本日読み終わった。
・気温0.5℃の差が歴史を変える 気候変動で見えてきた 川幡穂高
気候変動の記事はどこの新聞・雑誌でもよく掲載される。今の流行といっては申し訳ないが、そういう面もある。猫も杓子も「気候変動」と言い始めた。私は否定しないばかりか、肯定的に見ているつもりである。盛んに言及している仲間からは「斜に構えて、危機感が足りない」とあおられるが、ある時期から皆が一定の方向を見ていると反対方向を見る癖ができた。ということで揚げ足取りになるかもしれないが、ご勘弁を。
「世界最古の土器は「MADE IN JAPAN」で、青森県の大平山元遺跡で発掘された‥」‥まずはこの筆者は「JAPAN」という語を「日本という国家成立以降の国家につけられた名称」と「地理的呼称」を混同している。これは科学者としてきちんと区別してほしい。地理的概念と、文明的・文化的呼称、地理的概念、民族的呼称の区別ができていないようだ。研究成果が、今の政府に政治的に利用されないよう気を付けないととんでもないことになる。
「日本での最初の土器は、最寒気に寒冷な場所で誕生した。人びとはあまりの寒さに焚き火をしていたところ、土が固くなるのを見て、土器の制作を始めたのかもしれない。」‥こんな単純な話はやめてほしいと思う。私には学問的な材料としてこの説を否定できる材料は持ち合わせていないが、もっとシベリアやヨーロッパで3万年前に住んでいた人や、同じく中国・朝鮮北部でモンスーン帯ではないもののもっと寒いところでも人は住んでいた。そこに定住していた人は土器など器類はどうしたのだろうか。
「人類学、考古学、歴史学、社会学、経済学などの他分野の参画による学際研究の進展を希求している。‥最終的に新たな日本人観などが創られればと期待する。」‥筆者自身が他分野、特に歴史学と社会学の成果を踏まえて欲しいものである。同時に「新たな日本人観」というところに飛びつく危険、怪しい飛躍を危惧する。
現在政治は「国家」の肥大化、民権よりも国権という風潮が大手を振っている時代である。政治権力者の動向に私たちはもっと敏感になるべきである。
この「図書10月号」の他の記事を読むだけで著者は変われると期待したいが‥。
岩波書店とあろう出版社が‥という危惧も頭を過ぎった。
・平穏を生む距離 桐谷美香
「平和な距離とは、些細な日常動作や文化に育まれ人間の体や心に宿りながら、おのずと広がっていくのが理想ではないだろうか。距離は人と人のみならず国と国や、経済、政治、文化、環境などの、様々なことに影響を及ぼす。コロナ禍、コロナ後においても、距離を隔たりとしない世の中であることを願う。」
前者と同じ感想をもった。人びとの日常の生活の中に、共通のものを見つけることのほうが私には現在最も大切なことと思っている。ベトナム戦争当時のベトナムと日本の生活の違いは、文化の違いもあるであろうが、内戦を余儀なくされている国と、一応そこから遠い日本の人びとの生活の違いを文化の違いと言ってしまう筆者の論議のおおざっぱさと怖さを感じた。
「距離を隔たりとしない世の中‥」これは筆者にこそ噛みしめて欲しい言葉であると思う。
・「かるた」と「ふりわけ」 斎藤真理子
「夏の初めに、鶴見俊輔の『思い出袋』を読んだ。‥“なぜ、日本では「国家社会のため」と、一息に言う言い回しが普通になったのか、社会のためと国家のためとは同じであると、どうして言えるのか”。こういうのも、一口サイズの文に収めてあるので、つるっと飲み込むことができ、もたれなかった。‥鶴見俊輔はバラバラした断片を集めることがとても上手な人だ。」
この「思い出袋」は購入した記憶があるのだが、読んだ記憶がない。多分読まずに廃棄したか、古書店に売ってしまった。記憶しておいて買い戻してみるのもいいかもしれない。
・人間らしさ 畑中章宏
「人間の対極にある正真正銘の「鬼むが現れるのは、いったいどのような条件下においてだろう。それはなによりも「戦争」のような究極的な非常時においてほかならない。何かしらの理由や理屈を付けて正当化される戦争状態においては、人間が人間を殺めることが許され、また自由を奪うことも正当化される。ハンナ・アーレントのような人間が「人間」の「条件」について徹底的に考えざるを得なかったのは、そうした究極的な状況、人間が「鬼」化した世界を経験してきたからである。‥戦時下においては、「人間」内在化する「鬼性」、「鬼」が孕む「人間性」について追求することなく、時勢に沿った「人間らしさむにおもねってしまうことが、大きな問題なのではないか。」
日常生活のなかでも「鬼」が不意に顔を出す瞬間というものもある。多くの人はその怖さも扱いかねて暮らしている。抑え込むのに必死という時もある。それができないと「大人ではない」と言われてしまうこともある。そういう「世間」というのもまた怖い。その「鬼」が日常化するのが「戦争」という非日常である。日常の中で不意に顔を出してしまう「鬼性」。これもまた謎である。