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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

台風2号の雨

2025年06月25日 20時33分51秒 | 天気と自然災害

 台風2号とそれから変わった熱帯低気圧のために、横浜では短時間だが強い雨が繰り返し襲ってきた。昼過ぎに太陽が顔を出し、とても蒸し暑くなった。もう降らないだろうと、勝手に思い込んで出かけたら、突然の強い雨に降られた。
 暗くなってぽつぽつと降り始めてから、わずか15秒ほどで土砂降りの雨になった。傘をリュックから取り出す間もなく半ズボンがビショ濡れになり、運動靴の中にも雨が入り込んだ。30m先のコンビニまで走ろうとしたが、風も強く傘も反転してしまい断念。傘をさしたまま50m先の地下鉄の入口にようやくたどり着いた。ザックカバーをしていたので、リュックの中が濡れなかったのは不幸中のさいわいであった。
 地下鉄の入口の階段の踊り場で一息ついている間に雨は小ぶりになった。降り始めてからわずか5分も経っていなかったと思う。
 新横浜駅の家電量販店でパソコンのモニターを置く台を2400円也で購入し、喫茶店で一服。
 行くときと反対にカンカン照り、蒸し暑さの中を50㎝を超える長い荷物を持って、あえぐようにして帰宅。妻に「この雨の中、わざわざ出かける人の気が知れない」と笑われてしまった。

 午前中と、帰宅後は退職者会ニュースの原稿づくり。おもて面は70%、裏面は85%出来上がった。記事はあと3本と小さな囲み記事ひとつ。26日と28日の集会の報告記事がメイン。29日には一応完成させたいと考えている。

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本日から半ズボン

2025年06月15日 22時32分32秒 | 天気と自然災害

 本日の横浜は最高気温が真夏日一歩手前の29.9℃、ほぼ30℃でしかも湿度がとても高かった。
 午前中から退職者会の会議に参加し、ニュース用に写真撮影。昼食後、建物を出たときに、あまりの蒸し暑さに驚いた。横浜駅近くの喫茶店でアイスコーヒーにありついてほっと一息。しかし喫茶店を出ると再びの蒸し暑さに閉口。ジーパンを履いていると脹脛のあたりが暑苦しかった。
 帰宅途中で家電量販店でタブロイドの値段の確認と買い物。
 蒸し暑かったが、バス停で一つ手前から歩いて帰宅。家についても汗がひかず、シャワー後、クーラーを点けて30分ほど昼寝。家の中では半ズボン(七分丈のズボン)とした。
 夕方から明日の退職者会の幹事会のための資料作り。先ほどようやく完成。

 明日は本日よりも気温が上がるらしい。30℃を越える予想になっている。

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梅雨入りの日の納骨

2025年06月10日 22時00分19秒 | 天気と自然災害

 関東地方も本日梅雨入りと発表となった。朝からしとしとと雨。湿度の高いいかにも梅雨の天気であった。

 本日は世話になった親族の納骨の日。昼前に家を出て、横浜駅から湘南新宿ラインに乗り、新宿駅で乗り換え中央線で武蔵小金井駅で下車。いつもの通り90分ほどかかった。武蔵小金井駅近くのパン店でサンドイッチとコーヒーで昼食。昼食後多磨霊園にむかった。
 すでに石材店が墓室を開け、用意をしてくれていた。
 納骨が終わって、東京駅の八重洲口にもどり、少人数ながら親族で2時間程の会食。

 家を出てから最寄り駅まで、墓地に向かう時間、納骨を行っている時間、帰途の時間、いづれも雨は小ぶりとなったのはさいわいであった。

 明日も関東地方は小雨の予報。九州ではかなりの雨量であったとの報道である。今年は山火事が頻発した。下草が燃え、表土がむき出しのままの箇所がまだ多いという。土砂崩れが少しの雨でも頻発するのではないだろうか。

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まもなく梅雨の時期

2025年06月06日 12時52分28秒 | 天気と自然災害

 まもなく梅雨の時期に突入するようだ。昨日は梅雨前の好天気であった。本日は、陽射しはあり、昨日以上に暑さを感じるが、風が強い。日がかげるととても暗くなるように感じるのは風の所為だろうか。ただし湿度はあまり高く感じないのがうれしい。
 本日は午前中は親の通院の付き添い。これより出かける予定。いつもとは違って相鉄戦で海老名まで。帰りは遅くなりそうである。

 おとといの小石川後楽園での写真はあまりいいものがなかった。とりあえず花菖蒲以外のものを記録として3枚ほど。

      

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明日は終日雨もよう

2025年06月02日 23時46分35秒 | 天気と自然災害

 本日の作業はだいぶお疲れとなった。
 午前中は妻に頼まれたいくつかの買い物を横浜駅近くの百円ショップにて。ついでに昨日とは別の家電量販店でタブレットの種類と値段の調査。そして喫茶店で軽く、かつ短時間で掻き込むようにして昼食。
 午後から組合の会館にて3時間を越える根を詰めた作業。終了したときはさすがにくたびれた。そのままJRとバスにて帰宅。さいわいにも午前中から降り出しそうだった雨にはならなかった。夜のウォーキング時にも雨には会わなかった。

  明日は市外で終日退職者会とは別の作業。こちらも疲れそうである。明日はしかも雨、気温も20℃にようやく届く程度との予報となっている。午後からかなり降るらしい。さいわい建物の中に陣取っているはずなので、昼間は雨に濡れることはなさそうだが、夜は雨の中をとぼとぼと歩いて帰ることになりそうである。傘必携。
 ウォーキングは無理のよう。

 二日続けて読書は出来ず。

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災害は人を鍛える

2025年05月31日 23時27分54秒 | 天気と自然災害

 一昨日、このブログに「いくつかのこと」という曖昧な表題で記事を投稿した。後から考えると「災害対応に考える」とでもした方がよかったと反省。
 本日はその続きを少々。

 突発的な事故は別として、気象災害・地震などの自然災害などの対応は、日常業務の延長上に想定すべきである。これは多分どのような職場でも言えることではないだろうか。
 私たちも、市内各区の都市基盤整備の最先端に位置する職場の労働組合の考え方の基本に、日常業務の延長線上に災害対応があるということをおいていた。自覚的になったのは阪神淡路の大震災対応のときであった。
 災害用に特別な機械を購入し、「これは災害用」として大切に倉庫にしまい込む、というのが、私が50年前に就職したころの職場の管理職の発想であった。しかししまい込んでいざ使おうとすると、使い方がわからない、さび付いて動かない、燃料が通常使うものと違うなどの不具合が生じていた。
 まず管理職の発想自体を変えることから私たちの労働組合の再生の運動は始まったといえる。日常業務で当該職員が使い慣れた機器類が災害時にも力を発揮する。本来は業務改善の一環であるが、労働組合が主導してこれらの業務改善を提起するというのが、多くの自治体の職場実態であったようだ。
 同時に災害時ほど、人間性が問われる。これもまた真実である。大雨・雪害など日常業務の延長上に災害対応を構築しても、肝心の管理職の一部が被害が出始めると右往左往してしまい、思考停止になったり、頓珍漢な指示しか出来なくなる。
 今でも覚えている「傑作」は住宅の庭の樹木が台風の風で道路上に倒れ、公道を人も車も通行できなくなったとき、作業班が倒木を伐採しにいつものように出かけようとしたら、職場の長である管理職が、「樹木の管理責任はその住宅地の所有者であるから、所有者が伐採すべきで、道路管理者である我々は手を出してはいけない。土地争いの箇所でもあり、片方に肩入れの恐れもある。民事不介入の原則である。」と作業班の出動をとめてしまった。民事不介入が行政の不作為の理由に使われることを目の当たりにした。
 「道路の機能が損なわれているし、企業でもない住民に能力はない。必要なら費用を後から請求するのが筋。まずは道路の啓開が道路管理者の責務」というこれまでの経験から多くの担当職員が指摘したにもかかわらず、首を縦に振らない。私が机を叩いて怒ろうとしたら、隣の係の係長が目くばせをして制してくれた。そして自ら局と区と消防署、所轄の警察署に密かに電話をして、それぞれからその管理職に「地元要望に答えてください」と言わしめた。
 上司をなだめすかしてまっとうに動かすということの面倒を、まだ20代だった私はその老練な係長の動きをみて体得した。当時60歳定年間近のあの管理職は本当に使い物にならなかった。そんな管理職がゴロゴロいたのも半世紀前の職場実態であった。
 災害時ほど冷静になる必要があり、人を動かすことの能力が問われる。

 災害は人間性を露わにし、そして人間を鍛える側面がある。



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大雨警報下、「図書」5月号

2025年05月02日 17時44分19秒 | 天気と自然災害

 15時過ぎから遠くで雷がなり始めた。16時過ぎと17時過ぎに大きな雷鳴がそれぞれ続いた。16時の時は、団地の中で雷鳴に驚く子どもの悲鳴もあがったが、落雷ではなかった。
 レインアイよこはまを見ると、80ミリに達する雨の区域が横浜市域を通過している。
 17時40分現在、大雨(浸水害)・洪水警報、強風・雷注意報に、竜巻注意情報も出ている。東海道線などの鉄道にも影響が出ているとのこと。
 朝から肌寒く、薄い化繊のサマーセーターを引っ張り出してきた。昨日よりも5℃低く18℃の予想だが、昨日まで暖かったので、それ以上に肌寒く感じている。

 雨のため外出は面倒になり、昨日から読み始めた「統合失調症」(村井俊哉、岩波新書)の第1章を読み終え、その後は新潮社の「波」5月号をパラパラと拾い読み。岩波書店のいつもの「図書」5月号からは6編ほどを読んだ。



 本日目を通したのは、以下の通り。

・【表紙に寄せて】
     午前四時、雨のシャルル・ド・ゴール     野崎有以
・本との思いがけない出会い              木村栄一
・パリで消えたナチ占領下日記             藤森晶子
・戦後生まれの私が聞いた山の手空襲の話        遠山秀子
・「日本被団協」初代理事長・森瀧市郎の問いかけ
     戦争をとめることはできるか         嘉指信雄
・復元・複製・修復から日本美術史を再構築する
     東京大学駒場博物館展に寄せて        高岸 輝


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ウグイスの初鳴きと春雷

2025年03月25日 09時14分09秒 | 天気と自然災害

 昨日妻がウグイスの初鳴きを聴いたという。私もベランダに出てみたが、聴くことはできなかった。東京近辺ではウグイスの初鳴きは3月初旬といわれているので、今年は少し遅いのか、あるいは既に鳴いていたのに聴き洩らしいたのか、定かではない。いづれにしろ春の風物詩のひとつである。

 しかし昨晩21時過ぎの突然の雨と雷に驚いた。一部の天気予報では傘のマークはあったが、市域の南部を中心に80ミリ前後の強い雨の区域が雷を伴って通過していくとは想像していなかった。私の住む地域も30ミリを超す雨の区域が通過していった。
 ちょうど夜のウォーキングに出たときにポツポツと降り始め、20分後には本降りとなり、雷が遠くで絶え間なくなりはじめた。帰宅後雨音がいっそう強まり、バリバリという雷の音が室内まで聞こえてきた。近づいて通り過ぎていった消防車のサイレンと相俟って、雷と雨の音はそぞろに不安な気分にするものである。
 都内では竜巻注意情報も出ていた。横浜市内では23時には雨の区域も抜け、雷の音も聴こえなくなり、静かな夜に戻った。

 起床すると太陽が顔を出し、昨晩の雷雨が信じられない朝となっていた。

 


横浜も積雪

2025年03月04日 22時47分59秒 | 天気と自然災害

         

 横浜でも1cmにも満たないが積雪は積雪。
 団地内でも芝生に雪が積もり始めた。アスファルトの道路もうっすらと白くなってきた。
 もう花が終わりかけたとはいえ紅梅の赤や、赤い山茶花の散った花弁に、降ってくる白い雪片が映える。

 このまま降り続くと明日の朝は、短時間であっても雪掻きをしなくてはいけないかもしれない。すぐに解けてしまいそうだが。
 最近は雪掻きをする人も極端に少なくなった。団地内外問わず、学校の周囲の商店街でも雪掻きをする人はごく限られている。高齢化が進んでいるだけでなく、新しいチェーン店がいくつかあるが、オーナーも店の責任者も店舗には住んでいないので、対応しなくなっている。またマンションの住人も、地域のことには興味はないようで雪掻きに出て来る人はまずいない。
 残念ながら私の住む団地でも高齢者が団地内道路をするのが精いっぱい。団地の周囲の公道まで雪掻きをする体力も人手もない。

 都会も雪掻きなどをする人は、高齢者ばかりである。


阪神淡路大震災から30年

2025年01月18日 20時50分00秒 | 天気と自然災害

   

 昨日は阪神淡路大震災から30年、神戸をはじめ各地で追悼の集会が催された。

 私は退職者会の資料作成やスマホの不具合などで慌ただしかったので、30年前のことを思い出すゆとりもなく過ごした。
 本日もニュース印刷の直前に少しばかり手直しをしたい箇所を見つけたら、全体の構成まで手を入れる必要に迫られ、100部の印刷に9時から13時過ぎまでかかってしまった。
 しかし本日印刷している間に、モーツアルトのレクイエムを聴きながら、30年前に自分が何をしたか、反省がてら思い出していた。
 今更70歳を超えた自分が、当時出来たこと、出来なかったことを列挙しても今後に生かすことなどないかもしれない。しかし「災害」というものに関わった自分のことが「懐かしく」思い出された。
 当時第一報は横浜で聞いた。30年前のこの日、政令指定都市の建設部局の労働組合の代表者の集まりが仙台を当番都市にして開催されることになっており、朝7時に家を出て、新幹線で仙台に向かった。
 仙台で関東以北の仲間は定刻通りに集合、テレビで深刻な被害状況が少しずつ明らかになるのを見ていた。名古屋の代表者がかなり遅れて到着。そこで名古屋が把握した関西の状況が報告された。
 議題は最低限の合意で決め、支援体制をどのようにするか等を議論した。会議を早めに切り上げそれぞれの都市に戻り、支援活動の最前線を担うことを誓い合ったことを覚えている。
 自治体の労働組合、とりわけ建設部局の組合として何が出来るか、頭と体を駆使して、組合員と議論を重ね、労働組合・行政側の現地支援への組合員の派遣、支援物資やカンパの取り扱いなど今考えるといつ眠ったのか、不思議であった。仕事をしながら、議論と会議、当局交渉などなど。当時の手帳を見ると隙間がない。この活動の先頭で力を発揮してくれた組合員の顔が未だに思い浮かぶ。
 仙台での会議に参加できなかった神戸、そして大阪・京都の3都市の建設部局の仲間の顔がいつも浮かんだ。
 30年前は、私の属していた労働組合の再建がひと段落し、ごく少数ながら組織が一応整ったばかり。不遜で被災者には申し訳ないが、この過酷な支援活動を通して組織人員が3倍増したことで、少し報われた気分になったこともある。
 「災害」というものの法整備の問題点、災害時対応の問題点、労働組合の役割、支援のあり方、自身と家族の災害対応、そして自分の働く横浜市の災害対応、さらに日常業務を災害対策の観点から見直す視点など、実に多くのことを学んだと思う。「災害」対応、というものが行政にとっても、そこに働く者にとっても、労働組合にとっても大きなキーワードとなることを実感した。

 私の人生にとっても大きなエポックであった。

 


雨の音に癒された時間

2024年11月27日 10時38分23秒 | 天気と自然災害

 昨晩は、久しぶりに21時過ぎに入浴。強い雨の音を聞きながら優雅に体を温めた。いつもは23時過ぎに入浴タイム。追い炊きは音がするので遠慮。体を洗うのもできるだけ音を立てないようにして入る。一週間に一度くらいは22時過ぎに追い炊きをして入るくらい。
 昨晩は浴槽に2度浸かり、贅沢にも2回も追い炊きをしてみた。一日あまり体を動かさなかったので、少しは血の巡りを活発にしてみたかった。
 久しぶりに復旧したレインアイよこはまの画面を見ると、小さい面積ながら時間雨量で最大80ミリの雨の区域が複数回横浜市域を通過していった。ちょうど一番雨の強い区域が通過しているときに浴槽の中にいたようだ。
 雨の音を聞きながらの入浴は実に気持ちがいい。山の中で樹木の葉にあたる音、岩に当たる音にはほど遠いが、それでも自然の音に近い。雨の音に紛れるだけでなく、雨粒が音を吸収する効果もあるようで、街の中の人工の音が弱く聞こえる。
 むろん災害の起きない範囲で、という前提である。雨の降る音が、人間の耳に恐怖をもたらす場合は、災害の危険が迫っている証左でもある、と以前、山行の先輩に教えてもらったことがある。もっとも山のなかと都会と、川の状況などを考えれば一概には言えないとは思うが、貴重な意見ではある。危険を察知する能力は大切にしたいものである。
 日付が変わった2時ころ、大きな雷の音で目が覚めた。スマホの情報を見ると1時ころには、大雨(浸水害)警報、洪水・強風・雷注意報が出ていた。竜巻注意情報も出ていた。洗面所の窓から覗くと、猛烈な雨とその音に驚いた。空から押しつぶされそうな圧力を感じた。入浴中はこのようなひどい雨ではなかった。

 まだ雨の上がらないうちに就寝しようとしたら、能登半島の輪島市、志賀町にて、震度5弱の地震の情報。深夜なので避難も厳しい。雨も降っている。羽咋市では震度5弱以上の可能性ということもNHKで報道していた。
 マグニチュードは6.4と大きいが、津波の心配はないとのこと。志賀原発も心配である。深さは10キロと浅い。
 心配ではあるが、体調を考慮してはまずは就寝することにした。
 朝のテレビのニュースでは、特に能登半島の地震についての報道がなく、特に被害は出ていないのかもしれない。


 


着るものの選択が難しい

2024年11月21日 22時50分12秒 | 天気と自然災害

 本日は予報よりも雨が上がるのが遅くなった。私が出かけた11時近くでもまだ雨が降って寒かった。つい厚着をして出かけてしまった。12時過ぎにはひとまず上がったものの、14時過ぎに再び降った。16時ころには雲が切れて青空も見えた。
 青空が見えると気温もあがり、最高気温は14.3℃になった。着ていたレインコートが暑苦しく感じるた。居酒屋で時間を過ごし、外に出てみると今度は寒いくらいに気温が下がっていた。
 明日はもっと気温が上がるという予報。着るものの選択が難しい。

 明日に予定されていた親の通勤の付き添いがなくなった。通院が隔週になったためである。とりあえずホッとしている。しかし予定がなくなり、手持無沙汰である。


雷鳴と強い雨

2024年11月02日 19時47分32秒 | 天気と自然災害

 先ほど夕食を食べようとしたら、突然鋭く雷鳴がして、雨が強くなった。カーテンを閉め切っていたので、稲光は見えなかった。ほとんど同時に大雨(浸水害)警報が出たとのメールが届いた。慌ててパソコンの電源を落とした。
 気象庁のレーダー雨量計では時間雨量換算で50ミリを超す雨の区域が私の住んでいるところを通過していった。
 東海道線、京急線で運転の見合わせや遅れが発生しているとの情報も来た。テレビではテロップが流れ、神奈川県に記録的短時間大雨情報が出たとのこと。

 さいわいなことに、夕食を食べ終わるころには強い雨も弱まり、雷鳴も聞こえなくなった。雷鳴がしなくなったので、パソコンの電源を入れることにした。このまま回復に向かってほしいものである。雨の区域は途切れてはいないが、猛烈な雨の区域は通り過ぎた。
 本日は気分がすぐれなかったので、アルコールはなし。

 


木枯らし1号かと思ったが・・

2024年10月20日 21時43分10秒 | 天気と自然災害

 明日の退職者会の役員会・幹事会のための資料づくりで大半の時間を過ごした。息抜きに近くの喫茶店まで歩いて往復したのみ。
 昨晩は強風注意報が出ていた。かなり強い北風が本日まで続いた。風速10m(最大瞬間風速は19m)にもなった。ケヤキの葉が一挙に大量に風で飛ばされていた。本日の夜も一時強い北風であった。
 「10月半ばの晩秋から11月末の初冬の間に、初めて吹く毎秒8メートル以上の北よりの風のこと」を木枯らし1号と定義されている。風速も9mを超えていたので横浜では木枯らし1号かと思っていたら、そうではないらしい。しかし北海道の北部では初雪であったという。気圧配置も冬型である。
 夏日が続き、土曜日には29.5℃にもなっていた。本日の最高気温は235℃、それも日付の変わったころで、日中は20℃に満たなかった。
 夏の次は秋ではなく、冬であるらしい。一年は四季ではなく夏・冬の二季と変化したようだ。一気に冬というのは人間の体調だけでなく、植物にも過酷であるとのこと。これからどうなるのであろうか。


秋の雨、降りやまず

2024年10月08日 21時46分38秒 | 天気と自然災害

 冷たい晩秋のような雨が終日降りやまない。夕方近くいったん雨は弱まったものの夜になり再び本降りとなった。遠くで雷鳴もした。近づいては来なかった。

 明日も昼近くまでは本降りの雨の予報になっている。さらに気温が明日は下がるとのこと。最高気温は19℃と表示されている。半袖のポロシャツではなく、七分袖の開襟シャツを妻が引っ張り出してくれた。減量前は着れなかったがゆとりをもって着ることが出来た。減量のメリットのひとつ。

   

 雨に濡れた花は風情があるものである。