた。揺れもユックリ。
直感では、震源は遠くで深さもかなり深いと思った。
実際震度4が最大で広範囲、しかも南は佐賀から北は北海道まで揺れている。横浜市は震度3。深そうなので津波も無いと思った。
ところが福島に津波注意報が出てビックリ。深さも10キロという。マグニチュードは6.8(のちに7.1に訂正)と大きい。
不思議なのは福島市と横浜市が同じ震度3であったこと。福島市はかなり揺れたとメールがきた。
そして今、岩手・宮城・茨城・千葉各県の各沿岸にも津波注意報が発令となった。

素人の判断の情けなさを思い知らされてしまった。

雨はまた少し強くなってきた。先ほどは雷も鳴っていた。

いやな夜である。

<追伸>
石巻で津波30センチを観測して、津波注意報は4時過ぎに解除されたらしい。津波に直接影響が無い地域の私でも、ホッとした。
横浜の雨は4時半現在、弱まっている。

講座の申込みを3つ

2013年10月25日 21時42分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後から横浜駅まで出向いて、冬物の長袖のTシャツを購入。私が服を購入するなどというのは極めて珍しいことなのだが、冬用のシャツが古くなってほつれてきたりしてやむなく。安いものを3枚ほど。
 おいしいコーヒーを飲みたくて喫茶店に寄ったが、2軒とも喫煙者が狭い店内に複数いて敬遠した。折角のおいしいコーヒーを香りも楽しみながら飲もうとしたが、煙草のにおいに負けたコーヒーは飲んでもしょうがない。妻と2人でチェーン店の安いコーヒーで我慢した。こちらは広いので禁煙者向けの広いスペースはあるのだが、混雑していて落ち着かない。その後は1,000円の理髪店。こちらも夕方になっていたので混雑していた。
 さて講座が続いて本日は休養したのだが、それにもめげずに、来年はじめの古代史の5回連続講座と近世史のやはり5回連続講座を往復はがきで申し込んでみた。抽選結果は再来月。また今年師走はじめの古代史関係のシンポジウムも申し込んだ。抽選結果は来月。抽選に当たるか外れるか、来年の運勢を占ってみるようなものか。いづれも格安。
 講座といってもいつもの神奈川大学の市民向け講座ではなく、3つとも横浜歴史博物館の関係する講座である。たまたま空いている日が講座の日程になっていた。

 新しいプリンターを使って、往復ハガキを印刷してみたが、今回は間違いは起こさなかった。往復ハガキというのは、どうも印刷が難しい。往信面の表と返信面の裏、往信面の裏と返信面の表が、一枚の面となる。このことがなかなか頭の中で整理されない。なれてもしばらく往復ハガキを利用しないと、印刷前のハガキの置き方をすぐに忘れてしまう。
 今回は往復はがきを利用した申込みが2講座。もうひとつはインターネットでも申込が出来るのでこちらを利用。ネットのほうが私には楽である。

 台風27号・28号は今晩から明日の朝にかけてがピークらしい。当初の予報より南方よりに進路が変わった。台風27号はどんどん弱くなっている模様だ。関東地方を掠めて温帯低気圧に変わった後は程なく台風28号に飲み込まれて消滅してしまいそうではある。
 しかし先ほど横浜市域にも大雨・洪水警報が出た。波浪・雷・強風注意報は継続中。今は雨もごく弱く、風もない。
 明日の午後に予定されている講座の中止の連絡はなかった。多分そのまま実施できそうである。会場は家のすぐ近くの神奈川大学の横浜キャンパス。若い学生がたむろしている間を縫って教室に向うのが何とも不思議な気分である。若い学生たちと同席することも、会話することもないし、向こうもこちらにはまったく興味はないだろう。しかし40年近く前の神奈川大学の学生とは比べ物にならないくらい明るい感じである。振る舞いに屈託がない。毎回、不思議な世界に迷い込んだような気がしてしまう。


お疲れ休みで講座を欠席

2013年10月25日 12時23分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はお疲れモードで午前の講座はもったいないのだが、休んでしまった。
 本日は「船と日本人」という講座だった。講師(昆政明神奈川大学歴史民俗資料学研究科教授)の講義がなかなか面白いし、勉強になる。前職が青森県立郷土館学芸課長ということ。講義要録は後で貰いに行かなくてはいけない。あと1回講座が残っている。これはどうしても受講したい。前回の講義では、神奈川湊の船の流通も研究課題にされるとのことも聞いた。次年度新しい講座があるならば是非受講したいと考えている。

 台風の前哨で秋雨前線が停滞、雨が降っているが今のところそれほどひどくない。午後から横浜駅に出て、珈琲タイムとしたいが、最近はおいしい珈琲をゆっくり飲ませてくれる喫茶店というのがあまりない。チェーン店の珈琲ばかりでどうも好みではない。粗挽きのコーヒー豆でサイフォンないしドリップで香りを大切にしてじっくりと淹れた珈琲をユッタリした椅子で飲みたいものだ。いくつかあるのだが、いづれも喫煙席と非喫煙席の区別がない。

 台風は27号・28号ともに北から北東へ進路を変えたようだ。偏西風に乗れば速度は早くなる。衰えも加速する。まだまだ近づいてくるが、さっさと去っていって欲しいものである。  

来週は沖縄訪問

2013年10月24日 21時24分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 台風27号はようやく本日の午後に進路を北に変えたようだ。予報どおりに北東に進むようになるのか、なかなか判然としない。
台風28号は中心気圧が905hPaとなり、瞬間最大風速85m/Sととてつもない台風になっている。こちらはまだ進路が北向きにはなっていないようだ。
 大きさは同じような強風域・暴風域だが、中心気圧・風の強さが随分と違う。

 本日は横浜は大した雨ではなかった。先ほど歩いて帰ったきた時も雨は降っていなかった。飽和状態の空気の中に小さな霧のような水蒸気が浮遊している感じであった。いつ振り出しても不思議でないような湿気であった。快適とはいえない気象状態である。明日もこのような状態が続きそうである。あるいはもう少し雨模様なのだろうか。

 実は月曜日には組合の退職者会で沖縄の世界遺産・基地・戦跡めぐりツアーに出かけることになっている。総勢20名で2泊3日の短い訪問だ。この飛行機の発着に影響はないとは思うが、ヤキモキしている。台風にはなんとかさっさと、被害をもたらすことなく去って欲しいものである。




台風27号・28号

2013年10月24日 08時12分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 台風27号は強いまま足踏みをしている。当初は関東地方に24日頃には大きな影響があるらしいという予報も出されていたと思うが、西向きの進路をなかなか変えずに停滞気味になっていた。その分、長い間風・雨に見舞われる琉球列島には迷惑な話だが、関東地方の我々には少しでも弱まってから近づいてくるようになる。
 そして当初は台風28号は付録のような小型の台風のようにも思えたが、こちらも猛烈な台風ということになっている。27号の南を東に行くようだが、伊豆諸島・小笠原には大きな影響が出る。
 このように双子のような接近した台風の進路予想は難しそうである。同時に被害が出ないことを祈るしかない。
 
 今年の台風の頻発、太平洋高気圧の強い張り出しに原因があるというが本当だろうか。「温暖化による平均気温の上昇が、海水温の上昇を招き太平洋高気圧を強くして、台風をたくさん発達させ、その上秋にもかかわらずその高気圧が強いので、その縁を台風が移動することで、日本に上陸しやすい」というのだ。
 しかし太陽の熱放射が一定という状況で、二酸化炭素の率の上昇だけで、海水の上昇に寄与するのか、しかも熱帯から中緯度だけの海水温の上昇に寄与するのかというと、まだ充分首肯できる議論ではないような気がする。空気より比熱が大きい海水温を数度も上昇させるだけの温暖化が進んでいるならば、気温はもっと上昇していないだろうか。本当に海水温は上昇しているのだろうか。

 どうも、何でも二酸化炭素による地球温暖化で説明すれば片付いてしまうような風潮が世界的に蔓延しているが、地球物理学、天文学的にはいろいろと違う理論も提出されているようである。たとえば地球の気温変化に大きく寄与するというには、二酸化炭素の変化が小さすぎるのではないか、という疑問があるそうだ。このことから宇宙線の増減による水蒸気のイオン化で地球の気温変化を説明するほうが的確であるということもいわれているらしい。地球温暖化の理論は、このように確定した理論ではないという指摘があるようだ。後者の議論では、現在は小氷河期へ向っているという。つまり気温がこれから低下するという理論が提出されているらしい。

 これは大昔、地球物理学をちょっとだけ舐めた経験のある私には興味深い話だ。勉強してみたいのだが、今は少し手を広げすぎているので手付かずになっている。

 政治的な思惑や、感情的な思い込みではない、理論的で冷静な議論が私たちの前で展開されることを切に祈りたい。