
本日のCDはモーツアルトの「レクイエム」KV626。1989年の録音である。指揮はトン・コープマン、管弦楽はアムステルダム・バロック管弦楽団。
さまざまな演奏があり、ここで使用されたジェスマイヤー版の他にもバイヤー版、モーンダー版があり、そして古楽器の使用などなどのバリエーションがある。このCDしかないので聞き比べたことがないのが、残念である。購入したのは多分1992年から93年頃だったと思う。阪神淡路の震災の2~3年前であった。
自分の葬儀にはこの曲を流してくれという方が多いと聞く。死に臨んで、このような静かな曲の雰囲気に惹かれるというのは理解できる。しかし私の葬儀については、私の希望通りに行えとは私は言いたくない。残った家族を煩わせたくないという思いの方が強い。残った家族のやりやすい方法でやってもらえばいいし、葬儀など省略してもいい。誰にも迷惑をかけず、消え入るようにそっといなくなりたい。一方でもしも慕ってくれる人がいれば、みんなで私を肴に楽しく宴会でもしてくれるなら、それもいいとも思う。死んでしまったら後はすべておまかせである。
だが、そんな静かな死が私に必ずやってくるとは決まってはいない。それはとても悩ましい。七転八倒、精神的にも肉体的にも悶えに悶えて生への執着や執念を見せるのもまた見上げた生であるということも云える。この考え方を否定することなど私にはできない。そうなのだ。あまり一般論を押し広げてしまっては、生や死や、死に臨む態度を語ることなどできない。
埋葬にかかる最低限の費用+αは生前に自分で用意をしておかなくてはいけないが‥。