Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

個性は隠してしまう社会

2013年02月28日 15時54分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日友人とある居酒屋に入った。いろいろな日本酒や焼酎が置いてあるようなので、楽しみに入った。早速お酒のメニューをもらって、どれがいいか眺めてみた。どのお酒・焼酎にするか、時間がかかるのでお店の人には迷惑かもしれないが、このお酒を選ぶ時間がお酒好き、焼酎好きには至福の時間である。
 三人三様のこだわりでお酒を選ぶのだが、私は舌が肥えているわけでもなく、微妙な味の違いはわからない。その上、鼻があまり利かないので香りで選ぶわけでもない。
 だけれども、本人が合っていれる思ってご満悦になっているならばそれでいいや、という程度の基準が私にはある。違うよという方は是非、正しいことを教えてもらえれば、それの意見に靡いてしまうと思う。
 以前にも書いたとおり、まず東北・北海道のお酒を選ぶ。そして日本酒度が+2位で、酸度の少ないもののほうが口の中で比較的べたつかずにすむといわれたことがあり、よくはわからないがそんなことを指標にして選ぶ。
 白身の刺身が食べたいときは、西日本のお酒が合うといわれたのをとりあえず信じてもいる。根拠はわからないし、正しい判断かどうかはまったくわからないのだが‥。
 この日本酒は冷で1合またはそれより少ない量があればそれを注文する。
 この日もそんなことを考えながら、あるお酒を注文。つまみに私なりの定番の揚げ出し豆腐をひとつ。

 ここまではいつものとおりだったのだが、ふと、お酒のメニューを眺めていたら何となく不思議な感じが湧いてきた。各々のお酒の説明書きが丁寧だなぁと思うと同時に、いやちょっと変なんではないかと思い始めた。これまでも同じような説明書きも他の店で見ていて、特に感じなかったのだが‥。
 それは説明書きの文言としては、本来のそのお酒の個性を際立たせて記載することが大切なことなのに、なんかとおりいっぺんの同じような文言の羅列に見えたのだ。
 書いてあった言葉を写してみたら、並んでいるのは
「上品で後味良し」「バランス良い」「洗練された」「爽やか」「しっかりしたコク」「すっきり」「気品ある」「キレの良い」「やわらかい」「どんな料理にも合う」「みずみずしい」「あっさりした」「香ばしい」「まろやか」「クセのない」「口当たりの良い」「フルーティー」「ほのかな香り」‥
という文言であった。
 これを見ても、個々のお酒の個性はどうしても思い浮かばない。この言葉を信ずるとすると、お酒を注文する人は当たり障りのない、個性のない、それこそどんな料理にも合うなんていう、不思議なお酒を注文することになる。

 これでは「その土地ならではの地酒」「個性ある蔵元」など必要なくなるように感じるのはわたしだけだろうか。お酒や焼酎を造る蔵元のこだわり、品評会での審査基準などの基本的なことはわからないが、それでも作る側や品評会などの評価する側は、一般的な言葉で曖昧な評価を下してしまうことに抵抗があるのではないだろうか。いや、あってほしいと期待したい。
 料理にこだわり、お酒にこだわるならば、それこそ「個性的な香り」「他にはない味」「複雑なコク」などの言葉が並んでしかるべきであろう。あるいはもっと親切にしようとするならば、「白身の魚の刺身に合う」「青魚に合う」「濃い味の肉に合う」「洋風のサラダにいい」「野菜の煮付けに合う」「揚げ物や天ぷらに合う」‥などの方が、プロの料理人がいるな、という感じになる。
 あまりこだわりすぎるのは、注文する側にとっては堅苦しくて、飲むほうの自由度を制限してよくないが、ここまでお酒の特徴を書くというのならば、おおよその区分け、たとえば「魚にあう」「肉にぴったり」「野菜の味を引き立てる」くらいがあっても良さそうである。

 どうも個性、個性という割には、料理を作るほうも味わう客のほうも個性にはこだわりを持っていないのではないだろうか。店が客をなめているという人もいるかもしれないが、逆に考えると、そこまで店がこだわると客が敬遠するということもあるように思う。

 どうも世の中、個性尊重とはタテマエとしてはみんなそう思っているが、実際のところは個性よりも「なんとなく」「何にでも合う」ものを選んでいる社会、自分もそのようになろうとする社会の縮図を見たといってしまえば、牽強付会といわれそうだが‥。たかだかお酒のメニューの書き方ひとつで社会総体を俎上に載せるのは、あまりに乱暴かもしれないが、意外とピントはずれていないかもしれないと考えた。

 そう、子供のいじめが問題になるが、個性、個性と社会では言っていても、実際の大人の社会では個性は尊重されるどころか、否定される状況だ。効率化・合理性・目標に向かっての組織一丸などが声高な社会と、個性というのは互いに相容れない社会なのだ。個性は大人の社会、企業という生産主体では否定されるべき、いじめられてしかるべきものなのだ。いじめの根本は、社会全体がいじめを醸し出し、際限なく拡大再生産していることの反映なのだ。今の社会が続く限り、子供の社会でもいじめは続く。

 それ以上考えると折角の楽しい会話とお酒が台無しになるので、思考はここまでにした。
 そのお店の名誉のためにいうと、揚げ出し豆腐は木綿豆腐で作ってあり、鰹出汁がとてもよく利いて、塩味は控えめでおいしかった。そして秋田のあるお酒を注文したのだが、これによく合ったような気がした。2杯目はいつものとおり芋焼酎のお湯割りで、生のカブと大根の薄切りの盛り合わせ。大変おいしく満足した。帰りに歩きながらコンビニでおにぎりをひとつ買って頬張った。

 食通とか酒へのこだわりとはちょっと遠う、この程度のお酒と肴であまり文句をいっては申し訳ないと反省もした。
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贅沢な時間

2013年02月26日 16時21分11秒 | 料理関連&お酒
 昨日、横須賀の田浦の梅園からの帰り道で購入した「梅ワイン」は、妻と母親の専用という扱いとするとのこと。私は毎週日曜の夕食時にチョコッとお猪口にいっぱいほどだけをいただけるということになった。
 ということは、私の飲むお酒がビール以外に我が家には存在しない、という由々しき事態が出来した。これは私の気持ちの上ではとても許されることではないので、本日いいお酒を扱っている酒屋さんまで出かけてきた。お店は中華街の傍にある。最近見つけた。安売り店ではないので毎回ここで購入するわけには行かない。しかしあの「白隠正宗」も扱っているということで、かなりこだわりの酒屋さんである。
 日本酒4合瓶と焼酎4合瓶をかわるがわるしてみようと考えている。しかしあくまでも毎回ではなく、そのサイクルの間には安売り店も利用しなくては財布が悲鳴を上げてしまう。だが、安売り店だからといっても、日本酒と乙類の焼酎については、安いだけのお酒は購入しない。ラベルや値段を見ながら、品質にこだわりのあるお酒を購入する。
 私が考えた値段の相場は、日本酒も焼酎も4合瓶で、
日本酒が1500円まで、安売り店では1200円以下。
焼酎なら1300円まで、安売り店では1000円以下。
 これがおおよその私の目安。高いものでは日本酒で5000円くらいのものも並んでいたように思う。こういうものはとても手が出ない。
 一方で気候が暑くなり、チュウハイやハイボールなどを飲む機会が多くなると、これは極めて安いものを探すことにしている。安売り店で1円でも安いものを購入する。あるいは甲類の焼酎や炭酸の安いものを探し出して自分で作る。
 ただし山に持っていくウィスキーはそれなりに贅沢をする。

 さてそういうことで、本日購入したのは次のお酒。青森県八戸市の酒造会社のもの。初めて聞く名前だ。そして私が普段はあまり呑むことは無い吟醸酒だ。この八仙というお酒、酒屋さんには吟醸で1200円、1500円、1800円、3000円の4種が並んでいた。

   

 当然、私の基準の上限に従って1500円のものを購入してしまった。贅沢な選択になった。これは1回1合として4回分、ビールの日と交互にして1週間持たさなくてはならない。

 飲んでみるといかにも吟醸酒然としている。吟醸酒というのは香りも味も私には甘すぎる気がして、飲み屋などでは普段あえて吟醸酒を指定することはない。
 かなり凝った料亭などで、料理をした人の薀蓄に耳を傾けながら、あるいは料理人のこだわりを聞きながら、材料によって微妙な味の違いを噛み締めながら飲むお酒としてはいいかもしれない。そのような料理は基本的に白身魚や、薄味の野菜が合う。このお酒も確かにその範疇である。あくまでも料理の味を楽しむお酒が吟醸酒だと勝手に思っている。あまりに強い味がする料理だと吟醸酒の場合、お酒の味がかすんでしまう。
 しかしこのお酒は意外とある程度塩味の濃い東北の魚料理にも合うのかもしれない、と感じた。それだけ旨味が強いのかもしれない。ここまでくると私もまったく知識も経験も不足しているから、あてずっぽうの世界に等しいという前提で読んでほしい。吟醸酒ではなく純米酒だとあまりうすい味の料理の場合、お酒の旨味が強すぎて、料理の味よりもお酒の味が強く感じられ、お酒を飲むのが苦痛になることがある。このお酒は吟醸といいながらそんな感じもする。
 意外と青魚をそれなりに濃い味で調理したものや、干物、燻製などにも負けない旨味があるのではないだろうか。そうはいっても味の濃さには限度はあるが‥。これはスルメや魚の煮つけでもあう吟醸酒ではないだろうか。東北ならではの吟醸酒なのかもしれない。

 さて、私は旅行に行くとお猪口を買うことが多い。その土地の窯で作られた陶器がいいのだが、陶器のコーヒーカップや茶碗などではその都度購入していたのでは、食器棚からあふれ出してしまう。値段も高い。そんなことから30数年前からお酒のお猪口をよく買う。
 これだとそれほど場所もとらないし、2000円未満でいいものが買える。掘り出しものもあるようだ。今では20個以上が食器棚に並んでいる。割ってしまったものや、一度処分したこともあるので、全体では40個ほども購入したかもしれない。さすがに妻からは場所をとりすぎる、と文句を言われるようになってきたが、それでも過去に一部処分したこともあり、今はまだ嫌味程度ですんでいる。
 ひとつひとつの旅先はもう覚えていないが、それでも柄や形がいろいろあり、お酒を飲んでいて飽きることがない。もっと高価なものを購入していれば、ひとつひとつ産地や窯の名前でも控えていたであろうが、そうはならないところがいいのではないだろうか。
 陶器はいかにも手作りの職人業という感じがするのがいい。多少いびつであったり、形が悪くても、模様に多少の難があってもいい。そのほうが面白い。
 今回、この八仙を注いだお猪口は、北海道の旭川で購入したものであることを記憶している。組合のスキーツアーで行った時に購入した。

      

 厚みがあってよく手になじむ。面白いのは、底が四角になっていること。そして糸切りが意外となめらかであること。小さなお猪口なのに四角い部分のざっくりとした感触が気に入っている。しかも平なテーブルの上においてみるとちょっと傾く。お酒はこぼれない程度の傾きなのだが、かえってこれが面白い。
 薄い色合いや、薄い生地の陶器はどちらかというと吟醸酒や味の薄いお酒がよく合うと思う。これはどちらかというとそれよりも多少どっしりとしたお酒がよく合う。このお猪口は春、外での花見などに持参すると周りの景色に映えて、お酒がおいしくなるのではないだろうか。料理は、多少の苦味などがある早春の山菜がいい。天ぷらも合うかもしれない。
 こんな贅沢な時間を過ごしながら、本日は腰のだるさをなだめながら一日を過ごした。

 明日はあさっての句会に向けて俳句を作らなければならないので、こんなにのんびりはしていられない。
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吟行は田浦の梅林

2013年02月25日 21時16分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は寒さの中を、横須賀市にある田浦の梅林へ向かった。朝には風が冷たかったものの、お昼前には風も止み、日が当たると気持ちのよい吟行となった。

   

 JRの田浦駅から歩いて20分ほどで梅林の入口に到った。途中保育園児の津波を想定したと見られる避難訓練に遭遇、保母さんや関係者が園児を負ぶったり、手を引いたりして高台に小走りに上っていた。その姿を見て、ここが海のすぐそばであることをあらためて実感した。そして横須賀は横浜以上に起伏の多いところであることもあらためて実感した。
 そこから急な階段を上りさらに20分ほどで梅の林にたどり着いた。園内は急な階段の連続ではあるが、園路はキチンと整備されている。ベンチ・あずまやもあり、ゆっくり歩けばそれほど苦にはならない。ここは旧田浦梅林(梅700本)と田浦梅の里(梅2700本)に別れている。
梅林はしかし想像していたとおり、今年はまだ花はチラホラ。園内の人に聞くと昨年はすでに見ごろだったようだが、今年は梅の開花がとても遅いとのこと。まだ開花していない梅の木の方が多数。開いているものでも3分咲きというところか。
 それでも梅の木の下には白い野水仙が群生しており満開で、十分目を楽しませてくれた。頂上には一部菜の花の群落もあり、明るい日差しに映えて美しかった。

         

 園内では、梅の古木の周りにドリルや鉄杭で穴を開けて、土に空気を入れる作業を行っており、梅林の維持管理の苦労を垣間見ることが出来た。
 この梅林は、標高100メートル余の高さにあり、頂上には展望台も備えられている。好天の空のもと、横須賀の港や沿海部の造船所や工場群の向こうに横浜のランドマークタワーをはじめみなとみらい地区や臨海部、遠くにアクアラインなども望むことが出来た。空と海の濃い青い色に紅梅の蕾や赤い枝が映えて、大変気持ちのよい眺望であった。
 昼食は、田浦青少年自然の家の管理棟前のベンチとテーブルを拝借。各自持参のおにぎりのほか、参加者が持ち寄った牛蒡の肉まきやデザートをご馳走になり体を温めることができた。

 帰りがけには、梅林の梅の実を利用した「梅ワイン」(1000円也)を手に入れ、かなりご満悦。来たときとは違う京急田浦の駅まで歩き、上大岡に出て句の合評会を行った。

   

 句の合評会の終了後、私はそれを記したメモを会場に忘れてしまい、記憶をたどってようやくに本日の句をまとめた。折角いろいろの意見をいただいたのだが、記憶をたどってもそのとおりにはなっていない点もある。情けないものがある。

★枝垂れ梅放物線の先に川
→二十歳の日放物線の先に春
★紅き梅昴の星の妖しさに
→梅が香やすばるのひかり妖艶に
★一輪を空に捧げて梅古木
★梅若木幹には春の水ながる
→透明な樹液のながれ梅若木
★梅の花二時間したら咲くつもり
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追悼!ウォルフガング・サヴァリッシュ

2013年02月24日 22時27分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 22日にウォルフガング・サヴァリッシュがなくなった、との報道が先ほどあった。89歳だったとのこと。
1923年生まれというから、日本で言うと大正12年生まれということになる。1960年にカラヤンから引き継いで、1970年までウィーン交響楽団の首席奏者になってから日本でも注目を集めたようだ。1964年にNHK交響楽団を指揮して以来、一層日本で注目を集めた。
 私は1970年大学に入学してサヴァリッシュ指揮、ウィーン交響楽団のブラームスの交響曲4曲を聴いて以来のファンであった。他の指揮者・他の楽団の演奏も知らないくせに、そして初めてブラームスの交響曲を聴いたのだが、すっかり魅せられてしまった。
 当時購入したレコードはレコード面が摩滅してさらに無数の小さな傷が出来るほど聞いた。そのため、残念ではあったがレコードプレーヤーを処分してCD再生装置を購入したときに廃棄してしまった。その後そのレコードのCD版を探したが見つからず、そのままになってしまっている。今もっているブラームスの交響曲は、カラヤン・ベルリンフィルのものである。あまり聞くことがなくなってしまった。
 直接サヴァリッシュの指揮を見たことはない。一度でいいからその指揮、あるいはピアノの演奏を直に聴きたかった。
 そして現在持っているサヴァリッシュのCDは、提剛のチェロ・サヴァリッシュのピアノによる1978年録音のブラームスのチェロソナタ、そしてバイエルン放送交響楽団をサヴァリッシュが指揮した1983年録音のブラームスのドイツレクイエム。いづれもブラームスの曲だ。提剛とのチェロソナタ2曲はとても好きな演奏だ。
 やはりブラームスの交響曲のイメージが強く、ブラームスの管弦楽曲とサヴァリッシュの組み合わせは、私には欠かせない。両者は私の中では一体の存在なってしまった。

 そんなことで、サヴァリッシュの訃報を聞いて、感慨深いものがある。私のクラシック遍歴で大きな足跡を残したこの偉大な先達の冥福を心よりお祈りしたい。

 本日は今もっているドイツレクイエムでもかけながら就寝するとしよう。

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竹内栖鳳「蹴合」(「画の東西」展補足)

2013年02月24日 11時40分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日NHKの日曜美術館で竹内栖鳳を放映していた。私は竹内栖鳳の名は聞いたことがある程度で、どのような作品を描いた画家かなど基本的知識がまったく無かった。今回の放映で初めて作品をいくつか知った。その程度の素人である。
 さて竹内栖鳳は昨年没後70年ということで、山種美術館で回顧展が行われたらしい。私は考慮の外で、昨年秋に開催されていたということすら記憶になかった。

 日曜美術館を見ていて「蹴合」が映し出された。どこかで見たことがあると思い、乏しい記憶をたどってみたら、大倉集古館の収蔵品展「画の東西」で展示されていたのを思い出した。

 「画の東西」展ではこの絵、他の収蔵品に較べて色彩も鮮やかで画面が新しいので、明治期以降の画家だろうと検討をつけて名前を見たら竹内栖鳳とあった。画家の名に関しては聞いたことがあるなぁという程度の思いだった。絵については丁寧な写生と色の鮮やかさ、躍動感に目を瞠ったが、二つの点で私には不満であった。
 それはまず、二羽の鳥の関係が実に平面的で、二羽が闘っている関係とは思えなかったことがある。同じ平面で向き合って闘っているには、遠近感がなさ過ぎる。左の鳥の脚の先には絵では対する鳥が描かれているものの、その相手の鳥は少し奥に位置しているのではないだろうか。だから脚は宙を蹴っている感じだ。眼もお互いににらみ合ってはいない。視線がずれている。
 テレビの放映によると、鳥と同じ高さの目線で観察を入念にしたという。一羽一羽の動きにはそれが十分に伝わるのだが、二羽の関係が私にはとても気になる。
 もうひとつ気になったことがある。二羽とも脚の位置が見れば見るほどちぐはぐに見える。それぞれ左右がはっきりしない。左の鳥の脚など見入れば見入るほど左右が逆に思えてくることがある。目の錯覚なのかと思ったが、一羽の鳥自体にも遠近感が少ない。不思議な感じがする。
 そんな感じを受けて、この「画の東西」の感想を記したブログにはこの作品を取り上げなかった。

 放映では、日本画の革新を求めて、西洋画の写実、遠近感、奥行きの表現にこだわったとの解説であった。確かに他の作品をテレビの画面で見るかぎり、その評価は間違っていないと思った。しかしこの絵だけについてはどうも納得がいかない。
 この作品は65歳ころの作品で充実していた頃に描かれたようだ。私の鑑賞眼がダメなのかと、ふと落ち込んでしまった。が、是非他の方の感想も聞いてみたいものだ。
同時に放映されたこの竹内栖鳳の革新性については、それなりに興味がわいた。次の機会がいつあるかわからないが、機会があれば是非ともまとめて作品を鑑賞してみたいものだ。

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横浜での今月二回目の句会提出句

2013年02月23日 20時39分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 横浜での今月2回目の句会に参加した。新しい俳句誌に参加して3年目を過ぎて、いつもとても楽しい句会に満足している。

句会での提出句
★命流る輸液の管に春寒し
→透き通る輸液の管や春寒し
★春の雪いつかは朽ちていく鉄路
→春の雪おのずと朽ちていく鉄路
★春の雨墓銘碑のなき者らへも
→春の雨墓誌の一行濡れており
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台風2号発生

2013年02月22日 22時07分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 お昼から友人と、軽くお酒付きの昼食を食べて歓談した。とてもたのしい時間を過ごすことが出来た。

 さて、帰途「台風情報メール」が届いていたのに気づいた。見たら熱帯低気圧が台風2号になったとのこと。すぐに再び熱帯低気圧になるということと、直接日本列島に影響はないようだが、まだ2月というのに早いものである。

 明日は句会があるので、投句する句を整理したが、最近はいつものことながら自身がない。昔からの癖で、いろいろひねくり回してしまって、結局どれが元の句であったかも定かでなくなってしまう。悪い癖といわれた癖がまたぶり返している。明日、どんなことになるやら。

 最近、美術館や博物館での感想を長々と書いてきた。ブログに掲載する文章がとても長くなってきたと、自分でも思う。ブログ以外、たとえばハガキをもらっての返信、メールへの返信、いづれも長々と書いてしまうようになった。「簡潔に、要領よく」とはいかない。
 かといってあまりに簡潔に書くと、いろいろと誤解を招くのではないか、と心配してしまう。なかなか難しいものである。自分の文体というものを獲得するまでは試行錯誤を続けるしかないようだ。
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パソコン依存症再発?

2013年02月21日 22時49分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど、パソコンの前に座っている時間が長くなったと書いたが、どうもパソコンを操作していないと落ち着いて眠れなくなっているのかなとちょっと心配になった。
 確かに現役の頃は何かに追われるようにパソコンでさまざまな文章を作成し、組合の機関紙を一人で作成なるなど、パソコン漬けの日々であった。退職後は出来る限り体を動かす時間を多くして、就寝前にパソコンと睨めっこすることは自覚的に控えてきたが、今年に入ってからそのことに無自覚になっていた。反省である。
 昨日は、パソコンの操作を止めるために、先日書店で見つけた「淫女と豪傑-武田泰淳中国小説集-」(中公文庫)を読み始めた。武田泰淳、書店でその名をたまたま見つけたとき、実に久しぶりで懐かしかった。武田泰淳の小説をまとめていくつか読んだのは、勤めてまもなくの頃であったか。学生時代に魯迅をむさぼり読み、卒業直後から竹内好に傾倒し、その流れの延長戦で武田泰淳を読み始めたが、全集は手に入らず、当時出ていた文庫本や単行本を探した。この文庫に収められている題名は記憶にないが、読んでいないのではなく、記憶がないだけかもしれない。
 実は武田泰淳に限らず、時代小説・探偵小説を除いて、いわゆる純文学といわれる範疇の小説を読むことも何年ぶりだろう。純文学とか大衆文学というような分類がはっきりいってあまり意味のない分類であるとは思うが、たまには昔読んだ作家の小説を再度読んでみようという気にさせてくれる数少ない作家の一人だと思う。
 しかしちょっと刺激的な題名である。いかにも武田泰淳らしい表題だが、この本の最後に収録されている評論にこの名がついている。初めて読む題名だ。あるいはかつて読んでも、そのことを忘れているのかもしれない。それは読み進めてからの楽しみだ。発行が1月25日となっているから出版されたばかりだ。



 話はガラッと変わって、本日は、神奈川大学の公開講座の「神奈川の自由民権運動」の第1回目。これから3月末まで5回の講座。2月7日締め切りで50名を募集していたが、2月20日まで延期してようやく13名の聴講生が集まり開講が決まったようだ。はっきり言って採算が取れるような応募人数ではないと見受けられる。応募者の数からはこの自由民権運動というものへの関心の風化がうかがえるのかもしれない。
 本日の講義でも触れていたが、1981年に横浜市で「自由民権百年全国集会」が開催された。その時は私も2日間の日程で1日目の全体集会、2日目の第1分科会「現代と自由民権」と第3分科会「現代の自由民権運動」を掛け持ちで聞いた記憶がある。30歳になったばかりであった。たまたま当時の組合で聴講券を安く配布していたのを利用した。
 当時、県知事であった長洲一ニ、その他松本清張、色川大吉、大江志乃夫、小田実、遠山茂樹の発言は、かなりの違和感は持ちつつも熱心に聞き入っていたと思う。その違和感はこの歳になっても、言葉で、かつ他人に伝わるようにはうまく表現できない。しかしその違和感は今でも変わらずに持っている。
 学生時代に色川大吉の「新編明治精神史」をつまみ読みしていたので、自由民権運動にはとても関心があった。そして多摩地域から神奈川県央地域にかけて、自由民権運動の大変さかんであったということだけは一応知っていた。そんなことを思い出しながら本日の第1回目の講義を聴いた。
 先ほど書いた違和感、これをこの講義を聴きながらうまく表現できるようになるだろうか。心もとない。この違和感は自由民権運動そのものに対する違和感ではない。
 色川大吉氏などは私よりも26歳も上の世代だが、その著作にはずいぶん影響を受けた。そしてあの1981年の集会は自由民権運動が弾圧を受け、内部対立の果てに時の権力者から徹底的な迫害を受け、マイナス評価の果てに埋もれていたものを復権させ、浮かび上がらせたという意味では大いに評価されてしかるべきであることは承知しているつもりだ。
 しかし当時の集会の時も多くの発言者が「国民運動」「民主主義運動」としての「研究」という把握をしているようで、それが前面に出てきてしまうと、私など団塊の世代に揉まれた世代には「民主主義」なるものの評価、感覚、体に染み付いた体験とはずいぶんと違うのではないかと思う。世代論というのはとても乱暴なくくり方で、一般化して語るのはとても危険なのだが‥。
 この違和感と付き合うのはしんどいような、もどかしいような感じがする。5回の聴講を終わってどのような感慨・感想となるのだろうか。
 しかし、こんなことばかり言っていては、それこそ地道な研究を続けておられる方々にはとても不遜に聞こえるだろうと思う。そして研究の先端ではそんな政治的な思惑や感想など寄せ付けない努力が続けられていると思う。外野で騒ぐな、邪魔をするなと批判されてしまうだろうとも思う。人の成果の上前をさらうだけの興味なら、余計なことはいうなと言われてしまうだろう。
 だからせめて現在の研究の状況を謙虚に学ぼうという気持ちに立ち返って、謙虚に講座を聞こうとは思っている。
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俳句誌5月号投句

2013年02月21日 20時38分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は久しぶりにブログのアップが出来なかった。気づいたら22日連続でアップしていた。
 最近は、現役で組合の役員をしていた頃のように、夕食前から夕食をはさんで夜中過ぎまでパソコンに向かっていた。こんなに長時間じっとしているのは体にはよくない。思い切って中止してみた。何しろ何か始めると止めるきっかけがないかぎり、だらだらといつまでも何かをし続けるのが悪い癖である。


 俳句誌5月号投句
寒凪や海へと長し富士の裾
春来るサラダに淡き日のひかり
かぎろいて縄文土器のめくるめく
春満月透視図法の道の先
寒あかね路地の奥へと控えめに
陸奥の地へ喉ぎくしゃくと燗の酒
まぼろしとうつつのあわいふぐと汁
首都圏へ北斗のしずく春浅し
春遠しコーラの瓶を投げし海
寒の水父の目と口我が顔に
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本日の夕食調理(イタリア風?)

2013年02月19日 21時59分02秒 | 料理関連&お酒
 本日は久しぶりに夕食を作った。いつもは和風の料理だが、今回はちょっと洋風=イタリア風にしてみた。材料は2人前。



1.ヒラメの味噌カルパッチョ風サラダ
2.タラと白菜・豚肉とえのきのレンジ蒸し
3.ごぼう風味のぺペロンチーノ

1.ヒラメの味噌カルパッチョ風サラダ
<材料>
 ア.) ベビーリーフ、レタス、ニンジン、キャベツ、タマネギ、レモン等適宜、
レモンの輪切り4枚
 イ.) ヒラメの刺身(刺身用の白身魚2人分)
 ウ.) 味噌・マヨネーズソース
      白味噌、マヨネーズ(各大匙1杯半)、
      ゴマドレッシング適量、ワインビネガー、砂糖(各小匙1)
<作り方>
a ベビーリーフ、レタスを適宜食べ易い大きさにちぎり皿に敷く。
b.ニンジン、キャベツ、タマネギはみじん切りか細切りにして、皿の上に敷く。
c.味噌・マヨネーズソースは材料を混ぜ合わせておく。
d.野菜の上に刺身を乗せ、レモンの輪切りを刺身の上に乗せる。
e.味噌・マヨネーズソースを適宜かける。

2.タラと白菜・豚肉とえのきのレンジ蒸し
<材料>
 白菜4枚、えのき1/2袋、タラの切り身2切れ、
 豚バラ肉50グラム、酒・塩・胡椒適宜、バター10グラム
<作り方>
a.タラの切り身およびに塩・胡椒を両面にふる。
b.白菜は一口大の大きさに切る。えのきは5センチくらいの長さに切る。
c.豚バラ肉は小さめに切り、塩・胡椒を軽くふる。
d.白菜、タラの切り身、えのき、豚バラ肉の順に重ね、最後にバターを乗せる。
e.ラップをして、電子レンジで4分くらい加熱する。
(熱がとおり、白菜から十分に水がでるまで)

3.ごぼう風味のぺペロンチーノ
<材料>
 スパゲッティ2人分、牛蒡の薄切り適宜、鷹の爪1本、
 にんにく薄切り2片、塩適宜、オリーブオイル適量
<作り方>
a.牛蒡の薄切り、鷹の爪、にんにくの薄切りをオリーブオイルで十分に炒める。
b.aに少し硬めにゆでたスパゲッティを加え、軽く混ぜ合わせるように炒める。 

 今回はカルパッチョの魚はヒラメを使ったが、白身の魚、サーモン、烏賊(刺身用でも茹でたものでも)などでも可。白味噌が多いと味が強過ぎるのでマヨネーズよりは少し少な目がよいかもしれない。またドレッシングの量を大目に加えて味を調整したほうが良い。好みでパセリやアサツキなどを最後にかけるのも良い。
 レンジ蒸しは今回タラの切り身と豚バラ肉を使ったが、他の白身魚の切り身でも、またベーコンも良い。白菜のかわりにキャベツやナスの輪切りを加えても良い。えのきだけでなくシメジ、マイタケなどでも可。白菜から水がでるので塩・胡椒は少し濃い目にしたほうがおいしいと思う。最後に好みでレモン汁をかけるてもよい。
 スパゲッティのぺペロンティーのに牛蒡を加えるのはテレビでヒントを得たが、牛蒡の香りがとてもよく合う。今回はスパゲッティの量が多すぎて折角の香りが食べるときはあまりしなかったのが悔やまれるが、料理をしているときの香りはよかった。
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朝から雪模様

2013年02月19日 15時18分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から雪模様。特に昼からは本降りになった。
 シベリウスのことをブログに記載したら、コメントをもらい、それにつられていろいろネットで調べてまわった。
 まずシベリウス協会の存在を以前教わっていたのだが、今回あらためてそのホームページを再訪。音楽会の情報やらCDの情報やらを調べてみた。音楽会についてはこれからチケットを購入しようかと思っている。しかし日曜日に第1部が昼12時から始まり、第2部が16時から、第3部が夜の19時からというのはなかなか過激な演奏会である。私のような素人が果たして付き合いきれるかは疑問だが、3000円というのはずいぶんとお手軽である。
 そしてフィンランドの近現代史でもネットサーフィンで調べた。45年以上も前に、ほんのさわり程度には高校生の世界史の授業を逸脱して、第二次世界大戦直前の北欧の複雑な歴史を図書館やら書店の立ち読みで探ったことはある。しかし情報も限られていたし、よくはわからないまま放置をしていた。スターリニズムの問題点ということで大学時代にチョッとだけ聞いたことはあるが、そのままだった。ヨーロッパについてはスペインの人民戦線やなどは幾冊かの本を読んだことはあるが、北欧の歴史まではとても勉強することは出来なかった。
 当時の私にとっては、当時のチェコスロバキアのプラハの春に対するソ連邦の軍事介入、ベトナム・ラオス・カンボジアの解放闘争、大学紛争の方が関心の核心であった。とくにプラハの事態とその後はその後の私に大いな影響を与えた。
 今回もシベリウスの音楽が好きなら最低限度の概略だけでもと考えたが、これはなかなか複雑。ボリュームがありそうである。
 そんなことをしているうちに午後も遅くなり終了。

 本日は退職者会の私のブロックの簡単な会報でも作ろうと考えていたのだが、つい時間をとってしまったので本日は断念。しかし何もしないわけにはいかないので、明日こそは作り始めなければ間に合わなくなる。

 そして、友人からハガキが来た。仕事で同期に採用された方から、「白隠」展の感想を送ってくれた。私のブログも見てくれている。うれしかったのは、そのハガキが若冲の「蓮池遊魚図」だったこと。これは購入すればよかったと以前に悔やんだ作品のポストカードだった。早速スキャンして、若冲のフォルダにしまっておくことにした。感謝である。またゆっくりとお会いして、話をしたい方である。




 雪掻きをする必要があるかどうか、微妙な雪の降り方だ。いつやむのであろうか。
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心に沁みる曲

2013年02月18日 21時50分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ここ何ヶ月もCDを聞いていなかった。いや音楽自体を聞く時間を持たなかった。
 退職したら心ゆくまでこれまで購入したCDを聴きたい、音楽会に行きたいと考えていたが、残念ながらなかなかそうはならない。それは講座を聴きに言ったり、美術館・博物館巡りに時間をとられて、それでくたびれてしまうということを言い訳にしているが、それは熱意の不足と言われればおしまいである。
 もっとも音楽を聞くということは義務的なことではないので、言い訳という言葉自体がナンセンスといえばナンセンスだ。

   

 M君のこともあり、気持ちはちょっと沈み込んでいるので、あまり華やかな曲は聞く気分にはならない。そんなことで手にしたのが、すでにこのブログでも紹介したシベリウスのピアノ曲。全曲録音をめざしていると思われる、渡邉規久雄の演奏。これまでに3巻が発売になっている。
 その第一巻の「キュリッキ-3つの叙情的小品」(作品41)と「5つのスケッチ」(作品114)及び「5つのロマンチックな小品」(作品101)の第1曲がとても気に入って何回も聞いている。聞いてまったく飽きがこない。今回も聞いていて心が夜の闇に融けていくように感じた。音楽の良さを文章にするのはとても難しくて、ブログで説明するのは私の能力では無理である。私の場合どちらかというと静かな曲が記憶に残る傾向にあるが、CD全体、シベリウスのピアノ曲全体では実に多様な曲想にあふれている。

 シベリウスは、スウェーデン系フィンランド人というのが正しいのだそうだが、その辺の北欧の微妙な歴史的な背景・風土はわからない。スウェーデン・ロシア・ドイツなどの間の複雑な関係の中で国民国家を形成してきたであろうことは推測できるが‥。この歴史がシベリウスの生涯や作られた曲にどのような影を投げかけているか、今のところ不勉強てあることを告白するしかない。
 この透明感あふれる演奏に、私は勝手に北欧の厳しくもあろうが美しい景観の自然と、それに囲まれた人間社会のイメージを重ね合わせて聞いている。イメージはあくまでも私のつたない知識に基づく貧困なものでしかない。このイメージが今の私の気持ちのありようとうまく響きあう。

 シベリウスというと8つの交響曲や9つの交響詩など管弦楽曲、9つの劇音楽、バイオリン協奏曲など管弦楽曲作家のイメージがある。
 私も交響曲全集、バイオリン協奏曲、6つのユーモレスク、カレリア、フィンランディア、悲しきワルツは聞いたことがあるし、CDも所持している。特にバイオリン協奏曲はお気に入りだ。暗い海か森から次第に上ってくる朝の光を連想させるバイオリン協奏曲の冒頭は忘れられない美しさだ。
 だが生涯を通じて書き続けられたピアノの小品群も捨てがたい。捨てがたいというとちょっと否定的な表現だから、別の表現の方がいいかもしれないが、いい言葉が浮かばない。管弦楽曲とは異質な面も垣間見せるような作曲家の精神の在り様が感じられて、私にはとても好ましい。
 実はこのほかにも声楽曲や室内楽曲(弦楽四重奏曲4曲、ピアノ三重奏、ピアノ五重奏)もあるので、室内楽曲が発売になれば購入したい。しかしレコード店に並んでいるのを見たことがない。これらの室内楽曲が、ピアノ曲から得られるシベリウスのイメージと、管弦楽曲のシベリウスのイメージとをどうつなげているのか興味がある。

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思いがけない知らせ‥M君の回復を祈る

2013年02月17日 20時12分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私のブログにいつも目を通してもらっていたM君が、昨年の12月12日に心筋梗塞の発作で、入院していることが判明した。
 講演におもむく途中、最寄の駅で心筋梗塞の発作に襲われ、緊急搬送されたものの心肺停止状態だったとのこと。30分後に蘇生したが、自律呼吸が出来なかったそうだ。現在呼吸は出来るようになったものの意識が回復していないとのこと。転院先をご家族は探しておられるとのことであった。できるだけ早くお見舞いに行きたい。

 M君とは中・高一貫教育の私立中高等学校で同期であった。中学1年の時から3年間、O君と私と三人で同じ駅から学校まで一緒に通った。私が中学3年の終了間際に転居するまで毎朝、駅のホームで一緒になり、共に二本の鉄道を乗り継ぎ、学校の最寄り駅から学校まで遅刻間際の時間にふうふういいながら上り坂を一緒に駆けて登校した。
 M君は中一の頃から一貫して美術部に在籍し、絵の研鑽をしたと思う。大学が違ったのでその間は音信はなかったが、私が横浜市に就職した後、経過は忘れたが、連絡を再び取り合うようになった。そしてその母校に労使紛争が生じたとき、私とおなじ横浜市に採用された久保田和尊君に対し、一緒に支援してもらえないかと連絡をしてきたのもM君であった。
 久保田和尊君と私は一緒に労働運動にかかわっていたので二人でおっとり刀で会合に参加し、最終的な勝利の場面まで精一杯かかわった。その久保田和尊君はガンで60歳になる前に無念の死をとげた。その葬儀には今回病気で倒れたM君も駆けつけてくれた。

 M君は色彩論の専門家として、横浜市や川崎市などの行政にも関わり厳しい指摘を私にもしてくれたことを思い出す。同期会で顔をあわせると、中田宏市政のひどさについて意見を盛んに述べておられた。私にはとても心強い意見で、勉強になりかつうれしかったことを覚えている。
 私がブログで美術館巡りの記事を載せると、よく意見を寄せてくれた。ブログに直接コメントはなかったが、メールで「いい感想だね」とか「こんな視点があってもよかった」「こんな展覧会もあるよ」などといってくれた。

 60歳を期に開いた個展には私もうかがった。親しく話をして展示された絵の解説をしてもらった。得てして展示作品の苦労話や自慢話をとうとうとしたがる作者もいるようだが、M君はそんなことはなく、控えめに「せっかくきてくれたのだから」ともの静かに少しだけ語ってくれた。
 そして同期会での会話やメールでの意見の中で「学生に色彩論で講義をしているが、最近の学生は美術館に足を運ばない。行けば勉強になるのに本当にもったいない」と盛んに息巻いていた。また「「あるけあるけ協会」にもかかわっているので、ウォーキングで運動をしないといけない、とは思っているが、かなかかな実行できない。お前さんのジョギングは過激すぎていけない」と意見もされた。

 実は昨年11月の末に同期会があったときは席が離れていてあまり話が出来なかったが、帰りがけにまたゆっくり二人で会いたいと話したばかりであった。さらに12月に入ってすぐのとき、たまたま横浜駅から京浜東北線に乗車したら目の前にM君が乗っていた。私は石川町駅で下車したので5分ほど話をしただけだった。そして年末以降、私のブログへの感想が送られてこないのでどうしたのかと思っていた。倒れたという駅はM君・O君と中学生の時いつも一緒に乗車した駅だ。M君のお母上にもよくしてもらった。

 12歳のときから61歳の今日まで、付き合いが続いていることはとてもうれしい。少しでも早い回復を祈っている。
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久しぶりのサウナ

2013年02月17日 11時40分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は、午後から夜にかけて楽しい時間を過ごさせてもらった。生ビール1杯と日本酒1合、二次会に焼酎1杯。外で飲むには程よい量だったようだ。横浜についてそれほど酔っていないのを実感して、明日行く予定だった銭湯に行こうと決めて、30ほど歩いた。
 実に久しぶりの銭湯、サウナは結構込んでいたので、ぬるめの浴槽とこれもぬるめの露天風呂に30分ほど。外のベンチで涼んでからサウナをのぞくとちょうど空きはじめたので、10分間のサウナを3回繰り返した。

 冷たい風に当たりながら帰ったのが23時過ぎ。実に心地よい酔い覚ましとなった。問題は8人で決めたことをこれからまとめなくてはならない。私の記憶がちゃんとしていればいいのだが‥。自信はないが、言いだしっぺの一人としてはちゃんとまとめなくてはいけない。それなりのプレッシャーだが、「無職」の私にはちょうどいいストレスとして対処しなくてはいけないと思う。

 40数年前と今の自分たちのありようを皆が平等に語り合える心地よい時間と場をどう設定するか。40数年前よりも「今」の方が、人のさまざまな意見を聞くゆとりと楽しみをみんなが獲得している。意見を述べるスタイルは昔も今も変わっていないのが懐かしいと感じると同時に、そのスタンスには40数年の時間の堆積も感じられた。

 誰かが主役ではなく、みんなが主役のあつまり、わざわざ仙台を訪れるという意欲を裏切らないものになるようにしたいものだ。
 一度下見を兼ねて、仙台にでも遊びにいくのもいいかなと、銭湯に入りながら思い始めた。下見を目的とするというより、ついでに下見ができるような旅行を考えればいい。そう、東北の地はやはりいつも私には魅力的な地である。
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時間の共有

2013年02月16日 13時03分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 本日の集まりに浜松から友人が東京に来てくれた。遠いところありがたくも、嬉しい。その途中バスの車中からの、富士山の写真をメールで送ってくれた。駿河湾一帯は晴れているようだ。
 朝は横浜も晴れ上がって、穏やかな日になりそうだったものの、次第に雲が多くなり風も強まった。

 最近サウナに行っていないのではないかと言われた。そういえば銭湯&サウナにご無沙汰している。

 多分今日は酔っ払ってしまうので、銭湯は無理。明日にでもアルデヒドを体から追い出すためにゆっくりと浸かりたいものだ。深酒にならない範囲で美味しいお酒を昔の仲間とのみたいものである。

 思えば40数年前、1972年の春を頂点にして、仙台という地で本当に"激動"の5年ないし6年を共有してきたと思う。以後の40年近くそれを胸に抱えながら、噛みしめながら過ごしてきた。人生のトータルな時間に比べれば短い時間かもしれないが、貴重な時間を共有してくれた仲間に感謝の念、いっぱいである。
 これからの残りの人生も、少しでも共有できる時間があれば嬉しい。

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