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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

モーツアルト「レクイエム」

2017年01月17日 22時45分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日のCDはモーツアルトの「レクイエム」KV626。1989年の録音である。指揮はトン・コープマン、管弦楽はアムステルダム・バロック管弦楽団。
 さまざまな演奏があり、ここで使用されたジェスマイヤー版の他にもバイヤー版、モーンダー版があり、そして古楽器の使用などなどのバリエーションがある。このCDしかないので聞き比べたことがないのが、残念である。購入したのは多分1992年から93年頃だったと思う。阪神淡路の震災の2~3年前であった。
 自分の葬儀にはこの曲を流してくれという方が多いと聞く。死に臨んで、このような静かな曲の雰囲気に惹かれるというのは理解できる。しかし私の葬儀については、私の希望通りに行えとは私は言いたくない。残った家族を煩わせたくないという思いの方が強い。残った家族のやりやすい方法でやってもらえばいいし、葬儀など省略してもいい。誰にも迷惑をかけず、消え入るようにそっといなくなりたい。一方でもしも慕ってくれる人がいれば、みんなで私を肴に楽しく宴会でもしてくれるなら、それもいいとも思う。死んでしまったら後はすべておまかせである。

 だが、そんな静かな死が私に必ずやってくるとは決まってはいない。それはとても悩ましい。七転八倒、精神的にも肉体的にも悶えに悶えて生への執着や執念を見せるのもまた見上げた生であるということも云える。この考え方を否定することなど私にはできない。そうなのだ。あまり一般論を押し広げてしまっては、生や死や、死に臨む態度を語ることなどできない。

 埋葬にかかる最低限の費用+αは生前に自分で用意をしておかなくてはいけないが‥。

膝は快方に向かっているか?

2017年01月17日 20時27分26秒 | 読書
 土曜日に活けなかった整形外科に赴き、足の治療をしてもらった。軽い牽引であるが、それなりに有効であるようだ。本日からは左右を一日おきに交互に牽引をしてもらうことにした。毎日320円の支払いとなる。マッサージに通うよりはずっと安上がりである。
 右の臀部の筋肉の痛みと張りは劇的に改善し、歩くのに特に支障は感じなくなった。そして本日は病院の往復と買い物、喫茶店をまわって、約8000歩歩いた。しかしまだ長い距離を歩くと、次第に膝に痛みが出てくる。当面無理は禁物なのであろう。
 あまりせっかちに結果を求めてはいけないことを承知はしているが、毎日の症状の変化がとても気になる。もう少し鷹揚に構えないといけない。

   

阪神淡路大震災から22年

2017年01月17日 13時45分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は阪神淡路大震災から22年目。1995年1月17日と2011年3月11日は私にとっても人生の中で忘れることのできない大きな節目の災害であったと思う。
 近・現代の、特に戦後の日本の災害史上でも、また災害対策の歴史からも大きな事象である。

 当時私が何をしていた時か、この災害に自分がどうかかわったか、思い出しながら我が身を振り返るということはそれなりに意味のあることだと感じている。度々このブログでも取り上げた。
 人が災害時に何ができるのか、ということを自問しても、出来ることは限られている。社会的にどのように位置にいるかによって、さまざまな関与がある。1995年1月17日の早朝に家を出て松島湾を一望するホテルで行われた労働組合の会合に出席していた。名古屋から西の自治体の代表は交通機関も止まり、出席は不可能であった。
 急遽議題を変えて、労働組合としての支援の在り方などを具体的に決めて、早々に東日本のそれぞれの自治体に戻った。
 結局、組合ボランティアの送り出しの役割、組合のカンパや支援物質の要請と集約、行政支援のための派遣組合員の労働条件や装備水準の点検などの交渉事項に徹夜も含めて慌ただしい二カ月ほどを過ごした。現地に入ることのできたのは半年後の組合としての都市基盤施設の復旧に関する現地調査部隊・現地報告の作成者の一員としてであった。
 しかし私達の組合は、大人数を組織対象とするものの、出来たばかりの小さな組合であった。この活動を通じて組合のボランティアだけでなく、行政支援の一員としても多くの組合員が現地に出かけた。そのために組合交渉での立場が向上し、結果として組合の影響力を大きくすることができた。組合員がいっきょに増えた。組織拡大が目的でこの活動に邁進したのではないが、結果がついてきた。
 誰が、どのように災害時に効率的に動けるのか、ボランティアや支援者がもとめていることは何なのか、被害者とのよりスムーズなコミュニケーションを確保しニーズを吸い上げるのか、そんなことを後方ながらずいぶんと勉強させられた。むろん現地での生きた体験に勝るものはないのだが、その努力だけではないものもまた忘れてはならないものである。また何を学ぶか、がもっとも大事である。揉まれながら体得する、ということをあらためて実感もした。
 多くの方が何らかの形でこのように現地に直接行かずとも関与された方は膨大であったと思われる。
 それらの自分なりのエピソードやノウハウを丁寧に自分の中で記憶しておくこと、何らかの形で若い人に伝えておくこと、これをしておきたい。まだ自分の思考にどのようなインパクトを与えたか、いつでも温めて少しずつ発酵させていくのも大切だと感じている。それが風化に対するひとつの答えでもあるような気がする。

風邪の後遺症

2017年01月17日 11時07分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は自分のベッドでぐっすりと寝た。まだ眠い。
 暮れから続いたハナミズ、セキ、クシャミ、喉の痛みという症状は一段落したが、食事時のハナミズと痰が切れない。特に朝起き抜けのタンとハナがひどくつらい。嗽をしてもすぐには出てこない。体の代謝が活発になる朝食中にタンとハナが大量に出てくる。食事が終了するとそれも一段落する。
 いわゆる副鼻腔炎ということなのだろう。私の場合は、ひどい風邪をひくと大体がこのように長引く。昨年は微熱が出てやはり副鼻腔炎となり、耳鼻科に2回ほど通った。だいたいが1週間でおさまるという風邪の症状が3週間目に突入である。
 耳鼻科に行くかどうか迷っている。

 本日の作業予定は、スマホで投稿した15日と16日の記事を一太郎に記憶させるための再編集作業。このブログを始めた2009年8月から投稿はすべて記録してある。
 昔から「記録魔」と揶揄されるほど、記録することが癖になっている。学生時代の記録はさすがに少ないが、それでも他の方からは持っているほうだといわれる。
 組合活動の記録も、今のパソコンの水準に適合する以前のものはペーパーでかさばるのでいくつは廃棄したものも多い。ワープロ時代のフロッピーのものが今のパソコンでの水準に合わせた電子化ができていない。
 しかし記録してあるかといって、記憶が新鮮であるわけではないし、資料を見ても思い出せないことも多い。それでも思い出す契機になればうれしい。